=卒業式での日の丸・君が代押し付けに反対する申入書=
門真市教育委員会 教育長 下浦克明殿
2005年3月2日
門真市市議会議員 戸田ひさよし
記
2004年度の卒業式が近づいてまいりましたが、今年も学校現場において「日の丸を掲揚すること」や「起 立して君が代を歌うこと」を強制する動きが強められていると聞き及び、心を痛めております。
この問題に関して、私はまず以下の諸点を教育長に強く指摘し真摯な考察を求めます。
1;「日の丸」「君が代」は決して「国旗・国歌一般」ではなく、明治以来の日本帝国主義の侵略戦争と深く結びついた「天皇制軍国主義と侵略戦争の象徴」であり、それ故に戦前の日本の天皇制軍国主義や侵略戦争を正当化したり戦後民主主義やその教育を否定改編しようとする諸勢力が、長期政権党である自民党を筆頭にして政府官僚をも巻き込んで執拗に学校現場への強制を図り、その結果として学習指導要領の改訂や「国旗・国歌法」制定がされて、日の丸・君が代の押し付けが格段に強化されてきたものである。
2;日の丸・君が代強制がもたらすものは、「上司や権力者の命令に従順に条件反射的に従う人間の養成」と上意下達・命令服従の権力体系であり、健全な民主主義社会とその人材の育成発展とはおよそ正反対の代物でしかない。「日の丸次官」と呼ばれた文部官僚や「オリンピックのドン」堤義明を初めとして、日の丸・君が代強制派の政治家・高級官僚・財界人から数多くの汚職犯罪・企業犯罪者が発覚しているのは、何ら偶然ではなく、日の丸・君が代強制派の反民主主義・権力主義の体質からして必然のことである。
3;憲法第19条や「子どもの権利条約」第14条で保障された「思想・良心の自由」は、「心の中を察知されない自由」や「沈黙の自由」をも含んだものだし、「国旗国歌法」といえども子どもを含めた国民に対して掲揚や斉唱を義務付けるものではないことは、政府の国会答弁でも明言されている。
それにも拘わらず日の丸・君が代の掲揚・斉唱を学校現場に強制することは、教育基本法第10条で厳しく禁じられている「教育に対する不当な支配」に他ならない。いわんや東京都の如き教員の起立チェックや処分の発動にいたっては、その違法性は言うまでもない。
4:「自国の国家国旗に敬意を払わない者は他国のそれも尊重できない」等の説明が全くの詭弁であることは、日本の歴史の中で最も熱狂的に「自国の国家国旗に敬意を払った」戦前の日本が日本史上最も大量深刻に他国の国旗国歌を蹂躙・廃止し(植民地化や占領)、他国民を大量殺害した現実を見れば明らかだ。
5;君が代が「天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とするわが国が永久に繁栄することを願う」歌だという政府や教委の解釈もまた詭弁であり憲法違反である。
なぜならば、主権在民・平和主義・基本的人権という不変の3大原則と違って、象徴天皇制は「国民の総意に基づく」と憲法に明記されている以上、総意の変化によっては廃止もあり得るひとつのオプションに過ぎず、「国歌=君が代」がこのオプションが末永く続くよう願う歌であるとの解釈は、象徴天皇制を3原則よりも抜きん出て重要な憲法原則に不当に格上げしてしまう、憲法違反の解釈だからである。
6:自衛隊のイラク派兵や朝鮮中国との緊張関係によって「準戦時下」とも言える状況下の昨今、日の丸・君が代の強制が進められる意図は、命令服従の精神と愛国心を発揚させて戦争に命を投げ出す青少年や、お上に逆らわない教師達を地域ぐるみで作りあげていくことにある、と見なさざるを得ない。
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◆以上の見地に立ち、卒業式にあたって門真市教育委員会教育長に以下のことを申し入れます。◆
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(1)学校現場に対して日の丸・君が代の掲揚・斉唱を強制をしないこと。
(2)式次第にあっては、児童生徒や教師との十分な対話に基づいた学校の自主性を尊重すること。
(3)日の丸・君が代の掲揚・斉唱を行なう場合は、必ず児童生徒と保護者に「起立することも、歌うことも自由」であることの説明を式の前に行なわうよう、学校長に文書指導すること。
(4)掲揚・斉唱に関わる児童生徒や教師、保護者の対応調査をしないこと。
(5)不起立不斉唱を選択した教員に対して圧迫をかける「調査」や「指導」などをしないこと。
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