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『人間革命』に学ぶ。第3スレッド。『新・人間革命=福光の章=』 ゆうすけ 11/9/24(土) 2:00
昭和52年3月11日、山本伸一は、福島県に向かった。 ゆうすけ 11/9/28(水) 2:36
昭和52年3月12日夜、福島文化会館の開館記念行事で山本伸一は語った。 ゆうすけ 11/10/28(金) 3:04
■学会を破壊し、攪乱する動きに対しては、阿修羅のごとく戦え! ゆうすけ 11/9/29(木) 3:16
★一人の人間が一切を変えていく! ゆうすけ 11/9/30(金) 3:29
『学生たちの反体制運動の本質』 ゆうすけ 11/10/1(土) 2:56
重層的な学会組織にあって、いつしか取り残された自分がいた。 ゆうすけ 11/10/24(月) 3:35
『壁を破る力は自身の中にある』 ゆうすけ 11/10/26(水) 2:45
「勇舞支部」の支部総会終わりました。 ゆうすけ 11/10/30(日) 2:33
昭和51年秋、常磐炭鉱閉山となる。 ゆうすけ 11/11/4(金) 2:39
長年住み慣れた地を離れる辛さ、そして、そこに踏みとどまって頑張ろうとする人。 ゆうすけ 11/11/11(金) 2:37

『人間革命』に学ぶ。第3スレッド。『新・人間革命=福光の章=』
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/9/24(土) 2:00 -
  
小説「新・人間革命」第25巻 が今月1日から聖教新聞に連載が開始されました。第1章は「福光(ふっこう)」 昭和52年の池田会長の福島訪問が舞台であります。

 先のスレッドでの■私の一念の狂いは、何ゆえ生じたのか。
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6565;id=#6565
に対する明確な答えが随所に綴られています。一人の人間が目覚め、たくましく蘇生していくドラマを学んでいきます。

 
 戸田さんにおかれましては、再三再四、紙面を拝借し恐縮であります。尚且つ、私の考察に何らかの助言をいただければ幸いであります。どうかよろしくお願いします。
引用なし
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昭和52年3月11日、山本伸一は、福島県に向かった。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/9/28(水) 2:36 -
  
 「新・人間革命」第25巻冒頭が、山本伸一の福島指導で始まる。奇しくも、3月11日である。

 東日本大震災と福島第一原発事故がおこって六ヶ月余りになる。小説「新・人間革命」第25巻の舞台は昭和52年の福島であるが、著者”法悟空”は現在の福島そして東北の人々への激励を綴っている。

 ある新聞の記者座談会でのこと。福島県では、津波と震災にくわえて原発事故があるが、住民は、放射能からにげない、津波や震災も恐れない、負けないという意気込みを強く感じた。南相馬市で原発から20キロぎりぎりのところに住んでいる農家の人たちが、放射能は恐いに違いないが線量の低いところではそこで頑張らないといけない。自分の郷里で農業なり商業なりしないと復興にはならないではないかと言っていた。

 自分たちの住み慣れた郷土でふんばって復興にとりかかっていくというのが、県民の共通の意識だった。と。

 ■山本伸一は、福島に到着早々、「私は、福島、そして東北の同志が、どんな困難もはねのけて、大発展していく力をつけてもらいたいんだ。東北は、冷害などの自然災害に、何度となく苦しんできた。都からも遠く、中央政府の恩恵にも、あまり浴することがなかった。その東北の人びとに、本当に幸せになってほしいんだよ」

 「それには、強盛な、何があっても決して壊れることのない、金剛不壊の信心を確立するしかない。一人ひとりが師子になるんだ」との伸一の叫びに、東北の人びとだけでなく、自分がどう応えるかである。
引用なし
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■学会を破壊し、攪乱する動きに対しては、阿修羅のごとく戦え!
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/9/29(木) 3:16 -
  
■戸田が悪であるという、門真創価学会が根強く持っているのは、選挙戦の中で、支持母体である創価学会を批判したことの一点である。・・・私が先輩幹部に聞いての結論であり、第2スレッドで書いたとおりであります。

 福光 十六に、「ともかく中心者は、大きな心で、皆を包みながら、仏法のため、同志のために、陰で黙々と汗を流していくんです。
 しかし、学会を破壊し、攪乱する動きに対しては、毅然として、阿修羅のごとく戦うんです。そうでなければ、仏子を守ることはできない。みんなを不幸にしてしまいます。その炎のごとき闘争心、覇気、勇気がなければ、広宣流布の指導者ではありません」

■戸田が街頭演説で学会批判をした。このことが、阿修羅のごとく戸田攻撃に出たのだと思います。ましてや、選挙戦において、組織を攪乱されてなるものかと、闘争心が燃え上がったのだと。しかし、それが、どこへ向けられたか、戸田に対して、誰が議論しに行ったでしょうか。そうではなく、中心者は内部を固めるために、徹底して戸田が仏敵であると、そのことに終始したところに、大きな間違いがあったと思います。

 本当に闘争心、覇気、勇気が中心者にあったなら、何で戸田がやった学会批判に対し、直接会って、議論を戦わせなかったのかと。

 ◆同じく私が、ネットで幹部批判した事に対し、攪乱する動きとして、組織の中心者が直接会いに来て、話を聞いてくれ、忠告もされ、指導もありました。しかし、何が辛いと言って、陰で批判され、悪口を言われ、知らず知らずのうちに阻害感で一杯になり、組織の第一線に入るには、相当な勇気と開き直りが必要であったことです。

 退転者の構図はこういうものかと思いました。勇気と開き直りがなければ、学会から離れていたでしょう。”いままでにも、何度言っても、私の意見を聞き入れてもらえなかった”としてもネットに幹部批判をしたことは間違っていました。幹部同士で意見の異なる場合もある。また、互いに、要望したいこともある。その場合には、率直に、本人に伝えることである。(役職の上位、下位があり、下位の者が言うにはかなりの覚悟?がいるのですが)。
 
 ■ところが、門真で何十年も同じ組織にいて、成長が止まってしまったのは、私自身なのであるが、私の目につくのも、幹部自身に成長がなく、慢心と、旧態依然とした自分のやり方でよいと思っている人たちである。信心に喜びがなくそういうところしか見えてない自分である。言い方に注意が必要とわかっていても、感情的になり、要望が伝わらないできたと言える。

 いつしか、陰で批判して、そのことで自分は、そのような人間になってはいけないと納得していたのであろうか。

 「忘れても法華経を持(たも)つ者をば互いに毀るべからざるか」との大聖人の戒めを忘れてはならない。

 
 戸田先生は、よく、こう言われていた。
 『この戸田の命よりも大切なのが、学会の組織だ。世界で、いや、大宇宙で、ただ一つの、広宣流布を成就する仏意仏勅の組織なんだからな。だから、断じて守り抜くんだ』
引用なし
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★一人の人間が一切を変えていく!
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/9/30(金) 3:29 -
  
  =門真市が9月議会・9/27本会議戸田質問への答弁で「在特会」らの差別
    怒号行為に対処見解を表明した!= (行政として全国初、画期的!)

 戸田さん、やりましたね!お疲れさま!

 だれもが、このままではいけないと思いながらも、社会にまん延する「無力感」の壁を打ち破っての画期的なことであります。

 先の投稿のつづきなのですが、門真の公明が戸田を悪であると決めてしまった要因の一つに”学生運動のゲバルト(武力闘争)が上げられます。武力闘争をしてきた人間だから議会においても、過激な行動をとるのだと。正直そういうイメージが私にもありました。

 そのことについて、胸のすくような証言がありました。大白蓮華(学会の月刊誌)10月号に、昭和43年6月安田講堂占拠。昭和44年には、100を越す大学が、何らかの紛争状態となったことの歴史が載っていました。学生たちは、大学の持つ封建的、特権的な体質、そして高度経済成長とともに強まった社会の管理体制に対して、「ノー」を突きつけていきました。

 その当時の聖教新聞の記者が綴っていることに「聖教新聞のコラム『寸鉄』を通して池田先生に教えてもらったことがある。学生運動のゲバルトの激しかったころ、学生部員にエールを送るつもりで、

『各地の大学祭で学生部員が活発に舞っている。暴力と荒廃のキャンパスに、慈悲と英知の波や滔々』と書いた。

 これに対し、先生から厳しく指摘された。『恐い。怖いことだ。君たちに任せておくと、学会と世間との間に垣根を作ってしまう』と。そして、後半部分を、次のように手を入れてくださった。

 『------母校を愛するが故に学問と自身の探求の上に、その動きや尊し』と」
 
 
■そうか、そうだったのかと私が抱いていた偏見に、「ガーン」という衝撃でありました。違いは明らかである。前者は、大学紛争が”反社会的”と読める。先生の青年へのまなざしは温かである。先生が『恐い。怖いことだ。君たちに任せておくと、学会と世間との間に垣根を作ってしまう』と言われたことが、門真の公明・学会と戸田さんとの間にまさしく垣根ができてしまったことを嘆くのであります。


 
引用なし
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『学生たちの反体制運動の本質』
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/10/1(土) 2:56 -
  
 前投稿でことば足らずでしたので、追伸候。「だれもが、このままではいけないと思っている。・・・・・・しかし、政治も経済も環境の問題も、すべて自分の手の届かないところで決定され、動かされている。自分一人が何かしたところで、大きな機構の前に何ができようかーーこの『無力感』が、さらに事態を悪化させる悪循環をもたらしている」

 という池田名誉会長の洞察である。

 では今、行き詰まりを見せる現代の様相を打ち破るものは何か。社会にまん延する「無力感」の壁をうちやぶる者は誰か! ■ここで、戸田さんの一念が議会を動かしたことを
言いたかったのであります。「一人の人間の『一念』が一切を変えていく」ーー9月議会でそのことが実証されました。

 そして、昭和43年当時の学生運動。創価学会の原田稔現会長の証言。「当時、私は池田先生の側(そば)で仕事をしていました。先生は、学生たちの反体制運動の本質を、『既成の価値観、既成の思想・理念の崩壊であり、新しき価値観、新しき思想・理念を求める時代の流れである』と語られ、特に、日本の各界のリーダーを輩出する最高学府で、学生運動が起こったことに着目されていました。その中に、時代変革への大きな胎動を見抜いておられたのです。

 学生たちの持つ時代を動かすエネルギーを、どう健全な方向へ、建設的な方向へ、価値的な方向へと向かわせていくのかーー。先生は人知れず、手を打たれたのです。”千里の道も一歩から”。新しき時代の変革へ、先生は、一人と会うことから始められたのです。


     =勝ことを千里の外に=
 
 昭和43年。青年部首脳と学生部の幹部が、間もなく大学に入る新入生を迎える春の活動を検討しているところへ会長が姿を現した。
 会長が切り出した。「大学会をつくろう」「大学ごとに、卒業生も含めて」

 ■いよいよ池田先生が時代の指導者たる学生部の育成に”魂”を入れられるということであった。後に大学会からは、平和・文化・教育の各界へと人材を輩出していく。それほどの広がりを見せるとは、当時の誰が想像できたであろうか。大学会の結成は、「勝つことを千里の外に」決するような人材育成の一手であった。
引用なし
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重層的な学会組織にあって、いつしか取り残された自分がいた。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/10/24(月) 3:35 -
  
 私が地区部長という正役職を離れて5年にはなるのだが、いつ副支部長になったかも覚えてないという惰性になってしまっていた。副役職専任になった時は、支部長を支えてやっていこうという決意はあった。しかし、支部長は打ち出しとして、ラインの地区部長には流しても、副である私には連絡すら入らず、いつしか戦いの流れがわからず、第一線から遠ざかってしまったことがある。人間は、”自分は期待もされていないし、軽んじられている”と思えば、力が出ないものである。

 学会の組織は、”世代交代のための人事もあり、副役職の方が、正役職より活動経験も豊富で、力もあり、年齢も上というケースも多い。かといって、自分には力があるのだといって、正役職者を見くびってしまえば、そこから団結を乱してしまうし、己の成長もない。副役職者が、中心者と呼吸を合わせ、はつらつと活躍している組織は、大きな力を発揮できる。

 
 ■門真においても、支部総会がスタートした。今回初めて、支部総会の意義の中に、『支部創価青年大会』と銘打っての開催となる。門真文化会館で、支部によっては、自治会館や南部市民センター、個人会館等々。内容も多様である。幸いにして、何度かの実行委員会の中で、それぞれに役割分担や責任を決めることができた。私にも大任が与えられる。与えられると言うよりも、大好きな合唱の責任者に打って出た。

 当初、スピッツの「空を飛べるはず」を思い浮かべ皆で歌おうと準備をしていた。青年部は生バンドで”いきものがかり”の「ありがとう」などを歌うことになっている。私が担当する合唱は、出演者が壮年・婦人部の有志であり、どちらかというと「頼むから出て」と言われて出てくれる方々である。

 そこで、誰しも十八番(おはこ)であるくらい知っている歌をと考え、「津軽海峡冬景色」を選んだ。先日第一回目の練習をとり、大勢で歌うことがカラオケボックスで歌うのとは違った味があり、一人ひとりの個性も出て、新しい発見がありました。歌ってみるとその人の性格のよさも見えてきて、それはそれは楽しい練習でありました。演歌ではなく、素人ながらのハーモニーもつけて、まだまだこれからの挑戦であります。
引用なし
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『壁を破る力は自身の中にある』
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/10/26(水) 2:45 -
  
 =創価学会は永遠に、日蓮大聖人直結、御本尊根本である。本尊とは「根本尊敬」という意味で、根本として尊敬する対象を指す=

 先日、キリスト教を信じる友人と夜遅くまで語り合った。友人は「神を信じれば救われる」と言う。その神とは?と聞くが、納得の答えが聞けなかった。友人の話を要約すると、「神がすべてを造った。神とは、全智全能、完全であり、愛であり、善である。その神の存在を信じれば、おまえの犯した罪は消える」と。

 しかし、いくら問うても、神の実体、存在の因果などは明かされなかった。もし本当に、完全な神が人間を造ったとすると、生まれながらの不平等や、一生不幸の宿命に泣く人々の存在など、どう説明するのか。

 生命は永遠であると、私は主張するも、「神を信じて死んでいけば、天国に行ける。そして永遠に天国で生きられる」と。「それじゃ、何で今ここにいるのか。人間として生きているのは今世だけなのか」という問答が続く。キリストの説くところの生命論は、処女懐胎、キリストの復活、昇天、さらに天国の問題等、どれをとってみても矛盾だらけであり、非科学的なものであった。

 ■日蓮大聖人は、御自身の生命に開き顕された仏の境涯を、そのまましたためられ本尊として、尊敬する対象として、厳然と残された。さらに、この御本尊を、自分から離れたものではなく、我が身に「仏の生命」が具わっていると説かれた。

 御本尊に顕された仏界の生命を拝し、その生命が自分にも同じく具わっている。だからこそ南無妙法蓮華経と唱えていけば、仏界の生命が我が身に湯現する。これが、学会員が行っている唱題である。仏界の生命、すなわち仏の生命とは最高の智慧、最高の勇気である。

 ■多くの宗教は、自信の外にある神や仏を「本尊」とし仰いでいる。自身の外にあるものを本尊とする限り、”幸福はだれかが与えてくれる”という受け身の姿勢になってしまう。要するに、仏法は責任を自分に求める内道。キリストは責任を神に委ねる外道である。「我が胸中に尊極(そんごく)の生命」があることをわかってもらえるまで、足しげく通うことである。
引用なし
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昭和52年3月12日夜、福島文化会館の開館記念行事で山本伸一は語った。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/10/28(金) 3:04 -
  
 「私は、会長に就任してから今日(こんにち)まで、本当に、心から安堵した日はありません。”全学会員が幸せになる前に、自分が、晴れ晴れとした気持ちになることは間違いである。指導者として失格である”と、心に決めているからであります。

 皆さんが、”信心してよかった!””こんなに幸せになりました!”と、心から言えるようにならなければ申し訳ないとの思いで、私は、福島に来ているんです。実は、これが
創価学会の会長の精神なんです」


 ■『東北福光新聞--とうほくふっこう--』が地方版形式で聖教新聞に掲載されて(第1号が9月29日)10月27日付けで第9号になる。

 朝10時。会館の一室に、聖教新聞を読み合わせる皆の声が凛と響く。福島・会津若松文化会館でのフェニックス(不死鳥)勤行会。福島第1原発の事故で会津に避難する友が、週に1度、集い合う。その会合の中心者広島幸雄さん、大熊町の自宅は原発から6キロ。原発事故は、住み慣れた故郷に戻るという望みをも奪ってしまった。

 昭和31年、17歳で学会に入会。大熊町として、1町1支部の大熊支部が、『幸福支部』と先生(池田名誉会長)に命名いただいてから、今年で20周年の佳節を迎えた。「一番、苦労している人こそ、一番、幸せになる-- 大熊は絶対に負けません」と語っておられる。

 昭和52年の会長としての先生のご心境・ご決意が福光47で書かれ、福島の人たちにこれ以上の励ましはないと思う。『”会員の皆さんが幸せになり、福運にあふれた、楽しい人生を歩んでいかなければ、なんのための会長か!と、常に、自分に言い聞かせています』。学会幹部であるからには、なんのための自分の役職なのかと、常に自分に言い聞かせ戦っていこう。そう決意する。
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「勇舞支部」の支部総会終わりました。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/10/30(日) 2:33 -
  
 先ずは、会館内外、駐車場の警備に当たられた青年部にご苦労様と申し上げたい。そして、設営や受付に当たられた人たちに御礼申し上げたい。支部創価青年大会が前面に出ての青年部のヒップホップ・オンリーワンダンス・バンド演奏・少年少女部のマルモリダンス等々、昭和生まれには、着いていけないほどの大迫力の演目であった。

 中でも、ヒップホップにバンド演奏。ミキサーからスピーカーまですべて音響機材を持ち込んでの大迫力のライブとなる。特に音響さんが大変であったと思う、陰の苦労に感謝申し上げる。

 オンリーワンダンスは、世界にここだけという技術、演出、ユーモアで会場が和やかさに包まれる。メンバーは4匹のネコで、本番だけを見れば、誰が演じているのか終始わからなかったと思う。しかし、昨夜遅くの最終練習を見学させていただく。「よし、これでいこう」と決まったのが、深夜3時であった。

 疲れが出たのだろう、1匹のネコは横になって体を休めていた。最終チェックで、メンバーの状況を聞くことができる。その時、『今が正念場である。信心の真価を発する時である』。との思いで、一人の青年の家族が直面する困難に向かって、絶対に勝って見せるとの心がその青年たちから伝わってくる。

 ■勇舞支部にとっては、初の支部総会で運営側は誰もが、手探りであり反省点も数多くあり、何のための支部総会かと考えたなら、まだまだ課題を残したと言える。ともあれ、今、この場所で、広宣流布の戦いを起こし、信頼の輪を広げ、幸せの実証、勝利の実証を打ち立てていくことである。

 唯一、壮年部・婦人部の演目であった、合唱。できれば、あと2曲ぐらい歌いたかったと思える、最高の歌声でありました。本番に駆けつけ出演してくれた人もおり、その度胸に感謝である。出だしは緊張のあまり、声にならなく仕切り直しもありましたが、調子が出てきての晴々とした笑顔に、伸び伸びと指揮を振ることができました。出演の皆さんお疲れさまでした。ありがとうございました。そして、功徳の実証を示されての二人の体験発表。やはり、体験ほど人の心を打つものはありません。お疲れさまでした。


 
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昭和51年秋、常磐炭鉱閉山となる。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/11/4(金) 2:39 -
  
 35年前、炭鉱の閉山によって、泣く泣くほかの地域に移って行った人や、なんとしても、いわき市に残りたいと、必死になって職探しをした人もいた。

 原発事故で今もまた、多くの方々が、転職などを余儀なくされ、特に農家の方々が大変な思いをされている。農業ジャーナリストの大野和興氏は、「原発から50キロ圏にある三春町で、東京のいろんな人によびかけて現地の人々と交流した時のこと。その取り組みのさいに、次のようなメールが回ったという。『三春ではブロッコリーで高い値が出ているが、そこで花見をすると、現地のこどもたちが避難できない雰囲気をつくることになり、よくないのではないか』そのようなメールが配信された」。

 大野氏はこのメールが回ったのは、「地元の人を元気づけて地元に根付くようにさせるのは問題があるとして反対する考えだ」と指摘した。そのメールを地元の婦人に見せたところ、「私たちを馬鹿にしている」といわれたと述べ、「そこに住んで、農地があって百姓をしてきた。そこが故郷だったら、そこにやっぱり生きていこうと選択した人たちもいるわけです。メールを回した人の頭には放射能の数字しかなく、その数字の底で生き、悩み、苦しんでいる人がいることをわかろうとしてない」と指摘している。

 ■福島の野菜が安全か安全でないかというのはもちろんあるが、その前に、そういう中で、こんな土地で作物を作って本当にいいのだろうか、と悩み苦しみながら土地を耕している農家の人の気持ちをわからなくては、自分の安全だけを願うエゴイズムである。

 ■まきちらされた放射能のもとで、どのようにして生産の再建に向かうかに努力している農家の方々の側に立ち、現実を変えるためともに進むことが必要である。
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長年住み慣れた地を離れる辛さ、そして、そこに踏みとどまって頑張ろうとする人。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 11/11/11(金) 2:37 -
  
 福島の人々にとって、大変な試練の時である。先日、こどもを津波で亡くされたお母さんたちの集いがあった。8ヶ月が過ぎて、街は復興されていくが、わが子を亡くした悲しみは変わらず、その悲しみを人に言えずにきたと言う。しかし、同じ思いのお母さんが集まり、悲しみは同じであり、ここでなら泣いてもいいと涙があふれた。どんな姿でもいい、「ただいま」の一言が聞きたい。「お母さん」と呼ぶ声が聞きたい。皆が、堰を切ったように涙を溢れさせ思いを語っておられた。

 子を愛する気持ちがある限り、悲しみも消すことはできない。一生その悲しみを背負って生きていくことだと。そう思う方が楽であるし、周りが復興にがんばる中で、時が止まったかのようなお母さんたちがいることを忘れてはならない。

 子どもや、家族を失ったうえに、長年住み慣れた地を離れる人々。また、これまで住んでいた地域で頑張ろうとする人々。仏法では、「私たちのいるところは、そこが、山であろうが、谷であろうが、広野であろうが、どこであれ、寂光土であり、成仏得道の場所になると教えている」。どこへ行っても、”自分は、仏からその地に仏法を広めることを託されて派遣されたのだ”という自覚をもつことだ。

 戸田第ニ代会長は、よく『来世は、どこの星に生まれるのかな。大聖人から、あの星へ行って仏法を広めなさいと言われたら、そこに生まれ、また、創価学会をつくる』と言われた。震災で亡くなられた多くの人も、必ずや再び生まれ、幸せな人生を歩むことを信じていきたい。仏法の眼(まなこ)で見ていけば、戸田先生のような、大きな心、大きな境涯で進んでいけるのだと思う。

 ■聖教新聞連載の「福光」の章が、11月10日終わる。昭和52年3月13日山本伸一の福島滞在の最終日に「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力---それが信仰です」と青年を励ましている。

 青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は磐石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」

 伸一が、栃木に向かうため、福島文化会館を発ったのは、午後7時50分であった。

   ”福島を頼むよ! 東北を頼むよ!” 伸一は、心で叫んでいた。

 ■34年前ではなく、いま、まさに師が、福島に,東北に向けて がんばれ!との最大の激励が新人間革命弟25巻『福光』の章である。


 
引用なし
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