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戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観 戸田 06/8/25(金) 19:14
「見識の高まった県民は今度は『しなやかに』村井を選択した」というウソ 戸田 06/8/25(金) 20:56
最近世論操作がうまくなって来てますからねぇ ねこかぶり 06/8/26(土) 3:35
「悩んだ末の『脱・田中県政』と言うが・・・」ズバリ批評の北山県議 戸田 06/8/26(土) 3:23
泰阜(やすおかむら)村長のblog 長野県知事選挙に思う 戸田 06/8/26(土) 3:27
◆「ペログリ日記」に見る田中氏の天才性と現在的な一部の限界性 戸田 06/8/30(水) 15:24
Re:戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観 06/8/31(木) 0:41
◎秀さん、こちらこそよろしく。全文紹介させてもらいます 戸田 06/8/31(木) 17:03
長野県の「うるとびーず」さんからの感慨深いメールを紹介します 戸田 06/8/31(木) 16:25

戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/25(金) 19:14 -
  
 田中知事はなぜ敗れたのか?
 マスコミほか議員HPや各種の市民HPでいろんなことが言われてきたが、戸田が分析す
るところを述べておく。これが最も真相を突いた分析であろうと戸田は自負を持っている。

 4年前は対立候補にダブルスコアで勝利した田中知事が、今回は約7万8千票差で敗れた
ことが「大差での敗北」と言われている。たしかに「田中離れ歴然」ではあった。
 しかし戸田の見るところ、田中知事であればちょっと選挙戦術に工夫をすれば8万票程度
の差は楽に逆転することができた。著名人を呼んで話題づくりと街頭大宣伝をし、辻元清美
や市民の党型の「全国ボランティア大結集選挙」を展開すれば、絶対に勝てたはずである。

 しかし田中知事は、あくまで「著名人田中康夫」ではなく「知事田中康夫」の実績判断を
市井の人々に委ね、その人々の見識と自発的な動きに期待する「田中流理想選挙運動」、田中
知事の言葉によれば「ウルトラ無党派」型選挙運動を頑強に堅持した。
 全国ボランティア・市民派の結集を呼びかけず、どちらかと言えば自粛姿勢を取り、街頭
動員もほとんどせず、候補者カーでは自分1人だけがマイクを握り続け、おまけに豪雨災害
対策でまともな選挙活動は全期間の後半分しかしなかった。

 いくら支援者や側近がヤキモキしようとも、田中知事はその「田中流理想選挙」スタイル
を変えようとはしなかった。そして田中知事の意志を変えることができる人は誰もいない構
造が頑として存在した。
 
 戸田が思うに、田中知事は自分の任期5年8ヶ月の中で車座集会に集まったりして自分と
語らい県政改革の思いを共有した数え切れないほどの市井の人々の見識に全てを賭けたのだ。
 そしてもしもそれで落選ならば、長野県民の見識はその程度のものでしかなかった、自分
のもたらした影響力はその程度のものでしかなかったと諦めよう、それ以外の部分で技術的
に票をかせぐやり方には見向きもせずに本筋一本で試そう、と決断したのだろう。

 客観的には「今回田中知事が再選されたら、反田中・利権勢力はさすがにタマが続かず内
部矛盾も起こって瓦解する」と言われていた。
 また「全国政治的に見れば、滋賀県知事選に続いて長野県知事選で自公候補が敗北すれば、
小泉自公政治に終止符が打たれ、安部政権はすぐに吹っ飛ぶ」ことは明らかだった。
 であるならば、理想型選挙に多少の妥協はしても「勝ちに行く」のが常道だと思う。戸田
であれ誰であれ絶対にそうする。

 しかし田中康夫はそれを潔しとせず、あくまで自分の美学を貫いた。それで敗けるならば
それも天命、現在の民度はそこまでのものと達観もした、と戸田は思えてならない。
 真の自治体改革推進の面からも、自公政権打倒の全国政治の面からも、全国民衆と活動家
の志気の面からも、今回の田中知事落選は大きな損失であり、残念でならない。

 もっとも、もっと長いスパンで見た時に、今回技術的工夫で辛勝するよりも「敗北を噛み
しめて再起する」方が良かった、ということになっていくのかもしれない。凡人には今分か
らなくても天才・田中康夫の直感はそう訴えたのかもしれない。
 いずれにしても、日本の民衆は今回の「敗北を噛みしめて再起していく」他はない。 
引用なし
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「見識の高まった県民は今度は『しなやかに』村井を選択した」というウソ
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/25(金) 20:56 -
  
 ある全国紙の長野県版で、今度の選挙結果を「田中知事登場によって県政に関心の高まっ
た県民が今度は『しなやかに』村井を選択した」というような記事が載っていた。
 その記事では、ある「普通の主婦」が紹介され、前回は初めての政治行動として田中知事
を支援したが、田中知事の「手法」に疑問が膨らみ、今回は「女性の勝手連的なもの」まで
作ってそのリーダーとなって村井候補を積極支援した、とされている。
 そして「もしも村井知事がダメだと分かったら落選運動を起こす」とものたまい、記者は
「民度の上がった長野県民はこういうふうに『しなやかに』知事を選択するようになった」、
と持ち上げていた。

 ウソをつきやがれ、と戸田は思う。
 この人は体よく自公・財界権力に踊らされただけなのに「自分が主役で活動した」と思い
込んでいる「勘違い屋さん」のひとりでしかない。
 田中知事支援で「運動デビュー」した人が、自分自身に独自で特別な力があると過大評価
して(自惚れて)反田中勢力におだてられ取り込まれていっただけで、村井が知事になった
後は御用済みで捨てられるだけ。

 田中知事だから自由に文句が言えたのであって、知事権力者になった村井にものが言えて
いくなんてことはまずあり得ない。
 村井県政が期待はずれになっても、軸になる人や理念がないから実際には何も運動を起こ
せずぼやくだけになるはず。 
 
 村井という男が「大日本帝国」が行なった侵略を「自衛行為」と偽る「教科書作る会」の
主軸である右翼連合=「日本会議」の長野県会長であることや、地方破壊のエセ改革の責任者
のひとりであった事等々、大事な事は何も知ろうとせずに支援したに違いない。
 「しなやか」どころか「反田中の言動をすることがかっこいい」かのように思い込まされ、
デマで踊らされた愚かな有権者のひとりに過ぎない。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)@NWTfb-08p2-215.ppp11.odn.ad.jp>

「悩んだ末の『脱・田中県政』と言うが・・・」ズバリ批評の北山県議
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/26(土) 3:23 -
  
 田中知事支持の北山早苗県議HPの「日記」から(非常に率直なモノ言いをする人ですね)
http://sanae.voicejapan.net/back/item/all/1155141200.html

2006 年 8 月 9 日    
 県民が悩み、考えた末、選んだ『脱・田中県政』と言うが・・・
  〜さわやか早苗日記402〜

 選挙の間、違反にならないよう、更新しなかった日記を再び開始。その間に、長野県は天
と地がひっくり返るような事になってしまった。
 言うまでもなく、知事選で、村井仁612725票、田中康夫534229票で、新知事に村井氏
が当選した事だ。その差は約7万8千票、田中氏は7ポイント(%)差で破れた。
 県民の選択だから、結果は結果として受け止めよう、しかし、信濃毎日新聞の解説には「県
民が悩み、考えた末、選んだのは『脱・田中県政』だった」とあるが、私には、県民が悩ん
だ末の結果とは思えない。なぜなら、ちゃんと悩んだ人は、田中氏に入れたからだ。

 選挙期間中に、建設業に携わる方からメールをいただいた。「会社の所属する建設業組合な
どが激しいネガティブキャンペーンを行う中、社内では反田中の態度でいるが、不在者投票
では田中氏の名前を記入して来た」というものだった。

 その理由は、まず、「 常々、県議には、あんなに田中知事のやり方が気に入らなければ、
自分たちから誰か出ればいいと思っていたが、告示1ヶ月前になってやっと担ぎ出したのが、
衆議院2区で民意により落選(比例復活当選)した村井仁候補だった」ということ。
 そして何よりも、「この選挙、戻るのか進むのか、借金を作るのか減らすのかと考えた時に、
私には不満もありますが、田中氏を選択し、子供への責任、社会への義務を果たしたい」と
いう事だった。
 会社への罪悪感もないわけではなく、その興奮もあって私に思わずメールを書いてしまっ
たと結ばれていた。
 旧体制のままの県議会への不審感と、目先の利益ではなく子ども達の未来を思いやった時
に、悩んだ末、田中氏を選んだのだ。

 これに対して、村井氏に入れた人はどうか?
 あるJAの関係者は、「住民同意をきちんととらずに、稼働させようとしていたごみ処理施
設を、白紙に戻しストップさたのは田中知事である」と説明しても、「田中知事は林檎の選別
施設設置に補助金をくれなかった」という理由で、村井氏を応援した。
 ごみ処理施設からの公害と林檎への影響を心配していた人なのに。

 村井氏当選の新聞写真で、村井氏と握手している障がい者団体のある人たちは、高校の統
合で、身障者対応の施設のあった通信制高校が、別の高校に統合される事に反対していた人
たちだ。
 県教委は統合先にもエレベータをつけたり、身障者対応にすると言っている。また、田中
氏は、選挙期間中であるにも関わらず、高校統合の進め方に異議を唱える人たちと夜11時
すぎまで2時間以上も話し合いをもって来た(写真の人たちもいた)。
 人の意見を聞くといっている村井氏がこのような話し合いをもってくれたのだろうか?
 それにも関わらず、田中氏からは自分たちの思いどおりの返事がなかったからと言って、
彼らは村井氏に入れたのだ。

 しかし、国の障害者や高齢者などの弱者切り捨て政策に対して、厳しい財政運営が迫られ
る中でも、借金を減らしながら、福祉、教育、医療に県の単独予算をつけ、障がい者のタイ
ムケア、宅幼老所の設置、30人規模学級、就学前の子どもの医療費無料化の実施などと、
踏ん張って来たのが田中県政だ。

 選挙の次の日の7日、私はNBS・月曜スペシャルという番組に生出演した。出演依頼は選
挙前からあった。信大の都築勉教授、田中氏を応援する立場の県議として私、村井氏を応援
する立場で小林実県議、そして、新知事として村井氏が出演した。
 『新知事に問う』という内容だったのだが、なぜか村井氏は、15分で帰ってしまった。
東京へ行くとの事だった。
 私は聞いてみたい事が沢山あったのだが、やむを得ない、1度の質問チャンスだったので、
一番聞いてみたい事を2点質問した。

 「選挙中の討論会で2度村井さんの話を直接聞いた中で、わからない事が二つあった。
 村井さんは、『借金は地域の宝である』と言っていたが、国からの交付金が減る中で子ども
達につけを残さない県政運営をどう考えるか?また『長野県はなくなっても良い、道州制に
なり、長野県はどこで切れても構わない」と言っていた。81の市町村を輝かせると言うが、
自律を選択した山間の小さな町村を、具体的にどう支援するのか?」と聞いた。
 村井氏は「借金は宝の山とは言っていない、借金を減らす事ばかりやっていて、家がボロ
ボロになっては子や孫に住める家が残せない。県土は手入れが必要だ」と答えた。

 二つ目の質問は内容を忘れ、「あのー、えー」と言っていたら、アナウンサーが口添えし、
「住民に一番近い市町村に、権限と財源を移す。小さい所は地域の特色を生かす道を工夫す
るしかない」と答えた。
 これを見ていた県民に方々から、後で、「村井さんが『赤字財政(借金)は資産だ、地域の
宝になっているという逆転の発想が必要だ。借金してでも、国の補助事業を行うべき』と、
言っていたのをちゃんと聞いている。番組に抗議のファックスをした」「村井さんは具体的な
ことを何も言わずに、当選した。具体的な事が何もないから、北山さんに突っ込まれては困
るので、15分で帰ったのではないか」などと、電話やメールをいただいた。

 番組の趣旨は、これからの県政を考える前向きなやりとりにして欲しいという事だったし、
まだ知事としての仕事を何もしていないうちから非難することを、私は避けたが、この人に、
任せて良いのか?という疑問は、やはり日に日に増してくる。 
 「小さい所は自助努力しろと言わんばかり、そうしても、やって行けないほど、あなたの
いた政権与党が、財源を委譲せずに交付金を削って来ているのが実態。国の道州制と合併推
進論者の村井さんは、長野県をどうするつもりなのか?」などと聞いてみるのは、県議会ま
でお預け。

 県議会とマスコミの反田中キャンペーン、老人会等の各種団体にまでしっかり食い込んだ
組織固め、去年の衆議院選挙と同じような自民党の中身のないイメージ作戦に、目先の事の
みを見て、将来の事や本質を考えようとしない県民は、「ちょっと変わって欲しい」と、なあ
んとなく村井氏に入れてしまったのだろう。決して、悩んだ末ではない。
 ちゃんと悩んだら、自分の事ではなく、未来を考えて投票する。
 とはいえ、本来、私やマスコミが評価する事ではない。今回の長野県民の選択は、歴史の
中で評価を受けるのだ。

 田中氏はどうだったか?
 諏訪地方の得票数が多い。これは、災害復旧に田中知事が尽力した為だ。人命が失われた
岡谷市に至っては、高校再編問題で多くの反対があったにもかかわらず、58%とっている。
 選挙戦期間の半分以上、田中氏は災害復旧の公務に明け暮れ、知事としての職務を全うし
た。
 しかし、その姿は、マスコミには大して取り上げられず、諏訪地域以外の県民には理解さ
れなかったようで、残念だ。
 パフォーマンスが過ぎると言われ、自分の為に仕事をしている等と言われた田中氏、しか
し、何と言われようと県民の為に尽し、今回の選挙では、県民がどう評価してくれるかを真
っ正面から問うたのだ。
 自分の選挙が終った次の日から、また次回の県議選の為の活動が仕事の県議たちとは、対
局にある。

 橋本大二郎高知県知事は「田中康夫氏は県民の立場で、良い仕事をした。ご苦労様でした
と言ってあげたい」と語った。
 
引用なし
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泰阜(やすおかむら)村長のblog 長野県知事選挙に思う
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/26(土) 3:27 -
  
◆泰阜(やすおかむら)村長のblog 「私はこう考えます。」
 松島 貞治(まつしま ていじ)  http://blog.st203.net/soncho/
2006.08.08
長野県知事選挙に思う
 田中康夫氏が落選した。知事に対し好意的な地域といわれた下伊那でも14町村のうち、得
票で田中氏が上回った自治体は、4つに過ぎなかった。
 この選挙結果をみて、これは田中康夫氏の完敗である。
 今回、私は、田中康夫氏を支持すると表明をしてきた。ただ、具体的な選挙応援は、ほと
んどしなかった。それは、自分の選挙と同日選挙であったこともあるが、それより、何もせ
ず「県民」の判断をみたかったからである。

 泰阜村へ住民票を移したときも、それを受け入れたのは泰阜村長であるが、その行動が、
知事としてふさわしいのか、どうか、それは偏に県民の判断に待つ以外にない、と言ってき
た。
 つまり、それらも含め、田中康夫氏をどう判断するのか。現職の政治家は、毎日が選挙運
動である。地方の首長は、4年間選挙運動をやっているようなものであり、それが強みであ
ると同時に毎日見られているということは、悪いこともすべてさらけ出しているということ
でもある。
 したがって、今回災害で選挙運動ができなかった影響はない、と考えるべきであろう。
 事実、災害を受けた諏訪、岡谷では、知事をトップとした災害支援の対応が悪ければ、田
中氏の票が上回るようなことはなかったと思う。

 さて、敗因だが、リーダー(知事)として、組織の長として相応しい人物かどうか、とい
うところが争点になったからだと思う。
 私は、田中康夫氏が示す方向性、理念、彼の持つ勘性、情報力は人並み以上だと思うし、
すごい。さらに、政治家として、必要な庶民感覚を持ち合わせている。
 それから、人がいうほど悪人でもなく、純粋さも持っていると思う。
 いろいろ言われても、こんな時代彼のような感覚で引っ張っていっていいと考えていた。
それが支持の気持ちである。

 ところが、県民はそれを選ばなかった。泰阜村でさえ、4割は、村井氏に投票している。
 ただし、田中氏のような個性派は、感覚的にダメ、という人もいるし、もともと反田中と
いう人もいる。その皆さんは、ほとんど投票所へ足を運んだ。田中でいいじゃん、という人
が、どうしても田中でなければ、ということで投票所へ行ったのか、というと行っていない、
ということもあると思うが。

 それらを総合しても、組織の長、としてどうか。
 県職員からあんなに反感を受けるようでは問題。市町村の問題まで口をはさむ、市町村の
権限を無視している。こういった声は、ボディブローのように効いたことと思う。
 また、社会的な閉塞感もあり、どこかへ不満をぶつけたい、建設業の仕事が減ったのも田
中が悪い、田中が代われば、明るい時代がくるという雰囲気もあったのだろうか。

 私もこの13日から4期目が始まる。もう12年間も、村長をやってきた、つまり田中氏
より6年も前から、そして4年も長く、合計10年長く村長をやることになる。
 就任当初、あちこちと対立した。議会との対立もけっこう長引いた。それでも、ここまで
きたのは、一つには「運」である。次は、自分の思い通り(自分のためでなく村民のために)
に施策を実行し、それで評価してくれなければ辞めればいいという、諦観をもったことであ
る。
 でも、この二つは、田中氏も持ち合わせていたと思う。
 もう一つ、私にあったのは、馬鹿になれる、という資質である(と自分で思っている)。
 ようするに、抜けているのである。
 田中氏は、庶民感覚を持っていた。私は、庶民受けをしたと思う。

 課題山積の県政、郵政民営化に反対した村井仁新知事には、大いに期待している。
 田中氏落選で「泰阜村」は、大変ですね、という声も聞こえてくる。大変かもしれない。
しかし、泰阜村を県がみてくれるのではない。私は、泰阜村長として淡々と村民のために行
政を推進するだけである。
 それと、これで、静かな時期が訪れると思う。まさに、原点に返り、在宅福祉に取組み、
今度は村民が脚光を浴びるような村政運営のスタートを切れると思う。田中康夫的な発想も、
十分取り入れながら。

 田中康夫氏もこの結果を冷静に受け止めていると思う。私利私欲なく長野県に尽くしたつ
もりが、県民からノーと言われれば、静かに去るぐらいの覚悟はいつも持ち合わせていたは
ず。
 田中氏の知事として仕事の評価は、また10年後くらいに話題に上る時代が来るような気
がする。
引用なし
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最近世論操作がうまくなって来てますからねぇ
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 ねこかぶり  - 06/8/26(土) 3:35 -
  
▼戸田さん:
> ある全国紙の長野県版で、今度の選挙結果を「田中知事登場によって県政に関心の高まっ
>た県民が今度は『しなやかに』村井を選択した」というような記事が載っていた。
> その記事では、ある「普通の主婦」が紹介され、前回は初めての政治行動として田中知事
>を支援したが、田中知事の「手法」に疑問が膨らみ、今回は「女性の勝手連的なもの」まで
>作ってそのリーダーとなって村井候補を積極支援した、とされている。
> そして「もしも村井知事がダメだと分かったら落選運動を起こす」とものたまい、記者は
>「民度の上がった長野県民はこういうふうに『しなやかに』知事を選択するようになった」、
>と持ち上げていた。

白黒分ける「かっこいい」雰囲気で政治家を決めて、中身を見ようとしないのが最近の
世の中‥ワンフレーズポリティクスの小泉メソッドが席巻してますな。
頭が痛いです。政治とは泥臭いもの。
ま、この手の方はあの知事が悪かったんだということを声高に叫ぶだけで、自分が
投票したから悪いと自省しない方ですので‥政治に参加している気持ちになっている
けど投票が何を生むか理解してないのでしょうよ。つまり、自分が投票した政治家が
当選ので投票したことに充実感を覚えて自分が世の中を変えた気分になっているけど、
政治家を選ぶという根本的なプロセスを忘れているのですよ。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

◆「ペログリ日記」に見る田中氏の天才性と現在的な一部の限界性
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/30(水) 15:24 -
  
 田中康夫氏が自分の個人的交際や社会的活動を公表した「東京ペログリ日記」という
ものが、かつては「噂の真相」に連載され、同誌の廃刊以降は雑誌「SPA!」に連載されて
いる。
 雑誌「SPA!」の掲載分は、「田中康夫の東京ペログリ日記」
http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/index.php で読むことが出来る。

 今回の長野行きで新党日本の事務所で、この「東京ペログリ日記」の最初の1994年1月から
2005年9月末までを5巻にまとめた「大全集」があったので大喜びで買って、この間それを5巻
から3巻途中まで読んできた。
 議員になった戸田にとって田中康夫氏の長野県改革闘争に興味はあったが、同日記をまとめ
て読むことがこれまでなかったので(雑誌連載の字が小さくて読みにくいこともあった)、
知事選挙後に田中氏の軌跡に興味が湧いて読み出した次第だが、読めば読むほど、田中康夫の
八面六臂の天才性、猛烈な仕事ぶりと、前人未踏の激しい知事職をこなしながらそれを逐一文
書化して公表する頭脳・気力・体力の「凄さ」にはつくづく感服する。

 有り体に分かり易く言うならば、戸田がやっている活動の量と内容などは田中康夫の100分の
1、200分の1程度のものにしかなっていないと痛感させられる。
 それほど田中康夫氏の活動は多岐に渡って常人とはかけ離れている。いろんな意味で「他の
人がついていけない」のもむべなるかな。
 
 詳しくはぜひ同日記を精読してもらう他ないが、こういう能力のある知事、とりわけこうい
う事を毎週公表出来る知事は、日本ではもう2度と現れないだろうなと思う。
 仮にもう一度長野県民から頼まれたとしても、彼は2度と知事を引き受けようとはしない
だろう。そういう意味ではつくづく長野県民はもったいないことをしてくれた。
 
 「ペログリ日記」では、いろんな事象や人物に対する田中康夫氏の判断や好き嫌いがかな
り(皮肉や暗喩も多用しつつも)率直に吐露されていて、その中には「へーっ?!」と感じ
る意外な部分も含まれている。
 
 後半の半分くらいを読んだ限りでは、田中氏の現在の価値観に決定的な影響を与えたのが
大震災の救援活動に連動した神戸空港への反対運動および住民投票運動の体験だと思う。
 著名人・文化人・左翼・市民運動とその運動家・労働組合・政党・各種議員などへの評価
やスタンスがこの体験で決まってしまったように思える。
 特に「左翼」としての政治勢力や労働組合・労働運動・市民運動に対する批判的姿勢やあ
る種の冷淡さがその時の「出会い体験」に規定されたように思う。
 
 田中康夫氏にとって連帯ユニオンのような戦闘的左派(現在的には少数)労働運動の存在
はおそらく目に入っていない。(連帯ユニオンなどの側でも、例えば神戸空港住民投票運動の
時にも田中康夫氏と共闘する機会やそのゆとりはなかったようだからお互い様とも言える
が・・・)
 田中氏にとっては労働運動や労働組合とはほとんど公務員労組と「連合」の民間大企業労
組のことで、「既得権擁護のための非改革的組織」でしかなかったのだろう。
 だから、トヨタが膨大な利益を労働者には配分せずに投資や研究費に回すことについて批判
的な記述はしていない。そういった点は、トヨタという企業のあり方を強く批判する佐高信氏
や斉藤貴男氏などの「左派」とは全然違っている。

 生産関係に関わる階級性や労働者階級の闘争力結集の観点抜きに「自覚せる諸個人の自由
な連合」による社会変革を構想する立場からなのか、田中県政には小泉エセ改革を打破する
先進的労働行政の実施という面は極めて弱かったのではないかと思う。
 例えば公共工事における工事品質や労働・雇用条件の向上を促すための規制、派遣労働や
請負労働に対する労働者保護のための規制、不正通報の誘導政策、各種の不当ダンピングに
対する規制、中小企業に対する大企業の横暴を防ぐ政策などである。
 運転労働者の生活破壊が問題になっているタクシー行政についても、県行政として何か先
進的なことがなされたようには聞いていない。

 ここらへんを、戸田としては田中氏の「現在的な一部の限界性」と述べておきたい。
 もちろんこの評価は「左翼」の立場からの評価だから田中康夫氏にとってはきっと大きな
お世話だろうが。
 当然これは田中氏側だけの問題ではなく、民衆主体の社会変革を目指す「まっとうな労働
運動勢力」がそれなりの勢力として長野県に存在しているかどうか、存在するとしても積極
的に田中知事に政策提言や要求をできたかどうかの問題でもある。

 何百万規模の労働者の激しい闘争で悪法を撤回させたフランスや、左派大統領政権を誕生
させた中南米諸国、反米民族統一民主化闘争を進める韓国などにも連なる政治改革をどのよ
うに作っていくか、ということを改革派首長の側も住民・労働者の側も、念頭に置くように
していくべきだろうと、戸田としては思っている。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)@NWTfb-08p2-215.ppp11.odn.ad.jp>

Re:戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観
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  E-MAILWEB  - 06/8/31(木) 0:41 -
  
初めまして。楽天日記のうるとびーずさんの所から来ました。

長野知事選での田中さんの落選というものを、整合的な解釈で理解したいとずっと思っていました。いくつかの解釈を考えていたのですが、それでもまだすっきりしないところを感じていたところに、この文章を見て、かなりの部分ですっきりした気分を味わっています。

似たようなことを考えていただけに、それを実にふさわしい表現で語ってもらっていると感じています。この文章に触発されて

  「政治は大衆運動だろうか?」
   http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50729788.html

なる文章も書いてみました。ここは他にも触発される文章が多い楽しいページだと感じています。これからもちょくちょく訪問させていただきたいと思っています。よろしくお願いします。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@219-105-97-126.adachi.ne.jp>

長野県の「うるとびーず」さんからの感慨深いメールを紹介します
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/31(木) 16:25 -
  
 8/27に以下のメールがきました。実名部分だけちょっと変えてご本人了解で紹介します。
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 戸田さま、初めてメールを差し上げます。○○市に住んでおります「うるとびーず」と申
します。2000年から田中知事を応援していて、今回の知事選では田中知事の近くで選挙に参
加しておりました。
 今朝、色平哲郎先生より戸田さまの掲示板を教えていただき、さっそく拝見させていただ
きました。

「戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観」というスレッ
ドです。そこを読んで驚きました。
 今回の選挙の意味をきちんと理解して下さっている方がいる。それを知ってとてもうれし
くなりました。

 そして戸田さまのホームページへ飛んでまたビックリ。以前、何かの折りにこのHPを見
たことがあったのと、戸田さまと今回の選挙でお会いしていることがわかったからです。
 たぶん伊那市民会館だったのではないかと思うのですが、会場の外で田中知事を待ってい
た時にお会いしたのです。
 お互いに名前を紹介したわけでもなく、ただ会釈をしたのみだったので戸田さまが覚えて
いらっしゃるかどうかわかりませんが、私は戸田さまのおひげが印象的だったのですぐに思
い出せました。ああ、あの時の方が戸田さまだったのだ、と。(*^_^*)

 私は今回、田中知事の選挙カーに同乗していました。もともと佐久市の勝手連「コモンズ
佐久」を立ち上げていたのですが、今回、豪雨災害で田中知事の乗らない遊説カーを出すこ
とになり、そこで急遽ウグイス(素人ですが)として参加させていただきました。
 戸田さまもご存知の通り田中知事はウグイスを使わないのですが、田中知事が乗ってから
もそのまま選挙スタッフのひとりとして、選挙カーに乗せていただいていたのです。
 なので、戸田さまが書いていらっしゃるようなことを、私は田中知事の隣(正確には斜め
後ろの席でしたが(笑))でひしひしと実感していました。
 
 支援してくださる県民の方からもそういう想いを受け取っていました。
 田中知事は県民ひとり一人と共にある、そして県民ひとり一人がこの県政を支えているん
だと信じられたんです。だから今回の結果には愕然としてしまいました。

> それで敗けるならばそれも天命、
> 現在の民度はそこまでのものと達観もした、

 私にはこの覚悟がなかったから、というか、県民の志を信じていたから、負けるなんて考え
てもいなかったというのが本音です。
 そういうことだと頭では理解しようとしても本当に悔しくて悲しくて残念でなりませんで
した。先週までいわゆる「燃え尽き症候群」状態で、かなり精神的に不安定でした。

 でも25日の知事会見に行っていきなり吹っ切れました。
 残念なことに代わりはないけれど、田中康夫は新たなステージに進むのだと思ったから、
私もそれを追いかけることをやめるわけではないのだと自分自身がしっかり確認したから、
また楽しくなってきたところです。

 ところで戸田さまの掲示板を他にも拝見していたら、後藤都議や草島市議など、懐かしい
お名前がいっぱいあって、選挙中のことが思い出されてきました。
 私には最高の選挙でした。本当に田中康夫の想いを貫いた選挙だったから。
 そんな選挙に参加できたことは私の一生の宝物です。

 私に関してはHPをごらんいただければおわかりいただけると思います。
 田中知事追っかけとしてはかなり古い存在なんですよ。(笑)
 あ、それから今日の日記に戸田さまの掲示板を転載してしまいました。
 事後報告ですみません。もしよろしければそちらにコメントをお寄せ下さい。

「うるとびーずの♪MY LIFE AS AN OKKAKE♪」
    http://plaza.rakuten.co.jp/3georges/
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「うるとびーず」さんのブログ、アクセスも多いし内容も高いですね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)@NWTfb-08p2-215.ppp11.odn.ad.jp>

◎秀さん、こちらこそよろしく。全文紹介させてもらいます
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/8/31(木) 17:03 -
  
 秀さん、書き込みありがとう。こちらこそよろしく。秀さんの文章、なかなか含蓄が深い
のでここに全文紹介させてもらいます。
      http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50729788.html
 ただ、左翼活動家たる戸田としては、「超階級的な立場」は採りませんし、大衆の動員や熱
狂は民衆の自覚と自負、「勝利の体験」を育て、民衆主体の社会変革を実現するためには不可
欠なものと捉えています。行きすぎてファナチックに走らないようにすることは大事ですが。
 そういう戸田の観点からすると、「冷静沈着な自由個人の連合による選挙」という理想を少
し薄めて勝利する戦術を活用すべきだった、それによる勝利の方が幅広い民衆の(そしてそ
れと対峙する権力者側も)認識を前進させたはずだ、と思います。

 しかし、それを田中康夫氏に強制することは誰にもできないのも事実です。
 田中流理想選挙の枠は崩さず、田中氏の関知しない所でゲリラ的勝手連部隊が別途有効な
集票戦術を行使する手は・・・・、やはり無理な話かな?

 それでは、秀さんの文章です。
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2006年08月31日 政治は大衆運動だろうか?
 「政治は大衆運動だろうか?」などと疑問文で書いたりすると、それは「そうではない」と
いうような答を暗に主張しているようなものだ。こんなことを考え始めたのは、うるとびーず
さんの「田中流選挙」という日記で紹介されていた、「戸田の分析:あえて勝利第1主義を採
らなかった田中流選挙の美学と達観」という文章を見たからだ。

 長野県知事選で田中康夫さんが落選したとき、僕は、政治的な主張としては田中さんの方が
正しいだろうと感じていた。その田中さんが選ばれなかったのは、長野県民は選択において間
違いをしたのではないかと思った。
 しかし、たとえそれが間違った選択であろうとも、現実にそのような選択がなされた以上、
これが現実化したことの合理的な理由が求められるはずだと思っていた。何故に田中さんは知
事選に敗れたのか。それを合理的に納得したいと思った。

 直接の敗因は、かつて田中さんを支持した人たちが今度は対立候補の支持に回ったので、結
果的に票を失ったというものだった。そこでは、信濃毎日を始めとするマスコミなどの攻撃が、
田中さんに対する誤ったイメージを植え付けるのに成功したと言うことも語られていた。
 このことは、バックラッシュ現象の一つではないかと僕は解釈して、その方向で選挙結果を
理解しようとした。

 それに対しては、田中さん自身の行動も、人に分かりやすいものではなく、誤解を招くもの
がたくさんあったのだから田中さん自身にも責任があるという意見もあった。
 それは、そう言う面もあっただろうと思う。しかし、誤解をしたということは、全て田中さ
んに責任が帰するものではなく、それを理解しきれなかった人々の方も半分の責任を負わなけ
ればならないだろう。

 僕は、むしろあえて理解が難しい振る舞いを田中さんはしたのではないかということも頭に
浮かんできた。田中さんは、マル激のゲストで出たときに、自分を通じて長野県民は一緒に成
長していって欲しいというようなことを語っていた。いつも分かりやすいことを言っていると、
人はなかなか自分の頭で考えなくなる。だから、あえてわかりにくいことを言って、自分の頭
で考えるようにし向けたと言うこともあるのではないかと思った。

 そうしたら大阪・門真市議の戸田ひさよしさんが、僕が感じていたことを実に適切に説明し
てくれる文章を書いていた。このような解釈も出来るのだなと思って、田中さんの政治は、大
衆動員を手段とした大衆運動ではなかったのだと思った。それはむしろ、民主主義の学校とい
うような、教育的な面を強く持っていた政治だったのだと思った。

戸田さんは次のように書いている。

「しかし戸田の見るところ、田中知事であればちょっと選挙戦術に工夫をすれば8万票程度の
差は楽に逆転することができた。著名人を呼んで話題づくりと街頭大宣伝をし、辻元清美や市
民の党型の「全国ボランティア大結集選挙」を展開すれば、絶対に勝てたはずである。」

 これは負け惜しみではなく正しいのではないかと僕も思う。
 選挙を大衆動員を目的にして戦えば、田中さんの知名度は非常に強力な武器になると思う。
 しかし、田中さんは大衆動員に有効な作戦というものを全くしなかったようだ。これも戸
田さんによれば、田中さんの選挙運動は次のようなものだったようだ。

「しかし田中知事は、あくまで「著名人田中康夫」ではなく「知事田中康夫」の実績判断を市
井の人々に委ね、その人々の見識と自発的な動きに期待する「田中流理想選挙運動」、田中知
事の言葉によれば「ウルトラ無党派」型選挙運動を頑強に堅持した。
 全国ボランティア・市民派の結集を呼びかけず、どちらかと言えば自粛姿勢を取り、街頭動
員もほとんどせず、候補者カーでは自分1人だけがマイクを握り続け、おまけに豪雨災害対策
でまともな選挙活動は全期間の後半分しかしなかった。」

 エリック・ホッファーは『大衆運動』(紀伊國屋書店)という本で、大衆運動というものを
熱狂的な狂信的な人々の行動と重ねて分析している。
 大衆を動員するのに、最も有効で強力な要素は、「狂信」という性質だという。人々の中に
「狂信」を呼び起こせば、ほとんど全ての大衆運動は成功し勝利する。それは、大衆動員にお
いてもっとも多くの人を集めることに成功する。そして、それは民主主義の時代においては、
全ての闘争に勝利を約束することになる。

 田中さんの知名度を利用し、人々の中に「狂信」の気持ちを呼び覚ますような演出効果のあ
る集会をすれば、選挙に勝つことは十分可能だったのではないかと思う。しかし田中さんはそ
のような道を取らなかった。
 そのような方法を利用してきたのは、むしろ対立する陣営だったのではないかと思う。田中
さんに対するネガティブ・キャンペーンを繰り返したのは、人々の間に「狂信」的な怒りや不
信を呼び起こすことになっただろう。

 田中さんはそのような大衆運動的な方法を使わなかった。それは、政治は大衆運動ではない
ということが基本にあったからではないだろうか。

 大衆運動というのは、それだけで否定されるべきものではない。それもある条件下では正し
い行動であり価値あるものになる。しかし、その基本は、その運動をする人々の利益こそが大
衆運動では目的になるということを忘れてはならない。その利益主張が正当なら、大衆運動で
利益を求めることも正当なことになる。

 しかし、政治というのは、ある特定の立場に立つ人の利益のために行うものではない。
 様々な立場に立つ人の利害を調整して、ある意味では手打ちをすることが政治の本質ではな
いかと思う。そして、様々な立場の中には、まだ生まれていない未来の子どもたちの立場も含
んで配慮するのが本当の政治だろうと思う。

 政治というのは公的な立場で行うものであり、特定の立場に立った私的な行為は政治として
は間違っている。だから、政治は大衆運動的にやってはいけないというのは、政治の公共性か
ら論理的に導かれることではないかと思う。それが戸田さんが、「見識と自発的な動きに期待
する「田中流理想選挙運動」」というものではないかと思う。

『子どもは判ってくれない』という本で内田樹さんは、「公」というものについて目から鱗と
でも言いたいようなことを書いている。それは、

「「国益」とか「公益」を規定することが困難なのは、自分に反対する人、敵対する人であっ
ても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない
という義務を私たちが負っているからである。
 反対者や敵対者を含めて集団を代表すると言うこと、それが「公人」の仕事であって、反対
者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれ
ほど規模の大きな集団を率いていても「私人」に過ぎない。」

というものだ。
 前回の選挙で田中さんを支持した人は80万人あまりもいたように記憶している。その多く
の人は田中さんに大きな期待を寄せたことだろう。中には、田中さんが自分たちに「私的」な
利益ももたらしてくれると期待した人もいたかもしれない。
 しかし、田中さんが「公人」である限りにおいては、特定の立場の人の利益になることでは
なく、どの立場の人にとっても結果的には利益になるような道を選択していくことになるだろ
う。それは、一時的には不利益を被る人が出てくるとしても、長いスパンで未来を見渡せば、
何らかの利益が県民全体に渡るようになるような判断で政策が選ばれていたに違いない。

 その判断が間違えているという批判は、田中さんが大いに望むところだっただろう。もっと
有効な道があるという議論だったら、それは長野県全体の利益になることだから、政治の公共
性からいえばいいことだと判断出来るだろう。
 しかし、田中さんの政治が、なかなか個人的な利益につながらないとか、むしろ自分は損を
しているということで政治を選択するとしたら、それは民主主義の時代の判断としては間違い
ではないだろうか。

 政治を私的な利益と結びつけて判断するのではなく、公的な利益と結びつけて判断して選挙
をして欲しいというのが田中さんの願いだったのではないだろうか。だから、選挙の結果自体
は、田中さんはこれからの長野県民の動向とともに考える材料として受け取っているのではな
いかと思う。

 田中さんの代わりに選ばれた新知事が、田中さん以上に、公的な利益を考えて政治を進めて
いくなら、長野県民の成熟した正しい判断を讃えればいいことになる。だが、一部の利権が復
活するようなことが起これば、政治における公共性がまだ十分理解されていないものとして反
省の材料にしなければならない。

 私益による大衆動員は、公益による大衆動員よりも効果がある。だが、多数派がいつも自分
たちの私益を優先させる政治を行えば、それは健全な民主主義政治ではなくなる。たとえ自分
と反対の立場であっても、その反対の立場が毛嫌いしたいものであっても、その立場に立つ人
の公的な利益が侵されようとしているときは、断固として公益を守ることを優先させることが、
本来の意味での「市民」であると内田さんは語っている。

 「市民」というのは、健全な民主主義を支える人々のことを指す。
 政治的に成熟するというのは、どれだけ多くの「市民」が生まれるかと言うことでもある。
 長野県は、田中県政の6年間で多くの「市民」が生まれたのではないかと思う。
 それこそが田中県政のもっとも大きな遺産ではないだろうか。

 長野県政が、もしもかつての利権を復活させようとしても、成熟した「市民」がその私益の
追求を許さないだろう。大衆運動でない選挙を経験した人たちは、さらに「市民」としての意
識を高めたのではないかと思う。田中さんの選挙のもう一つの解釈を、僕はそんな風に考えた。
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引用なし
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