門真市学校適正配置審議会委員長 久保 和男 様
                       委員 各位

 門真教職員組合 執行委員長 北澤 照久

1999年10月
 門真市学校適正配置審議会に対する意見書

 本年7月13日、貴審議会による「門真市立小・中学校の適正規模等について(中間報告)」がまとめられ、市教委に提出されました。門真教職員組合では、この間、「中間報告」で出された基本点について討議資料も作成し、学校現場の教職員の意見交換をおこなってまいりました。本来、こうした審議会には校長(会)代表だけでなく、「学校関係者」として教職員組合の代表参加が認められるべきものです。これは、国連の「教員の地位に関する勧告」(1966年、特別政府間会議で採択)が「教員団体は、教育の進歩に大いに寄与することができ、したがって、教育政策の決定に関与させられるべき勢力として認められるものとする。」と述べているように、国際的な常識となっていることだと考えます。審議会委員長はじめ委員各位の皆さまが私たちの意見書を検討され、さらに、あとに列記する7項目要求にも答えていただくよう強く要望するものです。

(1)はじめに  中間報告は、審議会が’98年7月から’99年6月にかけて6回の会議をもち、適正規模について「過去の門真市における学校建設の状況や、現在の学校に多い標準規模校の実情を把握しつつ、小規模校のメリット・デメリットをはじめ、児童・生徒数の将来の推計や関係法令・各種審議会答申等をも考慮し、多方面からの審議を行ってきた。」と述べ、「今後、本審議会は、適正規模の審議を踏まえて、適正配置についての審議を重ね、平成12(2000)年3月には、最終答申をする予定である」としています。

 しかし、学校の「適正規模について」の審議結果をまとめた今回の中間報告は、大阪府「財政再建プログラム」との整合性から教育より財政(目先の経済効率)を優先して”はじめに学校統廃合ありき”とする大阪府「教育改革プログラム」の立場を、基本的にはそのまま踏襲したものとなっており、「門真市の地域性を考慮した」とはいえない数々の問題点をもつものです。

(2)政府・財界による教育の国家統制と学習指導要領の変遷  昨年6月に国連の子どもの権利委員会が日本政府に対して「過度に競争的な教育制度の下で、日本の子どもたちはストレスをためこみ、発達障害を起こしている」と異例の厳しい勧告を行いました。ここに、今日の学校教育と子どもたちの状況が端的に示されています。今から10年前の1989年、リクルート汚職の文部官僚が中心となって作成され、その後も白紙撤回を求める運動が続けられてきた現行の学習指導要領がスタートしました。この学習指導要領のもとでの10年間、社会的なストレスの増大ともあいまって、今日の教育困難が増幅されてきたことは否めないところです。

 より視野を長くすれば、戦後、アメリカの戦後政策の転換に伴って、政府・財界は、戦後の憲法と教育基本法に基づく民主的な制度ができたばかりの1951年から「普通教育を偏重する従来の制度を改め」る(首相への「教育制度の改革に関する答申」)必要があるとして、高校入試をテコにした競争、詰め込みと選別の教育、および「日の丸・君が代」おしつけに象徴される国家主義教育を強め、教育行政の本来的な責務である教育諸条件の整備をおろそかにしてきました。これが、今日の子どもと教育をめぐる社会的危機の大きな要因となっています。

 1956年には、地域住民が教育委員を公選する教育委員会法を廃止して任命制とし、地域に閉ざされた教育行政をすすめてきました。1958年の学習指導要領の改訂では、中学3年までで学ぶとされてきた881字の漢字の学習期間が、小学校6年までに一気に短縮されました。

 ’70年代に入ってからの学習指導要領の内容はさらにひどく、わかりやすく教えようとしても、その余裕がない状況が生まれました。今回改訂され2002年度から全面実施される学習指導要領では「学習内容を3割削減している」といっていますが、事実はそうではなく、学校五日制により授業時間が減り、その上、教科時間を削って「総合的な学習の時間」を創設しましたから、これまで以上にいっそうゆとりのない時間のなかで、詰め込み教育を強いられるものとなっています。

 そして、教育や学校制度についても、教育基本法でいわれているどの子も「等しく教育を受ける権利」を否定する、「特色ある学校づくり」という名による小学校からの学校の「多様化」が打ち出されています。今回、門真市の「中間報告」にある「自由校区制度の経緯と自由校区選択の手続きについて」とか「中学校にも自由校区を採用することについて」など、今後の審議で展開される「適正配置についての審議」のなかで、新たな受験競争をまきおこし、小中学校での学校間格差を生むような方向が出されないか、懸念されるものです。

(3)大阪府「教育改革プログラム」と教育行政の責務  大阪府「教育改革プログラム」では、国民・保護者・子どもたち・教師などをことさら槍玉に挙げ、「PTA活動が必ずしも十分機能しているとは言えない」「学校は閉鎖的で、どのような教育方針で教育活動をしているのかが分からない」「高等学校の中途退学の背景には、目的意識を持たない安易な学校選択や基礎学力・基本的生活習慣の不足」などと、次々に論断しています。

 しかし、先にも述べたように、教育委員会法を改悪して、地域住民による教育委員の公選制を廃止したり、学校の改築計画すら地域住民はもとより教職員にも公開しないなど閉鎖的な教育行政を続けてきたことや、父母・子どもたち・教師の「つめこみ教育の改善」への強い願いに反して、ますます詰め込みを強めてきた学習指導要領の改悪してきたこと、また、最近では、「日の丸・君が代」法制化の強行など、政府・文部省はじめ教育行政みずからの責任を棚上げにしたものといわざるをえません。

 本来、教育行政の責務は、教育に欠かすことのできない学問の自由と教育の自主性をまもり、教育諸条件を整備・確立することにあります。義務教育の無償、大きすぎる学級や学校規模の解消、教師の膨大な実務からの解放、学校の改修、公立高校の増設などがそうです。子どもたちの豊かな成長をはかるために、子どもの数が減少している今を絶好の機会として教育条件の整備を行うのが、教育行政の仕事ではないでしょうか。門真市学校適正配置審議会の答申は、こうした教育行政の責務怠慢を指摘することなく、国民世論ともなっている30人学級の実施を求めることもなく、さまざまな問題点をもつものと言わざるをえません。

(4)学校規模についての審議会の基調  「中間報告」は、学校規模について、学校教育法施行規則第17条(学級数)、および義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令第3条(適正規模)の法令において「12〜18学級が標準規模であり、かつ適正規模であることが明確に示されている」と指摘するとともに、審議会として、文部省の規定にない19〜24学級を含めて、12〜24学級を「中規模校」として一括し、「本審議会は、基本的には12〜18学級の標準規模校が適正であると考えるが、19〜24学級についても許容範囲として加えて、中規模校(12〜24学級)を適正規模とすることとした。」と述べ、国でさえ「適正規模」といっていない中規模校について、学校規模としての問題はないとの基調をしめしています。

 審議会は「門真市の地域性」をどのようなものとして「考慮した」結果、こうした結論を出したのでしょうか。文部省の規定でいう「過小規模校」と呼ばれる1〜6学級規模の学校は、門真市にありません。審議会は、7〜11学級の「小規模校」にあたる、中央小(8学級)・南小(9)・北巣本小(11)および6中(7)(それぞれ養護学級は除く)についてことさら論議を集中し、これら小規模校の解消が今日の教育条件整備の方向であるかのような審議のまとめが基調となっています。

 私たちは、どのような過小規模であっても「統廃合反対」と固定化しているものではありませんが、門真市における教育環境を考えた場合、とりわけ小規模校の存続は尊重されなけばならないと考えています。この問題は、あとで論評しましょう。

(5)「小規模校のメリット」について  中間報告は、小規模校におけるメリット・デメリットについての審議結果をまとめていますが、そこで「メリット」とされた次の4点一つ一つは、子どもたちの豊かな人格形成と基礎的な学力の定着を実現する上で極めて重要なものです。

1.児童・生徒にとっては、授業での発表機会のほか、児童会・生徒会活動や学校行事での活動の場が増える。

2.教員が児童・生徒一人一人を把握しやすく、学習指導・生徒指導がきめ細かく行え、児童・生徒相互の信頼関係や相互理解が強くなる。

3.教職員間の連携・調整等が密になり、指導方針や行事の計画等がまとまりやすい。また、特別教室等の施設・設備も余裕をもって使用できる。

4.教職員と保護者との人間関係も密接になり、保護者の協力が得やすい等。国際連合の専門機関である世界保健機構(WHO)は、「規則および規制を回避するためには、教育機関は小さくなければならないという点で意見が一致している。非人間的な規制ではなく、人間的な関係に基づいたインフォーマルで個性的な教育は、こうした条件のもとではじめて可能になる」(K ・セール「ヒューマンスケール」)と指摘しています。

 また、西ヨーロッパ諸国の学校規模は、ユネスコの統計(1994年)では、初等教育では平均100人台です。日本の教育の歴史からみても、規模の小さい学校で、一人一人の子どもが大事にされた教育実践が行われてきたことはよく知られています。
 一方、学校規模別の校内暴力の発生率や不登校率などをみても、ほぼ学校規模に比例して上昇しています。大きな規模の学校は子どもにとって負担であることは様々な指標からも明らかです。

(6)小規模校の「デメリット」指摘は正しいのか? 中間報告では、次の5点の「デメリット」が指摘されています。適切な指摘であるかどうか、検討してみましょう。

 デメリット1.「児童・生徒にとっては、多様な人間関係を経験する機会が少なくなり、人間関係の固定化が生じ、教職員も過干渉になりやすく、集団の中で切磋琢磨する能動的な態度の育成が困難になり、自主性や自立性の発達に影響を及ぼす恐れがある。」

 ここには、小規模校に対するあまりにも過剰なデメリットの断定があるのではないでしょうか。「教職員も過干渉になりやすく・・・自主性や自立性の発達に影響を及ぼす恐れがある。」としていますが、規模が大きくなればそうはならないのでしょうか?学校規模の大小に関わらず、子ども一人あたりの教員の定数が同じである以上、この問題は小規模校に断定できるものではありません。

 教師と親の違いはありますが、もっと「小規模」である各家庭ではどうなんでしょうか?・・・ここまで考えれば「小規模=過干渉による自主性や自立性の疎外」という図式には無理があることが明らかとなります。この問題点は、教育基本法の指し示す教育条理を踏まえた指導のあり方を探求することの必要性を示したものであり、そのためには、真にゆとりある教育条件が不可欠です。

 実践的にも、もっとも小規模な中央小学校では、「学年単位というよりも、すべての子どもがみんなの子どもという雰囲気で、子どもたちも落ち着いているようです。校長・教頭先生も子どもたち一人一人に声をかけてよく話していらっしゃいます。」とおっしゃる現場の指摘もあります。また、プールや給食交流など、学年を越えた子どもたちの関係を築く方策も探求されています。

 デメリット2.「学校行事の規模が縮小され、運営に制約が加わり、クラブ活動においても、指導に当たる教職員数の不足やクラブ数の減少が生じる。」 学校行事について考えるとき、子どもの成長・発達のために重要なことは、”大きくて見栄えが良い”ということではありません。学年行事でも一斉に体育館に入れるということも大きなメリットですし、校外学習・宿泊学習・修学旅行などどれをとっても場所や宿舎それに交通機関の選定など、むしろ小規模校のメリットが大きいといえます。

 「中規模校」となる24学級では、最大の場合、平均した各学年人数が小学校では160名、中学校では320名となります。運営に制約が加わるのはむしろ「中規模校」もふくめた規模の大きな学校ではないでしょうか。クラブ活動については、多種のクラブから選べるということが子どもにとっても魅力の一つではあるでしょう。

 小規模校では、どうしても各学校の生徒数や顧問となる教員数に応じた適正なクラブの数(=種類)にしぼることになります。しかし、クラブの数が多い大規模校の場合には、クラブ活動が自主的なものであるところから、特定のクラブに多数の部員が集中するといったことが生じます。しかし、学校を代表して出られる選抜チームは1つであり、個人競技の陸上部などにおいても種目ごとの人数は限定されています。

 本来、中学校におけるクラブ活動の目的は何でしょうか?もちろん勝てる強いチームにしたい、との願いは子どもたち自身の願いでもあり、大きな励みとなるものですが、より基本的な目的は、クラブ活動を通じて一人一人が大切にされ、出番を与えられる、ことが重要なものです。対外試合などで選抜チームによる「華」の陰に試合に全く出られない多数の部員を抱えるというのは、中学校のクラブのあり方として適正といえるものではありません。顧問としては、練習試合を組むなど様々な工夫で全部員の出番をつくる努力はするものの、一人一人を生かす指導は大規模になるほど難しいものです。

 クラブの種類を増やす一つの方策として、府教委は「教育改革プログラム」において「中学校区内の小・中学校や隣接中学校等において、複数校が合同で教育活動を企画・運営」する、と提言していますが、これはまったくありえない形態ではないにしろ、一方で教職員を削減し続けることを前提とした府の「財政再建プログラム」を前提としているなかでは、とうてい不可能なことです。また、地域社会での社会教育の条件整備を充実させ、営利目的ではなく、放課後や休日・余暇などの子ども達の文化・スポーツ活動への参加要求に応えることも、教育行政の重要な責務であり、こうしたことの指摘も必要ではないでしょうか。

 デメリット3.「教育課程の実施に当たっては、中学校では2学年以上の学年を担当する教員や、2教科以上を担当する教員が増え、教材及び指導方法の研究と授業準備等が不十分になる。」 今、現場の実態は、中間報告も指摘しているとおり「2学年以上の担当」や「2教科以上を担当」では「授業準備等が不十分」となっています。しかし、こうした実態から審議会が答申すべきことは統廃合のすすめでいいのでしょうか?

 中間報告には、個人の意見として「30人学級等との意見もあったが・・・(法律)に基づき、1学級当たりの児童・生徒数は40人として、審議を行った。」とあります。ここを改め、不十分だと断定される現状を改善するためには、複数教科担当にならないように教師の定員増が必要だということをこそ審議会として答申されるべきではありませんか。さらに、今の子どもたちの現状、門真市の地域性や学校の現状から見て、40人学級も「不十分」だといえます。年度途中の転入などから41人以上の学級となっているものもあり、学校現場では子どもたちや教職員の悲鳴があがっています。委員個人の意見の紹介にとどめるのではなく、審議会として「30人学級が必要」「当面、門真市独自でも39人以下学級にとりくむことが望ましい」との答申をされるべきではありませんか。

 デメリット4.「教員定数により、中学校においては、教科によって専門教員が配置できない場合も生じる。小学校においても、教員相互の研究の成果等が交換しにくくなる。」 中学校で専門教科の担当でない者が「仮免許」などで授業を担当するのは根本的な無理があります。もち時間数の数合わせという「経済効率」の発想でぎりぎりの教員定数としていることが異常なのです。子どもたちのためにも小規模校の中学校には、最低限、各教科担当を時間配置で保障することはあたりまえではありませんか。この当然の要求のもとで、門真市においても時間講師の枠を獲得するために市教委担当者も毎年大阪府に強く要望していただいているところです。異常な事態を招かないためにも、確固として「専門教員を配置すること。」という明確な答申をこそ期待されるものです。

 「教員相互の研究の成果等の交換」をするには、教職員定数を増やし、80%の出勤率で学校現場が機能できる本当のゆとりが必要です。今、法律で定められた有給休暇すら満足にとれず、教師の現職死亡があいつぐ実態があるのです。教育現場からゆとりが奪われているのは、小規模校であれ、大規模校であれ同様です。府の「教育改革プログラム」もまた、今後10年間にわたって、40人学級を前提とし、府民の財産である府立高校を地域住民との相談もなしに毎年2校づつ廃校にしていくとしています。そして、その初年度である今年8月25日、門真南高校および門真高校を廃校にし、「普通科総合選択制」という新たな仕組みの高校を門真高校の校地につくる、との案を発表しました。

 しかし、40人学級規模を前提としたものでは、とりわけ門真市の学校現場は成り立たない、このことを審議会の方々には、深くとらえていただきたいものです。その上、本年度から、大阪府は中学校の生徒指導主事の全校配置をとりやめ、8割の中学校に配置するとして門真市では1名ひきあげました。
また、ますます複雑化している進路指導に対応できるための進路指導加配を3名から1名に削減しました。

 審議会の中間報告は、今もっとも求められており、国民世論ともなっている30人学級をはじめとする学級規模の縮小について提言せず、府の「財政再建プログラム」がすすめている教職員の大幅削減についてもまったく言及もしないで、今の定数のままで、むしろ、教職員定数の削減を前提として、「今後」について検討しています。くり返しになりますが、ここに根本的な足場の掛け違いがあるのではないでしょうか。去る9月30日に、「門真市における府立高校の再編整備に関する意見書」が門真市議会で採択されました。

 これは「門真の3つの府立高校を存続させてほしい」という市民の願いを打ち出さなかった点で基本的な弱点をもつものですが、統廃合に伴う問題点については的確な指摘が随所に見られるものです。そこでは、「少子化が進み生徒数が減少していることは承知するところであるが、今こそ教育環境の整備を進め、きめ細やかな教育を行うことが必要である。」と述べています。審議の前提に、国民世論ともなっている30人学級を強く要求し、このことを見据えた学校規模のあり方について検討することこそ、将来を見据えた「学校規模」「学校配置」が検討できるのではないでしょうか。

(7)「新教育課程」のおしつけを前提にはできない。  デメリット5.「ティームティーチング・選択履修幅の拡大・総合的な学習の時間等の推進に当たっては、教員数の少なさによる実施上の問題があること等があげられる。」2002年度から実施される「新教育課程」を推進するためには人員が不足するというのですが、これは学校規模の大小を問わず、今まで以上の教員の負担増があることを示しています。教員定数を増やさず、また多少の「加配」を条件に、次々と新しい教育方法をおしつけていることについては、厳しい批判がわき起こっているものです。新教育課程の実施を、小規模校の統合をすすめる理由とするのは、あまりにも身勝手ではないでしょうか。

 門真市の全中学校では選択履修の時間が作られています。第6中学校では、2週間に一度土曜日3限目を3年生選択履修としています。2クラスですので平常の授業なら教員は2名、ところが6つの講座を開いているために、6名の教員がつきます。あと1年・2年の授業に行く教員や障害児のつきそいにつく教員もおり、空いている教員は生徒指導主事を含めて2名。まったく人員の余裕がありません。一方では教員を削減しつつ、この選択履修など人手のかかる部分をさらに増やそうとするのが文部省・府教委の方針であり、もともと無理なもちこみなのです。

 学校完全五日制とともに新設される週3時間の「総合的な学習の時間」導入によって、新教育課程では「7割削減した」とされる教科内容の精選以上に教科の時間が削られます。例えば、国語の授業時間が小学校6年間で224時間削減されるのに、教える漢字の数は全く同じです。文部省は「漢字の書きは上の学年までにやればいいことにしたので軽減される」と言いますが、漢字は読みや書き、短文つくりをする中で習得していくものです。教科教育でのゆとりを奪っておいて、総合的な学習を展開する力を培うことはできません。私たちは、教科教育を充実させることと並行して、「目の前の子どもたちに何が必要か」との視点からカリキュラムを組み、従来から「総合学習」と呼ばれる実践を積み重ねてきました。各学校の特色もこうした取り組みの自然な結果として生まれてきたものです。

 しかし、今回の「総合的な学習の時間」の導入は、「学校自己評価」などを通して教育行政が教育内容にまで介入し、これに応じた学校についてだけ予算をつけて、何としても「特色ある学校づくり」をさせようとのねらいをもつものです。そのため、各学校の自主性が奪われ、子どもたちの必要からは、かけはなれたものとなる危険性があり、私たちは、学校の自主性を文字どおり尊重したものとなるよう要望しているものであることもご承知ください。

(8)「門真市の地域性を考慮」するとは?  学校規模を検討する場合に最も大切なことは、その地域性を考慮することではないでしょうか。それは、審議会の中間報告も「門真市の小・中学校の適正規模を考える時、単に法令どおりの12〜18学級を適正規模と決めることは、門真市の地域性を考慮したことにはならない。」と述べている通りです。

 従来、統廃合が問題となってきたところは、いわゆる「過疎地域」でした。そして、その学校規模も本当に小さく、いわゆる文部省基準でいう「過小規模校」であったわけです。しかし、門真市はむろん過疎地域ではなく、過小規模校もありません。では、小規模校について検討をすすめる場合に考慮すべき門真市の地域性とはどういうものなのでしょうか。

 審議会の中間報告には、「門真市の学校の実態等を把握し、21世紀の子どもたちの未来像を見つめ、各学校において、円滑な学校運営ができるよう配慮しながら審議を進めてきた。」と述べているものの、具体的にどのように「配慮」したのかが、まったく記述されていません。個人の意見としては「小規模校には、小規模校なりのよさがあり、それを生かすことも考えられる」「すべての学校を、一律に標準規模校とする必要性はない」といった、それこそ門真市の地域性を熟知しているからこそ出せる意見が紹介されてはいますが、これらは顧みられず、「審議の結果」として記述されていることは、むしろ逆行しています。

 審議会は、文部省も規定していない19〜24学級を「中規模校」として、法令による適正規模としての12〜18学級と一括りにし、強引に「許容範囲として加えて、中規模校(12〜24学級)を適正規模とする。」と結論づけています。これが、門真市の地域性を考慮した結果だというのです。しかし、24学級とは、小学校で各学年4クラス、中学校で各学年8クラス、しかも1クラス40人規模の学級のままなので、最大960名となります。こうした規模の学校をわざわざ作り出していいものでしょうか。ここに、門真市の地域性を考えるポイントがあると考えます。

 北河内地区生徒指導主事研修会(’97年12月)における門真市A中学校からの報告では、「教師が手を抜けば(抜かなくても)、学校が荒れる要素は十分抱えている」「不登校の多さも悩みの一つ。・・・不登校気味と考えられる生徒は22名で、7名は非行による不登校です。逆に本人よりも明らかに家庭に原因があると考えられるケース(保護者の養育能力・経済状態など)が5人、その他の生徒の中にも複雑な家庭事情をもつケースが多く、門真市の場合、必ずしも『学校が落ちついていれば不登校生徒が減る』とは限りません。地域事情のしんどさと不登校生徒の多さは、かなり密接な関係があります。」と述べています。

 やや古い資料になりますが、不登校児童・生徒(1995年度、1000人あたりの人数)30日(50日)以上についてみると、小学校は、全国で最も多い大阪府平均とほぼ同様。9.3(4.3)人。中学校は大阪府平均40.8(29.5)人よりかなり高い52.2(41.0)人となります。これらは、ほんの一側面ですが、家庭的な困難、また発達上の困難を抱えた子どもが少なくないことはわかると思います。家庭的な事情を抱えた転出入が多いことも特徴です。

 かつて、門真市が財政再建団体転落寸前になったとき、中学校給食の打ち切り方針が提出されました。その時に、朝食ぬきで来る子の問題や栄養バランスの偏りがちな子がいる、等が指摘され、門真市には中学校給食は不可欠だ、との合意が成立しました。昼食時の法律で定められた休憩時間もとれず、指導の手間暇はかかるものの、安全でおいしく、地域の特産物(レンコンやくわいなど)もふんだんにとりいれた、完全自校炊飯の小中学校給食があることは、門真市の誇りともいえる施策です。これらに、門真市の地域性を考慮する出発点があります。

 小規模校のメリットであげられていることこそが、門真市の子どもには必要なのです。そして、小規模校のデメリットであげられている根本的な解決として教職員の定数増員が不可欠なのです。審議会の中間報告はこのことをこそ「審議の結果」として指摘しなけらばならないのではありませんか。

(9)おわりに  門真市は、行政が率先して市民に開かれたものとなるよう努める必要があります。「門真市学校適正配置審議会規則」は、第9条「秘密の保持」として、「審議会に出席した関係人は、会議において知り得た事項を他に漏らしてはならない。」としています。個人のプライバシーに関わる事項については当然のことですが、小規模校のメリット・デメリットはじめ、結論を委員だけで決める前に広く市民や学校関係者の意見を聞くということが必要なのではないでしょうか。ましてや、審議会として「適正規模」については審議の結論を出した「中間報告」を広く市民に公開することは当然のことです。

 私たちは、市教委より中間報告を受けとった時点で、「自由に論評をする」ことを申し述べ、さらに、審議会において門真教職員組合の代表が意見を述べる場も設定していただきたいと8月31日に申し入れました。行きすぎた秘密主義を廃し、市民に開かれた審議会となるよう強く要望するものです。

 次に、主な要望を列挙します。

1.中間報告を市民に広く公開すること。

2.学校現場の教職員ならびに保護者の意見を広く聞く機会を設けること。

3.門真教職員組合の代表が十分に時間をとって、審議会で発言できる場を設けること。

4.考慮すべき「門真市の地域性」とは何か、明らかにすること。

5.小規模校の尊重を審議の結果の基調にすえること。

6.学校適正配置の審議においては、将来の30人定員学級を前提とすること。

7.当面、小学校1年生および中学校3年生における39人以下学級を市単独ででも実施するよう、
  市に提言すること。

                                       以上、意見書として提出いたします。