「自由・論争」 掲示板

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3200字も墨塗された,戸田から重信房子さんへの12/10書簡!隠された部分を公表する 戸田 20/2/6(木) 20:31

3200字も墨塗された,戸田から重信房子さんへの12/10書簡!隠された部分を公表する
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 戸田 E-MAILWEB  - 20/2/6(木) 20:31 -
  
人民新聞 https://jimmin.com/ の2/5発行号の8面右側
               (人民新聞HPではまだ公開されていない)
 見出し:獄中者への人権侵害
     東日本成人矯正医療センター(医療刑務所)による
     重信房子氏への手紙 一部墨塗に抗議する
       前門真市議・戸田ひさよし

 記事冒頭部分:
    戸田ひさよしさんから重信房子さんへ発信された手紙のうち、3千字
    以上が検閲により墨塗とされた。
     理由は不明だが、戸田氏の抗議とともに墨塗された部分の一部を
    掲載する。
  ・・・・・・・
  ・・・・・・・ 記事末尾に
   ー戸田氏のコメントー
    いやー、驚いた!まず、一市民の私の「無害で真面目な手紙」が大幅
   墨塗りされたことに、次は、それを詳しく大特急で外部伝達した重信さん
   の機敏さに。
    本件がいろんな論議の契機になることを望む。
   「瓢箪から駒」というヤツか

  (なお、全文は戸田ひさよし氏HP「自由・論争掲示板」で公開中)
==============(2/5記事紹介終わり)=========

    (戸田注:掲示板での公開が遅れていたので,慌てて今投稿している!)

  <以下、戸田自身による「12/10手紙大幅墨塗事件」の報告>

   ▲5ページ・約9800字超の手紙のうち、1.6ページ分、約3200字も墨塗り!
     ↓↓
==================================
     
12/10発:戸田ひさよしから重信房子さんへの手紙                              
  「パレスチナ国際連帯フェスティバルー10・30大阪」事務局長/前門真市議

●●監獄当局によって墨塗されてしまった部分を、●●〜〜●●で挟んで以下に示す。 

 獄中活動ご多忙の中、失礼します。(以下略)

【1】重信さんやメイさんの写真について
     (以下略)
【2】プログラムでの「刑期満了時期の誤記」について
     (以下略)
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
      <同封した資料のリスト>〜冒頭に「資料 」ハンコを押印 
「資料1」:「子どもと一緒の写真」と記した開封封筒(メイさんと一緒の写真
      6サイズ6枚入り)
「資料2」:「重信房子」でネット検索して得た様々な画像紹介(18ページ)
「資料3」:「パレスチナ国際連帯フェスティバルー10・30大阪」FBの重信
       房子画像を冒頭とするHP・TW  抜粋(8ページ)
「資料4」:××さんツイッターTW)」記事抜粋(15ページ)

「資料5」:<コモンズ12/10号への原稿初案(2840字)>を冒頭とする
      戸田原稿(A4)2種(2840字版と
      2265字版)各2ページとコモンズ5面ゲラ(A3)1ページ

「資料6」:「自治体議員は12月議会で国行政堕落を全国自治体のまとも実例
     提示で弾劾する公文書・反社質問作戦を!」と題する
     「阿修羅掲示板への戸田12/6投稿記事(4ページ)
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さてようやく、「検閲による情報収集に官憲当局が鵜の目鷹の目である」事を
承知の上での「戸田から重信房子さんへの12/10手紙」の本文です。
 「パレスチナ国際連帯フェスティバルー10・30大阪」で得た教訓や総括的な
事を中心に項目的に書きます。

≪1≫私個人も大阪実一同も、今回得た最大の教訓は、「飲んで話をするには楽
   しいけれども絶対に実務を共同してはならない人が世の中に存在する」
   事を痛切に知らされた事です。  (以下略)
   
≪2≫「苦難の行軍」をくぐり抜けた我々としては、「今後毎年メイさんを呼ん
  で講演集会を持とう。2022年には重信房子さんも呼んで」と決意しています。
     (以下略)
≪3≫「苦難の行軍」と呼んだ経過は、(以下略)

≪4≫「パレスチナ連帯のグレートリターンマーチの全国ツアー」は、たしか
  に画期的でかつ成功したので、その意義は大きい。
   しかし同時に大阪以外では「パレスチナ支援の気持ちを持って公演実に関
  わった人達」の少なからぬ部分に不信をまき散らした害悪もまた大きい、と
  私は思います。(以下略)

≪5≫全国ツアー出発点で、井浦新さんデザインポスターや音楽ファンに人気の
  高い「渋さ知らズ」の大集団参加でなお、東京:中野ゼロの大ホール
  (1300人)が「400人」というのは、「少し失敗」と思うべきか「それなり
  に成功」と捉えるべきか、私にはよく分かりません。(前売り3000円)
   「大阪200人」は「数字としては大成功」ですが、(以下略)

≪6≫「10/30大阪」の時に「足立監督らが公演映像撮る体制だが、利用主義で
  けしからんのじゃないか」との意見が一部上がりましたが、私は「我々も
  動画撮るし、それぞれ自由にしていいと思う」と了承してもらいました。
   (以下略)

≪7≫プログラムでの「重信房子さん紹介の写真」に、「幼いメイちゃんを抱いた
  母子写真」と「戦闘服でクラシンを抱える武装闘争写真」の2枚を使ったの
  は、私が極めて意識的に選んだ事です。

   もしかしたら「重信さんだけ写真2枚で、1枚は自動小銃写真、というの
  はいかがなものか」的意見が出るかもと思ったのですが、大阪実では全く
  異議無しでした。東京の人達だったら違うのかもしれませんが。

   ーーーーー(これ以降、墨塗部分 ●●〜〜●● の紹介)ーーーーー

●●重信さん個人が実際に人を撃ったり爆弾を仕掛けてきたり、という事はたぶん
 ないのだろうと推測はしますが、武装闘争推進の地下組織の革命党で、
 「国際遊撃戦・HJ闘争その他」をバリバリ展開した「日本赤軍」(JRA)
 の創設以来(以前から)の幹部であった事は、

  特にパレスチナ連帯でメッセージをもらって集会をやるに際しては、ちゃん
 と公にしておくべき事だと私は思います。

  日本赤軍の「党首」とか「トップリーダー」とか「司令官」とか認定するの
 が正しいかどうかは分かりませんが、マスコミ的呼び名であれ「最高幹部」
 と呼ぶのは不適切ではないでしょう。●●

●●   
≪8≫これは極く個人的な意見ですが、重信さんたちのような日本赤軍体験者は
  、普通の個人ではなく「歴史的存在」となった人達なので、
  「より良い個人であるための反省」という立ち位置を取るべきではないと思
  います。
   昔の言葉の意味での「悪党」であり続けた方がいい気がします。

   「国内国際的にあの時代あの状況で」、正義感に駆られた若者の一定数が
  「武装闘争路線に走る」のはいわば「歴史の必然」であり、歴史の経過の中
  で敗北したとしても
  「武運つたなく敗北したが、我々の当時の選択自体は正しかった」と考えた
  方が良いと思います。
  
   凄惨な粛正やカルト化に至る事無く「日帝国家権力を10数年に渡って世界
  的レベルでキリキリ舞いさせた」、かつ「パレスチナに連帯して武装闘争を
  闘う日本人集団として(少なくとも30年くらいに渡って)信頼を勝ち得
  た」という点に於いて、

  「日本の歴史でかつてない圧倒的な足跡を残した左翼集団であった」事を誇
  りに思っておけばよいだけだと思います。
  「時節の移ろいに対応し切れずに敗北した」のであっても。

   それなのに今さら「軍事闘争路線に走ったのは間違いだった」とか「HJ
 (ハイジャック)闘争は反民衆的に間違いだった」とかの
 「良き個人たろうとする反省」は、私から見れば(失礼ながら)反動的な事に
  思えます。

   そういう「反省」は、「あの時代あの状況で」激しい実力デモにも三里塚
  農民の実力決起にすら反対した日本共産党などの「ブルジョア議会主義偏向
  で保身主義の集団」(その実陰険な暴力行使はする)の方が正しかったかの
  ような「誤ったお墨付き」を彼らに与え、

  もって「常に正しい共産党」のデマ宣伝を補強し、日本の民衆的歴史認識を
  誤らせるものです。
   また「間違ってましたと認めるんなら賠償金払え」という反動攻撃を勢い
  づかせてしまうでしょう。

  「間違いだった事は認めるが損害賠償や慰謝料は払わない(払えない)」と
  いうのでは、社会的正当性を失うでしょう。

   「どうしても反省総括を深めたい」というのであれば、「下部構造が上部
  構造(意識)を決定する」の唯物論に沿って、

  (1)リッダ闘争後の高度に危険な状況下での最高幹部の妊娠・出産・子育て
   への防衛が組織の構造や意識にどういう影響を与えたか?

  (2)拷問・スパイ等なんでもありの現地状況の中で組織の保全と国際展開を
    図るためにどういう規律の組織になっていったか、いかざるを得なかっ
    たか?
     組織員の意識の持ち方はどうなったか?
    それは「民主主義の組織」と相容れないものではないか?

  (3)「職業革命家達の異郷における組織生活において恋愛・性生活・子育て
   ・家族生活の問題」への指針や対策はどうだったのか?
   「個人的な事は社会的な事!」の思考で対処すべきと思うが。

  (4)「1975年ストックホルム逮捕自供問題」を反省総括して「自己批判・
   相互批判の党」等の刷新を図ったにも拘わらず、古参幹部が脱走して
   権力に自供・情報提供するという大不祥事が起こったのはなぜか?
  (赤軍裁判の中で検察側証拠・証人となって害毒が続いているらしいですが) 
  
  (5)「75年ストック自供敗北事件」は、自ら書籍で公表して「それを克服し
   た党」として組織宣伝に活用したのに、この「新たな、より悪質有害な
   転向事件」を一切秘密にしてきたのはなぜか?

    端的に推測すれば、「それを公表する事が80年代90年代の党員支持者
   獲得にマイナスになる」との組織的判断だったのだろうが、
   2000年末の逮捕・赤軍解散声明から19年経った今でも秘密にされて、
   裁判書面ではともかく、「大衆的には無かった事扱い」されているのはな
   ぜか?
    「大衆的には無かった事扱い」なので、公開的な反省総括の題材にすら
   されていないのは不可思議。
   ●●
●●
≪9≫議員は「日本国憲法の擁護遵守義務を負う」ので、革命左翼の私としても
  「武装闘争で政府転覆を!」の路線ではなく、
  「議会制民主主義を愛してはいないが深めていく立場で議員をやる」との立場
  を公言し、
   落選して私人になったとはいえ次回市議選に出馬する意向なので、そのライ
  ンは外さないし、
  「階級的産別労働運動と協同組合運動の力で資本主義打倒ー社会主義革命を
  実現する」路線の革命党=「革命21」の党員としても、その路線で合法大衆
  運動を進める立場です。

   そう考えると国会から地方自治体に至るまで沢山の議員を擁して「議会主
  義政党」に舵を切った日本共産党に対して
  「権力奪取で武装闘争が必要かどうかについて『敵の出方論』を取っている
  のはけしからん!」、と文句付けしていた新左翼陣営は、無茶なイチャモン付
  けしていた、と言わざるを得ませんね。

   学生時代に黒ヘルノンセクトとして「日共民青」を罵倒していた自分も、
  この点は恥ずかしい。

   しかしそれはそうとして、今も「あの時代あの状況で武装闘争を行なった
  のは正当当然だ」とか、「今の日本では武装闘争をしようとは思わないが、
  それは状況判断であって武装闘争そのものが不当なものではない」、
  と確信している人達は一定数存在します。
   (高齢化してると思いますが「運動の現役」も多い)

   そういう人達は当然にも重信さんの「武装闘争間違い・反省論」に反発や
  違和感を持ってます。
   しかしそれを公然と述べる事はほとんど皆無です。

   そんな事をして「反省しない過激派」として権力にチェックされるのは大損
  だし、昨今の日本の状況では「現実の行動としては武装闘争など無しで合法
  公然活動に徹すべき」としている「心情だけの武装闘争派」に過ぎないのに、

  権力側から「今でも何かやるかもしれない過激派」とか「国外のテロリスト
  とつながっている過激派」などのデッチ上げレッテルを貼られて弾圧対象に
  なる危険性があるからです。

   またそういう論議をする事で、昨今の知性無きネトウヨに晒し上げられて
  しまう危険もあります。

   従って、重信さんには「武装闘争間違い・反省論」に反発や違和感を持つ
  人の意見はほとんど全く伝わらない事になるし、
   一方で検閲下で重信さんと意見を交わす人達や重信さん支援者の人達は
  「武装闘争否定・嫌悪論者」が多いので、「武装闘争間違い・反省論」に自然
  と傾いていくのだろう、と推測します。●●

●●
≪10≫失礼を覚悟で私の心情を述べれば、あの安部譲二をして人生観が変わるほど
  驚嘆させた(その結果「塀の中の懲りない面々」でも書かれた)、「日帝権力
  を10数年に渡ってきりきり舞いさせた日本史上空前絶後の左翼集団」も、
  「パクられてしまうと『悪うございました、ゴメンなさい』のいかにも日本的
   な結末かい」、
  という、「結局は日帝権力不敗伝説=日本人の奴隷根性」を強化してしまう
  結果になっている事が残念でなりません。

   失礼を重ねて言わせてもらうと、これも「日本のインテリ左翼の弱さ」のよ
  うに思います。

  「鬼だ,人でなしだ」と誹られようとも、「武運つたなく敗れたが国家権力共
  をきりきり舞いさせたのは痛快至極。地獄に行っても革命やるぜ」と
  「反省せざる悪党・まつろわぬ革命家」であった方が、長い目で見れば日本の
  民衆革命に貢献するだろう、と私は思います。

   そういう姿勢自体は、「裁判で無罪を争う」事とさして背反しないとも思う
  のですが。
  「やっていない、冤罪だ」とか「可罰的違法性は無い、法律の不当拡大適用だ」
  と争うのでしょうから。
    ●● 
     ーーーー以下は墨塗されなかった部分(一部に例外)ーーーー 
  
≪11≫反骨の在日コリアン芸術者=「浪花の巨人」=「パギやん」こと趙博
 (チョーバク)さんの事は、人民新聞記事でご承知の事と思いますが、(以下略)

≪12≫大阪の交流会は、(以下略)。
   
≪13≫その他「10/30大阪」については、
  「資料5」の<コモンズへの原稿2種とゲラ刷り>をご覧下さい。
  また「ツイッター」とか「# ハッシュタグ」というものがどうなっている
  かの参考として  (以下略)

≪14≫日帝国家権力にすれば,重信さんは「国家の威信をズタズタにした絶対に許
  せない、憎んでも憎み足りないほどの悪党」ですから、

  ●●「無事に満期出所なんかさせるものか」と悪だくみをしている可能性が
    十二分にありますよね。●●

  ご本人も支援の方々も弁護団もしっかり警戒している事とは思いますが、
 どうかお体を大切にして獄中生活を乗り切って下さい。メイさんにもよろしく。

  2022年5月末に出所されたら大忙しになるでしょうが、関西で会って乾杯
 出来る事を楽しみにしています。
   長文失礼いたしました。ごきげんよう。
=================================

▲人民新聞記事で紹介されたのはこの「墨塗約3200字」のうちの半分の約1500字
 ほどでしかない。紙幅の都合とはいえ、残念だ。

▲また、この人民新聞2/5号が獄中の重信房子さん(ほかかつてJRAだった和光
 さん、泉水さん)に差し入れられる時は、この記事部分全てが墨塗されて、重信
 さんは読む事が出来ないだろう。

  しかし獄中では「何の記事なのか?」と話題になるし、重信さん救援会には
 原文コピーを12月に郵送済みなので、いろんな接見を通じて、「内容の概略」
 くらいは伝わるだろう。

◆また、一般社会で生活している種々の活動家や一般市民には「人民新聞記事」が
 伝わるし、さらに興味を持った人は戸田の「自由・論争掲示板」でこの「全文
 記事」を読んでくれるだろう。

◆それらの動きを以て、「日本赤軍問題を日本の社会運動史の中でどう捉えるか」、
 という論議が、少しは喚起されるであろう。
 戸田はそういう論議が必要だと考えてきた。 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
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