〜2回目懲罰決定に対する 戸田 「最後の弁明」〜 2001年3月26日 本会議

 私の弁明もこれで最後になりました。たびたび、長くご静聴、まずみなさんに感謝しながら、最後の「弁明」を行います。今回の、2回めの弁明は(→(注)これは「懲罰」の言い間違い)、本日の朝、突然に議運に、公明党4議員から出されたものです。そして4会派の賛成でこれまでに至りました。これは最初の、私からすれば明らかに不当な懲罰に対する「弁明」の中味がけしからんと、こういうことでさらに懲罰が課された、こういうことでありますが、まさに、共産党石橋議員が的確に述べられたように、こういうやり方が通るのであれば限りないドロ沼になる、一方は「懲罰にすべし」 と言い、一方は「これは不当だ」と争いがあるわけですから、この中で反対する当事者の側が言っていることを、さらにケシカランというふうに言って進める、ということは、まさに、青野議員や鳥谷議員の提案説明、質疑等を聞けばわかるとおり、私の頭の中味を裁いておる、思考、思想を裁いておる、考えておることを裁いておる、と言わなければなりません。

 つまり、この門真市議会が「民主主義的に行われていない」という事実、私はこのように認識しています。しかしながら、それを口に出して言うことがけしからんのだと。いろんな重要な問題に質疑が なかろうと、調査がなかろうと、「カバン持ち込み禁止」を決めようと、多数決で決めて無所属議員にはいっさい発言申し出しても発言の機会が与えられない、という事実があろうと、「門真市議会は民主的に運営されている」のだ、そうでないということを議会で述べることはケシカランのだと。こういうことが青野議員、鳥谷議員の言ってることの本質であります。

 そのような決めつけ、まあそのように思われるのは結構ですけれども、それを懲罰の理由に付け加えていく、そして「今までの懲罰によっても戸田は反省していないから悪質である」と、こういうふうなことを次から次に重ねていく。これはその議員が何をしたのか、というふうなことではなくて、何を考えているのか、どのようにこの門真市議会をとらえて、それを発言しているのか、あるいは行政のやり方についてどうなのか、いうことについていちいちこれを検閲し、気に入らなければ懲罰をやっていく、と いうことに他ならず、まさに議会言論を封じる強権政治であると言わなければなりません。

 みなさんもご存じのように、門真市議会では懲罰ということが何らなく30年ぐらい過ごしてきました。私が当選して以来、99年9月から急にたてつづけに、懲罰・問責・辞職勧告等が起こってきております。これはなぜなのか? ある人は、私が悪いからそのような懲罰が次々と起こってくるのだ、こういうことを言われます。私は今までの在り方についておかしいと思うことを言って、今までの在り方を固守したいと思う人々が、それに反発して次々と懲罰をかけているんだ、というように思います。どちらが正しいのか? そのうちに段々、キチッと分かってくる、と私は確信しております。

 まあ、この「弁明」もいよいよ最後になってしまうわけでありますけれども、みなさんのこの門真市議会が、こういう連続懲罰によって全国に知られていく、こういうことは門真市民にとっては、大変に迷惑なことであります。よその議会であれば、当たり前に行われていることが、次々と懲罰の対象となっていく、まあ考えてみますれば、よその街の市役所であれば、外部の者が電話して待機児童が何人であるか、見込みがどうであるか、教えてくれるけれども、ここでは議員が聞いてもいっさい教えない。私以外の、共産党と私以外の誰ひとり疑問に思ってそのことを文句言わない、という議会と行政の関係の所でありますから、まあこういうこともまた起こってしまうのかな、これもひとつは16年の長期市政のタガのゆるみ、あるいは停滞ではないのかな、と私は考えます。

 今、田中康男知事の活躍に典型的にみられるように、新しい地方の時代が始まりつつあります。それにむけて、大いなる確信の努力をしていかなければならない、こういうことを述べて、最後に私の「弁明」をしめくくります。ありがとうございました。