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  従来型集票網から離れた自立型有権者の登場(戸田仮説の実証)

 従来の門真の選挙集票戦術の圧倒的主流は、「地縁、血縁、業界縁、宗教票と拝み倒し依頼」といったドロドロしたものであって、政策や主張による有権者の自立的判断はわずかなものであった。
 門真の多くの有権者にとって、4年に1度の選挙シーズンだけが有権者として議員候補の上に立てる時であり、その時に地縁・血縁・業界縁と「どの候補者陣営がどれだけ頭を下げて自分の所に頼みにきたか」が投票の判断基準であることを、現職議員として多くの人々の声を聞く機会のできた今回の選挙戦で、戸田も知ることができた。
 そういう門真にあっては、「いくらいいことを書いたビラを配っても、それで声援する人があっても、票としては当てにならないよ」、ということを再三言われてきたし、戸田としてもそれに対する反論根拠は自分の直感以外にはない状況だった。(要するに確たる根拠を示せないということ)

 「市民運動不毛の地」と言われてきたこの門真で、
・キチンとした主張や活動を受け止めてくれる人はどれだけいるのか、
・一定数いたとしても、それらの人々はどれほど投票に行くのか、
・投票に行くとしてもその数は十分な数か、
・それらの自立思考的人々は、自分は行くとしても他の人の巻き込みは弱くて結局は
 従来型選挙に数で押されてしまうのではないか、
というような疑問、批判が「従来の門真の現実」をよく知っている人ほど湧いてくるのは無理からぬことであった。

 戸田が保持してきた仮説は以下のようなものであった。

1;この門真では「市民派議員」を優は3人は誕生させるだけの「潜在需要」がある。
 (これは前回選挙戦の時から感じていた)

2;キチンとした主張や活動を受け止めてくれるそれなりの人数が存在する。

3;たとえ字がビッシリで読みにくくても、内容がキツくても、戸田の通信のファン
  はそれなりの人数が存在する。

4;自立した戸田支持者は、「従来型集票網」からそもそも漏れているか、入っていた
 としてもそこからの影響には左右されない人々だから、いわゆる「口コミデマ」や
 怪文書が影響力を持たない。
  また、「戸田が挨拶にも来ないからもう支持しない」と短絡的に反発する人よりも
 「来るヒマが取れないほど活動に頑張ってるんだろう」と理解してくれる人の方が多
 いはずだ。(もちろん顔出しして話をしたほうが良いのではあるが)

5;駅ビラで激励してくれる数人の背後には数十人から百人単位の支持者がおり、例え
 ば門真市内各駅通勤者平均100人、5駅で500人以上の支持者がいると考えてもおかし
 くはない。

6;戸田の通信内容からして、固定的な通信配布世帯が1万世帯・有権者約1万8000人
 分あるならば、そのうちのわずか5%=900人程度は支持者になってもおかしくない。
 市内の振興住宅2000軒有権者3600人で180人の堅い支持者がいてもおかしくはない。
 (配布のための労力が継続できてこそだが)

7;一般的なアンケート結果として、候補者選択の理由のトップは「広報を見て」と
 「ポスターを見て」である。(演説は別として車での連呼はゼロに等しい)
  とすれば、良くできたポスターや広報で200票程度発掘したとしてもおかしくない。

8;聞くに堪える演説をする人がほとんどいない門真で、しっかりした演説を重ねれば
 数百票は発掘ないし固めることができると見てもおかしくない。
 (そのためにしっかりした音響設備と宣伝体制、人目を引くスタイルなど)

9;門真市民の7割程度は日常感覚として公明党勢力が大嫌い。(圧迫感、うっとうし
 さ)。この公明党勢力や、「まともな話が通じない門真の体質」をズバズバ批判する
 ことが支持者を増やすバネになる。(「勇気ある発言」への共鳴・共感)

 今回の大勝利は、以上の仮説が概ね正しかったことを実証できたと言ってよいだろう。
 門真に来てわずか11年。何の地縁・血縁もなく、いわゆる地元団体や業界のバックアップもなく、(情けないことだが)ちゃんとした後援会組織も作れないまま、事務スタッフと極わずかに結集する支援者、地元票わずかの連帯ユニオンの応援のみの、市民派一匹狼議員が空前の6.51%の得票率で3106票を得られた、という事実がそれを示している。

●「従来は人に頼まれた縁で他の議員だったが、戸田の活動や通信に共鳴して戸田に投票した」という声を多く聞いている。門真でも個人として自立的に思考し投票する有権者達が一定の大きな固まりとして、それも劇的に急浮上してきた。
 門真でも市民の新時代が始まったのだ。
 次回も戸田が選んでもらえるかどうかは戸田の努力と状況次第だとしても、「従来型集票網から離れた自立型有権者の増加傾向」はもう後戻りしないだろう。それが時代の流れというものである。