ちょいマジ掲示板

この掲示板は、門真市及び守口市ネタを中心に各地の議会や自治体ネタなどを、「比較的穏やかに」意見・情報の交換をする所です。詳しくは「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んでそれに従って下さい。 この掲示板では戸田の命令が絶対であることをくれぐれもお忘れなく。
内容的に関連がある投稿の場合は(先の投稿への)「返信」の形を取って投稿して下さい。
●ただ、「Re:○○」形式の元タイトルの繰り返しタイトルは厳禁です。必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけて下さい。
◆約10年間完全自由投稿制を維持してきましたが、荒らし・妨害投稿頻発のため、やむなく投稿者登録制に移行しました。投稿される方はこちらにアクセスし、所定の手続きを行なってください。 ◆投稿者のメールアドレスは戸田が把握しますが、掲示板では非表示にできます。 ◆投稿者名・メールアドレス・パスワードは登録時のものを使わないと投稿できません。 登録・投稿についての分かりやすい説明はこちらです。うまくいかない場合の問い合わせは戸田事務所まで問い合わせてください。 (09年4/8改訂記)   これまでの管理者命一覧(必読)

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
365 / 1598 ツリー ←次へ | 前へ→

戸田の年末年始:12/28・29に市外賀状550発送!門真市民には戸田が賀状もらった後に 戸田 14/12/31(水) 8:52

▲以前はスタジオに行くほどファンだったが、右傾腐敗してからのたかじんは嫌いだった 戸田 15/1/8(木) 15:51

▲以前はスタジオに行くほどファンだったが、右傾腐敗してからのたかじんは嫌いだった
←back ↑menu ↑top forward→
 戸田 E-MAILWEB  - 15/1/8(木) 15:51 -
  
 戸田は1981年から1997年頃までは、主に2トントラックで配達する仕事をしていて
(83年頃まではバイトで)、運転しながらのAMラジオで上岡龍太郎、板東英二、たかじんらの大ファンだった。

 上岡龍太郎やたかじんでは、何度かラジオスタジオにまで行って聞きにいった事がある
くらいだ。
 上岡龍太郎といえば「歌って笑ってドンドコドン!」。
 上岡龍太郎にちょっと声をかけてもらって、「トラックバース」というラジオネームまでもらった。
 (当時の阪神のバース選手と似たようなヒゲ面でトラック運転手だった事から)

 たかじんの番組では、円広志(まどか ひろし)と一緒にやっていた朝日放送の帯番組が最高に面白かった。

 上岡龍太郎、板東英二、たかじん、円広志、リリアン、しんのしん、ほか女性の面白パーソナリティら、ラジオお笑いの(戸田にとっては)黄金時代だった。

 トラック配達の仕事から離れて以降は、だんだんラジオを聴かなくなって離れてしまったが、「歌手・芸人としてのたかじん」は、そのハチャメチャさも含めて好きだったし高く評価していた。

 しかし、やがてたかじんが「関西テレビ業界のドン」みたいになると同時に「右傾化」が進んで嫌になっていった。
 たかじんの「右傾化」の実態は(戸田から見ると)、ウヨ産経新聞や週間新潮、石原慎太郎らの右翼政治家らと同質の下劣さでしかない。

 実際には自分は今の支配権力に追随しているくせに、たいして力も無い「リベラル勢力」やつまらない「良識派」が強大な権力を持って世の中を支配しているかのように描き上げ、その仮想の「強大な権力」を批判し、「闘ってる自分って凄い!」という自己陶酔を膨らませているだけのことだ。

 「日教組が日本を支配して日本人をダメにしている!」とか、「平和憲法が日本を滅ぼす!」とかの類で、後に出てくるネトウヨ・ザイトクの先走りであり、ネトウヨ・ザイトクが社会的に出現して以降は、それらを鼓舞激励する役割を果たしていった。

 テレビ業界、芸能界のくだらなさ、「東京一局支配」の理不尽さは、たかじんが批判する通りの所が多いだろうが、それとの「闘い」が、いつのまにか自分の権力肥大と右傾化にどんどん流れていった感じがする。

 「タブーを怖れず、ズバリ本音で闘う」の、日本で非常によくある「右翼劣化版」に堕落していった。
 たかじん本人としては、テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」が人気を博し、
その縁で橋下徹を大阪府知事に押し上げ、安倍晋三と「いっしょに温泉に入ってくつろぐ」程の仲良しになり・・・、と「高位権力者達と天下国家を論じる芸能人」になって大満足だっただろう。

 戸田からすれば、それは「権力者にシッポを振って、弱きを挫き強きを助ける」「右翼太鼓持ち芸人」に堕落腐敗してしまったとしか思えない。
 (上岡龍太郎の持つ批判精神とは対極にある、「上に向かっての堕落」)


 なお、実はたかじんは父親が在日韓国人(母親は日本人)の出自を持つ日本国籍人だった。(たかじんの死後に出版された「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」(角岡伸彦/小
学館)で初めて明らかになった。)

 差別社会である日本で韓国系の出生をひた隠しにして「一般日本人」として暮らす事や、「自分の半身の同胞」である在日コリアンへの差別に口をつぐみ続ける事自体は、「そのような対応を強いている日本人社会が追うべき責任」だと思う。

 しかし、「個人として」、「生粋の右翼的日本人愛国者のような顔をして」、「日帝の侵略植民地戦争の歴史を免罪擁護し、朝鮮(韓国)やその民衆、在日コリアンを罵る政治に加担する」事は、とても卑劣な事だと思う。
 少なくとも「自分の親族の片方の人々」に対する裏切りではないか、と思う。

 そういう意味では、戸田にとってたかじんは「極右ヘイト側の敵陣営の人間」になってしまった。
 
 たかじんは「父親が在日韓国人1世である」出自を明らかにした上で歌手芸能人として
生き抜く「論理」を築く事が出来なかった。
 逆に「右翼的日本人」をどんどん演じていった。

 たかじんの才覚をもってすれば、別の方向に舵を切り直す事も不可能ではなかったようにも思えるが、残念ながらたかじんの「破天荒さ」や「ハチャメチャさ」は「日韓ハーフ(ダブル)としての凄さ、面白さ」を突き出す方向には全く向かわなかった。

 いくら関西マスコミ界+一部政界で力を得ようとも、「実際は小心」な面が制動をかけたのかもしれないし、「せっかく得た金と地位権力」を手放したくなかったからかもしれない。

 戸田としては、テレビで右翼「論客・政治屋」やゴマすり芸人を従えて、指し棒でボードをバンバン叩いて吠えて得意になっているたかじんを見るのは非常に不愉快で苦痛だった。
 (リベラル派の田嶋女史をみんなで嘲笑したりもする)あの手の番組の「改革を気取った右翼的ゲスさ」、その場の腐敗した空気には我慢がならなかった。

 (「改革」といっても、その実態は新自由主義路線のエセ改革でしかないのだが)

 だから戸田は、たかじんの番組を嫌悪し、見なくなった。

 思えばラジオで円広志と絡んでハチャメチャやっていた頃のたかじんが、歌手としてのうまさも含めて、戸田にとっては最高のたかじんだった。
 
 あの頃のたかじんに向かって、合掌。2015年1/8(木)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i222-150-201-186.s04.a027.ap.plala.or.jp>

365 / 1598 ツリー ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
ページ:  ┃  記事番号:   
1,350,995
(SS)C-BOARD v3.8(とほほ改ver2.1) is Free