「自由・論争」 掲示板

★この掲示板は戸田が「革命的独裁」をする所である。
この掲示板はジャンルを問わず、論争・口ゲンカ・おチャラけ・ボヤキ等、何でもOKだが、「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んで必ずそれに従うこと。
●ここのルールを守らない荒らし的文句付け屋に対しては、「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているのか」等を問い質し、悪質な者には断固たる処置を取り無慈悲にその個人責任を追及していく。
★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
●「Re:○○」形式の元タイトル繰り返しタイトルは厳禁!!必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけること。
◆約10年間完全自由投稿制を維持してきたが、荒らし・妨害投稿頻発のため、投稿者登録制に移行した。投稿する方はこちらにアクセスし、所定の手続きを行なうこと。
◆投稿者のメールアドレスは戸田が把握するが、掲示板では非表示にできる。
◆投稿者名・メールアドレス・パスワードは登録時のものを使わないと投稿できない。 登録・投稿についての分かりやすい説明はこちら。うまくいかない場合の問い合わせは戸田事務所まで。(冒頭記:2009年4/8改訂)   これまでの管理者命一覧(必読)

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激情まっぺん氏に管理人戸田より1/11厳重要請!今後の投稿はこれに従われたい 戸田 07/1/11(木) 12:03

糾弾1:戸田の画期的新手法開発等、ネット世界の重要事を全て隠蔽した犯罪性(上) (戸田さんの原文)まっぺん 07/1/20(土) 20:10
◎2000年段階で敵味方の状況をビシッと見据えた戸田の至言の数々 (戸田さんの原文)まっぺん 07/1/20(土) 20:31
反論1-2 「2000年段階で敵味方の状況をビシッと…」他について まっぺん 07/2/1(木) 18:56
反論1 自分を客観的に観る事のできない自己陶酔者には諫言はとどかない まっぺん 07/2/1(木) 18:54

糾弾1:戸田の画期的新手法開発等、ネット世界の重要事を全て隠蔽した犯罪性(上)
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 (戸田さんの原文)まっぺん E-MAIL  - 07/1/20(土) 20:10 -
  
糾弾1:戸田の画期的新手法開発等、ネット世界の重要事を全て隠蔽した犯罪性(上)     戸田 - 07/1/4(木) 13:05 -

     井上が行なった最も重大な犯罪性とは、戸田についてウソを書いたとか誹謗中傷したとか
言うだけでなく、2001年4月に戸田HP掲示板に起こった事件を通して画期的かつ先進的な
状況分析と手法によって「掲示板の自由の防衛」が図られたにも拘わらず、その重大性を全
て隠蔽して、これを単なる「掲示板管理者と投稿者の対立、管理者の暴言と過剰反応による
行き過ぎた削除事件」としてねじ曲げて描き上げた事である。

 つまり最も先進的で先鋭的な事件をありきたりな凡百のトラブルに矮小化した事だ。

 この矮小化によって、戸田の掲示板を注意深く見ていた一部の人以外はこの事件によって
生まれた「新生事物」に全く気づくことなく(四トロ同窓会やマル共連のネット先進分子達
も!)、ネット右翼・荒らしの跳梁跋扈を許し、これに萎縮して、ネットの健全な発展に大き
な遅れを取ってしまったのである。
 そういう意味で、井上の犯罪性は実に重大であり、またこれを見過ごし、あるいは容認し
た「サイバーアクション」制作者達の責任もまた重大である。
 (戸田憎悪に凝り固まった米沢みたいなヤツはどうしようもないだろうが、それ以外の人
  達、社会批評社の小西さん達はこの点をよく考えて欲しい)

 戸田HP記録においては、
   ☆ '2000-4月なんでも掲示板 記録 ☆
         http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban4.htm
   ☆ '2000-5月なんでも掲示板 記録 ☆
         http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/00/keijiban5.htm
   ★掲示板利用のルール★
        http://www.hige-toda.com/____1/index_keijiban_ru-ru.htm
   ★「自由・論争掲示板」への書き込みルール
    ★毒花も含めて百花斉放、然るのち整風。 戸田掲示板の第3期転換を開始する!★
        http://www.hige-toda.com/____1/keijibanru-ru/keikoku.htm
を読むことは事件の理解の上で必須なので精読されたい。
 それでは井上が隠蔽した重大性を以下に列挙する。

1:ネットウヨ跋扈の言論潰し攻撃への危機感微弱でも怒りもなく、それを跳ね返す具体策
 も自分の闘いも無い井上。

  ここの部分は詳しくは別途展開するが、基本だけ押さえておくと、事件が起こった2000
 年4月は、戸田や石原が初当選した99年統一地方選挙の翌年で、石原は「300万票超」
 得票の「石原人気」を背景に極右・差別丸出しの発言し放題。
  戦後民主主義の種々のまともな意識を「自虐反日史観」・「人権屋」等と罵り差別を煽る
 いわゆるネットウヨどもが力を増し、「2ちゃんねる」が大きな威力を発揮し、左派・人権
 派・護憲派・市民派(以下ではこれらをまとめて「革新陣営」とも呼ぶ事にする)のHP
 掲示板に対して執拗悪質な攻撃が展開され、閉鎖や解説断念となる所が続出、革新陣営の
 ネット言論萎縮の風潮は覆いがたい状況だった。

  この萎縮閉塞状況とどう闘いどう跳ね返すかが、革新陣営に真剣に問われていた。
  しかし井上はこの状況の表面をなぞるだけで真剣な怒りも危機感もなく、「右翼ファシ
 ストの街頭への大量進出はまだまだのことであろう。」と、「多くの掲示板荒らしと右派
 『論客』による攻撃と闘わざるをえない状況に追い込まれた」けれどもその闘争から尻尾
 を巻いて逃亡した自らを慰め、そういった自分のヘタレと対照的な先進事例を隠蔽する事
 で自己正当化を図ったのである。事実を見ればそうとしか思えない。

  掲示板荒らしの手法は2000年段階で既に高度化しており、単純な罵倒だけではなく、
 一見「理性的市民」を装ってネチネチと「○○に答えて下さいよ」と執拗に繰り返したり、
 「一見理性的な」書き込みでカモフラージュしつつ誹謗中傷書き込み満載の2チャンネル
 のアドレスを貼り付けてリンクできるようにしたり、などの手法が展開されている。
  2001年には反創価学会を掲げて決起していた白川勝彦元議員の掲示板が自由投稿制か
 ら会員登録制に変えざるを得なくさせられた。
 
  こうした状況に全国のネット活用(志望)議員のほとんどを震え上がり、HP掲示板開
 設の見送り、既設の所は会員制に移行、ネット言論の自粛に雪崩を打ったのである。
  ネットウヨの跋扈はさらに強まり、「小泉フィーバー」や2004年のイラク日本人人質へ
 の大バッシングなどにつながっていくのである。
  こういう過程の2001年にあのような記述を本に書く井上の投稿主義と犯罪性よ!

2:この萎縮閉塞状況を戸田が画期的な方針・基準・手法で打破した事を全く隠蔽した井上

  00年4/20から20日間ほどの対荒らし闘争の中で戸田が編み出して荒らし共を実際に撃
 退し、5/19「掲示板ルール」と6/22「自由・論争掲示板ルール」制定を以て確立した「戸
 田の掲示板テーゼ」ほどユニークで実効的なものは、議員HPでは無論、他のHPでも未
 だかつて存在しない。
  なお、この「議員のHP掲示板」という点は非常に重大であって、議員はその職責上、
 「公的問題への発言をしたり、求められたりする」事が常であって、そこから「市民の疑問
 に答えてよ〜」と掲示板で迫られる事が多く、議員として種々の待った無しの業務を抱える
 中で(市町村議員の大半は経済的にスタッフを雇えない)、それをどう捌くかで議員として
 の資質を値踏みされてしまう、あまり強硬姿勢をとる事もし辛い、等々のある種の「弱み」
 を持っているからである。 

  さて、「戸田テーゼ」の要点は、
 A:いわば「暴力の臭い」をプンプンさせる程に、「悪質な荒らし犯罪者に対する個人制裁
  の実施」(=「自己責任」を取らせる)を強く宣言した。
   00年当時新設の「自由論争掲示板」は今は読めないが、そこには「悪質分子は時間が
  かかっても捜し出して職場や自宅周辺にビラをまき、無慈悲に『死ぬほど後悔する思い』
  を味あわせてやるよ」というような事を書いている。

   ここまで断言するのは、戸田が
  「ヤツらは、・・・サヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいもので、すぐ縮み
  上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃してくるのです。
   ・・・そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘
  のできる左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。
  そういう構えを持っていない限り、自由は圧殺されるし、人間愛や『優しさ』も守るこ
  とはできないでしょう。 (若竹さんへのメール00年4/21)
     http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=806;id=01
  という透徹した認識を持っていたからである。 

   戸田の経歴や交友からしてこの宣告は十分に実行可能性を帯びたものと捉えられたが
  故に(ここまで言い切れる議員は他にはいない!)、女性市民派議員など「優しさ系議員」
  とは違って戸田への荒らしはあの程度に留まったのだ。それは現在に至るも続いている。

2:しつこい質問者には言論実行の決意性を問うた。具体的には年代・地域・体験・職業身
 分等の概要を逆質問し、回答無しは「コンジョ無し」として追放(投稿禁止)処分とした。

  これが戸田が開発した最も画期的な掲示板運営手法である。
 しかも注意して欲しいのは、井上の歪曲とは全然違って、戸田は「匿名は無責任」との立
 場は取らず、実名・実職業などの公表も求めず、大まかな年代、社会体験、業種や身分(学
 生か否かなど)、そのような考えに至った経緯などを問うだけなのだ。
 
  何にも個人情報は求めないが、その人間の背景を公開的に分析し、本人にも自省させる
 という効果がある。これにまじめに回答する人間とは、例えゴリゴリの右翼であっても掲
 示板での対話は継続する。共産党議員みたいに「反共主義だから・非建設的意見だから対
 話拒否」=削除とは決してしない。
  
  この方式の面白い所は、この程度の大まかな質問であるにも拘わらず、タカリ屋(荒ら
 し)のほとんど全てが恨み言を述べながらボロボロと退散していくことである。つまり、
 自省や判断根拠背景の公開に耐えられず、体を張った言論をする決意もないコンジョ無し
 であることがものの見事に露呈したのである。

  なお、戸田は排除や削除をするにあたっても手順を踏み、警告を出し、一定部分は「実
 例」として保存した上で行なっている。そこも他の掲示板とは大いに違う所だ。
(その後のデータ消失事故で▲現在までの<@追放処分者の名前とデータ>も消失したが)

3:「2ちゃんねる」関係者大多数の良識性と一部「荒らし」の超ヘタレぶりの実態

  00年若竹問題で「『2ちゃんねる』は怖い!」という恐怖心が革新陣営ほかに一挙に広
 がったが、そこには「冷静な分析のない過剰な恐怖心」も含まれていた。
  「荒らし被害」にあった戸田がこういう事を言うと意外に思われるかもしれないが、数
 字が現実を雄弁に語っている。すなわち、

 A:当時の掲示板へのアクセス数を見ると、従来1日100程度だったものが、4/24には
  300を越え、4/26には1256、その後は連日1500前後にも急増した。
   しかし、圧倒的多数は読むだけであり、戸田攻撃意図を持った荒らし書き込みをする
  人間はハンドルネームで数えて(1人2役もあり得る)たったの10数人程度に過ぎな
  かった。1日にすれば多くて数名程度。
   「2ちゃんねる」に出入りしている人、若竹問題で戸田掲示板に関心を持った人の圧
  倒的多数は良識的な人だった事がこの数字が示している。

 B:その中のたった10数人程度の「荒らし」共は、戸田が事務所FAX・電話番号のみな
  らず自宅の電話番号まで掲示板で公開して「夜中の1時まではOKだから電話してこい」
  と呼びかける事までしたにも拘わらず、この手の連中からのメール・FAX・手紙はひ
  とつも寄せられなかった。
   メールはアドレスがばれてイヤだとしても、FAXなら自宅以外からも可能だし、手
  紙なら全くの匿名で出すことができる。それでも何も寄こさないのである。
   
   表面上はイキがって見せるコイツらが如何に恐れるに足らないヘタレでコンジョ無し
  であるか、この事実が雄弁に物語っている。ま、相手が戸田だ、という事は大きいけど。

 C:以上の事は00年当時の戸田掲示板を見ればすぐ分かることばかりだ。しかし、ウソ
  書きの井上はるおが01年に「補章」を書く時にこれらを全く隠蔽したために、補章を
  鵜呑みにした読者達(これはこれで情けない人達だが)にはこういった事実は全く伝え
  られなかったのである。
   その結果として「『2ちゃんねる』は怖い!」という恐怖心のみが今に至るも継続して
  いるのだ。 
         (続く)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.16; Mac_PowerPC)@p22229-adsau15honb9-acca.tokyo.ocn.ne.jp>

◎2000年段階で敵味方の状況をビシッと見据えた戸田の至言の数々
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 (戸田さんの原文)まっぺん E-MAIL  - 07/1/20(土) 20:31 -
  
 戸田の掲示板公表文章からの抜粋で至言の数々を以下に紹介する。
 これを発表した2000年段階から7年めに入ろうとする2007年1月現在でも、その分析は少
しも色あせず、益々光を放っている、と戸田は考えている。

1:近年、若いヤツも含めてこの手のファシストかぶれや、差別自由主義者が増えておりま
 す。(生の充実が奪われた腐った社会に於いては、革命勢力がだらしなけばこういう手合い
 が増殖するのはモノの道理であり、根本的な解決は「腐った社会の革命」しかありません。)
  最近、いくつかのHP見たら、まさにこういう手合いが怪気炎をあげまくっているのが
 現実です。

2:差別拝外主義の嵐が吹き荒れる時、良心的市民派としてふつうに発言・行動すること自
 体が闘いになることもまたモノの道理であり、「主観的には仕掛けられた騒動・迷惑」では
 あっても、それを回避するための後退は、良心的市民派のポリシーの後退につながってし
 まいます。
  「生活の場からの差別拝外意識」と立ち向かって変えていく役割を与えられているもの
 の少なくともひとつが、市民派・良心派市会議員だと言えるのではないでしょうか?

3:「なぜ、あの時代にあの無謀な侵略戦争に国民は反対しなかったのか」、問題の構造は一
 緒です。
  ただ、「あの時代」は権力がやりたい放題できたし、すぐ拷問もできたし戦争には勝って
 いくし(日清・日露 ・日中・真珠湾・)
 ・・・それに比べれば今は圧倒的に安全で楽に社会運動できるんだから、ここでやらなけ
 れば「あの時代の」国民よりもっと恥ずかしいことになります。

4:ああいうアホウども(ちんけなファシスト気取りと差別自由主義者どもをまとめてこう
 呼んでおきます)は、怒りをもって叩きのめす姿勢で闘う、(こちらに余裕があって、個別
 対応できる時は、「あなたなんでそんな歪んだ考えの人間になってしまったの?子どもの
 時はそんなんじゃなかったでしょ。」と手をさしのべてあげてもいいけど・・)ことが必要
 です。
  ヤツらは、サンケイや週刊新潮・ゴー宣で描かれていることを鵜呑みにして、「サヨク」
 や「人権派」「市民派」全体が、文句付けだけしている小市民的な弱々しいもので、脅迫や
 テロにすぐ縮み上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃して
 くるのです。
  そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘のできる
 左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。
  そういう構えを持っていない限り、自由は圧殺されるし、人間愛や「優しさ」も守るこ
 とはできないでしょう。

5:なにもみんながみんな、ケンカや戦闘をせよ、と言ってるわけではないのです。
  絶対平和主義OK、キツイ言葉をいうこと自体イヤもOK、詩人OK、何でもOKだけ
 れども、全体の構造を理解しておいてね、自分だけ安全地帯にいて必要事としてケンカ・
 戦闘やっている部分の足引っ張りは、しないようにしましょうね、ということなのです。
  こういう理解が弱いところが日本の社会運動の大きな弱点だと、戸田は考えています。
  各国でのレジスタンス闘争、民族解放独立闘争の実際を思い浮かべて見て下さい。言論
 活動、非暴力活動、文化運動、教育活動、などなど様々な分野での活動のひとつの分野と
 して、これまた様々なレベルでの「実力行動」「直接行動」が包括されていたことが分かる
 はずです。

6:礼儀の問題さえわきまえていれば、匿名・実名にはあまりこだわりませんが(戸田HP
 の決まりを書いた戸田書き込みなど参照)、ストーカー的な書き込みオタクには、「あんた、
 何して稼いでいるの?」などと聞いてやるのも面白いでしょうね。
  親のすねかじりでグダグダ言うだけのヤツとか、根性なしサラリーマンかなんかで、職
 場では上司の言いなりにヘコヘコして奴隷残業(サービス残業の本質)していて、闘う勇
 気もないくせに(一人からでも労働組合は作れるし、相談に乗ってくれる所はいくらでも
 ある)、パソコンに向かった時だけ夜郎自大になってエラソウな書き込みをしてるだけ、と
 いう手合いが多いような気がします。

7:ハイハイ、いかにも2ちゃんねる「論客」らしい書き込みですね。
 自立した生活もせずに、生活の中での理不尽さと闘いもせずに、「パソコンに向かった時だ
 け夜郎自大に書きまくる」ある種の人達への批判を述べたまでで、「自立した生活をしてい
 ない」こと自体や、「生活の中での闘いができていない」こと自体を非難しているわけでは
 ないことぐらい分かりませんか?
 「奴隷的状況にあっても闘いに立ち上がれない状況にあるひとがゴマンといる」ことなど
 先刻承知のこと。
  闘いに立ち上げれる環境やきっかけをどう作っていくのかが活動家の役割であることも
 ジョーシキでしょ。
  まあ、苦難にあえぐ人には手を差しのべても、「闘えない理由」ばかり振りかざしてさっ
 さと帰宅してパソコンで別人閣に変身するだけの人は後回しにするのも当然です。

8:自分は絶対安全圏に身を隠しながら、他人攻撃を図ろうとする卑怯者であること。
 「自分は弱い私人だから正体を明らかにしなくていいんだ」という卑小な自己正当化を図
 りながら、他人攻撃を行うのみ。そこには言論のために勇気を発揮することもなければ、
 民としての矜持もない。

9:書いている文書を一読すれば分かる通り、現実社会の中で自分のことであれ他人のこと
 であれ、人権問題・労働問題ほか社会問題で闘ったこともなく、闘おうとも思っていない
 連中が、能書きばかりを発達させているにすぎないこと。
  労働争議はもちろん趣味のサークルやコミュニティ活動など、何か社会的活動をしてそ
 の中で葛藤している人間ではないだろう。
 
10:「暴君の兵は暴君よりも暴なり」であって、自分の人権が阻害されている根元に立ち向
 かわずに、パソコン世界でだけ攻撃欲をイビツに発散していることが窺われる。生活現場
 においてコンジョなしのくせに、パソコン世界でだけ戦士というわけだ。

11:「生活の場で闘えない事情」を抱えている庶民は無数にいるが、それ自体をコンジョな
 し、と言うのではない。パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない自己
 を限りなく正当化する精神のありようを「コンジョなし」と戸田は呼ぶのだ。

12:人権や民主主義の実現のために闘う気も、その侵害に対して闘う気も持っていない彼ら
 が「議員のくせに市民の声に答えないのか」、と言うときの「市民」の内実は政治家へのタ
 カリ意識でしかない。
  「票を持っているオレに便宜を図れ、利権を回せ」というのがそんじょそこらのタカリ
 意識であるならば、「ネット世界でのオレの要求に応えて、オレの自己顕示欲を満足させ
 ろ」というのが、ネット住民のタカリ意識である。
  戸田はこんなタカリ意識の連中の言動を指して「市民ブリッ子」と呼ぶのである。

13:吐いたツバは飲み込めないのだ。文書で他人を攻撃するのならばそれなりの責任が伴う
 のが当然である。「私人だから」という逃げ口上は許されない。
  従ってタチの悪い書き込み屋については、書き込み禁止とデータ公開の処分を発動する
 と共に、将来に於いてもやったこと相応の責任を取らせる権利を留保するものであること
 を明言しておく。

14:非常にキツイ言い方をしているので、これでは「優しさ系の戸田ファン」が消滅してし
 まう寂しさもあるのだが、これから市民派議員のHPが増加し掲示板の発展を図って行く
 にあたって、最も妨害要因となるものを先制的に粉砕排撃していこうという、戸田の戦略
 に沿った展開であることをここに明らかにしておこう。

15:実名を求めない代わりに「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているの
 か」などを問いただすことがある。
  自分は隠れまくってパソコンで他人攻撃をして喜ぶだけのコンジョなしにはここでの参
 加資格がないことを知れ。
  ここは民主主義や人権のために闘う気もないくせに能書きだけ垂れる場所ではない。

ま、こんなとこかな。これらの文言は結構使えると思うよ。

--------------------------------------------------------
◎「戸田の至言」にこれも追加しときましょう     戸田 - 07/1/5(金) 7:15 -


    16:日本では意図的に報道されていませんが(そして文化人達も意図的に知らせてこなかっ
 た)、例えばドイツなんかでは「アンティファ」と呼ばれる意識的・戦闘的なファシスト粉
 砕の活動がずっと続いているそうです。
  (ドイツ・アウトノーメ運動の紹介文献などに詳しい)
  ネオナチの拠点を襲撃したり、数千の暴動的デモを起こしたり、肉体的衝突をもバンバ
 ンやってきました。パンク青年やアパート占拠・共同体運動の人々も積極的に参加してき
 ました。
  こういう運動があるからこそ、ネオナチの台頭も「あの程度で」済んでいるのです。
 (こういう左右対立のためにネオナチが暴力化したのではありませんので、お間違えのな
  いように・・・)

17:それから、私ヒゲ-戸田は何と言っても現職の議員さんですから、もちろん「弁舌の徒」
 ・非暴力活動に徹する者です。(ホント、ホント)
  ただ、英語圏の言葉で「非暴力直接行動」というものがあり、これなんかとても収まり
 がいいなあ、とも思っております。

18:匿名か実名かは決定的な問題ではありません。礼儀の問題です。
  匿名(ペンネーム)でないと書けない、書きにくいということがあることは重々理解し
 ます。戸田は匿名だから中身を信頼しない、ということはありません。
  ただ、実名とは格差を付けて取り扱うのは当然のこととご了承下さい。匿名か実名かよ
 り、戸田への賛否より、この掲示板で大事なことは、このHP・掲示板の戸田ルールの範
 囲内でやってくれるかどうか、ということです。
  (自己顕示欲ばかりギラつかせるのでない限り、簡単なことのはずですけど・・)
  サイテーなのは、議会・市政刷新の多忙な活動の中でHP運営をやっている戸田に対し
 て、匿名で「あれを答えろ、これを答えろ」と突きつけてくる連中です。
  人に何かを求めるときの最低限の礼儀を知らない、と言われて当然のこういう連中に何
 かを与える義務もつもりはありません。

19:「まじめな異論」を装いながら、手紙もメール・FAXも寄こさない卑劣屋達
  要するに、キーボード叩く以外の労力は一切やろうとせず、あくまで安全圏にいたまま
 で、自分の書き込みがHPに載ることに悦楽を覚える、という怠惰な卑劣漢だということ
 です。
  ハエがたかるような勢いで、「一見まじめな異論」(低レベルのものもあるけど)を寄せ
 ている「書き込み屋」の面々。しかしこの間この手の連中からのメール・FAX・手紙 は
 ひとつも寄せられていない、というのが事実。
 「書き込み削除措置」に対してホントに「戸田の意見に異論有り!」、「戸田にこのことは
 分からせたい!」という熱意があれば、当然寄せられるべきものが全く来ていない。
  メールはアドレスがばれてイヤだとしても、FAXなら自宅以外からも可能だし、手紙
 なら全くの匿名で出すことができる。
  せいぜい消印で出した地方が分かるだけだ。自分が書き込んだ文書を印刷して送ればい
 いだけではないか。

  ホントに戸田に自分の持つ異論をぶつけることよりも、戸田のHPで自分の文書が公開
 されることだけが大事なのである。しかもあくまで陰に隠れて・・・・

20:投稿=即公開システムを戸田があえて継続している理由を読者にも・・・
 ・・・ぜひ考えておいてもらいたい。この手の卑劣屋書き込みに対抗する最も簡単なやり
 方は、さざなみ通信がやっているような、「管理人への投稿」―「管理人の選択の後HPへ
 の公開」というシステムにすることであることは分かり切っているのに、なぜ戸田はそう
 しないであえて「気に入らない書き込み削除した」、とマイナスイメージの宣伝が行われる
 不利をかぶってまで、こんなめんどくさい闘いをしているのか・・・・・

  それは戸田自身が、あちこちでHPに書き込む楽しみを知っているからです。やっぱり
 自分の書いた文章が投稿即でそのHP画面に載る方が喜びが大きいものね。「汝の欲せざ
 るところ人に施す事勿れ」というのが信条である戸田としては、自分がうれしいことは人
 にも味わってもらいたいとも思うのです。
  だから不利をかぶっても、今のシステムを続けたいと考えて労力を払っています。読者
 のみなさんはどう考えますか?

21:要するに「石原批判」であれ何であれ、市会議員がその市のワクよりも広い問題につい
 て発言・行動したら、こういう匿名の質問攻撃をして、それに答えないのは不誠実だ、と
 いう宣伝をしてやるぞ、という恫喝攻撃なのである。
  特にHP・掲示板を開いている普通程度の議員ならば、こういう攻撃をよそで見れば「ヤ
 バそうなことは言わんとこ」と萎縮してしまうのが明白だろう。
  卑劣屋連中の狙うところ、もたらすところはそこにある。
  だから「普通」程度を超えた「懲罰・問責・辞職勧告・怪文書の4冠王議員」の戸田が
 この卑劣屋粉砕の闘いの先端を買って出ているのである。なんせ「無所属・カゲキ派議員」
 (笑)ですから・・・

22:昨今の卑劣屋の最大の特徴は、一見「理性的市民」を装っていること。
   (それができない低レベルのヤツもいるけれども)
  議員のHPでは罵詈雑言を言わない代わりに、2チャンネルなど中の自分らの巣窟HP
 では罵詈雑言を思いっきりぶちまけている。
    (2チャンネル全体が、などとは戸田はもともと思っていない)

23:卑劣屋達の妨害に毅然たる対応をとれなければ、攻撃のタネになりそうな事には触れな
 いでおこうとする萎縮が進んでしまうだろう。
  「日の丸・君が代の押しつけに反対する」、ということなどが攻撃対象になっていくこと
 が十分予想される。
  まあ他の市民派の皆さんは、戸田が荒々しいやり方で進めたことをソフトに上手にこな
 していかれることと思います。

24:「言論の圧殺」などという言葉は、自分が身銭を切って発する言論が抑圧されたり(例
 えばビラや自分のHP)、公平に言論が保証されるべき場でそれが保証されなかったりする
 ときに言う言葉であって、新聞に投書しても採用されなかったから言論圧殺だ、と声高に
 騒ぐのがおかしいのと同じように、人様のHPに書き込みしたのに消されたから言論圧殺
 だと文句つけるなど甘ったれ以外の何物でもない。
  HPならなんでも書き残せると思う方がおかしいのである。
  ラジオで自分の投書を読んでもらおうとしたら、その番組の芸風やタレントのことを何
 も考えずに投書はしないだろう。
  抗議や異議申し立ての投書をするのはもちろん自由だが、それが番組の中で取り上げら
 れなかったからと言って、「言論圧殺だ」とは言わないだろう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.16; Mac_PowerPC)@p22229-adsau15honb9-acca.tokyo.ocn.ne.jp>

反論1 自分を客観的に観る事のできない自己陶酔者には諫言はとどかない
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 まっぺん E-MAILWEB  - 07/2/1(木) 18:54 -
  
●井上氏に対する卑劣なデマとウソつき呼ばわり

 まず戸田さんは、ここで、「2001年4月に戸田HP掲示板に起こった事件を通して画期的かつ先進的な状況分析と手法によって『掲示板の自由の防衛』が図られたにも拘わらず、その重大性を全て隠蔽して、これを単なる「掲示板管理者と投稿者の対立、管理者の暴言と過剰反応による行き過ぎた削除事件」としてねじ曲げて描き上げた」と言う。つまり、自分のやり方は「画期的方法」である、というわけだ。それはどんな方法だろうか? その前にまず井上批判が続く。

>ネットウヨ跋扈の言論潰し攻撃への危機感微弱でも怒りもなく、
>それを跳ね返す具体策も自分の闘いも無い井上。

 と戸田さんは言う。この言葉を裏付けるどんな証拠があるだろうか? 冗談ではない。私はむしろ井上氏のネットウヨに対する危機感、怒り、そしてそれを跳ね返す具体策を提案し闘ってきた事実を指摘できる。それも戸田氏が批判してやまない『サイバーアクション』(以下「CA」」と略称)の中に、である。井上氏は「CA」の中で、森首相、石原都知事の発言の反動性、排外性に触れ、「ファシストと呼んでもおかしくない」と指摘している。またその「ファシスト」石原が支持を高めている事も指摘している。これらの記述こそまさしく右翼ファシストへの危機感と怒りではないか!そんな事もわからないのか? それとも井上氏は右翼ファシストへの支持の増大を喜んで書いているとでも言うのか? またそれを跳ね返す具体案もちゃんと「CA」に書いている。

>可能なのは、まさにもぐら叩き的に、それもキチンと反論しながら撃つことしかないのだ。
>機能的に反撃しなければ、こちらが崩れてしまうのは明白である。
> もちろんサイト上のルールを設定して違反者には削除、書込み禁止もありであろう。これ
>はある意味サイト運営上のスキルである。
> 暴言を吐き削除攻撃をかけるのはインターネットという広く公開された「場」で敵をつく
>るだけなのである。さらにネット規制などみずからの首をしめるようなことは言うべきでは
>ない。インターネットは使いようによって有力な武器になるし多くの仲間を獲得できるのだ
>から。そして、多くの人が自分の意見を表明できる場ができたことを否定すべきではない。

 これが井上氏が具体的に提案するネットウヨ撃退の方法である。そうした方法は、井上氏がみずからネット上で闘いを実践してきたからこそ、「CA」上に提案しているのである。そしてその方法は、我が「四トロ掲示板」において現在も実践されている。それは私が「CA」を読み、それに同意し、そこから学んだからである。ネットウヨの不埒な言論に対しては言論によって対抗し、読者の納得する方法によって撃退してきたのである。戸田さんのように相手の素性を探るような質問をし「コンジョナシ」などという陳腐な罵倒で排除してきたのではない。そんな事をするから2ちゃんねるのネタにされるのである。井上氏の提案する方法がネットウヨ撃退に効果があったのは事実である。戸田さんはこれを自分でパソコン入力しながらまったく気づかなかったのであろうか? はっきりと「それを跳ね返す具体策」を彼が提案し、それが今も機能している事実を無視し、彼を「ウソつき」呼ばわりするとは言語道断である! 戸田さんこそ、卑劣なデマゴーグに他ならない。直ちに井上氏への「ウソつき」規定を取り下げよ!

●陳腐極まる戸田さんの「画期的掲示板運用方法」

>2:この萎縮閉塞状況を戸田が画期的な方針・基準・手法で打破した事を全く隠蔽した井上

 と、戸田さんはおっしゃる。なにが「画期的な方針・基準・手法」だ? こういう無惨なまでの独りよがりな自己陶酔には反吐が出る。戸田さんのようなやり方をしている掲示板は少し探せばいくらでも見つかる。そして、そうした方法を採用する掲示板では自由に反論を書けないため、同類が寄り集まる「仲良しクラブ」にしかならず、真剣な討論が成立するのは難しい。他にも戸田さんのやり方には非常に重大な問題がある。その問題点を検証しよう。まず、戸田さんは次のように若竹議員に「助言」したそうである。

>ヤツらは、・・・サヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいもので、すぐ縮み
>上がってしまうもの、と思っており、だからこそいい気になって攻撃してくるのです。
> ・・・そうではない、ファシスト連中に煮えたぎる怒りを持って実際にケンカと戦闘
>のできる左翼や市民派が存在することを、アホウどもに知らしめておかねばなりません。

 「ヤツら」とは誰のことか? 自分への反対意見一般はすべて「ヤツら」か? 戸田さんが規定する「ヤツら」はみんなサヨクや人権派・市民派全体が小市民的な弱々しいと思い込んでいるからいい気になって攻撃してくる、と決めつけていいのだろうか。戸田さんの、この「人間」というものに対する薄っぺらな理解とレッテル貼りにはまったく恐れ入る。人間はそんな単純なものではない。右翼であろうと左翼であろうと、思想のいかんを問わず、どうしようもないクズもいれば尊敬に値する人格者もいる。そんな人間に対しては、例え真っ向から対立する意見であろうと、正面から受け止めて真剣に反論する事こそが、社会運動にたずさわる者がとるべき道である。その事を理解できていない。

戸田さんの「画期的方法」とは井上氏が指摘しているように匿名を許さない事であり、相手が自分に批判的であれば、相手の個人情報を探ろうとする事で相手に恐怖を与え、「撃退」する事である。その方法を具体的に戸田さんに語ってもらおう。以下は戸田さんご自身の言葉である。

>A:いわば「暴力の臭い」をプンプンさせる程に「悪質な荒らし犯罪者に対する個人制裁
> の実施」(=「自己責任」を取らせる)を強く宣言した。
>  00年当時新設の「自由論争掲示板」は今は読めないが、そこには「悪質分子は時間が
> かかっても捜し出して職場や自宅周辺にビラをまき、無慈悲に『死ぬほど後悔する思い』
> を味あわせてやるよ」というような事を書いている。

 荒らしをする者には「人権はない」という事らしい。「時間がかかっても探し出して職場や自宅周辺にビラを」まくそうである。いやはや恐れ入った。荒らしは普通、削除すれば済むし、過度の荒らしに対しては、まずネットのサーバー管理者に証拠を示して対処するのが常識である。また議員とは、普通の市民よりも公的な立場にある。だからネット上の言動には注意を要する。ネット上で初めから敵対者と味方とを分け、敵対者に対して職場や自宅を探し出して落とし前を付けるようなやり方は常軌を逸しているとしか思えない。また、別の項でも明らかにするが、戸田さんの上記「テーゼ」は明らかに「匿名をゆるさない」態度に他ならない。

●「匿名尊重」の美名の元に個人情報をあさる戸田さん

 戸田さんは「自分は匿名は無責任との立場を取らない」と口では言っている。ところが実際には、このような穏やかではない脅しを相手にかけるのである。そればかりではない。「大まかな年代、社会体験、業種や身分、そのような考えに至った経緯」などを聞き出そうとする。そしてそれに答えない者は「コンジョナシ」のレッテルを貼って追放する。しかしちょっと考えてほしい。それだけの情報を与えれば個人を特定できる場合もあるのである。これでは「匿名の尊重」にはならない。また「名前や住所以外なら知られてもいいだろう」などというのは戸田さんの勝手な決めつけにすぎない。自分の情報をどこまで知られてもよいかの判断は、あくまでも「匿名希望者」本人にあるのである。「人権」は自分が判断し行使する権利であり、他人が行使の範囲を指図する権利はない。戸田さんには、こんな基本的な事もわからないのか!
 また戸田さんは、事務所FAX・電話番号・自宅の電話番号を公開し「夜中の1時まではOKだから電話してこい」と呼びかけたそうである。なんとトンチンカンな事を言うのか。まるで分かっていない。匿名希望者がなぜ電話すると思うのか? 電話の「声」もまた個人情報を構成する要素なのである。また掲示板上で、多くのギャラリーの注視の中で対等な議論をする事に意味があるのである。誰も見ていない電話やファックスで1対1でこそこそ対話する事に何の意味があるのか。結局、戸田さんは表面上は「匿名尊重」などとうそぶきながら、事実は自分に対する反対者・批判者に対しては個人情報を探し出そうとし、それによって相手に脅しをかけるのである。それは今回、井上はるお氏の情報を詮索している事にもあきらかである。それでよく「個人情報保護法案」に反撃できるものだ。「人権派」が聞いてあきれる。戸田さんの「反権力」志向は本物なのか? このような態度は権力志向者のものである。

 さて、余談であるが、戸田さんはアクセス数についての分析から「素晴らしい結論」を引き出す。当時のアクセス数が一日100程度からたちまちにして1500前後にも急増したが「荒らしは10数人程度」だった事をもって「圧倒的多数が良識的な人であった」と分析するのである。アクセス数だけでそんな分析ができるならこんなに楽なことはない。アクセス数の増大は、ただ戸田さんの掲示板が注目を浴びたから、だけであってそれ以上ではない。1500のアクセス者のほとんどが戸田さんに好意的な「サイレントマジョリティ」だとでも思っているのだろうか。それでは戸田さんは、60年安保当時、岸信介が「圧倒的多数」の無言の支持を得ていたという理屈を受け入れるのだろうか。またハンドルネームで数えて10数人も荒らしがいたとすれば、それだけで尋常ではない。ギャラリーはその荒らしを興味本位に見に来たのかも知れない。これを判断する材料のひとつは「2ちゃんねる」である。当時、おそらく2ちゃんねるには戸田さん専用のスレッドが立ったことだろう。そこでの書き込みはどうだったのだろうか? それを分析してからでなければ、本当のところはわからないだろう。
 また、アクセス数をアクセスの総数で数えておきながら、荒らし書き込みに対しては「人数」で数えるとは何と不公平な比較であろうか。一日数人の荒らしが何回ずつ書き込んだのだろうか? 10回ずつ書き込んだとすればそれだけで数十回になる。一日に数十回も荒らし書き込みがあるとすれば、異常な多さである。またアクセス総数は、一人が一回とは限らない。というより殆どそれはあり得ない。同一人が数回ずつアクセスしたとすれば、アクセスした人の数は実質300人程度と言うことになる。そうした事も考慮せずに「1500人の圧倒的な良識人に対して荒らしはたった十数人」とは、なんとも脳天気な「分析」である。

>表面上はイキがって見せるコイツらが如何に恐れるに足らないヘタレでコンジョ無し
>であるか、この事実が雄弁に物語っている。

 さて、戸田さんの決めつける「コンジョナシ」が電話もメールもよこさないのは当たり前である。その理由はすでに述べた。つまり戸田さんの「リクツ」はネットワーカーの間に広く通用する理屈とは異なっているのである。これまで見てきたように、こういう自分勝手な決めつけとレッテル貼りによる理不尽な排除が戸田さんのやり方なのである。その結果、戸田さんのあたまの中でだけ「雄弁」だが、外から見ればトンデモな事態がおこってきた事を井上氏は指摘しているのである。イキがっているのは、実はインターネット上の対話の何たるかについてまるで無知なまま自分ではわかったつもりで自己陶酔に陥り、恥ずかしい文書を得々として書きつづっている戸田さんの方なのである。(続く)
引用なし
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反論1-2 「2000年段階で敵味方の状況をビシッと…」他について
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 まっぺん E-MAILWEB  - 07/2/1(木) 18:56 -
  
自分を「至言」だの「画期的」だのと自画自賛するのは自由だが、自分を客観的に観る事ができない者ほど、そういう強がりを言うものである。戸田さんはどうか。以下、検討してみよう。なお、「『戸田の至言』にこれも追加しときましょう」も内容的に連続するのでここでまとめる。

●戸田さんの「至言」中に見る「アホウ・卑劣屋」の三つのタイプ

 様々な投稿者の中で中身のない一方的な罵倒や差別的言辞をろうして書き込んでくるような投稿者は「荒らし」と認定して削除するのは当然である。こういう連中はただの無内容な荒らし書き込みを続け、真面目な投稿者の感情を逆撫でし、彼らをもまたその挑発に乗せ、「荒らしの共犯」に引きずり込むのである。だからこういう輩は、無条件で削除するに限る。そんな投稿は、我が掲示板でもいちいち反論もせず黙って削除する。しかし、それは何も、戸田さんの規定する「ファシストかぶれや差別自由主義者」とは限らない。こういう連中がそんな明確な思想を持っているとは限らないし、そんな思想をもっているかどうかには関係ないのである。これは単なる「荒らし」に対する「管理人として」の当然の行為なのである。こうした荒らしを(A)のタイプとしておこう。

 戸田さんは自分が公表したこれまでの文章を抜粋して「1」から「15」、更に追加として「16」から「24」まで番号を付けて「至言」と称している。そのうち「1」から「3」までででは、「この手の」ファシストかぶれや差別自由主義者に対して良心的市民は闘おうと呼びかけ、またそれは市民派・良心派市会議員の役割であると説く。私もそれには全く同感である。ところが、その舌の根も乾かぬうちに「4」で、その差別自由主義者を「アホウども」と規定する。おいおい、戸田さん。「アホウ」は差別的感情がこもっている言葉じゃないの? まぁ、関西でよく使う「アホ」は日常的な言葉らしいので、ここでは目をつぶるとしよう。
 「4」ではその「アホウ」の正体をさらに詳しく「分析」し、「サンケイや週刊新潮・ゴー宣を鵜呑み」にしており、人権派・市民派に対して「文句付けだけしている小市民的な弱々しい」連中だと思いこみ「いい気になって攻撃してくる」と規定する。こうした人々には、罵倒スタイルであろうが真摯な態度であろうが、程度の差はあれ「思想に基づく主張」がある。こうした投稿者を(B)のタイプとしておこう。

 ところが、「5」の段階から対象は替わってくる。「5」は何をいいたいのか分かりにくい文章だが、「自分だけ安全地帯に」いる人を批判し、現場で闘っている人を賞賛しているようである。「6」以降、その傾向は顕著になり、「ストーカー的な書き込みオタク」(これは私の分類した(A)タイプにあたるだろう)、「親のすねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」「闘う勇気もないくせにパソコンに向かった時だけ夜郎自大」、「7」では「自立した生活もせず」「パソコンに向かった時だけ夜郎自大」、「8」では「自分は絶対安全圏に身を隠しながら他人攻撃を図ろうとする卑怯者」、「9」では「闘おうとも思っていない連中が能書きばかりを発達させている」、「10」では「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」、「パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない」…。いちいち引用するたびに虫ずが走るが、戸田さんが対象としたこれらの投稿者には、すでに指摘した(A)のタイプの他、新しいタイプが指摘されている。つまり「現実世界では闘わず、あるいは生活能力がなく、パソコン上でだけ闘っている」投稿者である。これを(C)のタイプとしておこう。

 さて、戸田さんの以上の「至言」からは、三つのタイプが抽出されたと思う。
(A)のタイプは単なる荒らしである。無内容で、無意味な投稿をストーカー的に反復してくる。
(B)のタイプは、はっきりと「思想」を持っている連中である。戸田さんは「ファシストかぶれ・差別自由主義者」と規定するが、そんな単純なものではない。思想的にはさまざまなレベルがあり、一様には言えない。彼らは彼らの思想と理論をもって議論をいどんでくる。
(C)は「現実生活」と「パソコン世界」とが切り離され、「パソコン世界でだけ闘っている」とされる。また現実生活においては「親のすねかじり」であったり「コンジョナシのサラリーマン」だったりするそうである。

●言論には言論で対抗しなければならない

 (A)のタイプに対する対応はすでに書いたとおりである。だれでも分かるほどのただの荒らしは黙ってサクサク消してしまえばよい。それについて掲示板の読者のだれも文句は言わないであろうし、戸田さんの「24」の提言はその通りである。削除されるのがいやなら自分で掲示板を立てればいいだけのことである。ところが(B)のタイプについてはそうはいかない。世の中はそう単純ではない。様々な思想が存在し、それによって政治的にも様々な立場があるからである。「我々だけが正しい」というのは「我々だけのリクツ」であって、それは現実世界ではまだ実証されていない。だからこそ、ネット上では、対等に議論できる環境をフルに利用して、我々の正しさについての確信を「言論」によって示さなくてはならないのである。
 同じ事が相手に対しても言える。自分の考えをきちんと持って書き込んでくる人は、例え我々と思想が正反対であっても、己の思想に確信を持って論戦を挑んでくるのである。だから、ネットにおいてそうした人たちとの論戦が始まった場合、市民派の立場に立って徹底的に受けて立ち、論戦を闘い、相手を「言論によってうち負かす」のでなければならない。

 そのような議論は、そこらのストーカーの書きなぐりと違って内容的にも高度になり、また客観的に見ても面白い。だからそうした議論が始まれば、アクセス数は自然に増大するのである。私もそうした経験は何度もある。戸田さんの掲示板のアクセス数が一日1500にも増大した時、それは戸田さんにとってチャンスであった。目には見えないが、戸田さんの前にたくさんの大衆がやってきて、その論戦の行方を見守っていたからである。だからそれは大衆的演説会に等しい。戸田さんがいったいどんな説得力のある演説で相手を論破してくれるのか。いったいどんな見事な「掲示板裁き」を見せてくれるのか。だから「一論客」の立場から言論には言論で答え、一方、誰が見ても荒らしと分かるようなものは「管理人」の立場にたって削除する、という両方の立場を区別した行動が絶対に必要だったのである。

 戸田さんはそうしただろうか? そうではなかった。戸田さんはそのかわりに論敵に対して「大まかな年代、社会体験、業種や身分、そのような考えに至った経緯」などを要求したり、あるいは電話やファックスでの対話を要求したり。ようするに相手をとことん議論で追いつめるのではなく、途中から自分勝手な条件を相手に要求して、それに答えなければ「コンジョナシ」のレッテルを貼って放逐する。そういう事をやったのである。
 これは論争における勝利ではなく「論敵の抹殺」である。スターリンがトロツキーを抹殺したのと同じ方法である。だがトロツキーは殺されても彼の思想は生き残り、世界の反資本主義運動の中に拡がった。同じように、戸田さんが自分のせまいせまい掲示板のカラの中から論敵を排除しても、それは外の世界の広い広いインターネットの海の中で生き続ける。それどころか「戸田さんは勝てないので排除した」という「戦績」をともなって彼らに増殖の口実を与えてしまうのである。

 インターネットが広い世界であることを戸田さんは理解できない。自分の板から排除しただけで「問題は解決した」と思い込んでいる。しかし戸田さんが「外部へ捨てたゴミ」は、戸田さんのおかげでますます外部で増殖していくのである。だからこそ、戸田さんは「自分の掲示板において」こうした連中の主張の正体を暴露し、論戦によって徹底的に叩き潰してやらねばならなかったのである。相手の身元を探って脅しをかけに行くなどというトンチンカンな所業は一見勇ましく聞こえるが、論争からの逃亡にすぎず、百害あって一理もない。
 戸田さんは「論戦における勝利を通じて、中立な人たちを我が方に引き寄せる」という決定的なチャンスを、自分の手でぶち壊したのである。戸田さんのやり方を見て、1500のギャラリーは失望した事であろう。当然それは「論戦に勝てなかったから管理人独裁を執行したのだ」と受け取られた事であろう。中立な立場から観戦している人たちの目にはそう映ったことだろう。それは嘲笑にかわったのではあるまいか。二次会における戸田さんの書き込みのパターンを見てもそれはわかる。

●闘わない者には発言権はないのか?

 戸田さんのこういう対応の奥には「差別意識」が潜んでいる。結局、戸田さんは相手を「思想」によって区別しているのである。「敵には人権はない」と思っているのである。右翼ファシストは徹底的に敵対者である。しかし人権派は「かれらの人権」も守ってこそ真に「人権派」と言えるのである。これは絶対に忘れてはならない。もちろん守るのは彼らの「人権」であって、彼らの敵対的精神や行動に対しては徹底的に闘わねばならないのは言うまでもない。そしてネット上で対等に闘って勝利するためにも、議論にあたっての「彼らの人権の尊重」は必要なのである。以下にその理由を述べていこう。

 戸田さんの人権意識の低さ、差別意識のひどさは、三つに分類した最後の(C)のタイプへの言及によって更に明らかになる。もう一度引用しておこう…「親のすねかじり」「根性なしサラリーマン」「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」「闘う勇気もないくせにパソコンに向かった時だけ夜郎自大」「自立した生活もせず」「自分は絶対安全圏に身を隠しながら他人攻撃を図ろうとする卑怯者」「闘おうとも思っていない連中が能書きばかりを発達させている」「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」「パソコン世界では戦士ぶるくせに現実生活に於いて闘わない」……いやはや呆れたものだ。開いた口がふさがらない。これが「左翼人権派議員」の口から出た言葉だとは。
 私の「四トロ」掲示板では「罵倒」は禁止ではない。議論が激しくなればそんな言葉は自然と出るものだ。しかし、左翼なら気を付けなくてはならない事がある。罵倒には相手を見くだす意識がともなうものであり、時としてそれが差別意識に結び付くからだ。

 戸田さんの罵倒を検証してみよう。そこには主にふたつの見くだし方がある。ひとつは「闘わないくせにパソコン上でだけ闘っている」という主張である。わたしはこんな事を言われたら返す言葉がない。現実生活において「ゼロ」とは言わないが、ほとんど闘いの現場にはいないからだ。ほんの少しばかり戸田さんに協力しているだけだ。だから生活をかけて闘っている人々には本当に尊敬の気持ちを抱いている。しかし、自分は闘っているからといって、「闘わない者を侮辱する権利がある」というのか。それは傲慢ではないか。
 誰もが闘いに立てる環境にいるわけではないのだ。戸田さんが罵倒した「上司のいいなりにヘコヘコして奴隷残業」するサラリーマンが、どんな気持ちで自分の生活を支えているのか。辞表を叩きつけてそんな職場を辞めても、果たして別の職場が見つかるか。過酷なグローバル資本主義のなかで庶民はますます苦しい生活を強いられている。闘いどころではない事情を持つ人々もたくさんいるのである。職場内でも過酷な競争を強いられ、オオカミのくちの中にいるような緊張の中で仕事をしていかねばならない。それでも受け取る報酬はほんのわずか、といったような人たちは私の周囲にもたくさんいる。「現実世界で闘わない」からといって、直ちにそれを罵倒するのは「自分は闘っている」という者の驕慢である。

 「インターネット上の闘い」が大きな影響を興してきた事を我々は目撃してきたではないか。「CA」の予言は、「CA」が発行されたあと、我々の眼前で絶大な威力を伴って的中したではないか。ブッシュのイラク戦争に反対して全世界同時に一千万人規模の反戦運動が起こったが、それはインターネットがもたらしたものだった。また我々も参加した「管制塔元被告連帯基金」もインターネットが出発点となった。この時には驚くほど多くの「今は闘っていない」人たちがネットを通じて闘いに参加してきたのである。「生活現場においてコンジョなしのくせにパソコン世界でだけ戦士」が、総額1億ものカンパを送ってきた事を忘れたのか。戸田さんは、そうした人たちに対して「コンジョナシ」とさげすむのか! コンジョナシにもコンジョナシなりの闘いがある事になぜ戸田さんは気づこうとしないのか?

●論争相手を資本主義の論理で見くだす戸田さん

 もうひとつの見くだし方は「親のすねかじり」「自立した生活をしていない」という主張である。まず、本人が本当にそうなのかどうか、どうやって調査したのかわからないが、相手に対するそういう決めつけは問題である。だがこの言葉は本人に対してよりも、勤め口が見つからず失業状態にある者たち全てに対する侮蔑である事に気づかないのか? 彼らも好きこのんで親のすねをかじっているわけではなかろう。また仮にそうであったとしても、彼らが労働意欲を失った理由は彼ら本人の「自己責任」なのだろうか? 励ましの意味で「自分の責任だ」というならわかるが、我々はこうした「すねかじり」「ニート」「ひきこもり」が今日のいびつな資本主義世界によって生みだされ、増殖している事を知っているはずである。かじるすねがなくなれば「すねかじり」はホームレスとならざるを得ない。戸田さんはホームレスの人々も「コンジョナシ」と見くだすのか? 社会的弱者に対して職場の補償もせずに「自己責任」の口実によって弱者を切り捨てていく資本主義の論理を、戸田さんは受け入れるのか?

 戸田さんのこの差別意識は「12」「19」で頂点に達する。「12」では「ネット住民のタカリ意識」、「19」では「ホントに戸田に自分の持つ異論をぶつけることよりも、戸田のHPで自分の文書が公開されることだけが大事なのである」とまで相手を愚弄する。戸田さんの論理はまるで資本主義者の論理ではないか! 本当に弱者の側に立つつもりがあるのか? 「タカリ」とは何と傲慢な言葉だろうか。「タカラれる」議員様はそんなにエライのか? 何さまのつもりか?! 庶民と同じ目の高さで語り合ってこその人権派議員ではないのか? 不届きな相手を罵倒するのは構わない。しかし、経済的弱者である事への罵倒は絶対に許されることではない。
 なお、この(C)タイプに属する「アホウ・卑劣屋」が戸田さんの脳内では(B)タイプにも重なっているであろうことは、「19」において「『まじめな異論』を装いながら、手紙もメール・FAXも寄こさない卑劣屋達」、「22」において「昨今の卑劣屋の最大の特徴は、一見『理性的市民』を装っている」などと書いている事からも明らかである。つまりあからさまな罵倒を伴っていなくとも、相手の意見が自分に対立するだけで、このようなレッテルを貼るのである。
引用なし
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