「自由・論争」 掲示板

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●ここのルールを守らない荒らし的文句付け屋に対しては、「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているのか」等を問い質し、悪質な者には断固たる処置を取り無慈悲にその個人責任を追及していく。
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スーザンジョージの「オルターグロバリゼーション」について 徳永基二 08/8/22(金) 0:51
その本は読んでないのですが ねこかぶり 08/8/22(金) 19:05
いちいち拍子抜けする答え方しますね(笑) 徳永基二 08/8/22(金) 21:49
大塚英志+東浩紀「リアルの行方」 徳永基二 08/8/23(土) 0:25
自己レス 徳永基二 08/8/23(土) 10:27
おおあさっぱな微分方程式の結果 ねこかぶり 08/9/7(日) 4:27
まぁ、ベクトルも似たようなものですから ねこかぶり 08/8/30(土) 21:49
Re:まぁ、ベクトルも似たようなものですから 徳永基二 08/8/31(日) 9:08
銀行の利子による相殺とは... 徳永基二 08/8/31(日) 10:02
毛利嘉孝『はじめてのDiY』について YUKI 08/8/24(日) 18:40
アナキズムについて 徳永基二 08/8/24(日) 23:33
Re:アナキズムについて(自己レス) 徳永基二 08/8/25(月) 0:47
Re:アナキズムについて YUKI 08/8/25(月) 1:21
質問;アナキズムとリバタリアニズムの違いについて YUKI 08/8/28(木) 12:56
Re:質問;アナキズムとリバタリアニズムの違いについて 徳永基二 08/8/30(土) 1:31
そろそろケインズ主義の時代 ねこかぶり 08/9/24(水) 0:13
久しぶりです 徳永基二 08/9/26(金) 1:45
ほんとお久しぶりです。 ねこかぶり 08/9/27(土) 14:23
直接給付大賛成。但しもっと大々的にやるべし。 徳永基二 08/10/31(金) 8:36
直接給付は奪われてきたカネの一部奪回だ!大いにやらせ、自公は政権から追放すべし! 戸田 08/10/31(金) 11:23
カネのばらまきは有権者買収? 徳永基二 08/11/1(土) 3:17
財源なら消費税に頼らなくても他にある 徳永基二 08/11/1(土) 3:32
個人的にはありがたいが ねこかぶり 08/10/31(金) 22:57
Re:ブラック・サンデーは金融恐慌の始まり 杉本 一平 08/9/26(金) 11:23

スーザンジョージの「オルターグロバリゼーション」について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/22(金) 0:51 -
  
徳永です。パソコンが使えなかった期間、ずっとこの人の本ばかり読んでいたので
若干感想を。

この人の考え方と私の考え方はよく似ているのですけど、
(特に資本主義に対する考え方はそっくり)
若干気になったは次の点です。

1960年代から1980年代まで所謂サッチャーレーガン政権の経済政策が現れるまでのヨーロッパはばら色だったのか?

ケィンズ政策はそんなにもすばらしい政策なのか?


貧富の差が激しく暴君が支配する第三世界においてNPOやNGOは現地の民主主義を育てるために何が出来るのか、また何をすべきか。現地民の自主性にどこまで任すべきか

現地に民主主義を育てるための武器として債務は使うべきなのか?

この辺のものの言い方や考え方にはどうも違和感を感じます。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

その本は読んでないのですが
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 ねこかぶり  - 08/8/22(金) 19:05 -
  
▼徳永基二さん:
>1960年代から1980年代まで所謂サッチャーレーガン政権の経済政策が現れるまでの
>ヨーロッパはばら色だったのか?

ばら色とは言わないが、マシな社会だったのでは?

>ケィンズ政策はそんなにもすばらしい政策なのか?

ベストな選択とは思いませんが、私の思いつく限りベターな選択と

>貧富の差が激しく暴君が支配する第三世界においてNPOやNGOは現地の民主主義を育てるために
>何が出来るのか、また何をすべきか。現地民の自主性にどこまで任すべきか

無力ともいえます。

>現地に民主主義を育てるための武器として債務は使うべきなのか?

場合によるでしょう。
返済不能の場合は返済可能な額に減額することにより民主化は促進できるのでは?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

いちいち拍子抜けする答え方しますね(笑)
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/22(金) 21:49 -
  
「ヨーロッパは」、と書いたのは彼女の考え方をあまりに限定化しすぎていました。

実際言ってることは

「構造調整の行われた全時期を通じて、その出発点から、成長率はとてつもない下落を見たのです。私が把握している数字によると、ラテンアメリカの場合、1960年から80年まで、プラス75パーセントの成長、1980年から98年まで、プラス6パーセントの成長です。サハラ以南のアフリカの場合、最初の時期は86パーセントの成長、第二期はマイナス6パーセントの成長。アジアの場合は、前期・後期とも同じです。」「徹底討論 グローバリゼーション 賛成/反対」

「過去20年にわたって、地球や地球に住む私たちの状況は悲劇的なまでに悪化している。本書は次の第二章で環境問題を扱うことにしよう。この二〇年間は大雑把に言えば、グローバリゼーションの加速と拡大の年月だったと言うことが出来る。ワシントンにある「経済および政策研究センター」の調査が立証したところによると、世界中どこでもそうだが、経済成長と発展は1960年から80年までのほうが、1980年から2000年までの二〇年間よりもはるかに進んだのである。この調査は二つの時期を比べ、80年から2000年までの20年間に、世界中のすべての地域で平均成長率が悲劇的に低くなったことを明らかにした。例外はアジアである。アジアの経済成長は両時期ともほぼ同水準だった。」


自分がこの発言に対して言いたいことは、データーそのものを疑うわけではないが、しかし、グローバリゼーションを批判するためにそれ以前を悪戯に美化していないか。例えば彼女が例としてあげている環境破壊は彼女が美化している1960年代から80年代に正しく発生していたのでないのか。


この言い方だと経済成長万歳と言ってるように聞こえる。オルターナティブな経済政策を考案しなければならない時に、それ以前を美化しすぎるのはどうなのか。


「お金の管理の仕方・使い方」
「金融取引や企業の合併・買収、工業による環境汚染への国際的な課税が実施されたとしよう。第三世界の負債を免除することが承認され、新たな基金が成立されたとしよう。それで終わりなのか。勿論そうではない。話はまだ半分にも達していない。新しい基金は国際的に管理されるべきである。おそらく最良の方法は国連の専門機関から選ばれた委員とメンバーの固定しない監査の団体からなる、小型国連とでもいったものを創設することである。監査の役割は重要であり、恒常的に欠かせない。特別な指名を帯びたそのメンバーに関係国の関係者を含めてはならない。そして代表人事をローテーションを行ってゆくとしたら、世界社会フォーラムの参加者によって選ばれたグリーバルジャスティスの運動の関係者が選ばれることもなるだろう。」

「ではその仕事とは何か?四十年以上にわたる『開発援助』で学べたことは基金を政府に渡しても碌なことがないということだ。私は国民主権には賛成だが愚かさ・腐敗・無駄には反対である。手始めに豊かな国々の国民は新たに出すお金に関していくらかの権利を持っているのであり、そう主張することは新たな新植民地主義ではない。

ある国が最新の開発基金を受け取る場合、新たにお金の使い方に関する決定に拘束力のある委員会をつくるべきだろう。そして市民がこの委員会への代表を選ぶのである。(必要があれば公正さを保つため新しい国連機関が選挙を監視する)社会のさまざまな側面を充分に反映させるためにも代表は地理的な側面と分野的な側面という両方から選ばれるべきである。しかしいくつかの国ではこうした方法が現政権の利権の柱として機能してしまうかもしれない。その土地の支配者が従順な労働組合を持ち、その妻が従順な女性組織を仕切っていたりするからである。この点で私は言い訳などせずに真植民地主義者になろうと思う」「オルターグローバリゼーション宣言」

どうも上からの目線ばかり感ずるのだが、まず、開発資金を”援助する”という発想
(自分の場合、現地において独自通貨を創る)開発資金を自分たちのものが単一のものと考え、”公正さ”を指導し監督してやろうという考え方。民主主義を言いながら現地の声を聞こうとするより支出する側の声にばかり目を向けたものの言い方。

だが、わざわざ、スーザンジョージを取り上げているのは彼女の意見には賛同できる要素も多いからだ。例えば次のような複数の案を彼女は提案もしている。

ブラジルの都市ポルトアレグレで行われている参加型予算

クリストヴァン・バーグの提案する最高三人まで子供に一人頭、奨学金五ドルを払い
学校に行かせる(85パーセント以上授業に出席しなければならない)という案

ヘルナンデソトの主張する貧民の掘っ立て小屋にも正当な財産権を認めようという提案(日本だとダンボールで出来たバリケードにも財産権を認めると言う感じか)

小規模資本主義、所謂グラミン銀行案(地域通貨の考え方はこの案と下の銀行の協同組合管理の考えが合わさった時、出てくる)

企業を昔のように許認可性にして公共に反する企業から許認可を取り上げようという案(日本にはこの許認可権があるが、役所は強い資本と癒着しているので大企業ほど緩やかな規制となる。)


全ての銀行を協同組合の管理化におこうという案(これは元々、プルードンの人民銀行案そのものだ。)

全ての人の給料をある一定の期間の後は有効でない時限的な貨幣にしようと言う案
(これこそ自分が始終言ってる減価償却マネーの案だ。)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

大塚英志+東浩紀「リアルの行方」
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/23(土) 0:25 -
  
ぜんぜん、ここまでの話と関係ないじゃないかと思われるかもしれませんけど
私にとってはスーザンジョージの話をするのもおたく論の話をするのもベクトル
的には同じです。

岡田斗司夫によっておたくは死んだことにされたのかと思えば、この二人の中では
まだ、おたくというのはリアルなんですね。

しかし、大塚英志はなぜいつも東とばかり話をしてるのでしょう。
大塚氏の志向性から考えれば東なんかより本田透と話をしたほうがよっぽど
生産的な話が出来うるのに。


昔、本上まもるという論者が「<ポストモダン>とはなんであったか」の中で
柄谷行人と東浩紀のことを次のように評していますが

「柄谷には美学がない。彼はその初期から情熱的恋愛に極めて警戒的あるいは批判的なのだ。美と恋愛それはいうもでもなく言いがたい魅力を放つ欲望の対象であり、ラカン派の言葉で言うなら「対象a」や「転移」の問題である。柄谷は初期から過剰にこの「対象a」について語ることを避けている。彼の思考は抽象化と引き換えに暴力と転移の問題が排除されてしまった。」


「東自身が著書で明らかなようにデリダ的幽霊は過去の記憶、それもほとんど表彰不可能なまでに甚大で過酷な暴力の記憶が担わされている。それは一端抑圧され隠蔽されるが、完全に隠蔽不可能で抑圧されたものは必ず回帰してくるのだ。

東の一連のポップカルチャー論ではそうした暴力と来歴問題がすっかり消えうせている。デリダ論の東とポップカルチャー論の東がどうもつながってこない。」

なんというか東と柄谷は似たもの師弟で。

「大塚 赤木君の体現しているルサンチマンはもっとも統治しやすい大衆の典型だよね。だから左右問わずそれこそ「階級」を維持したい人には使いやすい。じゃあそれを「悪いこと」と考えるのならその赤木君的なものをガス抜きしてゆく具体的処方箋はどうなの?

東 それは僕でなく統治者が考えるべき問題ですがざっといえば経済的問題と心理的な問題に分かれるでしょう。赤木さんは本の中で「とにかく食えないんだ」と言ってるそういう問題は解決できる。むしろ厄介なのは心理的問題です。どうも今は心の問題と経済の問題をごっちゃにした論が多い。僕は心理問題は心理的に解決すべきだと
思うのです。「規範的な家族意識や人生設計」といった高度経済成長期に日本が作り上げたシステムがまだ亡霊のように生きていてそれが若者たちに強迫観念的に縛り上げているという構造


大塚 でもそれだとさっきのリサンチマンと同様、経営する側の論理とすごく整合性が出てしまう。

東 格差肯定に聞こえるかもしれません。でもみな正社員に戻るべきだという幻想も違うと思います。富の格差が問題であれば正社員どうのこうのという前に、グローバルな極端な格差が大量にあるわけです。ところが今の日本の格差論は正社員と派遣の間にどれだけ格差があるのかと、どうしてこうも視野が狭いのか。

大塚 ここまでの東くんの話で違和感があったのは戦後民主主義に全てを帰結さすとこだけど。

東 僕は戦後は否定すべきだと言ってるのでなくそれでいいと言ってるのですが。

大塚 否定か肯定かの問題でなく、こういう状況をもたらしたのが戦後と言う枠組みなのかそれ以前なのか整理をきちんとしないと東君の立場は保守論壇にすごく利用されやすい。

東 どうなんでしょう誤読はつきものですから。

大塚 誤読されることは必ずしも誤読する側の問題でないような気がするけど、先ほどのネットは情報発信の民主化ということへの評価の是非は置いといたとしても、パブリックなものが不可能になってしまったのが戦後の社会の性なのかあるいはもっと根本的な原因があるのかと言うところで議論が違ってくると思うんだけど

東 それについてはいろいろな説明が可能でしょう。まずは今では、人々がニュースを見ても、すぐにコミュニケーションのネタにしてルサンチマンを晴らしてそれで終わりみたいな状況がある。しかもそのルサンチマンのネットワークがいとも簡単にマスコミにコントロールされている。滑稽な状態です。そんな現実はむかしからあったとも言えるし、戦後日本がアメリカによって骨抜きにされたからと言ってもいいかもしれないし、情報技術のせいだとも、ポストモダン化だと言ってもいいかもしれない。すべてそれぞれ真実で説明の方法によって違った側面に焦点が当たる。

大塚 そういう風にいろんな説明が可能だと相対化する作法を示すことで立論しないでスルーするのをやめようよ。

(中略)
東 ただ社会はみんなで運営しなくてもいいわけですよ。みんなが稼がなくてもいい。重要なのは富の再配分です。別の言い方をすれ僕はあるレベルでは絶望しているわけで、みんなで日本と言う国を良くしようというというのはもう無理なので、どうやって富を再配分するのかどうやって、心理的ガス抜きをするのかそういうことを考えたいと思っている。

大塚 でも富を再配分するには結局は国家なり社会なり会社なりといったシステムを使ってゆくしないわけだし、

東 もっと洗練されたシステムは作れると思います。それは国家でもNGOでもいいけど。ある種の公共体を運営するシステムをどうやって作るのかと言う問題ですかいろいろなやり方があるはずです。

大塚 そうした時、東浩紀のポジションはどこのあるの?国家なんて特定の人間が洗練されたシステムの中で運営していればいい、残りの人間は考える必要はないと言った時、東は考える側にいるの、それとも運営する側、それとも傍観者?

東 傍観者です。官僚とも政治家とも違うし

大塚 う...ん、それで批評家としての仕事は成立するの?

東 成立しないかもしれない

大塚 じゃあ、なぜ批評家をやっているの?
君はよくメタって言葉を使うじゃない。世代論にして良いのかわからないけど、メタ的場所っていうのは君たちの世代の批評家があるいはものを書く人が好んで使うポジショニングだよね。つまり当事者ならず、自由な場所を設けておく。だから最初に言った空気を読んで先へ先へ回ってゆくと言うのも常に情報を相対化させるようなどこか未知の楽なポジションを探してゆくそういうゲームをしているような気がして

東 僕はそう思いません。僕が言っているのはむしろ了解可能性の拡大を大切にしたいと言うことです。例えば日本の左翼が2000年頃からなぜ急速に影響力を失ったかというとリベラルな人たちはリベラルでないことを大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルはみんながリベラルになることを望んでいる。例えば在日に優しくしようとリベラルはいう。でも世の中には在日を差別する人もいっぱいいる。ではどうするのか。
 ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは左翼は出版メディアを握ってみなが自分のようにリベラルになるべきだと言っている、しかしそれこそが抑圧だということです。そういう意見に対する処方箋はひとつしかない。リベラルでない立場も認めるような「拡張されたリベラル」しか実践的に取りようがない。

大塚 そうなのかな。僕は論理のすり替えがあるような気がする。リベラルと言う言葉は好きじゃないけどでも、僕もリベラル何だと思います。でも今日も君と話しているし、政治的に対立する人間とも話してきたし、特に憲法に関しては前原誠司とも小林よしのりとも話したし。君の言ってるリベラルの拡張っていうのは今僕の言ってることと同じような気がするのだけど

東 それは実践的な現れ方はどう違うのでしょうか?

大塚 異質なものとぶつかり合って第三項が出てくるのじゃなくて同じ集団内で先読みゲームをしているだけのような。

東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば南京虐殺があったという人もなかったと言う人もいる。僕には両方の友達がいるけど、この二人を合わせてもかみ合わないのが目に見えている。なぜなら二人とも伝聞情報に基づいて意見を組み立ているから。当たり前ですけど政治判断は一般的に伝聞情報に基づいて下される。ある事件について本当に何があったか確かめれる人間は常に少数です。それなのに膨大な情報だけネットで簡単に手に入る。左右はその中で自分に都合のいい情報だけ集める。
僕たちがいるのはそういう環境です。ではなぜそうなったのか。それは僕たちのいる世界はあまりに複雑でその中で「政治」はあまりに大雑把に一貫した世界観を当てはめようとするからです。だからさっき言ったみたいに赤木さんの「政治」は単なる実感主義でじつに狭いけど逆に今はそれぐらいだけが誠実な政治といえる。因みに僕は南京虐殺はあったと「思い」ますがそれとて伝聞情報にすぎない。

大塚 南京虐殺があると思うのだったら、知識人である東はなぜそこでスルーするわけ?知識人であるあなたはそのことに対してきちんとしたテキスト解釈や事実配列をしえる地位や教養やバッグボーンを持ってるのじゃないの?

東 そんな能力はありません。自分で調査したわけでないんだし。

大塚 それを言い出したら何もいえなくなる、柳田國男について発言できるのは柳田本人のみになってしまう。歴史学自体が成立しなくなってしまう。資料は全て伝聞だからね。一次資料だって誰かのバイアスが掛かっているだろうし。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

自己レス
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/23(土) 10:27 -
  
自分の意見は既に何度も書いているのであれなんですけど。

猫かぶりさん辺りがなんか書いてくるだろうと
期待してましたが今のところレスがないので自己レスです。

大塚辺りに「君たちの世代」扱いされることが不愉快だからというのも
ありますが。


メタシステムにおいては不寛容な人たちも許容するのかという
設問は民主主義理論の中でも古くて新しい問題ですけど、

一般的な答え方は、個人的に思っているだけなら許容しても
よいと、それが公の空間に出てきた場合には責任ある態度
(公的な空間に相応しい寛容ある態度)を取るべしとなります。


これがもし、「リベラルな人間はリベラルでない」ことなら
それを受け入れましょう。それに本来、リベラルな人間はリベラル
でないとは映画「招かざる客」みたいな態度に対して言われる言葉です。


それに私は高橋哲哉的対応を基本的に支持しているので
で、その対応に対する根拠付けとして、自分はデリダ的脱構築とは
解釈の自由でなく「○○からの自由」だと述べました。
(本上まもる的言い方をすれば、亡霊的次元を含んだ論理だ。)


ただ、東の言ってることは東個人の問題と済ますことは勿論できません。
確かに東の論理は今時の相対主義者の典型的な事例を示してくれているので。

人は確かに何ものにも関わらない自由があります。
(個人的アナキズムと社会的アナキズムの間の長きに渡る論争史があります。)

ですが、人はなにものにも関わらないでいようとしたって国や資本は攻め上ってくる
のでそれに対して防衛しないとなにものにも関わらない自由は満喫できません。
(いわゆるリスク社会論の問題です)

それに対する反応は「選挙に行こう」だけではありません。
選挙とは近代民主主義にとって支配者がみんなに選ばれたことを擬装するための
体の良いメカニズムになっていまして、

そこでは複雑な問題が技と単純な選択肢に還元され、選びたくもない選択肢の二者択一を求められるように出来ているわけです。
それに対してそれ以外の選択肢があると提示するための運動のあり方はまた別にあるわけです。

勿論、デモのマスの論理に辟易すると言う人もいるでしょう。ですが政治的行動は
一人からでも始められ得るということを忘れてはいけません。
(小田実のべ平連はそのことを充分に示したのではなかったか)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

毛利嘉孝『はじめてのDiY』について
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 YUKI E-MAILWEB  - 08/8/24(日) 18:40 -
  
軽い本なので恐縮しますが、毛利嘉孝『はじめてのDiY』(ブルース・インターアクションズ)は、現在進行中の「ある流れ」を描き出しています。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?isbn_cd=9784860202705

この本が表題に掲げる「DiY」というのは、いわゆる日曜大工だけに留まらず、自分で考えて自分で作ること全てと背景にある思想を指します。

思えば、今の社会は、着るものから楽しむものまで全てが資本主義に覆われていて、その中で人と人が繋がりあったり、「生きる」実感そのものさえもが失われているかの様な状況です。
その中で、一人ひとりが自律的に手作りするという「DiY」の思想こそがオルタナティブになり得るのです。

それは、今、様々な場面で進行中で、例えば、サウンドデモであったり、反PSE運動の成功であったり、『素人の乱』であったりするのです。

私は、なぜこの本をここで紹介するのかと言えば、上の議論とも微妙に関係するからです。

私が再三指摘しているように、従来の左翼であれば、誰か超人的なヒーローのもとに団結し、将来の革命に備える、そのヒーローに対しては、大衆は無条件で応援するべきだとのパターンに陥りやすい問題があります。

これを私は拒絶するのは、人間の有限性に注目しているからです。
つまり、有限である筈の人間が完全無欠なヒーローになれる筈が無いのです。
それは、戸田さんであっても同じであり、時に戸田さんのファンは「戸田さんは体を張って戦っているんだから全面的に応援しろ」と言わんばかりであるが、私に言わせれば、戸田さんであっても人間なんだから限界があるし、間違いもするとの前提に立つのです。

したがって、意味を持ちうるのは、個人によるネットワークだと思います。
以下に対して今でも腹立たしく思っているのは上記の理由があるからです。
http://www.hige-toda.com/x/c-board/log/tree_28.htm

これは、私がアナーキズムやリバタリアニズムを嫌う理由でもあり、そもそも有限の存在である人間が、他との関係性なしで生きて行けるのかとの疑問があるからです。
(DiYは運用方法によってはアナーキー的であるが、私はネットワークの側面を重視したいです。)

DiYの世界は、ボトムアップ型の究極の民主主義であり、文化やライフスタイルとも結びつきながら、将来の革命に備えるのではなく、今の身近な問題から何とかするという指向性です。

------------
[日販MARCより]
自分でやってみようという思想「DiY」は、楽しく生きるためのヒント。商品
が支配する世界に従属しないDiYの思想から、DiY的な活動、作り方までを
紹介。気鋭の社会学者によるインディ文化・政治のすすめ。

[BOOKデータベースより]
パンク発レイヴ経由の思想から学ぶ楽しく生きるヒントはDiY!オモロイこと
が起きない時代、自分で作っちゃおう。気鋭の社会学者によるインディ文化・政
治のススメ。

1 DiYの理想ってなんだろう?(「思想」としてのDiY;DiY文化の歴
史―パンクからレイヴへ ほか);
2 踊らされずに踊ろう!(じぶんで作るフリーパーティのススメ;DiYとし
てのDJカルチャー ほか);
3 じぶんたちの空間を作ろう(スクォッティングという実践;路上の文化 ほ
か);
4 お金がなくてもメディアになれる!(フライヤーこそ最大のツールである;
DiY出版を流通させる ほか);
5 DiYの政治を作り出そう!(新しいタイプの政治;全国のフリーターよ、
団結せよ! ほか)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.16) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

アナキズムについて
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/24(日) 23:33 -
  
>私が再三指摘しているように、従来の左翼であれば、誰か超人的なヒーローのもとに団結し、将来の革命に備える、そのヒーローに対しては、大衆は無条件で応援するべきだとのパターンに陥りやすい問題があります。

ここで言ってる左翼って従来のマルキストのイメージですけど(もっとも人間は権威を求めたがるのでこういう関係性はあらゆる場で発生しやすいのが事実です。)


>
>これは、私がアナーキズムやリバタリアニズムを嫌う理由でもあり、そもそも有限の存在である人間が、他との関係性なしで生きて行けるのかとの疑問があるからです。

ここではアナキストに話を振ると、まあ、「アナキズム」という言葉もいろんな人がいろんな形で誹謗を目的として使うのでかなり歪みましたが。(酷い場合には暴走族の標語にまで使われると)

アナキズムとて社会主義者であるわけですから社会関係を重視しているのには変わりないですが。

例えばアナキズムFAQから引用しますが

「 アナキストは反権威主義でありながら、人間には社会性があり、お互いに影響を与え合うものだということを認めている。人間はこの相互影響が持つ「権威」からは逃れることはできない。バクーニンは次のように指摘する。

『この相互影響の廃絶は、死である。我々は、大衆の自由を擁護しているときでも、個人や個人のグループが及ぼす自然な影響力を廃絶しろなどと主張することはない。我々が主張しているのは、人工的・特権的・法的・公式的な影響力を廃絶することなのである。』 」

「直接行動は自由の活用であり、今ここでの抑圧に抵抗するために使われるだけでなく、自由社会を創造する手段でもある。自由が繁栄するために必要な個人のメンタリティと社会的諸条件を創り出すのである。どちらも極めて重要なのである。自由が発展するのは社会の中であって、社会に敵対して発展するのではないのだから。マレイ・ブクチンは書いている。

『人間がある歴史的時期にどのような自由・独立・自律を持つのかは、長期にわたる社会的伝統、そう、「集産的」発展の産物なのである。それは、個々人が、その発展の中で重要な役割を演じ、実際自由になりたいと願うならば、最終的にはそうする義務があるということなのだ。』」

「自由には、成長し発展するための正しい種類の社会環境が必要である。そうした環境は、権力分散型で、労働者による直接の労働管理に基づいていなければならない。中央集権が強制的権力(ヒエラルキー)を意味するのに対し、自主管理は自由のエッセンスである。」


「A.2.3 アナキストは組織を容認するのか?

 イエス。協同組織なしで、真に人間的な生活を送ることはできない。自由は、社会や組織なしには存在しえない。ジョージ=バーレトは次のように指摘している。

人生の十全な意義を手にするためには、協力しなければならない。協力するためには、仲間と合意しなければならない。そうした合意を自由の制限だと考えるなど、まったくバカげている。逆に、それは自由を行使することなのだ。
 合意することは自由を損なうというドグマをでっち上げれば、自由はただちに暴君と化す。そのドグマは、日常のささやかな楽しみさえ禁じかねない。例えば、自由の原則に反するとして、友達と散歩に行くことさえできなくなる。なぜなら、友達と散歩するためには、いつ、どこで待ち合わせるかを友達と合意しなければならないからだ。全て自分一人でできること以外には、手を出せなくなってしまう。それ以上のことをしようとするなら、誰かと協力しなければならず、協力することは、他人と合意することを意味し、それは自由に反することになるからだ。この主張がバカげていることは一目瞭然だろう。友達と散歩に行くことに同意するときには、自分の自由を制限しているのではなく、単に自由を行使しているだけのことなのだ。」


「 組織に関して、アナキストは次のように考える。『権力を創り出すこととは全く異なり、権力に対する唯一の治療法である。つまり、自分たち一人一人が集団的作業の中で能動的で意識的な役割を担うことに慣れ、指導者の手中にある受動的道具としての存在を止める唯一の手段である。』[Errico Malatesta, Life and Ideas, p. 86] アナキストは構造のあるオープンな形で組織を作ることが必要だと充分認識している。キャラル=エーリックが指摘しているように、アナキストは『組織機構を作ることに反対していない。』単に『ヒエラルキー機構を廃絶したい』だけである。だが、アナキストは『組織機構を全く望んでいないという固定観念で殆どいつも判断』されている。この判断は間違っている。『説明責任・最大数の人々への権力の拡散・職務のローテーション・技能の共有・情報と資源の普及、これらを組み込んでいる組織』が基盤としているのは『優れた社会的アナキスト組織原理なのだ!』」
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.1) Gecko/2008070208 Fire...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:アナキズムについて(自己レス)
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/25(月) 0:47 -
  
これまた余計なレスなんですけど
突っ込まれる前に敢えて、

私は上記議論において、アナキズムを擁護するためにアナキズムは
「社会」主義者であるという点を強調し、アナキズムFAQを引用しましたけど

アナキズムFAQで見られる理想社会の像を支持してるわけでないので

要するに

評議会は既存の議会制民主主義にとって変わる制度でなく補完にすぎない。

国籍の自由、移動の自由を説いたが国家が消滅することはない

あくまで法治国家でそれを超える制度などない。

フォンミーゼスの批判は共産主義に対する批判としてはすごく妥当である

市場メカニズムに対する批判など一度もしたことがない

貨幣制度に関する改革論は唱えているがシンジケート論など唱えていない

銀行の共同組合管理を言ったが企業の組合管理を説いていない。

産業別組合を支持せず、横断的なものを支持している

革命とは市民社会の防衛が目的のもので、社会変革の手段ではない

社会変革とは身近なリスクに対する対応を通じて自生的に発生するものである。

実は第三の道などの既存の政党政治からも多くを学べると思っている。

などと言ったところは大きく違っています。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.1) Gecko/2008070208 Fire...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:アナキズムについて
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 YUKI E-MAILWEB  - 08/8/25(月) 1:21 -
  
ありがとうございます。

どうやら、私の場合、ジェンダークィア周辺の議論から影響を受けている部分が強く、そこでの議論は「自己決定権」や「ライフスタイルの自由」周辺に終始しやすく、その範疇でアナキズムを運用すれば、社会関係抜きの「私は自分の力で生きているんだから、何者の干渉も受けない」的な部分が協調されるのです。
つまり、この世界観では、非社会主義者のアナキストもあり得る訳です。
現に、ゲイリブなどクイア関係のアクティビスト(活動家)の場合、新自由主義と同化しやすい傾向があります。

それと、私の場合、もともとラディカル社会学を中心に学んできた経緯があり、アナキズムに関してはかなり不勉強です。

徳永さんの言うアナキズムでしたら、上で紹介した『はじめてのDiY』の世界はアナキズムに近いと思います。

>
>アナキズムとて社会主義者であるわけですから社会関係を重視しているのには変わりないですが。
>
>例えばアナキズムFAQから引用しますが
(以下略)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.16) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

質問;アナキズムとリバタリアニズムの違いについて
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 YUKI E-MAILWEB  - 08/8/28(木) 12:56 -
  
私の場合、アメリカの政治思想から学んでいる部分が多いため、アナキズムと左派リバタリアニズムの違いがイマイチ分かっていないです。
と、言うよりも、アメリカではほぼごっちゃになっているし、ヨーロッパでも「緑の党」なんかは左派リバタリアニズムと呼ばれる場合があるのを見れば、もともと分かりにくくなっているものと思います。

こうした政治思想の位置づけを見るのに、一般的に使われるのがノーランチャートです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88

実は、私が以下で使っているのはノーランチャートの変形です。
http://www.n-yuki.net/index.php?itemid=65&catid=8&catid=8
オリジナルのノーランチャートで「ポピュリズム」となっているのを「権威主義」と言い換えたら分かりやすくなります。

この観点では、「個人の自由」に立つのが左翼で、「経済的自由や国家」に立つのが右翼という定義です。

しかし、戸田さん辺りが「左翼」と言っているのはもっと違う意味があります。

この辺りがアメリカ経由の政治思想が抱える弱点だろうと思います。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.16) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

Re:質問;アナキズムとリバタリアニズムの違いについて
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/30(土) 1:31 -
  
徳永です。政治思想にはそれぞれ歴史があります。

もともと、リバタリアンという概念はアナキストが好んで使っていた概念でした。

アナキズムFAQの中では

「A.1.3 アナキズムはなぜリバータリアン社会主義とも呼ばれるのか?
 「アナキズム」という言葉にはネガティブな響きがあるので、ポジティブで建設的な面を強調するために、これまで多くのアナキストが別の言葉を用いてきた。最もよく使われたのが「自由社会主義」「自由共産主義」「リバータリアン社会主義」「リバータリアン共産主義」だった。アナキズムとリバータリアン社会主義・リバータリアン共産主義は、アナキストにとっては事実上、同じ意味である。
 「アメリカン=ヘリテイジ辞典」を引いてみよう。

リバータリアン: 思考と行動の自由を信じる人、自由な意志を信じる人。
社会主義   : 生産者が、政治権力と生産・流通手段の両方を所有する社会システム。
 上記の二つの定義を、一つにすると以下のようになる:

リバータリアン社会主義: 思考と行動の自由・自由な意志を信じ、生産者が、政治権力と生産・流通手段の両方を所有する社会システム。 」

と説明しています。アメリカでも戦間期(第一次大戦後〜第二次大戦)までは社会主義思想もあればオルターナティブ経済学の流れが普通にありました。

リバタリアンという言葉が新自由主義の意味で使われるようになったのはフリードマンの弟子たち所謂<シカゴボーィズ>が蔓延るようになってからです。

アメリカではマッカッシーの赤狩り以後、左翼思想が公的な場から消えうせてしまいました。

本来、左翼とは=マルクス主義のことじゃないのですけど、ロシアでボルシェビキが権力の座に着いたとき、反対派を徹底的に粛清(スターリンの時代の話じゃないですよ。1921年、トロッキーの赤軍とレーニンによって行われた虐殺行為の話です)

大勢のアナキストがヨーロッパとアメリカに亡命しましたが、ヨーロッパでは第二次大戦によって、アメリカではマッカーシーズムによって政治的命脈を絶たれてしまったのです。

ヨーロッパと日本で戦後、共産党が非常に大きな権威を持っていたのは知ってのとおり、その時代にはアナキズム系の政治思想・経済思想はユートピア社会主義、異端経済学、修正資本主義などと呼ばれ誰もマルクス主義に代替できうる思想として注目しようとしなかったのです。

ですが、ケィンズ経済学が戦後は普及しましましたので(自分から言わせせるとケィンズ経済学自体が修正ゲセル主義なのだが...)それによって国家による産業誘導や
所得分配の必要性はある程度、認識されていました。

プルードン主義的にものを考えた時、その時、問題化しうるのは、意思決定がどれだけ現地に近い場所で行われていて、どれだけ有権者の勢力構成を反映しているのか、また、既に決まった産業政策を第三者機関が監査し、問題がある場合、事後的に再帰的な修正へと開かれているのか、常に決定が気に入らない人たちへの別な選択肢も
用意されているのか、などと言った民主主義の地方分権と透明性の問題となりますけど、

シカゴボーイ達はそれを国家による市場へと介入、自由な経済活動への妨害と読み替えたのです。本来、所有には責任が伴い、あらゆる財は所詮は減価するものですが
(ゲセルが言った考え方だが、キリスト経の考え方の中には元々そういう考えがある。)シカゴボーイたちはその点を完全に無視しました。そしてアナキズムの死滅後、空に浮いていたリバタリアンという名を自分達の主義主張の政治的側面を表すのに使ったというわけです。


フランスでポスト構造主義が誕生した時、そこで目指されていたのは、1、68年5月の精神の継承 2、人権の国フランスの隠れた権力構造を構造主義の方法を導入しながら暴きだしつつ、サルトル的なものを晩年のサルトルが墜ちいったような形とは別な形態で受け継ぐこと

などが思想課題として目指していたことだったですけど、アメリカ辺りでは公民権運動の余波でそれを多文化主義と読みとったようです。(そのこと自体は間違いとはいえないだろう。)問題になるのはアファマーティブ・アクションといったものに経済的な観点が欠けているため、女性や黒人の中にも成功者がいると言う話が貧困格差の免罪符になると思われていることです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

まぁ、ベクトルも似たようなものですから
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 ねこかぶり  - 08/8/30(土) 21:49 -
  
▼徳永基二さん:
>クリストヴァン・バーグの提案する最高三人まで子供に一人頭、奨学金五ドルを払い
>学校に行かせる(85パーセント以上授業に出席しなければならない)という案

私はすべての公教育の無料化を主張しております。
能力がある人間が社会的に認められ相応の所得を得ることが出来る用にです。

>ヘルナンデソトの主張する貧民の掘っ立て小屋にも正当な財産権を認めようという提案
>(日本だとダンボールで出来たバリケードにも財産権を認めると言う感じか)

暫定的には認めるべきでしょうけど、長期的には「普通の家」に住めるように
すべきですね。公共住宅はそうあるべきです。

>全ての人の給料をある一定の期間の後は有効でない時限的な貨幣にしようと言う案
>(これこそ自分が始終言ってる減価償却マネーの案だ。)

そうすると節約してためた人が馬鹿を見て、無駄遣いするほうがよくなる。
倫理的に正しいのだろうか?
あと資本主義社会を支える資本の出所がなくなります。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:まぁ、ベクトルも似たようなものですから
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/31(日) 9:08 -
  
>私はすべての公教育の無料化を主張しております。
>能力がある人間が社会的に認められ相応の所得を得ることが出来る用にです。

ねこかぶりさんの案のほうが革新的ですね。ですが、教師に給与を払わねばならならず、なにが”公教育”かでもめそうです。(現に日本ではそうなっている。)

もっともこれに対する答えは下に既に書きましたが...(各地方政府、各学区ごとに
公教育の定義を任してしまえ、後は通う人に自由を選択させよと言う案)

>
>暫定的には認めるべきでしょうけど、長期的には「普通の家」に住めるように
>すべきですね。公共住宅はそうあるべきです。

これも一見そのとおりと言いたいのですけど、阪神大震災の時、仮設住宅から新たに出来た公共マンションに住民を遷す過程で、住民のコミュニティを破壊し、個室に閉じ込めて個々の問題を見えなくするのかという批判が発生しました。ホームレスのために建てられた仮設住宅の話もあります。一見理想的に見える案でも本人の自発性に適った案でないとうまくいきません。

>>全ての人の給料をある一定の期間の後は有効でない時限的な貨幣にしようと言う案
>>(これこそ自分が始終言ってる減価償却マネーの案だ。)
>
>そうすると節約してためた人が馬鹿を見て、無駄遣いするほうがよくなる。
>倫理的に正しいのだろうか?

ケィンズ主義のあなたがいうことでしょうか?

>あと資本主義社会を支える資本の出所がなくなります。


それを目指しているというところもありますが....
「銀行に蓄えることはできる(銀行の利子で相殺できる)」とは前にも言いました。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

銀行の利子による相殺とは...
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/31(日) 10:02 -
  
銀行の利子による相殺とは銀行側に貨幣消滅の負担が移ったと捉えることが出来ます。銀行はその負担を背負いきれませんから、当然どんどん貸すことで負担を相殺
しようとするでしょう。一方、借りた方が今度は貨幣消滅の負担を背負うことになる。どんどん稼がないとその負担は背負いきれませんよね?

現在の経済では貨幣の最終的な出所は銀行による信用創造ですけど、この経済では
最終的な出所は一般消費者(一般労働者)となります。(基礎所得政策を行っていますので)

企業は販路をここに築こうとするでしょう。もしかしたら、貨幣消滅のスピードを上回る利潤を上げられる企業も誕生するかもしれません。(発行量と減価率は貨幣発行局という役所が決めているので、そのスピードを市場が上回ることは充分にありえる。)

それにこれまであまり言っていなかったことですけど、この経済では賃金が今より下がる可能性があります。それでも勤労者は基礎所得があるので当面の生活には困らないはずです。この経済下では労働者の仕事はボランティアワークに限りなく近づくかもしれません。フリーターと一般雇用の間の差は限りなくゼロに近づきます。もっともこの世界でも賃金雇用(サラリーマン)は残るでしょう。どういう分野かはわからないですけど。

現在雇用の現場はますます悪化する傾向にあります。その背景には自らの労働以外売るもののない無数の大衆を背景にしています。この経済では大衆は既に雇用されなくても富の流通手段を持っていますので大衆の一般的な経済様態が被雇用者でなくなる可能性もあります。

この経済が本当に環境に優しいかはわかりません。ですがドイツ緑の党にこのゲセル経済の支持者が大勢いたのは事実です。

少なくとも利潤圧力による競争は発生しないだろうと見做されています。環境への
影響は結局投資形態のあり方によりますが...

自分はATTACなどと同じように投資資金は貯蓄者の金が原資になっているのだから、貯蓄者がその投資先を監視出来うるようにすべきだと主張しています。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

おおあさっぱな微分方程式の結果
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 ねこかぶり  - 08/9/7(日) 4:27 -
  
わやしはケイジニアンを自称してますが、あのおおおさっぱさをみるにつけ‥

▼徳永基二さん:
>岡田斗司夫によっておたくは死んだことにされたのかと思えば、この二人の中では
>まだ、おたくというのはリアルなんですね。

まぁ、愛國戦隊大日本を見ることをお勧めします。
彼は間違いなく旧世代のオタクです。
また、旧世代からうまれた、コピー世代のオタクも健在です。
マクロスFでも見てくだされ

>「柄谷には美学がない。彼はその初期から情熱的恋愛に極めて警戒的あるいは批判的なのだ。
>美と恋愛それはいうもでもなく言いがたい魅力を放つ欲望の対象であり、ラカン派の言葉で言うなら
>「対象a」や「転移」の問題である。柄谷は初期から過剰にこの「対象a」について語ることを
>避けている。彼の思考は抽象化と引き換えに暴力と転移の問題が排除されてしまった。」

私にとって美学は数学です。
他に矛盾もなく世界を作る手段があるでしょうか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

そろそろケインズ主義の時代
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 ねこかぶり  - 08/9/24(水) 0:13 -
  
アメリカの経済状態を見るにつけ‥

▼徳永基二さん:
>リバタリアンという言葉が新自由主義の意味で使われるようになったのはフリードマンの
>弟子たち所謂<シカゴボーィズ>が蔓延るようになってからです。

なるほどね。

>アメリカではマッカッシーの赤狩り以後、左翼思想が公的な場から消えうせてしまいました。

あれは不幸な時代でした。
かのオッペンハイマーも追放されてしまいました。

>ですが、ケィンズ経済学が戦後は普及しましましたので(自分から言わせせるとケィンズ
>経済学自体が修正ゲセル主義なのだが...)それによって国家による産業誘導や
>所得分配の必要性はある程度、認識されていました。

というか、ケインズしか救える道はないのです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

久しぶりです
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/9/26(金) 1:45 -
  
ここの掲示板を読んでいると、ケィンジアンのねこかぶりさんですら
新鮮に見えるから不思議です。(マルキストが非常に強いので)


新しく麻生内閣が出発しました。で、与野党が言ってることがらを比較すると

所得税減税、設備投資減税、医療保険制度一元化、年金の一元化、
子供手当ての成立

これらの政策は悪くない(中々良い線行ってる)と思います。
ただ、この手の話をすると必ず出てくるのは財源をどうするのか
という話です。

政治と言うものは消極的な理由付けの政策は誰もが避けたがり、積極的に
肯定できうる政策のみ行う傾向にあります。

ゲセル理論は税金(資産課税)に対して肯定的な議論です。

ゲセルの理論ではありませんけど、廃棄物処理の拡大生産者責任の考えにも
自分達は賛成しています。(正直言って、環境破壊の責任はそれを行った
企業もそうだが、融資した金融機関にも責任があるだろう。)

すなわち平たく言うと

法人企業、並びに金融機関に税控除をせず、バシバシ税を取り立てるべし、さらには
愚かな融資で環境や福祉分野に負担が増大した時には課徴金を掛けてその被害を修繕さすべし、そうすれば経済は活性化し、格差は埋まり、政府財政も黒字に転ずる。

という理論がゲセル理論なのです。

おまけにゲセル理論は政府与党にとって非常に好ましい政策です。何故って、赤字を
気にせず直接、政府が貨幣を発行して有権者にばら撒け(所得保障せよ)財源は後から付いてくる(減価税が入ってくる)、インフレは気にしなくても良いし、有権者はみなもろ手を挙げて支持してくれる。(インフレは一般に物価が上がって所得は後から付いてくるが、この場合、所得の方が先に上がるので一般消費者に痛みが少ない)と言ってるのですから。


おまけに官僚と大資本に喧嘩を売っているんだと、いい格好も出来ます。(大資本には上のように負担が上昇する。官僚に対しては基礎所得給付の替わりに人件費の大幅な削減を伴う)

こんな政策まともに言ったら各方面から大反対に会う。
果たしてそうでしょうか?

私に言わせれば、資本の自由化、リストラ、貧富の格差拡大、福祉削除、大幅な民営化、直接税から間接税(消費税)中心の財政へ、小選挙区の大政党中心主義へ

この手の論理を認めさせてきたここ二十年ほどの動きの方がよっぽど驚きに値します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:ブラック・サンデーは金融恐慌の始まり
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/9/26(金) 11:23 -
  
▼ねこかぶりさん:
>アメリカの経済状態を見るにつけ‥

次の記事を見つけたのでお知らせします。ケインズは階級協調ですが、アメリカの現実は、失われた路線の回復では納まらないのではないでしょうか?

経済ジャーナリスト 町田徹の“眼【第44回】 2008年09月19日
ブラック・サンデーは終わらない恐慌を招いたのは誰だ?
http://diamond.jp/series/machida/10044

>米国は、1990年代、日本がメガバンクの不良債権問題をこじらせて、日本発の金融市場の混乱を引き起こすと繰り返し懸念を表明したが、今回は、その米国が世界的な金融恐慌の引き金を引き、深刻な経済の縮小を起こす懸念が高まっている。「恐慌」という言葉を大袈裟と感じる読者もいるだろうが、米国ではすでにサブプライム・ローン問題で破綻した地銀から預金を引き出そうとする行列や取り付け騒ぎが起きているし、AIGのシンガポールでも保険料を解約して確保しようとする行列が起きているという。

AIG――世界最大の保険会社が、公的資金の救助を得てとりあえずも延命される・・・何か切実なものが無い架空資本の運動であるので、庶民の私達にはどのような現実なのか、マスコミの報道からは何も伝わってこない。
しかし、
>破綻した地銀から預金を引き出そうとする行列や取り付け騒ぎが起きている――
ということであれば、その深刻さが極まっていることが読み取れるのではないか・・・
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo038086.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

ほんとお久しぶりです。
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 ねこかぶり  - 08/9/27(土) 14:23 -
  
にゅーましんで書き込みを行っているのですか?
それは地球に優しくないです。

▼徳永基二さん:
>ここの掲示板を読んでいると、ケィンジアンのねこかぶりさんですら
>新鮮に見えるから不思議です。(マルキストが非常に強いので)

まぁ、同じマルキストでもおろいろ教義があって五月蝿いらしいですから

>新しく麻生内閣が出発しました。で、与野党が言ってることがらを比較すると
>所得税減税、設備投資減税、医療保険制度一元化、年金の一元化、
>子供手当ての成立

私もそこは賛成です。

>法人企業、並びに金融機関に税控除をせず、バシバシ税を取り立てるべし、さらには
>愚かな融資で環境や福祉分野に負担が増大した時には課徴金を掛けてその被害を修繕
>さすべし、そうすれば経済は活性化し、格差は埋まり、政府財政も黒字に転ずる。

私も企業の社会負担がもう少し多くてもかまわないと思います。
ドイツとかそれでやってますので

>おまけにゲセル理論は政府与党にとって非常に好ましい政策です。何故って、赤字を
>気にせず直接、政府が貨幣を発行して有権者にばら撒け(所得保障せよ)財源は後から
>付いてくる(減価税が入ってくる)、インフレは気にしなくても良いし、有権者は
>みなもろ手を挙げて支持してくれる。(インフレは一般に物価が上がって所得は後
>から付いてくるが、この場合、所得の方が先に上がるので一般消費者に痛みが少ない)
>と言ってるのですから。

そこで毎度質問しているのが、銀行預金、借金との関係です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

直接給付大賛成。但しもっと大々的にやるべし。
←back ↑menu ↑top forward→
 徳永基二 E-MAIL  - 08/10/31(金) 8:36 -
  
徳永です。
政府の打ち出した直接給付政策に対して
各新聞社は反対するか「限定的な影響しかない」と
書くのがモードのようですけど、私は基礎所得論者として
大賛成です。

但し、かつて社民党内で公明党が打ち出した商品券構想に
次のように言ったことがあります。

商品券は一度使ったら終わりで市場を還流しない。
減価債でないので、将来所得に不安があるときには退蔵される
可能性がある。

やるなら、一世代20万円、全て政府紙幣発行で賄う。発行分は
減価償却で償還する。

ぐらいやるべきだと提言します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

直接給付は奪われてきたカネの一部奪回だ!大いにやらせ、自公は政権から追放すべし!
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 戸田 E-MAIL  - 08/10/31(金) 11:23 -
  
 戸田も賛成です。
 国民の怒りの高まりを前にして自公政権がいろいろ出して来ている事に対して、マスコミや諸識者が「バラまき政治だ」と一律に批判しているのは間違いであって、確かに自公の意図としては有権者ダマシ買収だし、旧来型の業界抱き込み政治に戻っている面もあるけれども、それらを考慮しても中立的な言葉としては「吐き出し」と呼ぶべき事。

 国民が奪われ続けてきたものの「奪還」を自公に強制した民衆の勝利的面を全く表現しない事は誤りである。
 全面的に政権の譲歩・民衆圧力の勝利とは言えないものも多く含まれているから、総体としては「自公政権による吐き出し」、と正否両面を持つ中立的実体的表現しつつ、自公政権にさらなる譲歩を強制しながら自公を政権から放り出す闘いを苛烈に進める立場を高く掲げるべき。

 低額減税の直接給付は今まで奪われてきたものの極く一部の奪還であって、紙幣でもっ
と寄こせ!と言って良いことだ。
 戸田なんかは貯金に回す余裕がないからすぐに借金の返済や消費に使う。

 もっとも、「選挙前に有権者にカネをばらまいて買収する行為ではないか」という批判もかなり有力であるとは思う。この点はどうだろうか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i60-42-225-131.s04.a027.ap.plala.or.jp>

個人的にはありがたいが
←back ↑menu ↑top forward→
 ねこかぶり  - 08/10/31(金) 22:57 -
  
▼徳永基二さん:
>徳永です。
>政府の打ち出した直接給付政策に対して
>各新聞社は反対するか「限定的な影響しかない」と
>書くのがモードのようですけど、私は基礎所得論者として
>大賛成です。

個人的にはありがたいが、インフレを招くだけだと思われます。
あくまでも労働機会の創出による真水投入を提言します。
投入した真水以上の資金を市場で出回らないと意味がないからです。

>但し、かつて社民党内で公明党が打ち出した商品券構想に
>次のように言ったことがあります。

そんなのがありましたねぇ‥
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

カネのばらまきは有権者買収?
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/11/1(土) 3:17 -
  
徳永です。

> もっとも、「選挙前に有権者にカネをばらまいて買収する行為ではないか」とい
>う批判もかなり有力であるとは思う。この点はどうだろうか?

私は自民党がやる政策だから反対、野党がやれば賛成のごとく
ある特定の党の利害に偏った判断はしませんね。

この国ではどんな革新的な党であれ、議席を取り、与党に近づくに
つれて変節するのは既に承知のことですので、

それならどこの政党がやったかより現にある政権に圧力を掛けて少しでも
マシな政策を勝ち取る、ほうが良いように思われます。
引用なし
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財源なら消費税に頼らなくても他にある
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/11/1(土) 3:32 -
  
徳永です。

戸田さんが直接レスしていただけると思っていなかったもので
賛成していただけてありがたい。

さて、政府の消費税を三年後に上げる計画が腰砕けになってきました。
良いことだと思います。ついでながらいうと財源は消費税に頼らなくても
あると言いたい。

法人税や資産課税、高額所得者への課税、海外への直接投資の収益に
対する課税などで充分です。

株が大暴落し、みなが資産を大幅に減らしている中で何を言ってるか
と思うかもしれませんけど、私は逆に株の大暴落で資金を引き上げ
大儲けした人間がいる。ならそこにこそ課税をすべきだと思うのです。

世界で多くの国が貨幣価値を下げている中、日本は知ってのごとく
円高です。この円高で収益を得ているのは輸入業者だけではないで
しょう。(ドルを売って円を買っているから円高になるわけだ。
なら、その円資金はどこに向かおうとしているのだろうか?いっそのこと、
全て税金で頂いて貧困層に分配するのはどうだろう。海外企業は
課税ができない?なら法律を変えれば良い。)

景気が悪い時に資産課税なんてと思うかもしれませんけど、金持ちに
財を吐き出させて貨幣を還流さすこと、所得の再分配を行うことは
立派な景気対策になります。
(ねこかぶりさんの心配するインフレ阻止にもなります。)
引用なし
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