「戸田がもう議会から消えるかも」と皆を驚かせた「再質問」での「惜別あいさつ」!(元の原稿)

 

 

 答弁に突っ込みたい部分もありますが、要望や指摘に留めます。

 第二京阪については、市が英知を絞って対策に当たって下さい。

 市長と市民との対話について、踏み出す気持が見えない答弁だった事を強く批判してお きます。

 橋下問題については、橋下のデタラメさと危険性をしっかり見据えて対処しないと道を 誤る、という事を強く指摘しておきます。

 最後に、私が議員として質問をするのは、今任期中はこれで最後かもしれない、という 事を述べておきます。

 ご承知のように、05年に連帯ユニオン関西地区生コン支部へ国策弾圧が発生し、その第3次弾圧として12月に、連帯ユニオン近畿地本委員長でもある私に対して、政治資金規正 法違反なるコジつけ弾圧の逮捕起訴が行なわれ、具体的事実を挙げて無罪を訴えて争った ものの、2007年市議選で連続トップ当選した直後の4月25日の高裁判決でも有罪・公民権 停止2年ほか罰金の不当判決が出され、現在は最高裁に上告して憲法違反で争っているところです。

 その4/25高裁不当判決からほぼ1年2ヶ月。

 私は自分の無罪無実を確信しておりますが、権力に目をつけられて起訴されてしまった ら99.9%が有罪になってしまう、逆転無罪の可能性は0.1%しかないという、ある意味で は旧ソ連のスターリン体制下の裁判よりも酷い日本の司法実態からすれば、今後ある日突 然、最高裁から上告棄却・有罪確定の通知郵便が来て、その日から戸田という議員が議員 の座を失ってしまう可能性の方が、遺憾ながら高いと言わざるを得ません。

 たとえそうなったとしても、私は胸を張って生きていくし、門真市の改善と発展のために市民の立場で奮闘しつつ、次の任期の時には必ずや議員として復活するでありましょう。

 私が1999年に初当選してからこの6月議会で10年めに入りました。
  それ以前は一般質問を行なう議員が議長以外27議員の中で4〜5人前後でしかなかった のですが、その後は10人前後に増え、2003年市議選の後には6月議会13人、9月議会 13人、12月議会に至っては過去最高の14人を記録するに至りました。

 さらにこの6月議会においては、議員定数が6減の22になっての13人の質問ですから、 議長以外21議員の中での質問率61.9%と、過去最高記録を圧倒的に塗り替えました。

 まさに隔世の感があります。

 職員の方はその分対応に大変になって来たわけですが、多くの職員が懸命に頑張り、 情報隠しをしせず誠実に答弁を作るという面では年々改善され、大きな努力が払われて 来ている事を、私は実感して来ました。

 一方で、私が質問原稿作成が最も遅い議員として、誠実に協議して答弁作成しようと する職員の側にほんばんギリギリまで時間外労働など過重な負担をかけてきてしまった 面は、この場を借りてお詫びしておきます。

 今年度市議会では、かなりレベルの高い政務調査費条例が制定されたり、排除されまくってきた私が9年ぶりに派遣議員に入る事ができたなど、門真市議会も少しずつは改善の 方向に進んできました。

 しかし、この10年間に行政側の透明度が格段に高まって来たのに比べて、議会の方は「ガラス張り度合い」は議会内容の速報・音声画像の公開・議員の賛否状況の公開無しな ど、お話にならないくらい低いままで、主権者たる有権者市民に無礼千万な状態です。

 この場の議員の皆さん方には、私の去就の如何に拘わらず、一刻も早く大幅な改善に真剣に着手され、今年中にはいくつかの改善を成し遂げる事を強く訴えておくものです。

 時間も迫ってきました。逆転無罪で任期を全うする事を念じてはいますが、そうならな い場合も想定しての、私の6月議会質問最後の発言をこれで終了します。

ご清聴ありがとうございました。