「自由・論争」 掲示板

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刊行のお知らせ れんだいこ 11/8/13(土) 19:22
△「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」買います!ネットデビュー同期 戸田 11/8/18(木) 8:59
Re:お互いに頑張りませう れんだいこ 11/8/18(木) 20:11
◎戸田の感想意見1:(時間不足で少ししか書けませんでしたが) 戸田 11/9/5(月) 13:18
Re:◎戸田の感想意見謝謝 れんだいこ 11/9/6(火) 19:59
◎2:太田竜は「一部天才」だが本質は権力右翼にビビって仲間を売る卑劣漢でしかない 戸田 11/9/10(土) 8:22
Re:◎2:大田龍論 れんだいこ 11/9/10(土) 14:06

刊行のお知らせ
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 れんだいこ E-MAILWEB  - 11/8/13(土) 19:22 -
  
【「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)発刊の辞】

 ご通知申し上げます。れんだいこの学生運動論シリーズ2冊目の「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」(社会批評社)が発刊されました。8.15日前後に書店に並ぶと聞かされております。店頭集結、ネット取り寄せ等果敢な行動お待ちしております。書店になければ弾劾してください。

 処女作の「検証 学生運動(上巻)―戦後史のなかの学生反乱」(社会批評社)が世に出たのは2009年2月でした。2年半経過したことになります。結構な発酵期間になりました。どう書くべきか、どこまで書くべきか、それなりの苦心があった故です。実際には、本書通りの内容になりました。以下、発刊の辞を添えておきます。

 本書刊行の思いは「前書き」、「後書き」に記しているので繰り返しません。改めて伝えたいことは、本書が歴史の風雪に耐える著作足り得ているかどうか自問していることです。著者としては、今後の学生運動論は、この「検証学生運動上下巻」を手にせずんば始まらないとの自負があります。まことかウソか、ぜひご確認をお願いいたします。

 書庫を見れば、その人の器量が分かると云う見立てがあります。昔より「琴棋書画」と云われますが、「書」の内には書庫の意味もあるのではないかと思っております。本書が皆様方の書棚に置かれ、そのことで輝きを増すよう念じております。手元に置いて五年後、十年後にもまた味わってやってください。孫子にも伝えてください。

 れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったばかりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」で「いまおもうこと」と題して投稿したところから始まります。以来、数か所の掲示板に出没し始めました。道中で「れんだいこ」と改名しました。

 その後、「大阪のおじちゃん」にホームページを持つよう誘われ、2000年2月11日、手取り足取りの世話取りして貰いながら「人生学院」、掲示板を立ち上げました。以来十年余経過しております。せっせせっせと書いて参りました。今年2011年、「二八蕎麦」さんの手ほどきでブログとツイッターを開設しました。この両名様に深く感謝申し上げさせていただきます。未だお二人にお会いせぬままですが、機会に恵まれましたら一献傾けさせていただかなければなりません。

 この間、ホームページも掲示板も、今ではブログもツイッターも相当な文量になっています。その時々にれんだいこのアンテナが作動し興味を持ったものを調理しています。手法として、まず閃いたことを書き付けておき、次第にネット等から関連資料を寄せて、追々に構成し直し、最終的にれんだいこ文に整序して行く作法にしております。文を片手間でやる身の者からすれば、それしか方法がないと云うことと、そういう方法が性に合っているのでせう、いつしか身に付けた作法です。そういう意味では、ネット時代が生んだ書き手の一人だと思っております。

 この手法が著作権法に抵触すると云う批判を受け、著作権法とは何ものかの解析にかなり煩わされて参りました。今では、著作権法の説くルールとマナーを遵守し、転載被転載フリーの観点を打ち立てています。戒めとして、著作権法に拠らぬ著作権法以上の規制力で著作権を規制する手合いの文には近寄らないよう心がけています。これで滅法紛争が少なくなりました。現在、面と向かって因縁つけて来る者はいません。過去には次から次と現れ、お陰で論戦力が強くなりました。いつしかいっぱしの著作権論をぶつことができるようになっております。連中が手本にして来た西欧で著作権フリーの動きが強まっているのに、相変わらず著作権槍で森を突いて廻り、自称文明人を嘯いている姿は滑稽です。

 さて、本題です。今のところ2冊の著書でしかありませんが、恐らく今後も刊行が続くと思わます。出版社からのオファーをお待ちしております。何しろ本業が苦しいのと、こっちの方がれんだいこの性に合っており、執筆で飯が食えるなら喰いたいと思っています。テーマは目白押しに控えています。宮顕論から始まり、角栄論、邪馬台国論、中山みき論へと向かい、その後も大東亜戦争論、出雲王朝論、神道論、シオニズム論、イエス論その他その他で優に数百の論考を数えています。その流れは「れんだいこの特選論文集100選」に記しております。

 その論考の一章節で一冊になりそうなものが多く、これを出版するとなると大変なことになります。加えて他にも翻訳あり、書評あり、哲学ノート、随筆もあります。掲示板では「カンテラ時評」が続いています。一体幾らの分量になるのか見当がつきません。れんだいこ脳内では全体が絡んでおり、いわば万華鏡になっています。今後も新たなテーマに取り組み続け、既に書きあげている論考の手直しも続く。そういう流れになっています。この営為は、れんだいこが死ぬまで続くと思われます。

 それらのいずれにも或る特徴があります。後付けで気づいたのですが通説、俗説批判を媒介にしています。これは何も始めから奇をてらって狙ったものではありません。単にれんだいこのアンテナが作動した故に書きつけが始まったに過ぎないのですが、どうやらアンテナの作動具合がそのようになっているように思われます。通説、俗説のデキが良いのであれば何の疑問も湧かさずそのまま学べば良いのですが、実際には違和感を覚える通説、俗説が多過ぎ、これによりれんだいこ文が必要になるようです。そういう風にして紡ぎだされております。その作業は好きこそものの上手なれで、楽しくなければできません。肩が凝るわ目が痛むわを通り越して参りました。

 当然、こたびの「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」も然りです。学生運動論に対する新観点からアヌプロ―チしております。下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析しています。通史の方では流れのポイントを押さえたつもりです。上巻同様に新旧左翼の両方向の動きに目配りしています。既存のものにはない手法で斬新です。

 個々のテーマ解析では重要事件を俎上に乗せました。従来の論考を踏まえつつ、れんだいこ見解を添えました。それぞれ既成論考の閉塞部分の水路を切り開いているつもりです。全体として、学生運動を検証しながら、単に追憶、批判、礼賛するのではなく、どこで道を間違えたのか、どう立て直すべきか、その為に必要な手当ては何かを意識しながら著述しています。この辺りを堪能していただけば幸いです。

 れんだいこの学生運動考の最後は「学生運動への提言」をもって三部作となり完結します。但し、三冊目は今のところ出版の目鼻を立てていません。折を見て再度推敲し、ネットで読んでもらうか、やはり手に取ることができ線引き自在のブック形式にするのか最終的に判断したいと思っております。れんだいこの気分では、ネットで読める程度のものならネットで読めば良い、どうしても手にして対話しながら読み進めたいとするデキのものをブックにすれば良いとしております。三冊目の発刊は今のところ思案中です。

 何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこに誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが違い過ぎるからです。我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感でも有り得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

 それはともかく、れんだいこの学生運動論はひとまずこれにて完とします。ぜひ、れんだいこが他のこれと思う著作に対してするように、手にしてデスクなり寝床なりトイレなり車中なりで読み、周りの者にも読ませ語り合ってほしいと思います。特に1950年、60年、70年世代が世代を継いで繋いできた学生運動の余韻を嗅いでほしいと思います。この世代の皆様方におかれましては郷愁を込めて読んでやってください。

 2011.8.12日 れんだいこ拝

  http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jinsei/
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.6; .NET C...@ipmas.ikko-j.co.jp>

△「検証学生運動(下巻)―学生運動の再生は可能か?」買います!ネットデビュー同期
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 戸田 E-MAILWEB  - 11/8/18(木) 8:59 -
  
 れんだいこさん、お久しぶりです。
 掲示板へのアドレス登録ありがとうございます。今後もぜひ投稿して下さい。

 新刊著作は、本日近所の書店に行って注文してきます。
 れんさんが書いてくれた活動歴を見て気が付きましたが、
↓↓↓
>れんだいこの執筆デビューは、思えば12年前の1999年4月、当時立ち上がったば
>かりのネットサイト「さざなみ通信」に、ハンドルネーム「れんだいじ」で「いまおも
>うこと」と題して投稿したところから始まります

 戸田とネットデビューの時期が同じなんですね!改めて親しみを覚えます。
 (戸田は1999年3月にHPを開設して4月市議選で当選し、HP本格稼働) 

 下巻では1970年以降の学生運動通史と個々のテーマ解析するとのことで、1974年阪大入学〜黒ヘルノンセクトで寮闘争主軸にやってきた戸田としては、上巻よりもグンと興味深い話です。

 学生運動については、戸田は1982年の反核運動の段階で、市民・労組等に較べてあまりに少数の学生しか動かない状況を見て、
 ・今の日本の学生は、「社会の中で最も意識が遅れた階層」に成り下がってしまい、
   それは今後も変わらない。
   (70年代前半までは最も先鋭な意識を持った階層だったが)
 ・大学生総体の愚民化・知的レベルと正義感の劣化の進行が著しい。
   (日帝体制の打倒・革命がない限り、その進行は逆転出来ない)

 ・もはや「層としての学生運動」は成立しない。
 ・社会運動の層としては、「行動する若者グループの一員としての学生個人やグルー
   プ」が存在し得るのみ。
 ・従って「学生自治会の再建とその戦闘化」を基礎とした学生運動を求めても無駄。

という判断を下しました。
 その判断は今も、(残念ながら)全く正しいと思っています。

 ここらへんは、れんさんの
  ・・何せ今更幾ら提言しようにも、当の学生運動の主体が消えてしまっており、どこ
  に誰に呼びかけて良いものやら見当がつかないからです。
   もう一つの理由として、我々の頃の学生と今時の学生では社会に対するアンテナが
  違い過ぎるからです。
   我々の当時には苦学生も当たり前に居て、社会を良くしようと云うのが生活実感で
  も有り得たし、革命と云う言葉そのものが魅力的でした。
   今日びの学生にはこうした政治的センスが全く毀損させられています。
   代わりに経済的動物に成り下がっており、学生運動の話が遠過ぎます。
   この時代にどう踏み込むべきか腕組み思案しております。

という感覚も同じだろうと思います。

 れんさんのますますのご活躍に期待します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-94-100-136.s04.a027.ap.plala.or.jp>

Re:お互いに頑張りませう
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 れんだいこ E-MAILWEB  - 11/8/18(木) 20:11 -
  
 戸田さんちわぁ。下巻読了前のコメント有難う。ぜひ読了後のコメントもお聞かせください。「戸田とネットデビューの時期が同じなんですね!改めて親しみを覚えます」とのこと互いに慶祝しませう。

 上巻で国際金融資本帝国主義論を記したところ不評の評をいただきました。下巻では上巻以上に踏み込みました。これが吉と出るか凶と出るかは分かりません。今は評を待つばかりです。特に目新しい記事がないとの評もいただいております。しかしそれはないものねだりで、目新しい記事があったとしても重要でないものまで書けません。評していただきたいのは、れんだいこの切り口と見立てです。これのデキが良いのかデタラメと評されるのか、こういうところに興味を持っております。

 学生運動セクト評としては日共民青ダメ、革マルダメ、中核やや良し但しなお苦闘を要す、ブントやや良し但し欠点あり、結論として頼るべき党派なし、全学連再建良しという観点から論を構築しております。これが吉と出るか凶と出るかは分かりません。

 こたびの下巻の特徴は、連合赤軍事件、党派ゲバルト等々よほど重要と思われる個別事案を解析していることです。ロッキード事件考も無理やり入れました。れんだいこの見立てに賛同してくださる方、反論される方があると思います。この辺りは出たとこ勝負です。批評がないのが一番さみしいやね。今はこれを待つ身です。

 2011.8.18日 れんだいこ拝
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.6; .NET C...@ipmas.ikko-j.co.jp>

◎戸田の感想意見1:(時間不足で少ししか書けませんでしたが)
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 戸田 E-MAILWEB  - 11/9/5(月) 13:18 -
  
 8/22頃に入手し、帰宅途上の居酒屋で一服するついでに「まずはちょっとだけ読んで
おこう」と読んだのですが、非常に面白くて居酒屋で全部読んでしまいました。
 (興味の順として「日本赤軍考概略」、「よど号赤軍考概略」、「連合赤軍考」、
「党派間ゲバルト考」、「三里塚闘争概略」、「新日和見主義考」・・・ほか全体と進み
ました)

 フーム、とうなる所多々あり。
 感想を投稿しようと思いつつ、例の如くだいぶ遅れてしまいましたが、思いつくままに感想を書いていきます。
 (ただしポツポツとしか書けませんので、気長におつきあい下さい)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1:「連合赤軍考」で:
 ・「陰惨なリンチ粛正殺人を生み出した根幹は、異様な独裁主義の規約にあり」という  指摘は、たしかに誰もしなかった、れんさん独自の指摘であり目が開かれた思いだ。
 ・連合赤軍の党規約条文の異様さを具体的に知ったのは、戸田は今回が初めて。
 ・「こんな酷い規約文を誰が作成し、どこで決めたのか」、「これがどこから持ち込ま
   れたのか(思想的経路)」の検証がなされていない事のダメさの指摘にも賛同。

 ・連赤問題考察での「規約問題の軽視」は2つの面があると思う。
   左翼党派の人間は、「武装闘争実行の党規約なら指導部絶対制の規約は大同小異」
   との認識だし、非党派の人々は自由人連合的な自分らの運動体験から「規約の重大
   性」を認識しない。

2:全体を通して:
 「1970年早稲田入学の戦闘的民青活動家」で、卒業後左翼運動から離れたが「左翼の赤
 心捨て難く」、種々の人生体験を経て「今度は日本社会主義革命に勝利できる左翼運動
 の出直し的再構築の理論先導者たらん」とするれんさんだからこその、他の左翼体験者
 にはない鋭さがある。

 1)新左翼潮流と共産党を等しく「日本の左翼」と捉えた経過記述と分析をしている。
    (ただし、共産党については宮顕→不破路線を意識的反革命と指弾) 
   全共闘運動時代頃からは、共産党以外の全ての左派・リベラル派と共産党とは、お
   互いに「別世界の生き物」という感じになり、それぞれにとって相手方の動きは
  「左翼陣営内の出来事」とは捉えず、関心すらを持たない姿勢が年々固まっていっ
   た。

   だから新左翼・全共闘派にとって1972年の「新日和見主義事件」(=共産党の戦闘
  的部分の大量処分)など含めて共産党圏内の動向は全く関心対象にならなかった。
   (せいぜい「日共がますます右傾化した」という一般論的評論程度)

 (この項、時間がないので後ほどまた、)

3:「党派間ゲバルト考」で:
 ・1972年の早稲田大学でのカクマル派に対する大衆的糾弾闘争に関して、当時2年生で  早稲田の民青活動家だったれんさんの体験による描写と分析が圧巻!
 ・「解放派部隊の早稲田帰還」を熱狂的に歓迎した学生大衆の様子が目に浮かぶし、
  その心情が戸田には理解できる。
 
 ★そういう現場体験を踏まえたれんさんの第4インターの「内ゲバ反対論」への批判
  に、戸田は深く賛同する。
 
 (大和郡山市に行く時間になったので、今日はここまで)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-94-97-128.s04.a027.ap.plala.or.jp>

Re:◎戸田の感想意見謝謝
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 れんだいこ E-MAILWEB  - 11/9/6(火) 19:59 -
  
 戸田さんちわぁ。下巻評有難う。戸田さんのこの論評が第一号なのではないかな。左派圏が失語症に陥っていることを如実に示していると思います。下巻にも書きましたが、左派理論が既に時代を斬れなくなっております。前衛ではなく後衛に廻っており、そのなかでイチャモン運動、スキャンダル暴露運動に転じています。この時代を何とかせんとなぁと苦吟しているのは事実です。

「連合赤軍考」での「陰惨なリンチ粛正殺人を生み出した根幹は、異様な独裁主義の規約にあり」という指摘は、れんさん独自の指摘であり目が開かれた思いだとの評、有難う。「1970年早稲田入学の戦闘的民青活動家で、卒業後左翼運動から離れたが左翼の赤心捨て難く、種々の人生体験を経て今度は日本社会主義革命に勝利できる左翼運動の出直し的再構築の理論先導者たらんとするれんさん」との評、有難う。「他の左翼体験者にはない鋭さがある」との評、有難う。「党派間ゲバルト考」で、「1972年の早稲田大学でのカクマル派に対する大衆的糾弾闘争に関して、当時2年生で早稲田の民青活動家だったれんさんの体験による描写と分析が圧巻!。解放派部隊の早稲田帰還を熱狂的に歓迎した学生大衆の様子が目に浮かぶし、その心情が戸田には理解できる。そういう現場体験を踏まえたれんさんの第4インターの「内ゲバ反対論」への批判に、戸田は深く賛同する」との評、有難う。何か有難うずくめになりましたが、戸田さんの評もさすがに的確だと思います。

 他にも縷々私説、私見を述べており、日本左派運動が本書を叩き台に議論してくれれば本望なんだけど、買おうか買うまいかなど的論評レベルでは情けない限りです。れんだいこは還暦を超えて今や居直っております。これまで難しい理論や思想、長たらしい何を云っているのか分からない論文に付き合わされて参りましたが全てウソです。真実は分かり易く説けてこそ一人前と確信するようになりました。この確信を元手にまだまだ突っ走るつもりです。続評どんどん頼みます。批判、反論でも何でも構いません。ロムの皆さまも宜しくね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.1; .NET C...@ipmas.ikko-j.co.jp>

◎2:太田竜は「一部天才」だが本質は権力右翼にビビって仲間を売る卑劣漢でしかない
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 戸田 E-MAILWEB  - 11/9/10(土) 8:22 -
  
 超スローテンポ感想意見公表の第2弾です。

<太田竜について>

1:戸田も太田竜を「天才」と認めるが、その先がれんさんとは大いに違う。
  こやつは、権力弾圧や右翼の暴力が自分の身に及びそうになると、たちまち竦(す
く)み上がって「自分は関係ない!自分を襲わないでくれ!」とヘイコラして保身に
図るのみならず、「悪いのはあいつだ!」と仲間に「罪」をなすりつけて売り渡す、
人間として最低の小心者、卑劣漢だ。

  戸田にとっては「道で出会ったら唾を吐きかけて罵倒してやりたい」、吉本隆明と並
 ぶ対象で、死んでしまったのが、そういう意味でのみ残念だ。

  戸田は1976年ぐらいから太田竜と並んで「3バカ」と揶揄された竹中労・平岡正明
 の大ファンになって、彼ら2人の本を読み漁ってきたので、太田竜が才能としては他の
 追随を許さぬ飛び抜けた「天才」である事を認めつつも、対権力・対右翼暴力において
 は丸っきりビビリの小心者で、それを誤魔化すために親密な仲間でもある日突然「権力
 の犬」、「右翼の手先」と罵倒し始め、実際には仲間を売り渡して自己の安全を図る、
 どうしようもなく根性の腐った卑劣漢である、と固く認識している。

 「世界革命浪人ゲバリスタ」を名乗り、「辺境最深部に撤退せよ!」と呼号してアイヌ
 や沖縄の人々に「反日思想」による独立武装闘争を煽ったりしておきながら、いざアイ
 ヌ人民の闘いや「東アジア反日武装戦線」の爆弾闘争が起こったりすると、「オラ関係
 ねえ」といち早く戦線逃亡したのが太田竜だ。
  その卑劣さは、たしかかつて太田を師と仰いでいたアイヌの活動家から痛烈に批判さ
 れたはずだ。
 
  竹中労・平岡正明は、そういう太田の言動を「狂気の天才の愛すべき欠点」として苦
 笑いしながら包容的に対応していたようだが。

2:戸田は70年代に太田の文章を2〜3読んだ事があるが、すぐに分かったのは、こいつ
 は「世界で最初に○○を発見したのは私だ!」、「だから私は天才だ!私に従え!」と
 いう自己陶酔者だという事だ。
  「この真理を私は(世界で初めて)○○年○月○日に発見した」、という言い方がし
 ょっちゅう出てくるのには嗤えてしまった。

  たしかに太田の鋭敏な問題意識と博識には凄い所があり、その当時の左翼や知識人の
 10年先を行ってる部分もあった。
  太田が「世界で最初に発見した真理」なるもののうち、50に1つか2つくらいは本当
 に鋭く正しいものがあったと思う。
  しかし、残りの49か48はガラクタなトンデモ理論に過ぎない。
  
  「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」を訴え
 る「エコロジー主義」などはその最たるものだろう。

  「誰も発見しなかった」、「雑多で奇妙奇天烈な真理」を次々に「発見」し、それを
 ネタにして次々と本を出して印税を得る「真理のスキマ産業・売文業者」。
  それが「太田竜という下等物件」の実態である。

 ウィキペディア的に言えば、
  「天寿学会」「文明批判学会」「歴史修正研究所」「宇宙戦略研究所」主宰、「地球
  維新連盟」会長、日本動物実験廃止協会役員を称していた。
  
   晩年はユダヤ陰謀説というよりも、フリーメーソンなどの組織を陰謀の主体と考え
  る傾向が強まっていた。
  その思想の三本柱は陰謀論;国粋主義、伝統主義;自然食、家畜制度の全廃であり、
  靖国神社に参拝していた。

 ということで、十二分にトンデモ転向分子である。

3:太田竜の「ユダヤ・ネットワークが世界を裏で支配している」との「ネオシオニズム
  批判」にはかなり正しい部分もあるとは思うが、それは「太田の多数のガラクタの中
  のたまたま正しいひとつ」にしか過ぎなくて、その「正しさ」をもって太田竜を肯定
  的に評価する事は、戸田には全く出来ない。

4:れんさんならば竹中労・平岡正明の文章も読んでいるだろうし、アイヌ解放闘争や沖
 縄闘争、寄せ場闘争などを含めた被差別大衆闘争と太田竜との関わり・反目について読
 み知っているであろうに、なぜ太田竜をかく天まで持ち上げるほどに肯定評価するの
 か、その点が非常に不可思議である。

  太田竜の「欠点」は「許せる範囲の欠点」でもなければ「愛すべき欠点」でもない。
 徹頭徹尾反革命な、革命運動破壊の許し難き欠点である。

  そしてまた、「私だけが天才」の太田は、「自分と同様の異端的少数者」の仲間内で
 さえ他者を誹謗中傷して自分の正しさを立証しようとする、度し難き、根っからの、文
 字通りの「内ゲバ主義者」であって、その面においても革命運動、資本主義打倒運動の
 破壊分子である。
 
  戸田は太田竜と会っていない事は、唾を吐きかけて罵倒できなかった面では残念だ
 が、同じ運動仲間になる機会が無かった面では大変ラッキーだったと思っている。

5:以上の戸田の太田竜評に対して、れんさんの考えは如何?

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-89-132-121.s04.a027.ap.plala.or.jp>

Re:◎2:大田龍論
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 れんだいこ E-MAILWEB  - 11/9/10(土) 14:06 -
  
 戸田さんちわぁ。手厳しい太田竜論を拝聴しました。れんだいこの印象から云うと、大田氏は日本思想史上の貴重な人物であったと思います。やや偏狭な感じがあるとすれば、左派系の活動圏に居ながら著作権にかなり拘っていたことかな。文筆で飯を食っていたのでやむを得ない面もありますが少々過剰気味でした。こういう面は確かにあります。

 権力弾圧や右翼の暴力に対して遁走的であったのかどうかは分かりません。今回知らされ、そういう面もあるのだなと思いました。竹中労、平岡正明については名前ぐらいしか知りませんが、思想史上の地位は比較にならないと思っています。「かつて太田を師と仰いでいたアイヌの活動家から痛烈に批判されたはずだ」についても経緯が分からないので何とも言いようがありません。

 大田龍が「世界で最初に○○を発見したのは私だ!」、「だから私は天才だ!私に従え!」という自己陶酔者だという弁についてし多少思い当たる面もありますが、内容次第で免責されると考えます。俗にくだらないことで自画自賛されるのは困りますが、値打ちものに対して自己主張するのは構わないと思います。但し、著作権的に囲うのかどうかは別です。

>太田が「世界で最初に発見した真理」なるもののうち、50に1つか2つくらいは本当
に鋭く正しいものがあったと思う。しかし、残りの49か48はガラクタなトンデモ理論に過ぎない。

 これはどうだろうね。大勢が鋭く有益なもので、そのうちの一部がガラクタと云うことなら分かります。れんだいこは、アイヌ解放運動以来の転戦に次ぐ転戦史は内的必然性があるとみております。但し、ゴキブリ解放論まで行きついているとしたら考えものかな。

>晩年はユダヤ陰謀説というよりも、フリーメーソンなどの組織を陰謀の主体と考え
る傾向が強まっていた。その思想の三本柱は陰謀論;国粋主義、伝統主義;自然食、家畜制度の全廃であり、靖国神社に参拝していた。ということで、十二分にトンデモ転向分子である。

 これはですねぇ、難しいところですが、従来の左派理論では解けないと思います。れんだいこ的には理解できるし更に耳を傾けようと思っています。よって「トンデモ転向分子」とはみなしません。転向ではあるが「トンデモ」であるかどうは別の話です。

>4:れんさんならば竹中労・平岡正明の文章も読んでいるだろうし、アイヌ解放闘争や沖縄闘争、寄せ場闘争などを含めた被差別大衆闘争と太田竜との関わり・反目について読み知っているであろうに、なぜ太田竜をかく天まで持ち上げるほどに肯定評価するの
か、その点が非常に不可思議である。太田竜の「欠点」は「許せる範囲の欠点」でもなければ「愛すべき欠点」でもない。徹頭徹尾反革命な、革命運動破壊の許し難き欠点である。

 この辺りはよくは分かりません。
 
>戸田は太田竜と会っていない事は、唾を吐きかけて罵倒できなかった面では残念だ
>が、同じ運動仲間になる機会が無かった面では大変ラッキーだったと思っている。

 戸田さんの熱血漢ぶりは分かりますが、れんだいこが変わってしまっのか、大田龍をそう云う風に遇しようとは思いません。これはですねぇ、左派理論の総見直しをしないと辿り着けないと思います。もっとも、れんだいこの地平と大田龍の地平も違います。しかしいわば縁戚関係のような位置にあると思っています。戸田さんをこちらの河岸まで寄せるのは難しいかな。これは運否天賦のようなものです。とりあえずの速攻のレスです。
引用なし
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