「自由・論争」 掲示板

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共産党ビラ訴訟勝訴 ねこかぶり 06/8/28(月) 19:23

敵という概念 ねこかぶり 06/9/7(木) 1:12
Re:基本的人権の尊重という点でね パルタ 06/9/17(日) 10:17
ひのきみ強制石原都政に反対しよう! パルタ 06/9/17(日) 18:17

敵という概念
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 ねこかぶり  - 06/9/7(木) 1:12 -
  
まぁ、民主主義の敵とかどっかのサルの顔をした大統領が喚いているが、
結局のところ「自由」に「対して」「敵対」する勢力とかいうが
「誰」の「自由」でということを忘れているような発言が目立つ。
人間である限りみな平等であるという概念を忘れると敵が無数に増える。
まぁ、ぶっちゃけた話自己都合でいいように解釈するのですわ。
で、抑圧された人の最後の手段は暴力であるということは当の合衆国憲法も
否定してない。(日本では否定されているようだが‥三等国なのでほっておきま
しょう(笑))ま、敵というのもは本来、自由な発言をすることを妨げるあると
あらえる勢力と定義すべきですね。敵が自分とこの政府である場合は非常に
簡単だが、そうでない場合は複雑である。で、ここで重要なことだが、「敵」に
ついて慮るだけの知力がわれわれにあるかどうかを‥もっと平たく言えば、敵にして
闘って、我々も敵のとこにいる大多数の人も幸せに成るというのかということ‥
ここには高度な文化人類学的な考察が必要である。特に敵のとこにいる大多数
の人に関しては‥

民主主義ってとにかく面倒なものである。そこに至るまでの過程を理解できる
風土でないとそれは定着しない。ま、三等国の日本には到底根付かない高尚な
理念だったんでしょうよ。でも、その制度を肯定し、その制度の中で生きると
決めたからには、結果を否定することは出来ない‥難しいとこですな。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:基本的人権の尊重という点でね
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 パルタ  - 06/9/17(日) 10:17 -
  
▼ねこかぶりさん:
>まぁ、民主主義の敵とかどっかのサルの顔をした大統領が喚いているが、
>結局のところ「自由」に「対して」「敵対」する勢力とかいうが
>「誰」の「自由」でということを忘れているような発言が目立つ。
>人間である限りみな平等であるという概念を忘れると敵が無数に増える。

それはもちろん皆同じ人間として尊重されるという意味でね。いわゆる結果の平等というか社会的地位とかは平等にはならない。
障害者も同じ人間として尊重されるという意味では平等。でも、それは結果の平等という点では生まれつき健常者に比べて収入が少なくなる可能性が大きく、支出は健常者よりはるかに大きくなる可能性は大きい。それは仕方ないことです。
リーダーに向いている人と内向的な人が平等かといえば、ある意味じゃ生まれつき不平等と言えなくもない。でも、内向的な人よりも社交的な人、スポーツができない人よりもできる人、容姿があまり綺麗でない人よりも綺麗な人、親が貧しい人よりも資産のある人の方が有利とは思いますが、人のお互いに違いはあっても人間として平等であると認め合おうということですね。共産圏ですら、スポーツで活躍する人と政治経済面で活躍する人、科学技術で活躍する人は違う。でも、農家で働くとしても、ゴミ処理場で働くにしても、ホテルの受付で働くにしても、厨房で働くにしても、トラック運転手で働くにしても、建設業でも、営業でも、経理でも、企画・開発でも、現場でも人間として認められるは一緒ということですね。
まあ、その実際に体力の消耗とか収入とかである程度の差がつくのは仕方ない面もある。農家の人と企業で雇われる人の労働時間を一緒にしなさい、というのは完全には無理かと思います。同じ企業でも、残業になりやすい部署、なりにくい部署、過労死や労災が起こりやすい過酷な部署とそうでない部署があるかと思います。ただ、あまりにもそれが大きすぎるのが問題な訳ですね。19世紀まではあまりにも、その差が大きかったから社会問題となった。
病気、怪我、過労死を防ぐために支援が必要な人とそうでない人がいる。お金がなくて病院に行けない状態になれば社会保障が一元化されない状況に気づき、自殺したくなるほど過酷な労働状況なら嫌でも日本の労働問題に目が行ってしまう。結局社会というのは、自分自身の置かれた状況によるニーズと他者の利害のせめぎ合いの中で作っていくしかないのですね。分業がある限り、矛盾も続くでしょう。その中で民主主義とは非和解的な対立を調節し、和解に近づける努力と知恵なのですね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; Inf...@fp0004.nnc.or.jp>

ひのきみ強制石原都政に反対しよう!
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 パルタ  - 06/9/17(日) 18:17 -
  
▼ねこかぶりさん:
>民主主義ってとにかく面倒なものである。そこに至るまでの過程を理解できる
>風土でないとそれは定着しない。ま、三等国の日本には到底根付かない高尚な
>理念だったんでしょうよ。でも、その制度を肯定し、その制度の中で生きると
>決めたからには、結果を否定することは出来ない‥難しいとこですな。

太平洋戦争が誤った戦争だったという意見の人と正しい戦争だったという意見の人が議論をする。これは戦時中にはできなかった素晴らしいことであるが、絶対に必要なことでもある。「非国民」と「愛国者」の対話。日本は、あの時できなかったことを今やるべきなんだ。
石原都知事及び東京都教育委員会の人々が増田都子氏をはじめとして処分を受けた教師の方々と議論をすることでしか教育は作れない。これが教育なのだ。石原都政と教育委は一方的な処分をして、教科書を墨で塗った時の子供達の大人への不信を再び逆方向で起こさせる気か?
中国からの帰還兵に中国共産党に洗脳された人がいるというのは本当か?その説得は随分時間がかかったらしい。ならば、今度は石原都政が中国共産党に負けないように教師達を説得してみせてくれ。説得と納得なき一方的な処分は知性を作らない。子供の不信をまねくだけだ。
「どうかこれ以上先生達をいじめないで下さい」と生徒に言わせる国のどこが民主国家なのか?コンセンサスを取っていくことでより良い教育と社会の安定がはかられるというのに。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; Inf...@fp0004.nnc.or.jp>

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