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独島、釣魚台と戦争責任で噴出する排外主義と対決を 『未来』読者 12/10/29(月) 7:52

独島、釣魚台と戦争責任で噴出する排外主義と対決を
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 『未来』読者  - 12/10/29(月) 7:52 -
  

阿修羅掲示板に投稿したものを紹介します。

タイトル:独島、釣魚台と戦争責任で噴出する排外主義と対決を
掲載月日:2012年 10月 29日
http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/155.html


■独島(トクト)、釣魚台(ティアオユイタイ)と戦争責任で噴出する排外主義と対決を


独島(日本名「竹島」)、釣魚台(日本名「尖閣諸島」)の「領土問題」、日本軍「慰安婦」問題や天皇の戦争責任問題をめぐって、日本政府・マスコミをあげて激しい排外主義と反韓国・反中国の憎悪が掻き立てられている。
「不法占拠」「許しがたい日本への侮辱」「韓国・中国の挑発行為」「中国や韓国になめられるな」など、国家と社会をあげての憎悪の扇動とレイシズム(人種差別主義)の組織化が繰り広げられている。
この許しがたい政府・マスコミの排外主義扇動に対して、怒りと危機感を持って立ち上がろう。

8月10日、韓国の李明博大統領が独島を訪問した。
14日、李大統領が、教員を対象としたセミナーで「(日本は)加害者と被害者の立場をよく理解していない」「(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい」と発言。

15日には、「日本軍『慰安婦』被害者の問題は、二国間の次元を超えた戦時の女性人権問題であり、人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為。日本に責任ある措置を求める」と発言した。

同日、香港から抗議船で出発した14人のうち7人が釣魚台に上陸。沖縄県警と海上保安庁は14人全員を逮捕(17日に強制送還)。
こうした一連の事態に対して、日本政府とマスコミは、日本には何の落ち度もないにもかかわらず、韓国や中国が突然不当な要求を掲げ、不法な手段に出てきた≠ゥのようなキャンペーンを張り巡らせている。しかし、これはとんでもないデマである。

▼石原の挑発が引き金

まず第一に、「領土問題」に火をつけたのは石原である。

石原都知事が、「東京都が尖閣諸島を買い上げる」と突然打ち出してきた。それにあわてた野田政権が「国が買い上げる」として、釣魚台の実効支配をエスカレートさせようとしたことが発端である。それは中国・台湾民衆の怒りを買い、同じく独島をめぐって「領土問題」で日本と対立している韓国政府が危機感を抱き、対立が火を噴いたのである。

3・11以降、原発を許してきた社会と自らのあり方を反省的に振り返り、社会を変革しようとする数万数十万の人びとが立ち上がり始めた。これに危機感を持った石原は、ナショナリズムと排外主義で韓国・中国への憎悪をかき立て、今の政治と政府と社会への憤りをねじ曲げ、目をそらさせ、民衆の闘いを叩き潰すことを狙っている。原発や消費税や沖縄基地や貧富の拡大と格差といった問題ではなく、「尖閣問題こそ最大の政治課題」とあおっている。

挑発したのは石原であり、それに棹さしたのが日本政府である。

▼侵略と植民地支配の歴史

第二に、独島問題も釣魚台問題も、「領土問題」一般ではなく、日本帝国主義の侵略と植民地支配の歴史そのものだということである。朝鮮・中国民衆は、石原や日本政府の「領土問題」でのエスカレートは、侵略と植民地支配への居直りと正当化だと捉えているのである。

日本政府は、釣魚台を1895年1月14日に日本に編入したとしている。この時期は、日清戦争の決着がほぼ明らかになりつつある時期だった。

日清戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって1894年の夏に勃発し、95年の春に日本の勝利で終結した。この戦争の結果、95年4月17日に下関条約で日本は台湾を植民地とすることを認めさせたが、この戦争の勝利がほぼ見えてきた渦中で釣魚台の領有を宣言したのである。以後、釣魚台に日本人を入植させ実効支配を強めたのだ(その後、再び無人島となる)。

独島は、1905年1月28日の閣議決定で日本に編入したとしている。この時期は、日本が朝鮮半島に進出し、朝鮮半島の支配権をめぐって中国やロシアと争い、それに打ち勝って1910年に韓国を併合して植民地として支配していく時期であった。

日本は1875年に江華島事件を引き起こし、76年に不平等な日朝修好条規を認めさせて朝鮮支配を強め、日清戦争で中国を破り、次にロシアと戦争を引き起こし、かろうじて勝利した。日露戦争は1904年2月8日から1905年9月5日まで続いたが、この戦争の渦中の1904年に第一次日韓協約を締結させて韓国の外交権・財産権への関与を認めさせ、日露戦争の勝利の後の1905年11月17日には第二次日韓協約(乙巳条約)で韓国の外交権を奪い取り、1910年に韓国を併合した。

独島の「領有権宣言」とは、中国・ロシアとの戦争で勝利した日本が、その武力で朝鮮を屈服させて支配し、植民地にしていく過程でおこなわれたのだ。

したがって、独島問題、釣魚台問題とは「領土問題」一般ではなく、日本の侵略戦争と植民地支配の問題と密接不可分であり、この問題の根本的清算抜きに、「領土問題」だけ切り離して解決することなど、ありえないのである。

▼「慰安婦」問題の居直り

今回、李明博大統領が、独島訪問とともに、天皇の戦争責任問題と日本軍「慰安婦」問題の解決に触れたのも、「領土問題」が戦争責任問題と切り離せないからである。

日本政府は、日本軍「慰安婦」被害者をはじめとする侵略戦争と植民地支配の被害者の痛切な訴えに一切応じようとせず、「日韓条約で解決済み」と居直りを繰り返してきた。

日本軍「慰安婦」問題をめぐっては、国連やILOなどで何度も勧告や決議があげられ、アメリカやヨーロッパ各国の議会でも同様の決議があげられてきた。しかし日本政府はそれらを一切、無視・抹殺し続けてきた。

日韓条約では、協定の解釈をめぐる紛争においては仲裁委員を任命し、その協議で決定し、その決定に服すると明文化されているにもかかわらず、一切協議に応じようとはしてこなかった。それどころか、日本軍「慰安婦」問題などを教科書から抹殺し、「南京大虐殺はデッチあげ」などの暴言を繰り返してきた。

こうした戦争責任への無反省と居直りの上に、「領土問題」での実効支配を強めようとする石原と野田政権の挑発への憤りが、火を噴いたのである。

▼国際司法裁判所

日本政府は、独島問題を国際司法裁判所に提訴し、「それに韓国は応じよ」と要求している。ところが、日本軍「慰安婦」問題については、国連などの勧告にも仲裁協議にも応じず、釣魚台については日本が実効支配している結果、「領土問題は存在しない」と一方的に主張して、国際司法裁判所に提訴しようともしていない。

日本政府による独島問題でのこうした要求自身が、一方的で身勝手な要求にほかならない。

▼領土や国境線とは

国家が生まれた古代・中世の時代から、領土支配がおこなわれ国境線が引かれてきた。しかしそれは国家の盛衰によって絶えず変化してきた。

資本主義社会に進み、民族国家が形成される中で、そこに居住し生活する人びとの帰属する共同体の地域を国家が支配する領土としてきた。しかし人びとが居住せず、さしたる資源もない島などは、無人島として世界中に多数存在している。

資本主義社会になるまでは、多くの国家がそうした無人島を自国の領土として積極的に領有権を主張してこなかった。せいぜい、周辺で漁を営む漁民が、台風の際の避難先に利用したり、航海の目印にする程度であった。そのような記述を古文書の中から探し出して、「自分たちが先に発見した」と言ってみても、領有の根拠にはならない。そうした島は本来どこかの国家の領土などというものではないのだ。

しかし資本主義社会の発展の中で、それまで利用価値がなかった無人島も、市場と資源と勢力圏を確保するために、19世紀に入って欧米列強は、太平洋やインド洋などの無人島や岩礁を次々と「自国の領土」と宣言し、領有を競い合った。領土の確保が、領海の確保とその地下資源の独占、そして排他的経済水域の確保となるため、これまで無視してきた無人島や岩礁を、次々と「領土」として「領有権」を宣言するにいたったのである。

▼帝国主義の「領有宣言」

たとえば現在、日本の「領土」とされている南鳥島は、1864年にアメリカ人が「発見」し「マーカス島」と命名するが、1896年に日本人が入植し「南鳥島」と命名して1898年に日本に編入した。しかしアメリカは「自国の領土」と主張して1902年に軍艦を派遣し、日本も軍艦を派遣して武力衝突を起こしている(その後、アメリカが撤退し日本領となる)。現在、世界中の無人島や岩礁は、すべていずれかの国の「領土」とされてしまっている。

こうした列強の競い合った「領有宣言」は、それまで無人島や周辺の海域で自由に漁業に従事してきた人びとを排除するものとなり、対立を生み出す事態をもたらしている。釣魚台周辺では沖縄、中国、台湾の漁民が、独島周辺では日本と朝鮮の漁民が漁場とし、台風などの際の避難先としていたが、侵略戦争と植民地支配の中で一方的に「領有宣言」したのである。決して「日本固有の領土」などではない。

▼偏狭なナショナリズム

今回の日本政府とマスコミあげての激しい排外主義キャンペーンは、中国や韓国への憎悪を扇動・組織しようとする国家あげてのレイシズムである。

在特会は、日本経済と社会の停滞と没落の中で、未来に希望が持てず、いいようのない閉塞感にさらされている人びとに向かって、中国や韓国への憎悪を駆り立てて、ぶつけることで憂さを晴らさせ、不満を「解消」させ、本来の敵である政府や資本家との闘いを封殺することを目的として暴力的活動を繰り広げてきた。こうした在特会がやっていることを今、政府・マスコミあげておこなっているのである。

石原や橋下はその急先鋒にたっている。橋下は、「慰安婦が強制連行された証拠はない、証拠があれば韓国が出せ」などとうそぶき、石原は、「日本軍が強制して売春させた証拠がどこにある」と罵っている。社会と政治に不満を抱き、現状変革を求める人びとに、中国や韓国への憎悪を煽ることで支持を取り付け、排外的で偏狭なナショナリズムへと推し進める道筋をつくろうとしている。

日本は今や、世界第2の経済大国でも、「アジアの盟主」でもなくなった。経済の低迷と混迷の中で、中国や韓国に追いつかれ追い抜かれようとしている。

「戦後の平和と民主主義」の社会になっても戦争責任を明確化してこなかったことの結果として、日本の民衆の中で、戦前と変わらぬアジアへの「優越感」を失いたくないと感じている部分にとって、それが屈辱と写っている。その上に、今回の中国や韓国の行動に「なめられてたまるか」という反発を、政府、マスコミ、石原、橋下が激しく煽ることで、反原発運動を通した社会変革への民衆の運動を曇らせ、排外主義と国家主義に絡めとろうとしているのだ。

▼アメリカには卑屈

政府やマスコミ、そして多くの日本の民衆も、中国や韓国の日本への「強硬姿勢」には反発し憎悪するが、アメリカの「強硬姿勢」には卑屈に屈服し追随する。沖縄基地の固定化や辺野古への新基地建設の強行、危険なオスプレイの配備、「思いやり予算」など、「植民地」にでもされているかのようなアメリカの横暴や「なめた態度」には抗議ひとつできず、「なめられた」とすら感じない。

こうした、アメリカには卑屈だがアジアには横柄な態度をとる日本と日本民衆のあり様は、アジアの民衆からは、「アメリカに追従する『トラの威を借る狐』」としか見られていないことを、日本の民衆は肝に銘じなければならない。排外主義と対決する中で、日本の民衆が自らの「民衆意識」を根本的に変革すること抜きに、日本の民衆の人間としての解放もないし、アジアの民衆と共に生きる社会を作り出すこともできないであろう。

▼排外主義との闘いを

日本社会と日本の民衆の意識の前に、日米安保体制の根本問題、戦争責任を曖昧にしてきたことの根本問題、戦後の平和と民主主義の根本問題が横たわっている。

原発を許し、3・11以降も再稼動させて、今まで通りの社会に戻そうとする動きに、日本の民衆は、数万数十万の反原発のうねりを拡大させている。「反原発」の一点で一致し、運動の裾野を限りなく広げていくことはきわめて重要である。しかし、日本の民衆の「弱点」である排外主義を、政府、マスコミは総力をあげて扇動し、反原発をはじめとする運動を押しつぶそうとしていることを厳しく自覚し、「領土問題」と戦争責任の問題をめぐる排外主義と闘わねばならない。(中沢慎一郎)


◇◇(別添年表)◇◇

日本による独島・釣魚台の略奪史

1875/9/20 日本の軍艦が朝鮮の首府漢城の北西岸に位置する江華島に砲撃を加える
     (江華島事件)
1876/2/27 日本は朝鮮に不平等条約(日朝修好条規)を結ばせ、朝鮮への支配を強める
1894/7月  日清戦争勃発
1895/1/14 日本政府が釣魚台の「領有」を閣議決定。
      ただし、この決定は内外に公表せず、「領土宣言」はおこなわれなかった
 3/30 日清休戦条約調印
 4/17 日清講和条約(下関条約)調印。
日本は清から遼東半島・台湾・澎湖列島を割譲
1904/2/8  日本海軍が旅順港のロシア艦隊に奇襲攻撃をかけ、日露戦争開戦
  8/22 日本は韓国に第一次日韓協約を締結させ、韓国の外交権・財産権への関与を 認めさせる
1905/1/28 日本政府が独島の「編入」を閣議決定
 9/ 5 日露講和条約(ポーツマス条約)調印
 11/27 第二次日韓協約(乙巳条約)で日本は韓国の外交権を剥奪
1910/8/29 日本は韓国を併合。植民地支配を開始する


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以上、『未来』112号
http://kakukyodo.jp/mirai12112.htm#21

より、引用。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows NT 5.1) AppleWebKit/537.4 (KHTML, like Gecko) Chrome/22.0...@p1088-ipbfp3601osakakita.osaka.ocn.ne.jp>

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