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これは徒手空拳ブログから:「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけに・・
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/7/5(土) 12:05 -
  
 これもなかなか考えさせてくれる文章です。
  ↓↓↓
徒手空拳で書くブログ。/生身の人間の政治・経済 
          http://blog.kansai.com/iroiro/67

 内田さんのブログに橋下知事の政治手法についての振り返りが書かれていた。
 「橋下府政三ヶ月の総括」:http://blog.tatsuru.com/2008/04/29_1124.php

 内田さんは、橋下知事の信念を「政治というのは金の分配のことである」という風に捉えた上で、「橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がないことであり、金さえあれば世の中のほとんどすべては解決する」という強固な確信のうちにその反対者たちをも含めて巻き込」み、「その点では、序盤戦は橋下知事側の「大勝利」」だと現状を分析する。

 しかし、これから先の橋下府政には「不満だけが残り、その責めを負うものがどこにもいないという「いつもの風景」がここでもまた繰り返されることになる」だろうと結論づける。
 なぜなら「集団のパフォーマンスというのは、「どうやって支出を減らすかというような」退嬰的な目的によっては決して高まることがないという平明なる人間的事実」を橋下弁護士が忘れているからである。

 橋下知事は、最近警察の人数を減らすということを宣言して、あいも変わらず騒ぎを起こしているわけだけれど、そうした行動に対しておれたちが肌で感じる違和感というものが、どこからくるものかを端的に言い当てているとても面白い指摘だと思う。
 何のビジョンもなくただ歳出を減らすためだけに歳出を減らすというのでは、根本的な解決になりえないということ。

 とはいえ、今日の本題はここから。別に橋下知事について書きたいわけではないので。

 おれがおもしろいなあと思ったのは、内田さんが橋下知事について書いた文章と、コン
ビニで買ったMeetsのコラムに江弘毅が書いていたことがすごく近かったことだ。

 以下は、内田さんが橋下知事に関して書いた文章。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 集団のパフォーマンスを高めるのは「オーバーアチーブする人」の存在だけである。
(・・・)
 オーバーアチーブメントを支えるのは「士気」であり、これは数値的に表示されない。
 そして、「金の全能性」イデオロギーの信奉者の最大の弱点は、数値的に表示されない
ものを「ゼロ査定」してしまうということにある。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 そして以下は、江弘毅がMeetsに、「ほっといてくれよ「まちづくり」。」と題して書
いた文章の一部である。少し長いが引用する。

(現代では消費のありようとそれに伴うお金の稼ぎ方がその人のありようを決定してしまうようなところがあるように、「まちづくり」においても「まちの活性化」や「都市ブランド確立」とは、つまり「どれだけ高い家賃を払ってくれる人がいて、そこでどれだけ高利益をもたらすか」ということでしかない、という話に続いて)

 そういうところでは「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけになってしまう。そこでは、人は消費と金儲けにどれだけ長けるかが自己実現や自己表現であり、その2つ
の能力によって人や社会関係を評価する。

 (・・・)街は数字をエクセルに入力したり電卓を叩く経済軸だけで出来るものでは
なく、むしろ誰かにビジネス的な目的で作られることを拒むように構造化されている
(中略)アメ村にしろ南船場、堀江にしろ、街というのはそれぞれ全く違ったOSで出来て
きたから「その街」なのであって、ビジネスモデルとかとは違う。

 こういう話は人や時間とともに街で過ごし、身体でわかっていただけないと、ちょっとつらい話でもある。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 2人が共通して言っているのは、人間の生活や社会活動を理解するときに、「客観的」
な「数値」や「データ」だけでは全く不十分であって、そのデータを形作っている生身の
人間のことを考えることが避けられないということだ。

 ここ最近まで、人間は自分の利益を最大化するためにのみ行動する動物だと経済学は言
ってきた。
 だから「ビジネス」とか「マネッジメント」を語る人たちはこういう視点を見落としたり、無視したりすることなのだけれど、政治や経済を理解するために用いられる「客観的」なデータは、生身の人間の考え方や活動の結果で、それらはロボットの生産性をまとめたデータとは全く違う「なま物」であることは、考えてれば当たり前のことだ。

 同じ給料で店員が働いていたとしても、いい雰囲気の職場ならよりよい働きをするし、その逆に、雰囲気の悪い職場では店員のやり気は下がる。
 それに、仮にある仕事の給料が別の仕事よりも高いとしても、その仕事に魅力がなければ、やりたい人は出てこないのじゃないだろうか。

 江弘毅の引用の最後、「身体でわかっていただけないと、ちょっとつらい話でもある。」という部分は、そういう彼らの姿勢が、現れている面白いところだと思う。
 話の分からない相手に絶望するのでもなく、切り捨てるのでもなく、「ちょっとつらい」とふぅとため息をつく感じ。なんともならない状況で、なんともならないなりになんとかせんとあかんなあ、という感じ。

 構造改革とか、経済活動とか、なんとか言ったって、そこにいる人が笑って楽しく過ごしてればそれが一番いいのだ、という当然の確信。

 もちろん、笑えていない人がいるからそういうことが必要なのではあるのだけれど、
生身の人間を置いてけぼりにしたどんな政治も経済も、空論でしかないということを偉い
人は忘れてはいけないのだ。
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引用なし
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橋下への秀逸な分析を紹介:「金の全能性」への信仰が血肉化している男への「人気」 戸田 08/7/5(土) 11:50
これは徒手空拳ブログから:「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけに・・ 戸田 08/7/5(土) 12:05

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