★ 戸田の友人、鄭貴美さんの訴え「犠牲を無駄にしないで」を全文紹介

 戸田の生野区時代、一家で大の友人となった鄭貴美(チョン・ギミ)さんが、韓統連大阪という在日韓国人の民族団体の機関紙に載せた文章を全文紹介します。貴美さんは戸田と同年代で、小柄だけど3人の男の子のしっかり母さんで、民族講師のほかに看護婦さんとしても働いてきた経験を持つ人です。


 【 犠 牲 を 無 駄 に し な い で 】

 鄭 貴 美(チョン・ギミ)

 2月に入り、卒業式・入学式の季節を迎える。今年もまた、あの「日の丸」「君が代」が学校現場で子どもたちの目に、耳に、心にどのように響くのだろう!長年民族講師として働き、この時期になるといつも同じ思いを繰り返してきた。
 「21世紀は人権の世紀」と言われながら、旧文部省は「日の丸・君が代」通達を強化した。広島県の公立中学校長がその取り扱いをめぐり、県委員会の指導と教師や保護者、生徒たちとの間で苦しみ自殺した事件は記憶に新しい。
 とりわけ、昨年実施率の低かった大阪・兵庫・奈良に厳しい攻撃が予想されるという。すでに、枚方市教委は昨年11月の校長会で7項目に亘って指示し、その中には、事前の音楽授業で「君が代」指導、社会科授業での「日の丸」指導、式当日教員が「君が代」をピアノ伴奏するよう努める、などがある。
 テレビや新聞では、戦争前夜を思わせようなアメリカによるイラク攻撃政策、「拉致問題」以降、日本のマスコミの異常なまでの過熱報道、北朝鮮に対する徹底した排外政策などは、「日の丸」「君が代」問題と決して切り離される物ではなく、学校現場ではすでに戦争への道が目論まれている。日本の行方ははっきりしていることが伺える。

  そんな怒りや不安が隠し切れない昨年11月末、「拉致報道」の真っ只中、1通の奇妙な封書が我が家に送られてきた。差出人がなく、宛先人に敬称もなくまた、郵便切手も貼っていない。 それは、「どうせチョン公やろ!…」から始まる卑劣極まりない差別文書であった。心が凍るぐらい腹立たしく、とうとう我が家にも、というやるせない気持ちではあったが居合わせた息子たちにも読ませた。現実を知ってもらうために…。

 「拉致報道」以降、朝鮮総連に対する嫌がらせはもちろんのこと、朝鮮学校に通う子どもたちへの暴言や暴力が後を絶たない。ランドセルを背負う幼い子どもの後ろから、水をまく女性がついでのように水をかける。その女性は、これ位痛くも痒くもない、と思ったのだろうか!
 学校へ行くため毎日通る、おそらく顔見知りであろう女性から受けた被害は子どもの目に心にどのように映っただろう?浴びせられた水が乾けば忘れるだろうか?答えが否、であることは誰の目にも明白なはずだ。毎日のように繰り返されるこの事実を伝えなければならないはずのマコミは視聴率のみを追い求め「拉致報道」に躍起になっている。

  送りつけられた差別文書を手に、子どもたちとこの現状を話した。朝鮮人に向けられた排外的な姿勢は決して朝鮮総連や朝鮮学校のみが被害を受けるのではない。差別を身体で感じてもらおうと、私たちは常にいつ被害者になるかもしれないという不安な状態に置かれているかということを知り、怒りを共有したかった。
 しかし、子どもたちから発せられた言葉は「どうせ何言ってもいっしょ、放っておいたら!」だった。怒涛のように繰り返される垂れ流しの「拉致報道」と朝鮮バッシングに半ば諦めにも聞こえるその言葉に胸が痛かった。「どうせ大人たちに何ができるの?!」そう聞こえた。
 私はこの差別文書を送りつけられ、この事実をどのように解決するのか、大人たちに迫られているんだと感じずにはいれなかった。直接被害者となった私たちが声をあげないで、また何も無かったかのように繰り返される日常を見て、子どもたちに「どうせ…」と言わせる訳にはい かない。

  翌日、地域の市民運動団体に差別文書を伝え、東大阪市の社会教育や人権啓発に事実確認等を申し入れた。市内に4件確認しているということがわかり、早急にこの文書による被害を抑えることと、この事実を受け、市の人権啓発が何をしなければならないのか、今後どのような対処を考えるのか回答を求めたが、未だ具体的な回答は得られていない。「誠意を持って調査しています」に留まり、どの言葉をしても私たちの怒りは届いていない気がした。

 同じ文書を受け取った一世のハルモニ(おばあさん)が「いつまで私等にこんなことするんや!何が間違っているかまだ分からんのか!」と声を荒げた。犯人(差出人)探しがこの問題の解決だと思っている市の担当者に、ハルモニの怒りが理解できただろうか、あなたたちが差出人(犯人)だという自覚があるかどうかを求められているのだ。
 特に進展がないまま数回の話し合いが今も継続中である。
 この間、大阪府の調査で府内22件の文書が確認されていること、150通が受け取り拒否で回収され、警察の捜査(文書の中に実在する差出人名があり、本人が被害届を出されたため)も進んでいるという。模倣犯を防ぐため公開はもうしばらく待ってほしいと警察から要請があったらしい。

 今年1月大阪府との話し合いで以上の報告を聞きながら、「報告のための調査はいらない、これまでの人権啓発や人権教育が間違っていることがはっきりしているのだから、その分析と回答を出してほしい」と訴えた。納得できる回答が無い限り、これ以上警察に協力できないことも 付け加えておいた。
 同席したハルモニが「口ばっかりの返事はいらん!やることやり!」と叱責され、府の職員は対策委員会を作りきちんと対応と回答を継続していくことを約束した。1時間30分に及ぶ話し合いの後、帰り際に「厳しい言葉をしっかり受け止めたい」と私たちに伝えた顔は、報告書を手に読み上げていた時とは違って見えた。楽観視しようとは思わないがひとつひとつの言葉と行動に責任を持つことから前に進めることを実感した。ただ府に対して抗議の姿勢を緩めようとは思っていない。

 私は一世を対象にした街かどデイハウスで働いている。日々の会話の中からハルモニたちの祖国や民族への思いを肌で感じる機会が多くある。同時に日本社会に対する期待と怒りが交差する複雑な心境を知らされる。二世三世を思えば期待せざるをえない、そんな在日社会への期待とも読み取れる。
 しかし、この間の朝鮮バッシングはどうしても許せないという思いが強く、昨年11月3日、東大阪三ノ瀬フェステイバルでビラを撒いた。ハルモニ自身の字で『ゆるさへんで、だれも言わんからうちらが言う!』朝鮮学校の子どもたちへの暴力の事実を訴える内容だ。テントの下に立ち約300枚は撒いただろうか、日本人らしき初老の男性が「ここに書かれていることは本当ですか?」と訊ねた。ハルモニたちが書ききれない事実を話すと黙ってその場を離れた。おそらくこの男性は同じ日本人にはならないだろうと確信した。

   9月以降、近隣の小中学校で一世たちの「街かどデイハウス」でのようすを話すため数校の授業に招かれた。当時の情勢から「拉致問題」は避けられないと判断し、一世たちの歴史と今の思いを代弁した。ざわついていた子どもたちは次第に顔を上げその真実に聞き入り、感想文には「韓国・朝鮮の歴史をもっと知りたい。デイハウスへ行ってハルモニたちの話を聞きたい」と多くの子どもたちは真実を知りたいと訴えた。子どもたちは真実を見抜く力を持っていることを確信し、誠意を持って受け入れなければと痛感する。

 差別文書を送りつけられて以降、何をしなければならないか考えつづけている。私は子どもたちを見て、まず真実を伝えつづける責任が私たち大人に課せられていると学んだ。
 真実を語る姿に考える力が生まれる。諦めずに、この文書を突きつけられた自分の気持ちを伝えて行きたい。再び「どうせ大人たちは…」なんて言わせない。どのような社会を創造するのか、私たち大人の責任ある姿を次代に残したいと思う。それは、日本人がどのような日本社会を求め、子どもたちをどんな日本人に育てようとしているのかに通じる事だと、日本社会に訴 えつづけたい。

 大人たちを信じ、正常な社会で生きることができる希望を信じようとしている子どもたちに寄り添い、また明日、大阪府との話し合いを申し入れることにしよう!(了)