2012年6月 本会議意見書
「尖閣諸島の実効支配を推進するための
法整備を求める意見書」に
 断固反対討論等

1:「尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書」への断固反対討論

2:「尖閣=日本領土」の誤った領土主義に転向して40年超の共産党の筋違いな反対討論

3:「「北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書」に関する討論

4:戸田の前に共産党が「非軍事、外交手段に徹すべし」の立場で反対討論

1:「尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書」
への戸田の断固反対討論

・議員提出議案第9号:(自民党新政クラブ提案・与党4会派議員で上程)
    「尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書」に関して。
 なお、戸田討論の紹介の後に、意見書全文と上程議員名を挙げておく。
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 公式議事録:門真市議会会議記録検索: http://www03.gijiroku.com/kadoma/ より。


◆戸田委員

14番無職属・革命21の戸田です。反対の立場から討論いたします。
今の共産党の討論程度の時間で行いますので、よろしくお聞きください。


さて、この意見書の共産党も含めてすべての前提になっているのは、
いわゆる尖閣諸島は日本固有の領土であるという認識からすべて始まっております。
しかし、私はそれは間違いであると考えます。
  
恐らく今の日本のいわゆる世論の95%以上が、
「そんなもの当たり前じゃないか、考えるまでもない」というふうになっている中で、
私が今から述べることは、見たことも聞いたこともないと感じる方がほとんどかと思いますが、一遍は耳を傾けてください。

  
さて、井上清さんという2001年に87歳で亡くなった日本の近代史研究の第一人者がおります。
この方は、67年に共産党を除名された人でもありますが、
1972年に「「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明」という非常に長文を発表しまして、
日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効であると主張しております。
この説には非常に説得力があり、私も賛同しております。

項目的に述べますと、
 ・日本政府は故意に歴史を無視している。
 ・釣魚(ちょうぎょ)諸島は、明の時代から中国領として知られている。
 ・清の時代の記録も中国領と確認している。
 ・日本の先覚者も中国領と明記している。
 ・「無主地先占」の法理はここでは成り立たない。
 ・琉球人と釣魚諸島との関係は浅かった。
 ・いわゆる尖閣列島は、島名も区域も一定していない。
 ・日清戦争で日本は琉球の独占を確定した。
 ・天皇政府は――戦前の日本ですね――釣魚諸島略奪の好機を9年間うかがい続けた。
 ・日清戦争で釣魚諸島はひそかに盗み、台湾は公然と奪った。
 ・日本の尖閣列島領有は国際法的にも無効である


などが実証的に述べられておりますが、少し肉づけしていきますと、

1、尖閣諸島という名前そのものが、日本固有の領土論のでたらめさを表現している。
この名前がつけられたのは、1895年に尖閣諸島の日本領有が閣議決定されてから5年もたった1900年のことだった。
それは当時の日本海軍の模範であった英国海軍が、
ピナクルアイランズ――とがった塔ですね、尖塔、とがった岩の島という名称を直訳したものであります。
この尖塔というのをやや重々しく尖閣に言いかえたにすぎない。

これに対して釣魚諸島は、明の時代から中国領として釣魚台あるいは釣魚嶼――「島の小さな岩」という意味の「嶼」(しょ)ですね。
「黄尾嶼」(こうびしょ)、赤尾嶼(せきびしょ)などの名前で知られており、
当時中国沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、
沿海防衛のための地図にも記載されていた。
日本政府やマスコミが主張する国際法上の無主地先占の法理からすれば、
釣魚諸島を最初に発見し、命名した中国に領有権が生ずる。
しかも、明政府は、これらの諸島を海上防衛の区域に定めていた。
たとえ無人島であったとしても、今日の言葉で言えば実効支配が確立していた。


2、1874年に台湾出兵を行った大日本帝国は、台湾侵略の足がかりとして釣魚諸島の略奪をねらっていた。
1885年、内務卿山県有朋は、
たとえ中国側の記録――「中山伝信録」というものですね――に記録された島々であっても、
すなわち「中国領であっても、宮古や八重山に近い無人島なのだから日本のものにしてしまって構わないだろう」と主張して、
外務卿の井上馨に打診していた。
これに対して井上は、清国での反日世論を考慮して慎重論を唱え、
結局山県と井上は連名で沖縄県に対して「直ちに国標――国の標識ですね――を建設する必要はない」と指令している。

そして、日清戦争での日本の勝利が確実になった1894年末になって、
内務省は外務省に秘密文書で「釣魚諸島を沖縄県所轄として国標を建てることについて閣議決定すること」を申し入れ、
翌1895年1月14日に閣議決定が行われた。
しかし、この閣議決定は非公開で、公開されたのは55年も後の1950年になってからであった。


3、釣魚諸島は、どんな条約にもよらず、戦争に勝利したどさくさに紛れて盗み取ったものである。
1895年の閣議決定は公表されなかったし、釣魚諸島を日本領に編入するという公示が出されたわけでもなかった。
国標も建てられたわけでもなかったし、講和条約の議題として日本が持ち出したわけでもなかった。
敗戦した清国が、自分の知らないところで秘密裏に行われた釣魚諸島強奪に抗議することなどできるはずがなかった。


4、大日本帝国は、第二次大戦降伏後の領土問題について、
「カイロ宣言の条項は実行される」と明記したポツダム宣言を受け入れて無条件降伏した。
カイロ宣言は、「満州、台湾、澎湖諸島など日本が中国から奪ったすべての地域を返還する」と規定している。
また、サンフランシスコ講和会議には中国代表は招請されてさえおらず、
したがって講和条約は中国を拘束せず、中国と日本の領土問題はその後も積み残されたのである。


5、秘密裏に盗み取ったため、釣魚諸島がいつから沖縄県の管轄になったかも不明のままである。
日本側は、1895年の閣議決定を経て、
翌年4月1日の勅令第13号で日本領となったと主張しているが、これもでたらめである。
沖縄県の編成について記されたその勅令には、
久米島や慶良間諸島、八重山諸島等々については書かれていても、
釣魚島(ちょうぎょとう)――魚釣島(うおつりしま)ですね、
釣魚島の日本名も、久場島(くばじま)――黄尾嶼(せきびしょ)の日本名も全く出てこないし、
もちろん尖閣列島などという名前も出てこない。

そもそも先ほど言ったように尖閣列島なる英語から直訳された名前がつけられたのが1900年です。

(「簡単に言うて」と呼ぶ者あり) 
(戸田)同じ時間です。

  
このように、釣魚諸島が中国の領土であるということは、
歴史的にも国際法的にも動かしがたい事実である、ということを井上清さんが1972年に書いて、
それを覆すような主張は、私の知るところではないと考えます。

  
侵略した側である日本の労働者人民が、
日本帝国主義の侵略と不法な占領をあたかも当然であるかのように認めているようでは、
真の国際的民衆連帯は築けません。
  
私自身は、革命左翼の矜持にかけて、釣魚諸島が日本の領土だという論にも、
それを土台とした政策にも反対を続けます。
  
たとえ右翼などから激しい攻撃があっても、私はこの信念を変えることはありません。

以上を表明して、私の反対討論といたします。

議長(鳥谷信夫君)
これをもって討論を終了いたします。
  
これより議員提出議案第9号を採決いたします。
本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕


御異議なしと認めます。
よって議員提出議案第9号「尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書」は、原案のとおり可決されました。

議員提出議案第9:尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書
【提出者】門真市議会議員
      田伏 幹夫
      平岡久美子
      土山 重樹
      春田 清子
      吉水 丈晴
      日高 哲生

 尖閣諸島は我が国固有の領土であることは歴史的・国際法的に明確であるが、中国が不当に領有権を主張している。
 このまま放置すれば我が国の領土保全は極めて不安定な状況になる恐れがあり、尖閣諸島
の実効支配を早急に強化し「尖閣を守る」国家の意思を明確に示す必要がある。

 また、我が国は世界第6位の排他的経済水域面積を有し、豊富な海底資源を保全し、国益を守るためにも国境となる離島の保全・振興、無人島となっている国境の島の適切な管理を進めていく必要がある。

 よって政府は、海洋国家日本の国益を保全するため、下記事項の実現を速やかに進めるよう強く求める。
         記
1 我が国の領土・主権を毅然たる態度で守る意思を内外に明確にするため、領域警備に関
 する必要な法整備を速やかに講じること。

2 我が国の領土主権・排他的経済水域等の保全上、重要な離島を振興する新法を制定する
 こと。

3 我が国の領土主権・排他的経済水域等の保全上、重要な無人島について国による土地収
 用の係る措置等を定めた新法を制定すること。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
                            平成24年6月20日
                            門真市議会
内閣総理大臣
文部科学大臣
厚生労働大臣 各あて
経済産業大臣
国土交通大臣
 

2:「尖閣=日本領土」の誤った領土主義に転向して40年超の共産党の筋違いな反対討論

宮本顕治体制の下、60年安保闘争の頃には反動的右旋回路線を始めていた日本共産党は
60年代後半の世界的大激動期(日本では全共闘時代)にはすっかり「議会主義偏重・
革命抑止秩序派」としての姿を露わにし、選挙目当ての「愛国共産党」路線をどんどん深めていった。

領土問題での主張などはその典型で、60年代後半以降、
年ごとに「領土愛国路線」への傾斜を強め、70年代には「領土問題を最も断固として主張するのは日本共産党です!」
と言うまでに転向していったのである。(「プロレタリア国際主義」から「ブルジョア愛国主義」への迎合)

「北方領土」問題に至っては「他党は北方4島返還要求のみだが、
共産党は全千島返還を要求してます!」というウルトラな主張で「愛国の党」を打ち出している。
 
共産党が「我が党は1972年に尖閣諸島は日本領土だとの見解を出してます」(キリッ)とか
「我が党は1977年に竹島は日本の領土だとの見解を出してます」(キリッ)と言うのは、
「それ以前には違った主張をしてました」という事実を隠蔽し、
また「なぜそれまでの見解を変えたのか?」、
「それまでの見解のどこに誤りがあったと認識しているのか?」、という「総括無き路線変更」を誤魔化すものである。

釣魚(ちょうぎょ)諸島問題=いわゆる尖閣諸島問題で言えば、
1960年代半ばから中国共産党の毛沢東文革路線との対決が厳しくなるに従って認識を変え、
1972年の日中国交正常化で「尖閣問題棚上げ=日本が実効支配を続ける事を中国が黙認する」形になった事への
対抗として「自民党政府は弱腰だ!尖閣諸島は日本の領土だ」、という見解を出したのである。

戸田の指摘と較べて共産党の「日本の領土だ」論が粗雑な愚論である事は明らかだが、
共産党はこういう誤った「尖閣は日本の領土だ」論の立った上で、「しかし力の政策には反対だ」という「反対討論」を行なった。

戸田の「釣魚諸島はどんな条約にもよらず、日清戦争に勝利したどさくさに紛れて中国から盗み取ったものだ」論を
初めて知って驚いた共産党議員達の中には、
「そんな話は初めて聞いた。共産党の大阪府委員会に問い合わせてみる」と言った議員もいたが、
結局は「とにかく日本共産党は正しい!」という事に丸め込まれていくのだろう。

さて、前置きが長くなってしまった。
「同じ反対でも戸田とは全く土台が違う」共産党の反対討論を以下に紹介する。
 公式議事録:門真市議会会議記録検索: http://www03.gijiroku.com/kadoma/ より
井上まり子(日本共産党議員)
13番井上まり子です。日本共産党議員団を代表して、
尖閣諸島の実効支配を推進するための法整備を求める意見書案について反対の立場から討論します。

尖閣諸島の問題は、東アジアの平和と安全、日本と近隣諸国との友好関係にとって解決しなければならない
極めて重要な外交問題ですが、日本の外交のお粗末ぶりを示す事案となっています。

日本共産党は、尖閣諸島が日本固有の領土であることを1972年、今から40年前に見解を発表しています。
日本の領有には、歴史的にも国際法上も明確な根拠があることを明らかにしています。

我が党が尖閣諸島が日本固有の領土であると主張している明確な理由ですが、
尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られていましたが、
いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。
  
1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入されたのが、
歴史的には最初の領有行為です。それ以来日本の領有支配が続いています。
  
所有者のいない土地に対しては、
国際法上、先に占有していた先占に基づく取得及び実効支配が認められています。

日本の領有に対して1895年から1970年代に至る75年間、
外国から異議が唱えられたことは一度もなく、中国も沈黙していました。

このような歴史の事実に基づいて、日本共産党は、
日本の領有は国際法の要件に十分に合致していて、極めて正当なものと主張してきました。

日本固有の領土にもかかわらず、なぜ今日のような事態を招いてしまっているのか。
それは、歴代の政府が日本の尖閣諸島領有の正当性を世界に対しても中国に対しても主張してこなかった、
これが最大の問題点であることは明らかです。

  
解決の道はどこにあるのでしょうか。
  
人類は、20世紀の2度の世界大戦を経て、
領土を含む国際紛争の解決は平和的手段によらなければならないという大原則をうたってきました。
日本共産党は、まさにこの大原則に沿った方向以外に解決の道はないと考えます。

力の政策、軍事的な対応を振りかざすことは、国内的には勇ましく見えるかもしれません。
しかし、この問題の本質的な解決をさらに困難にすることになるのではないでしょうか。
  
そうした対応は、日本の正当性を覆い隠すことになるものです。
国際社会に日本領有の正当性への理解が広がらなければ、
ここまでエスカレートしてきている事態を解決に向かわせることなど不可能であります。

  
本意見書案では、領域警備に関する必要な法整備、つまり自衛隊が出動できるように、
もしくは常駐できるようにしてはということ、軍事的な対応を求めています。
世界がこの問題を日中どっちもどっちというぐらいにしかとらえていない中で
そんなことをすれば、事態はさらにエスカレートするでしょう。
中国国内の対日感情も悪化します。そうなれば、進出している日本企業も貿易も交流事業も深刻な事態になるでしょう。

一昨年の中国漁船の事件で政府は、最大の貿易国である中国との戦略的互恵関係をおもんぱかってのことですが、
逮捕した中国人船長を釈放するという対応をしました。
今後こうした事態の繰り返しの危惧があります。
国際世論を味方につける方策こそ重要と考えます。

  
日本の正当性を世界が理解するまで主張し続ける。
道理は日本にあるのですから、自信を持ってさまざまな場面で堂々と訴え続ける。
中国が、この問題で突っ張ることが国際社会での孤立を招き、
国益にもそぐわないと思わせるところまで国際世論をつくっていく、
その外交努力こそ解決の方向性であることを述べ、本意見書案には同意できません。


以上を述べて、討論といたします。(拍手)
ちょいマジ掲示板 なかやましげるさんの投稿→http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7422;id=#7422
 

3:「北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書」に関する討論

◆戸田委員
14番無職属・革命21の戸田です。
本意見書案に反対の立場から討論いたします。
  
この意見書が力ずく一辺倒であるというふうなことについては、共産党の指摘のとおりです。
また、強硬論ばかりを主張しておりますが、じゃ強硬論一辺倒でやったこの10年間、
どんな成果があったのかということのとらえ返しもない。

そして、拉致者返還運動ということに一緒になって、
今度は国内の在日韓国人・朝鮮人への差別運動がどんどんと進められてきたこの嘆かわしい事態について、
「坊主憎けりゃけさまで憎い」論的に進められている憎悪の政治ということにも危惧を覚えます。

しかし、この意見書は、実はそういうふうなことを考える以前に、
この意見書の文案が市議会という公の機関で論議するにまともなことか、
ということをぜひお考えいただきたいんですね。
  
私は、拉致被害者の救援のために政府が頑張れと、
柔軟にあらゆる手段をとって頑張れというふうなことであれば、もう大いにこれは賛成いたします。

しかしながら、特にこの今般の意見書は、
例えば公の機関で採択してくれという文章で、相手の肩書もつけない「金正日」。
これは「総書記」とか、「国防委員長」とか、何らかの肩書はつけるべきでしょう。


それから、ここの中段のほうにあります
「北朝鮮が生きている被害者を死んだと言わざるを得なかったのは、独裁者金正日の責任を認めたくないためだった」とか、
「後継金正恩政権の不安定さを含め救出の好機となり得る」とか、
何かそこら辺の安手の週刊誌に書いているような推測記事ですけれども、
この市議会でこういうふうな推測を公的機関の認識としてしまっていいんでしょうか。

また、「救出の好機となり得る」とか、そういうふうな形で、
一部の右翼、軍事オタクで行われているような、
北朝鮮に特殊部隊を送り込んで拉致被害者を救出するんだというふうなことを想起させられますけれども、
そんなことは実現不可能であるし、一兵たりとも送ったら大問題になるということは、もうわかり切ったことですね。

  
ですから、市議会に出すに当たって、こういうはっきり言うとレベルの低いアジビラなんですよ、これは。
  
最初がそうであっても、良識ある保守たることを自認しておられる自民党新政クラブの方々は、
上からこういうものがおりてきても、このアジビラ程度のやつは練り直して、
強硬論は強硬論で結構ですけども、それぞれ賛否議論すればいいんですが、
少なくとも議会という場所に出すのにふさわしい、
恥ずかしくない文章に少し訂正していただきたかったんですね。ほかの方々もそうです。

  
私自身の責任でいえば、自分の質問準備のほうで本当に手いっぱいになって、
これについて皆さんに懇切丁寧にここら辺はおかしいですよということを言うて回ることができませんでした。
それについては力不足を反省いたします。

  
このような文面の意見書が市議会で採択されるというのは、
私は議員として大変に恥ずかしい思いです。

そのことを述べて、反対討論といたします。(拍手)
議長(鳥谷信夫君)
これをもって討論を終了いたします。
  
これより議員提出議案第10号を採決いたします。
本案は、原案のとおり決することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕


御異議なしと認めます。
よって議員提出議案第10号「北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書」は、原案のとおり可決されました。
議員提出議案第10:北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書
【提出者】門真市議会議員
      田伏 幹夫
      平岡久美子
      土山 重樹
      春田 清子
      吉水 丈晴
      日高 哲生

 平成14年、北朝鮮は拉致を認めて5人の被害者を返した。しかし、そのとき以降、
5人の被害者家族の帰還以外、全く進展はない。
 北朝鮮の地で我が国からの救いの手を待っている被害者らの苦しみと日本の地で帰りを待つ家族の苦痛も10年延長した。

 政府は現在、17人を北朝鮮による拉致被害者として認定している。それ以外に、いわゆる特定失踪者を含む多くの未認定被害者が確実に存在する。このことは政府も認めている事実だ。
 平成18年以降、政府は首相を本部長とする対策本部をつくり担当大臣を任命して被害者救出に取り組んでいるが、いまだ具体的成果を上げることができていない。

 昨年末、拉致の責任者である金正日が死んだ。
 北朝鮮が生きている被害者を死んだと言わざるを得なかったのは、独裁者金正日の責任を認めたくないためだった。
 その金正日の死は、後継金正恩政権の不安定さを含め救出の好機となり得る。金正恩政権に強い圧力をかけ、実質的交渉に引き出さなければならない。

 一方で、混乱事態が発生し被害者の安全が犯される危険も出てきた。
 混乱事態に備えた対策も早急に検討しなければならない。
 拉致問題は重大な主権侵害であり、かつ許しがたい人権侵害であることは言うまでもない。

 よって政府は、今年を勝負の年として、全精力を傾けてすべての拉致被害者を早急に救出するように強く要望する。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
                            平成24年6月20日
                            門真市議会
内閣総理大臣
文部科学大臣
厚生労働大臣 各あて
経済産業大臣
国土交通大臣
 

戸田の前に共産党が「非軍事、外交手段に徹すべし」の立場で反対討論

反対討論を行なうという通告を出したのが、共産党の方が早かったので、戸田よりも前に共産党が反対討論を行なった。

ちょっと政党宣伝臭が強いのと、いかにもな公式論に留まり、戸田のような「こんなアジビラ文章を市議会の意見書にして恥ずかしくないか?」という提案者の良識に迫る工夫は無いが・・・。
 公式議事録:門真市議会会議記録検索: http://www03.gijiroku.com/kadoma/ より

●亀井淳(日本共産党議員)
22番亀井淳でございます。
北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を求める意見書案について、反対の立場から討論を行います。

  
今回上程された意見書に「金正恩政権に強い圧力をかけ、実質的交渉に引き出さなければならない」、
「混乱事態に備えた対策も早急に検討」など、
力ずくで物事を押し通す姿勢、いたずらに緊張関係をもたらす記述などが貫かれた内容になっています。

我が党は、北朝鮮に対して、国際社会が一致した対応をとること、
非軍事・外交的手段に徹するという二つの原則が大事であると考えるものです。

これまでから日本共産党は、北朝鮮による日本人拉致を初め、
北朝鮮とのさまざまな問題について積極的な役割を果たしてまいりました。
1988年、我が党の橋本敦参議院議員の質問に対して、
一連の行方不明者が北朝鮮による拉致と考えられるとの政府見解を初めて引き出しました。

1998年秋、北朝鮮によるテポドンミサイル発射という事態が起きた後、
衆議院本会議で、日朝に交渉ルートが存在していないまま軍事的対応の悪循環が進んでいるのは問題という立場から、
正式の対話と交渉のルートを確立すべきと主張し、
その中で拉致問題を含めて双方のあらゆる問題をきっちりと解決することを提案いたしました。

その後、村山元首相が日本共産党にも積極的に働きかけ、
超党派の議員団を北朝鮮に送り、政府間の交渉の糸口が開かれました。
それが2002年の小泉首相の訪朝と日朝平壌宣言につながりました。

日朝平壌宣言は、核兵器、ミサイル、拉致、
過去の清算など両国間の諸懸案を包括的に解決して国交正常化を図るという外交的解決のロードマップとして、
極めて重要な意義を持つものとなりました。

さらに、6カ国協議という枠組みが進展し、2005年の6カ国協議の共同声明は、
朝鮮半島の非核化を初めとする諸問題の平和的解決を確認するなど重要な前進をつくりました。
その中には、米朝国交正常化、日朝国交正常化への努力も位置づけられました。
そして、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力がうたわれました。

その後、北朝鮮による核実験、本年4月13日、
弾道ミサイル技術を利用した発射の中止を求めた国連安保理決議に違反する行為など、
さまざまな複雑な逆流が起こっていることは事実であります。

しかし、今後を考える上で、北朝鮮指導部が宣言や共同声明に立ち返り、
国際社会の責任ある一員としての道を進ませるための外交的努力に力を尽くすことが大切です。
そのために、国際社会が一致して足並みをそろえた対応をとることで、
北朝鮮によるこれ以上の地域の緊張を高める行動を抑える力としていくべきです。
  
重ねて非軍事、外交手段に徹し対応すべきことを述べて、討論を終わります。(拍手)