「自由・論争」 掲示板

★この掲示板は戸田が「革命的独裁」をする所である。
この掲示板はジャンルを問わず、論争・口ゲンカ・おチャラけ・ボヤキ等、何でもOKだが、「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んで必ずそれに従うこと。
●ここのルールを守らない荒らし的文句付け屋に対しては、「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているのか」等を問い質し、悪質な者には断固たる処置を取り無慈悲にその個人責任を追及していく。
★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
●「Re:○○」形式の元タイトル繰り返しタイトルは厳禁!!必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけること。
◆約10年間完全自由投稿制を維持してきたが、荒らし・妨害投稿頻発のため、投稿者登録制に移行した。投稿する方はこちらにアクセスし、所定の手続きを行なうこと。
◆投稿者のメールアドレスは戸田が把握するが、掲示板では非表示にできる。
◆投稿者名・メールアドレス・パスワードは登録時のものを使わないと投稿できない。 登録・投稿についての分かりやすい説明はこちら。うまくいかない場合の問い合わせは戸田事務所まで。(冒頭記:2009年4/8改訂)   これまでの管理者命一覧(必読)

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激情まっぺん氏に管理人戸田より1/11厳重要請!今後の投稿はこれに従われたい 戸田 07/1/11(木) 12:03

◎2000年段階で敵味方の状況をビシッと見据えた戸田の至言の数々 (戸田さんの原文)まっぺん 07/1/20(土) 20:31
反論1-2 「2000年段階で敵味方の状況をビシッと…」他について まっぺん 07/2/1(木) 18:56

◎2000年段階で敵味方の状況をビシッと見据えた戸田の至言の数々
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 (戸田さんの原文)まっぺん E-MAIL  - 07/1/20(土) 20:31 -
  
 戸田の掲示板公表文章からの抜粋で至言の数々を以下に紹介する。
 これを発表した2000年段階から7年めに入ろうとする2007年1月現在でも、その分析は少
しも色あせず、益々光を放っている、と戸田は考えている。

1:近年、若いヤツも含めてこの手のファシストかぶれや、差別自由主義者が増えておりま
 す。(生の充実が奪われた腐った社会に於いては、革命勢力がだらしなけばこういう手合い
 が増殖するのはモノの道理であり、根本的な解決は「腐った社会の革命」しかありません。)
  最近、いくつかのHP見たら、まさにこういう手合いが怪気炎をあげまくっているのが
 現実です。

2:差別拝外主義の嵐が吹き荒れる時、良心的市民派としてふつうに発言・行動すること自
 体が闘いになることもまたモノの道理であり、「主観的には仕掛けられた騒動・迷惑」では
 あっても、それを回避するための後退は、良心的市民派のポリシーの後退につながってし
 まいます。
  「生活の場からの差別拝外意識」と立ち向かって変えていく役割を与えられているもの
 の少なくともひとつが、市民派・良心派市会議員だと言えるのではないでしょうか?

3:「なぜ、あの時代にあの無謀な侵略戦争に国民は反対しなかったのか」、問題の構造は一
 緒です。
  ただ、「あの時代」は権力がやりたい放題できたし、すぐ拷問もできたし戦争には勝って
 いくし(日清・日露 ・日中・真珠湾・)
 ・・・それに比べれば今は圧倒的に安全で楽に社会運動できるんだから、ここでやらなけ
 れば「あの時代の」国民よりもっと恥ずかしいことになります。

4:ああいうアホウども(ちんけなファシスト気取りと差別自由主義者どもをまとめてこう
 呼んでおきます)は、怒りをもって叩きのめす姿勢で闘う、(こちらに余裕があって、個別
 対応できる時は、「あなたなんでそんな歪んだ考えの人間になってしまったの?子どもの
 時はそんなんじゃなかったでしょ。」と手をさしのべてあげてもいいけど・・)ことが必要
 です。
  ヤツらは、サンケイや週刊新潮・ゴー宣で描かれていることを鵜呑みにして、「サヨク」
 や「人権派」「市民派」全体が、文句付けだけしている小市民的な弱々しいもので、脅迫や
 テロにすぐ縮み上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃して
 くるのです。
  そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘のできる
 左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。
  そういう構えを持っていない限り、自由は圧殺されるし、人間愛や「優しさ」も守るこ
 とはできないでしょう。

5:なにもみんながみんな、ケンカや戦闘をせよ、と言ってるわけではないのです。
  絶対平和主義OK、キツイ言葉をいうこと自体イヤもOK、詩人OK、何でもOKだけ
 れども、全体の構造を理解しておいてね、自分だけ安全地帯にいて必要事としてケンカ・
 戦闘やっている部分の足引っ張りは、しないようにしましょうね、ということなのです。
  こういう理解が弱いところが日本の社会運動の大きな弱点だと、戸田は考えています。
  各国でのレジスタンス闘争、民族解放独立闘争の実際を思い浮かべて見て下さい。言論
 活動、非暴力活動、文化運動、教育活動、などなど様々な分野での活動のひとつの分野と
 して、これまた様々なレベルでの「実力行動」「直接行動」が包括されていたことが分かる
 はずです。

6:礼儀の問題さえわきまえていれば、匿名・実名にはあまりこだわりませんが(戸田HP
 の決まりを書いた戸田書き込みなど参照)、ストーカー的な書き込みオタクには、「あんた、
 何して稼いでいるの?」などと聞いてやるのも面白いでしょうね。
  親のすねかじりでグダグダ言うだけのヤツとか、根性なしサラリーマンかなんかで、職
 場では上司の言いなりにヘコヘコして奴隷残業(サービス残業の本質)していて、闘う勇
 気もないくせに(一人からでも労働組合は作れるし、相談に乗ってくれる所はいくらでも
 ある)、パソコンに向かった時だけ夜郎自大になってエラソウな書き込みをしてるだけ、と
 いう手合いが多いような気がします。

7:ハイハイ、いかにも2ちゃんねる「論客」らしい書き込みですね。
 自立した生活もせずに、生活の中での理不尽さと闘いもせずに、「パソコンに向かった時だ
 け夜郎自大に書きまくる」ある種の人達への批判を述べたまでで、「自立した生活をしてい
 ない」こと自体や、「生活の中での闘いができていない」こと自体を非難しているわけでは
 ないことぐらい分かりませんか?
 「奴隷的状況にあっても闘いに立ち上がれない状況にあるひとがゴマンといる」ことなど
 先刻承知のこと。
  闘いに立ち上げれる環境やきっかけをどう作っていくのかが活動家の役割であることも
 ジョーシキでしょ。
  まあ、苦難にあえぐ人には手を差しのべても、「闘えない理由」ばかり振りかざしてさっ
 さと帰宅してパソコンで別人閣に変身するだけの人は後回しにするのも当然です。

8:自分は絶対安全圏に身を隠しながら、他人攻撃を図ろうとする卑怯者であること。
 「自分は弱い私人だから正体を明らかにしなくていいんだ」という卑小な自己正当化を図
 りながら、他人攻撃を行うのみ。そこには言論のために勇気を発揮することもなければ、
 民としての矜持もない。

9:書いている文書を一読すれば分かる通り、現実社会の中で自分のことであれ他人のこと
 であれ、人権問題・労働問題ほか社会問題で闘ったこともなく、闘おうとも思っていない
 連中が、能書きばかりを発達させているにすぎないこと。
  労働争議はもちろん趣味のサークルやコミュニティ活動など、何か社会的活動をしてそ
 の中で葛藤している人間ではないだろう。
 
10:「暴君の兵は暴君よりも暴なり」であって、自分の人権が阻害されている根元に立ち向
 かわずに、パソコン世界でだけ攻撃欲をイビツに発散していることが窺われる。生活現場
 においてコンジョなしのくせに、パソコン世界でだけ戦士というわけだ。

11:「生活の場で闘えない事情」を抱えている庶民は無数にいるが、それ自体をコンジョな
 し、と言うのではない。パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない自己
 を限りなく正当化する精神のありようを「コンジョなし」と戸田は呼ぶのだ。

12:人権や民主主義の実現のために闘う気も、その侵害に対して闘う気も持っていない彼ら
 が「議員のくせに市民の声に答えないのか」、と言うときの「市民」の内実は政治家へのタ
 カリ意識でしかない。
  「票を持っているオレに便宜を図れ、利権を回せ」というのがそんじょそこらのタカリ
 意識であるならば、「ネット世界でのオレの要求に応えて、オレの自己顕示欲を満足させ
 ろ」というのが、ネット住民のタカリ意識である。
  戸田はこんなタカリ意識の連中の言動を指して「市民ブリッ子」と呼ぶのである。

13:吐いたツバは飲み込めないのだ。文書で他人を攻撃するのならばそれなりの責任が伴う
 のが当然である。「私人だから」という逃げ口上は許されない。
  従ってタチの悪い書き込み屋については、書き込み禁止とデータ公開の処分を発動する
 と共に、将来に於いてもやったこと相応の責任を取らせる権利を留保するものであること
 を明言しておく。

14:非常にキツイ言い方をしているので、これでは「優しさ系の戸田ファン」が消滅してし
 まう寂しさもあるのだが、これから市民派議員のHPが増加し掲示板の発展を図って行く
 にあたって、最も妨害要因となるものを先制的に粉砕排撃していこうという、戸田の戦略
 に沿った展開であることをここに明らかにしておこう。

15:実名を求めない代わりに「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているの
 か」などを問いただすことがある。
  自分は隠れまくってパソコンで他人攻撃をして喜ぶだけのコンジョなしにはここでの参
 加資格がないことを知れ。
  ここは民主主義や人権のために闘う気もないくせに能書きだけ垂れる場所ではない。

ま、こんなとこかな。これらの文言は結構使えると思うよ。

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◎「戸田の至言」にこれも追加しときましょう     戸田 - 07/1/5(金) 7:15 -


    16:日本では意図的に報道されていませんが(そして文化人達も意図的に知らせてこなかっ
 た)、例えばドイツなんかでは「アンティファ」と呼ばれる意識的・戦闘的なファシスト粉
 砕の活動がずっと続いているそうです。
  (ドイツ・アウトノーメ運動の紹介文献などに詳しい)
  ネオナチの拠点を襲撃したり、数千の暴動的デモを起こしたり、肉体的衝突をもバンバ
 ンやってきました。パンク青年やアパート占拠・共同体運動の人々も積極的に参加してき
 ました。
  こういう運動があるからこそ、ネオナチの台頭も「あの程度で」済んでいるのです。
 (こういう左右対立のためにネオナチが暴力化したのではありませんので、お間違えのな
  いように・・・)

17:それから、私ヒゲ-戸田は何と言っても現職の議員さんですから、もちろん「弁舌の徒」
 ・非暴力活動に徹する者です。(ホント、ホント)
  ただ、英語圏の言葉で「非暴力直接行動」というものがあり、これなんかとても収まり
 がいいなあ、とも思っております。

18:匿名か実名かは決定的な問題ではありません。礼儀の問題です。
  匿名(ペンネーム)でないと書けない、書きにくいということがあることは重々理解し
 ます。戸田は匿名だから中身を信頼しない、ということはありません。
  ただ、実名とは格差を付けて取り扱うのは当然のこととご了承下さい。匿名か実名かよ
 り、戸田への賛否より、この掲示板で大事なことは、このHP・掲示板の戸田ルールの範
 囲内でやってくれるかどうか、ということです。
  (自己顕示欲ばかりギラつかせるのでない限り、簡単なことのはずですけど・・)
  サイテーなのは、議会・市政刷新の多忙な活動の中でHP運営をやっている戸田に対し
 て、匿名で「あれを答えろ、これを答えろ」と突きつけてくる連中です。
  人に何かを求めるときの最低限の礼儀を知らない、と言われて当然のこういう連中に何
 かを与える義務もつもりはありません。

19:「まじめな異論」を装いながら、手紙もメール・FAXも寄こさない卑劣屋達
  要するに、キーボード叩く以外の労力は一切やろうとせず、あくまで安全圏にいたまま
 で、自分の書き込みがHPに載ることに悦楽を覚える、という怠惰な卑劣漢だということ
 です。
  ハエがたかるような勢いで、「一見まじめな異論」(低レベルのものもあるけど)を寄せ
 ている「書き込み屋」の面々。しかしこの間この手の連中からのメール・FAX・手紙 は
 ひとつも寄せられていない、というのが事実。
 「書き込み削除措置」に対してホントに「戸田の意見に異論有り!」、「戸田にこのことは
 分からせたい!」という熱意があれば、当然寄せられるべきものが全く来ていない。
  メールはアドレスがばれてイヤだとしても、FAXなら自宅以外からも可能だし、手紙
 なら全くの匿名で出すことができる。
  せいぜい消印で出した地方が分かるだけだ。自分が書き込んだ文書を印刷して送ればい
 いだけではないか。

  ホントに戸田に自分の持つ異論をぶつけることよりも、戸田のHPで自分の文書が公開
 されることだけが大事なのである。しかもあくまで陰に隠れて・・・・

20:投稿=即公開システムを戸田があえて継続している理由を読者にも・・・
 ・・・ぜひ考えておいてもらいたい。この手の卑劣屋書き込みに対抗する最も簡単なやり
 方は、さざなみ通信がやっているような、「管理人への投稿」―「管理人の選択の後HPへ
 の公開」というシステムにすることであることは分かり切っているのに、なぜ戸田はそう
 しないであえて「気に入らない書き込み削除した」、とマイナスイメージの宣伝が行われる
 不利をかぶってまで、こんなめんどくさい闘いをしているのか・・・・・

  それは戸田自身が、あちこちでHPに書き込む楽しみを知っているからです。やっぱり
 自分の書いた文章が投稿即でそのHP画面に載る方が喜びが大きいものね。「汝の欲せざ
 るところ人に施す事勿れ」というのが信条である戸田としては、自分がうれしいことは人
 にも味わってもらいたいとも思うのです。
  だから不利をかぶっても、今のシステムを続けたいと考えて労力を払っています。読者
 のみなさんはどう考えますか?

21:要するに「石原批判」であれ何であれ、市会議員がその市のワクよりも広い問題につい
 て発言・行動したら、こういう匿名の質問攻撃をして、それに答えないのは不誠実だ、と
 いう宣伝をしてやるぞ、という恫喝攻撃なのである。
  特にHP・掲示板を開いている普通程度の議員ならば、こういう攻撃をよそで見れば「ヤ
 バそうなことは言わんとこ」と萎縮してしまうのが明白だろう。
  卑劣屋連中の狙うところ、もたらすところはそこにある。
  だから「普通」程度を超えた「懲罰・問責・辞職勧告・怪文書の4冠王議員」の戸田が
 この卑劣屋粉砕の闘いの先端を買って出ているのである。なんせ「無所属・カゲキ派議員」
 (笑)ですから・・・

22:昨今の卑劣屋の最大の特徴は、一見「理性的市民」を装っていること。
   (それができない低レベルのヤツもいるけれども)
  議員のHPでは罵詈雑言を言わない代わりに、2チャンネルなど中の自分らの巣窟HP
 では罵詈雑言を思いっきりぶちまけている。
    (2チャンネル全体が、などとは戸田はもともと思っていない)

23:卑劣屋達の妨害に毅然たる対応をとれなければ、攻撃のタネになりそうな事には触れな
 いでおこうとする萎縮が進んでしまうだろう。
  「日の丸・君が代の押しつけに反対する」、ということなどが攻撃対象になっていくこと
 が十分予想される。
  まあ他の市民派の皆さんは、戸田が荒々しいやり方で進めたことをソフトに上手にこな
 していかれることと思います。

24:「言論の圧殺」などという言葉は、自分が身銭を切って発する言論が抑圧されたり(例
 えばビラや自分のHP)、公平に言論が保証されるべき場でそれが保証されなかったりする
 ときに言う言葉であって、新聞に投書しても採用されなかったから言論圧殺だ、と声高に
 騒ぐのがおかしいのと同じように、人様のHPに書き込みしたのに消されたから言論圧殺
 だと文句つけるなど甘ったれ以外の何物でもない。
  HPならなんでも書き残せると思う方がおかしいのである。
  ラジオで自分の投書を読んでもらおうとしたら、その番組の芸風やタレントのことを何
 も考えずに投書はしないだろう。
  抗議や異議申し立ての投書をするのはもちろん自由だが、それが番組の中で取り上げら
 れなかったからと言って、「言論圧殺だ」とは言わないだろう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.16; Mac_PowerPC)@p22229-adsau15honb9-acca.tokyo.ocn.ne.jp>

反論1-2 「2000年段階で敵味方の状況をビシッと…」他について
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 まっぺん E-MAILWEB  - 07/2/1(木) 18:56 -
  
自分を「至言」だの「画期的」だのと自画自賛するのは自由だが、自分を客観的に観る事ができない者ほど、そういう強がりを言うものである。戸田さんはどうか。以下、検討してみよう。なお、「『戸田の至言』にこれも追加しときましょう」も内容的に連続するのでここでまとめる。

●戸田さんの「至言」中に見る「アホウ・卑劣屋」の三つのタイプ

 様々な投稿者の中で中身のない一方的な罵倒や差別的言辞をろうして書き込んでくるような投稿者は「荒らし」と認定して削除するのは当然である。こういう連中はただの無内容な荒らし書き込みを続け、真面目な投稿者の感情を逆撫でし、彼らをもまたその挑発に乗せ、「荒らしの共犯」に引きずり込むのである。だからこういう輩は、無条件で削除するに限る。そんな投稿は、我が掲示板でもいちいち反論もせず黙って削除する。しかし、それは何も、戸田さんの規定する「ファシストかぶれや差別自由主義者」とは限らない。こういう連中がそんな明確な思想を持っているとは限らないし、そんな思想をもっているかどうかには関係ないのである。これは単なる「荒らし」に対する「管理人として」の当然の行為なのである。こうした荒らしを(A)のタイプとしておこう。

 戸田さんは自分が公表したこれまでの文章を抜粋して「1」から「15」、更に追加として「16」から「24」まで番号を付けて「至言」と称している。そのうち「1」から「3」までででは、「この手の」ファシストかぶれや差別自由主義者に対して良心的市民は闘おうと呼びかけ、またそれは市民派・良心派市会議員の役割であると説く。私もそれには全く同感である。ところが、その舌の根も乾かぬうちに「4」で、その差別自由主義者を「アホウども」と規定する。おいおい、戸田さん。「アホウ」は差別的感情がこもっている言葉じゃないの? まぁ、関西でよく使う「アホ」は日常的な言葉らしいので、ここでは目をつぶるとしよう。
 「4」ではその「アホウ」の正体をさらに詳しく「分析」し、「サンケイや週刊新潮・ゴー宣を鵜呑み」にしており、人権派・市民派に対して「文句付けだけしている小市民的な弱々しい」連中だと思いこみ「いい気になって攻撃してくる」と規定する。こうした人々には、罵倒スタイルであろうが真摯な態度であろうが、程度の差はあれ「思想に基づく主張」がある。こうした投稿者を(B)のタイプとしておこう。

 ところが、「5」の段階から対象は替わってくる。「5」は何をいいたいのか分かりにくい文章だが、「自分だけ安全地帯に」いる人を批判し、現場で闘っている人を賞賛しているようである。「6」以降、その傾向は顕著になり、「ストーカー的な書き込みオタク」(これは私の分類した(A)タイプにあたるだろう)、「親のすねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」「闘う勇気もないくせにパソコンに向かった時だけ夜郎自大」、「7」では「自立した生活もせず」「パソコンに向かった時だけ夜郎自大」、「8」では「自分は絶対安全圏に身を隠しながら他人攻撃を図ろうとする卑怯者」、「9」では「闘おうとも思っていない連中が能書きばかりを発達させている」、「10」では「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」、「パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない」…。いちいち引用するたびに虫ずが走るが、戸田さんが対象としたこれらの投稿者には、すでに指摘した(A)のタイプの他、新しいタイプが指摘されている。つまり「現実世界では闘わず、あるいは生活能力がなく、パソコン上でだけ闘っている」投稿者である。これを(C)のタイプとしておこう。

 さて、戸田さんの以上の「至言」からは、三つのタイプが抽出されたと思う。
(A)のタイプは単なる荒らしである。無内容で、無意味な投稿をストーカー的に反復してくる。
(B)のタイプは、はっきりと「思想」を持っている連中である。戸田さんは「ファシストかぶれ・差別自由主義者」と規定するが、そんな単純なものではない。思想的にはさまざまなレベルがあり、一様には言えない。彼らは彼らの思想と理論をもって議論をいどんでくる。
(C)は「現実生活」と「パソコン世界」とが切り離され、「パソコン世界でだけ闘っている」とされる。また現実生活においては「親のすねかじり」であったり「コンジョナシのサラリーマン」だったりするそうである。

●言論には言論で対抗しなければならない

 (A)のタイプに対する対応はすでに書いたとおりである。だれでも分かるほどのただの荒らしは黙ってサクサク消してしまえばよい。それについて掲示板の読者のだれも文句は言わないであろうし、戸田さんの「24」の提言はその通りである。削除されるのがいやなら自分で掲示板を立てればいいだけのことである。ところが(B)のタイプについてはそうはいかない。世の中はそう単純ではない。様々な思想が存在し、それによって政治的にも様々な立場があるからである。「我々だけが正しい」というのは「我々だけのリクツ」であって、それは現実世界ではまだ実証されていない。だからこそ、ネット上では、対等に議論できる環境をフルに利用して、我々の正しさについての確信を「言論」によって示さなくてはならないのである。
 同じ事が相手に対しても言える。自分の考えをきちんと持って書き込んでくる人は、例え我々と思想が正反対であっても、己の思想に確信を持って論戦を挑んでくるのである。だから、ネットにおいてそうした人たちとの論戦が始まった場合、市民派の立場に立って徹底的に受けて立ち、論戦を闘い、相手を「言論によってうち負かす」のでなければならない。

 そのような議論は、そこらのストーカーの書きなぐりと違って内容的にも高度になり、また客観的に見ても面白い。だからそうした議論が始まれば、アクセス数は自然に増大するのである。私もそうした経験は何度もある。戸田さんの掲示板のアクセス数が一日1500にも増大した時、それは戸田さんにとってチャンスであった。目には見えないが、戸田さんの前にたくさんの大衆がやってきて、その論戦の行方を見守っていたからである。だからそれは大衆的演説会に等しい。戸田さんがいったいどんな説得力のある演説で相手を論破してくれるのか。いったいどんな見事な「掲示板裁き」を見せてくれるのか。だから「一論客」の立場から言論には言論で答え、一方、誰が見ても荒らしと分かるようなものは「管理人」の立場にたって削除する、という両方の立場を区別した行動が絶対に必要だったのである。

 戸田さんはそうしただろうか? そうではなかった。戸田さんはそのかわりに論敵に対して「大まかな年代、社会体験、業種や身分、そのような考えに至った経緯」などを要求したり、あるいは電話やファックスでの対話を要求したり。ようするに相手をとことん議論で追いつめるのではなく、途中から自分勝手な条件を相手に要求して、それに答えなければ「コンジョナシ」のレッテルを貼って放逐する。そういう事をやったのである。
 これは論争における勝利ではなく「論敵の抹殺」である。スターリンがトロツキーを抹殺したのと同じ方法である。だがトロツキーは殺されても彼の思想は生き残り、世界の反資本主義運動の中に拡がった。同じように、戸田さんが自分のせまいせまい掲示板のカラの中から論敵を排除しても、それは外の世界の広い広いインターネットの海の中で生き続ける。それどころか「戸田さんは勝てないので排除した」という「戦績」をともなって彼らに増殖の口実を与えてしまうのである。

 インターネットが広い世界であることを戸田さんは理解できない。自分の板から排除しただけで「問題は解決した」と思い込んでいる。しかし戸田さんが「外部へ捨てたゴミ」は、戸田さんのおかげでますます外部で増殖していくのである。だからこそ、戸田さんは「自分の掲示板において」こうした連中の主張の正体を暴露し、論戦によって徹底的に叩き潰してやらねばならなかったのである。相手の身元を探って脅しをかけに行くなどというトンチンカンな所業は一見勇ましく聞こえるが、論争からの逃亡にすぎず、百害あって一理もない。
 戸田さんは「論戦における勝利を通じて、中立な人たちを我が方に引き寄せる」という決定的なチャンスを、自分の手でぶち壊したのである。戸田さんのやり方を見て、1500のギャラリーは失望した事であろう。当然それは「論戦に勝てなかったから管理人独裁を執行したのだ」と受け取られた事であろう。中立な立場から観戦している人たちの目にはそう映ったことだろう。それは嘲笑にかわったのではあるまいか。二次会における戸田さんの書き込みのパターンを見てもそれはわかる。

●闘わない者には発言権はないのか?

 戸田さんのこういう対応の奥には「差別意識」が潜んでいる。結局、戸田さんは相手を「思想」によって区別しているのである。「敵には人権はない」と思っているのである。右翼ファシストは徹底的に敵対者である。しかし人権派は「かれらの人権」も守ってこそ真に「人権派」と言えるのである。これは絶対に忘れてはならない。もちろん守るのは彼らの「人権」であって、彼らの敵対的精神や行動に対しては徹底的に闘わねばならないのは言うまでもない。そしてネット上で対等に闘って勝利するためにも、議論にあたっての「彼らの人権の尊重」は必要なのである。以下にその理由を述べていこう。

 戸田さんの人権意識の低さ、差別意識のひどさは、三つに分類した最後の(C)のタイプへの言及によって更に明らかになる。もう一度引用しておこう…「親のすねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」「闘う勇気もないくせにパソコンに向かった時だけ夜郎自大」「自立した生活もせず」「自分は絶対安全圏に身を隠しながら他人攻撃を図ろうとする卑怯者」「闘おうとも思っていない連中が能書きばかりを発達させている」「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」「パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない」……いやはや呆れたものだ。開いた口がふさがらない。これが「左翼人権派議員」の口から出た言葉だとは。
 私の「四トロ」掲示板では「罵倒」は禁止ではない。議論が激しくなればそんな言葉は自然と出るものだ。しかし、左翼なら気を付けなくてはならない事がある。罵倒には相手を見くだす意識がともなうものであり、時としてそれが差別意識に結び付くからだ。

 戸田さんの罵倒を検証してみよう。そこには主にふたつの見くだし方がある。ひとつは「闘わないくせにパソコン上でだけ闘っている」という主張である。わたしはこんな事を言われたら返す言葉がない。現実生活において「ゼロ」とは言わないが、ほとんど闘いの現場にはいないからだ。ほんの少しばかり戸田さんに協力しているだけだ。だから生活をかけて闘っている人々には本当に尊敬の気持ちを抱いている。しかし、自分は闘っているからといって、「闘わない者を侮辱する権利がある」というのか。それは傲慢ではないか。
 誰もが闘いに立てる環境にいるわけではないのだ。戸田さんが罵倒した「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」するサラリーマンが、どんな気持ちで自分の生活を支えているのか。辞表を叩きつけてそんな職場を辞めても、果たして別の職場が見つかるか。過酷なグローバル資本主義のなかで庶民はますます苦しい生活を強いられている。闘いどころではない事情を持つ人々もたくさんいるのである。職場内でも過酷な競争を強いられ、オオカミのくちの中にいるような緊張の中で仕事をしていかねばならない。それでも受け取る報酬はほんのわずか、といったような人たちは私の周囲にもたくさんいる。「現実世界で闘わない」からといって、直ちにそれを罵倒するのは「自分は闘っている」という者の驕慢である。

 「インターネット上の闘い」が大きな影響を興してきた事を我々は目撃してきたではないか。「CA」の予言は、「CA」が発行されたあと、我々の眼前で絶大な威力を伴って的中したではないか。ブッシュのイラク戦争に反対して全世界同時に一千万人規模の反戦運動が起こったが、それはインターネットがもたらしたものだった。また我々も参加した「管制塔元被告連帯基金」もインターネットが出発点となった。この時には驚くほど多くの「今は闘っていない」人たちがネットを通じて闘いに参加してきたのである。「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」が、総額1億ものカンパを送ってきた事を忘れたのか。戸田さんは、そうした人たちに対して「コンジョナシ」とさげすむのか! コンジョナシにもコンジョナシなりの闘いがある事になぜ戸田さんは気づこうとしないのか?

●論争相手を資本主義の論理で見くだす戸田さん

 もうひとつの見くだし方は「親のすねかじり」「自立した生活をしていない」という主張である。まず、本人が本当にそうなのかどうか、どうやって調査したのかわからないが、相手に対するそういう決めつけは問題である。だがこの言葉は本人に対してよりも、勤め口が見つからず失業状態にある者たち全てに対する侮蔑である事に気づかないのか? 彼らも好きこのんで親のすねをかじっているわけではなかろう。また仮にそうであったとしても、彼らが労働意欲を失った理由は彼ら本人の「自己責任」なのだろうか? 励ましの意味で「自分の責任だ」というならわかるが、我々はこうした「すねかじり」「ニート」「ひきこもり」が今日のいびつな資本主義世界によって生みだされ、増殖している事を知っているはずである。かじるすねがなくなれば「すねかじり」はホームレスとならざるを得ない。戸田さんはホームレスの人々も「コンジョナシ」と見くだすのか? 社会的弱者に対して職場の補償もせずに「自己責任」の口実によって弱者を切り捨てていく資本主義の論理を、戸田さんは受け入れるのか?

 戸田さんのこの差別意識は「12」「19」で頂点に達する。「12」では「ネット住民のタカリ意識」、「19」では「ホントに戸田に自分の持つ異論をぶつけることよりも、戸田のHPで自分の文書が公開されることだけが大事なのである」とまで相手を愚弄する。戸田さんの論理はまるで資本主義者の論理ではないか! 本当に弱者の側に立つつもりがあるのか? 「タカリ」とは何と傲慢な言葉だろうか。「タカラれる」議員様はそんなにエライのか? 何さまのつもりか?! 庶民と同じ目の高さで語り合ってこその人権派議員ではないのか? 不届きな相手を罵倒するのは構わない。しかし、経済的弱者である事への罵倒は絶対に許されることではない。
 なお、この(C)タイプに属する「アホウ・卑劣屋」が戸田さんの脳内では(B)タイプにも重なっているであろうことは、「19」において「『まじめな異論』を装いながら、手紙もメール・FAXも寄こさない卑劣屋達」、「22」において「昨今の卑劣屋の最大の特徴は、一見『理性的市民』を装っている」などと書いている事からも明らかである。つまりあからさまな罵倒を伴っていなくとも、相手の意見が自分に対立するだけで、このようなレッテルを貼るのである。
引用なし
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