2004/3/19文教委: 質疑(日の丸・君が代問題)

(録音テープからの起こし記録)

(前略)

中西(共産党):

 今年度、市教委では今までの指導に加えて、あの、式場内に国旗を飾ることまで指示をするということで、だんだんと、この、教育委員会の指導が、押し付けが強まっている、と感じますが、こんな場合、強制というのは教育への介入でありまして、教育基本法の精神を踏みにじるものじゃないかと、強制はやめるべきだと考えますが、どうでしょうか。

坂田参事:

 国旗と国歌についてでございますけれども、小中学校におきます、卒業式につきましては、学習指導要領に基づく教育活動でございます。学習指導要領に基づいて、適切に実施をするよう指導をしているところでございます。

中西:

 学習指導要領に基づいて適切に指導するということでありますが、この学習指導要領の上位は、学校施行規則で決められていると思いますけれども、その上位の方が教育基本法ですよね。
  教育基本法では、教育行政は教育現場に介入してはならないということを、10条で禁止しております。
  また、国会の場におきましても、この国旗国歌法というのは、ただ、その第1条に、国旗は日章旗とする、第2条、国歌は君が代とする、というふうにしているだけであって、何もこの中に、国旗の掲揚とか国歌斉唱を義務付けてはいないのですね。
  だからそういうことを考え合わせれば、学習指導要領に書いてるからといって、強制すべきものではないというふうに思いますが、どうですか。

坂田参事:

 教育活動の基本は学習指導要領でございます。学習指導要領は、小中学校の子供たちに、最低教えなければならない基準が示されております。
 学習指導要領の特別活動の中に、入学式や卒業式などでにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚すると共に、国歌を斉唱するよう指導するもの、と書かれておりますので適切に指導するよう、指導しているところでございます。

中西:

 今、あの、「最低の基準」だということで挙げましたけれども、この学習指導要領での、・・すみません、学習指導要領を位置付けている学校教育法施行規則の25条では、教育課程の「基準」だということで、「最低基準」ということはおっしゃってないんですよね。あくまでも「基準」やと。 その教育課程が実施されているというのは学校現場ですよ、ということですよね。あくまでも基準じゃなくて、それは最低教えなければならないことでもないと。

坂田参事:

 小中学生に「必要な基準」でございますから、そこに載っている部分については全て指導して頂きたい、教えて頂きたい、ということでございます。 施策のところにこういう文言がございます。「第2章以下に示す各教科、道徳及び特別活動の内容に関する事項は、特に示す場合を除き、いずれの学年においても取り扱わなければならない」、「取り扱わなければならない」ということは、「指導して下さいよ」、ということでございます。

中西:

 えーと、だけど、その基準に基づいて教育課程を編成するのは学校現場であってですね、だからその学校現場の自主性にまかすべきではないか、あくまでもそれは、学習指導要領として、基準として示されてるわけですから、それを、あの、学校現場でどうするのかっていうのは、やっぱり学校現場の自主的な判断だと思うんですよ。
  ま、ちょっと、意見の平行線になるかと思いますが、そういうことであくまでも学校の自主性を侵してはならないというところで、是非ともそんな強制はすべきではないと、要望しておきます。

風(公明党):

 あのー、293ページから297ページにかけまして、○○○○挙げられているんですけれども、研究会や研修会の負担金として、項目として挙げられているんですけれども、毎回同席をしているようにこの、卒業式の時に国旗・国歌の時にお立ちにならないせんせい方がいらっしゃるという話が出て問題になる、本来であれば内心の自由ということと、それから、公務員としての○○といううことと思うんですが、そういう内心の自由ということは何かというようなこと、 また、教師としての責任の重さ、それから公務員としての自由と責任というような、そういう基本的なこと、研修なさる場所というのはこの中にあるんですか。そういうことって、どこで研究なさるんですか? 身に付いてない方がいらっしゃる。

奥田次長:

 今年度の門真市のカリキュラムの講座の中には服務に関してそのあたりの研修については設定はございません。 ただ、その当たりについては、当然、○○の時に「服務の宣誓」をいたしまして、○○あとして公務員となるわけでございますから、当然それを把握して人選しているもの、と思っております。学校長を指導する中で各学校で、校長を通じて現在、当然指導頂いているものと思います。

風:

 おっしゃる通り、ごく基本的なことですから、改めてそういう研修会が無いということは分かるんですが、ないんですけれども現実としてそういうことが出来ない、しようとなさらないということは、先だって、あの、議会中でありましたので卒業式には行けませんでしたけれども、行かれた方から非常に感動的な卒業式やったいうことは、結構、聞いております。その中でやはり、お立ちにならない先生方がいらっしゃったということは、やっぱり違和感を覚えたと。 そういうことについての意見がございまして、で、やはり、従来から申し上げているように、先生方が独自で、こういうことなんかに対して、認められないと思われるというのもホントに個人の自由ですから一向に構いません、それはもう認めています。

  ただし、教師として自分が気に入らないルールは守らなくていい、ということを態度で示して頂く。それも、しかも卒業式という一つの区切りの場所において。新しい出発をしていく場所においてこういうことをするというのは、ホントに腹立たしいという思いを通り越して、情けないと思います。 多くの先生方の中には、自分はそうであるけれども、教師としての立場を慮って、公務員としてのそういう責任を感じて、きちっと起立なさる先生方も多いというふうに思います。 そういう方なら先生や子ども達も納得するでしょうし、それであの、これ見よがしと言っては申し訳ないですけれども、立たない、そういう先生方は一体どう感じてらっしゃるんですか、ということを聞いて下さい、ということを、学校の方にも申し上げたと思うんです。

  依然としてそれが直ってないということは、もう一度、そういう先生方に対して、内心の自由とはどういうことなのか、人にものを教える立場とはどういうことか、公務員というのはどういう責任を持っているのか、ということを再度知っていただかなくてはいけないと、研修し直さなくてはいけないと、そういうことじゃないんですか、と申し上げるんです。 いつも教育委員会の方がそういうことで私どもが申し上げたら、しっかり取り組んでいただいてると思うんです。でも、学校現場によっては、校長先生に言うただけでは、校長先生お一人ではどうしようもない場合がある。校長先生が孤立する様なことがあってはいけないし。

 以前、広島の、民間の方が校長になられて、自殺されたというような痛ましいこともありましたけれども、あれも他の先生方が挨拶にも全然応じなかったと、○○子ども達に○○、色んな重圧に負けざるを得なかったということがございました。
  そういう例、このことについては、きちっとバックアップ体制も含めて、ホントに毎年毎年、こういう質問をこの委員会でせなあかん、ということを無いようにして頂きたい。
  また、入学式がございます。そういう中で、子ども達が社会人として、また新しい社会に、小学校は中学、中学は高校という形で社会に出て、そういう新しい社会に入っていく中で、自分がなんぼ嫌でも、「守らなアカンことは守らなアカン」、ということが身に付くように、「嫌なことはせんでエエ、好きなことだけしてたらエエ」、ということが心に残らないように、きちんとけじめを付ける教育をしていただきたい。

  ○○思うし、来年また、あるいは今年中にでもそういうことで○○になるような、4月の入学式には行かせて頂こうと思いますけれども、そういうことのないように、先生方にきちっとわきまえていただきたい。 そういうわきまえの無い先生方は、子ども達に何を教えるのですか。 何を教えられて○○。そういうふうなことを敢えて聞かせて頂かなくていいようにしていただきたい、というふうに要望させていただきます。

山本(公明党):

 まあ、あの、関連です。仮に、同じようにですね、まあ、あの、こういう着席する教師がでる、その中で、保護者の方はほとんど起立して臨んでおられる。 そういう厳粛なこういう卒業式という場であってですね、嫌な思いをさせられる。ということは、やはり、あの、着席される教職員さんの問題は、意識改革が必要やと思うわけなんですね。 そういった意味から、あらゆる機会を通じて、国旗国歌についての正しい認識を指導し、啓蒙していただきたい。そのようなところをしっかり、研修等で通じてやっていただきたい。
  腰を据えて、教育委員会、やっていただきたい、思います。

 で、あのー、ある方に言われたんですけれども、親は公立学校に入れて、適切な指導をして貰っていると思っていたところが、6年経って、9年経って、で、卒業の時に、国旗の何かも分かれへん、国歌の持つ意味も分からない、で、旋律も分からない、だから歌えない、こんな情けない、悔しいことありません、というようなこと聞きました。

  で、教師が担うべき社会的役割とか、先生方が職業として、職務として遂行すべきことは、そりゃ、世の中が変わっても普遍だと思うわけですね。 職務としていいことと悪いことがあると思うんです。
  で、当たり前のことですけれども、正当な選挙で、そういう制度の下で、不正無く選挙が行われて、国会審議を経て法制化されたわけです。
  で、教師としてですね、これは職務としてこれを受け入れて、授業の場で生徒に正確に伝える、これが民主主義の社会において教師が職務として最低限守るべきルールだと思います。 で、座っておられる貰う先生はありましたけれども、先生が着席していたら生徒も着席するところもあると思います。

  で、2中とか4中の状況を見てますと、あの、着席された生徒の、着席された先生の、比例して着席する生徒も多いように感じまして、こういう報告書いただいてますけれども。 こういったことから、先生自らが社会規範、社会のルールを示していく規範としてですね、模範を示して頂きたい、このことを要望しておきます。

戸田:

 私も同じような時間でちょっと要望しておきたいです。
  これ、あの、日の丸・君が代の○○性、私、議員になった時の、最初5年前、99年に言いました。
  丁度、豊中の中学校に押し入って、日の丸・君が代の対応で、校長がけしからんと言ってナイフで刺したということですね。この社会において、特殊日本の現代史の中で、日の丸・君が代がどういうことをして来たのか、またそれを押し付けてきた人達が、 反省もなくどうしてきたのか、という特殊性があるが故に反発があり、疑問がある。 そしてそれは、いくらどんなことをしてきても消えることは無いんです、当面ね。

  消えることが無いものを、完璧にみんな100パーセント従わせようとしていけば、これはどうなるかと。いわゆる画一主義的な、ある種のヒステリー状況になって来るということです。 どんどん不満が募る。 だから、まずは立たないことがケシカラン。今度は立ったら、口を開いてないことがケシカラン。 日の丸を掲げてないからケシカラン、今度はもっと大きな日の丸でないとケシカラン。 次から次とね。 じゃ、この座ったのはこれは教師が実はやっているんだろう、こういうふうなことをね、言って止めどが無いんですね。

  卒業式、ホントに感動的ですよね。そういう時の冒頭で、君が代云々の、あそこらへんだけは私は違和感覚えますが、あれは冒頭の1シーンでしかありません。 その大事な大事な卒業式全般をね、きっちりとやっぱり受け止めていくならばね、いつまでもこういう画一主義を次から次とね、追及するという道は採るべきではありません。 いくらやっても切りが無いどころか、欲求不満が貯まる一方なんですね。着席したことに不快を覚える人もいるでしょう。私はああ形でドサーッとみんな立ってること自体に、まあ、あまりいい気持ちしませんよね。 人はそれぞれであるということで、座っているからどうの、立っているからどうのと、感情的なところで先生を責めるようなことではやっぱり宜しくない、というふうに思っております。

  そして最後に、私、一つ提案したいんですね。いつも校長を通じて指導がどうしたこうしたと言ってる、それぞれ立派なご持論をお持ちの、君が代・日の丸やるべきやという方達と、いや、これはおかしいんだと言う人達と、学校主催で、あるいは教育委員会主催で、公開討論でも開いたらどうですか。 (ガヤガヤ、文句) ○○議員達の皆さんがちゃんと説得できるのか。いっぺんやってみて下さい。それがようせんと校長にばっかり、教師ばっかりに言うと。・・・・・・・いうとほ(聞き取れず)

中井:

 ちょっと、戸田委員、戸田委員。

戸田:

 私の意見・要望ですよ。

中井:

 いやいや、意見・要望じゃ・・・

戸田:

 公開討論開いたらどうかという・・・

吉水(緑風クラブ):

 歌・旗の問題で、色々と、あの、個性のある意見があるわけなんですし、先ほど、まあこれちょっと失礼な話ですけど、中西議員の方から、要するに市府教委のことでは、府議会の言っていることを守れ、としきりに言うてるわけなんです。
  しかし、歌・旗に関してはですね、府議会の言うことは守らんでエエということを言うてはるんわけです。そういう使い分けをされたらね、基本的にはおかしい、まずそこを指摘した上でですね。
  要するにその、話がずれてると思うんです。例えばね、学校で君が代をね、要するに式でもね。 ちゃんとその歌・旗、ようするに国旗と国歌がきちんと出来るか出来ないか、これに関してはですね、当然、先生も先生になる時に、公務員としてちゃんとした形で教えますと、ということを宣誓した上で、ハンコ押して先生になっているわけなんです。 それを教えないとすれば、これはあくまでもおかしいわけなんです。

  まして要するにその、現実問題として校長先生を通じて指導がなされたと、そしたら当然それに従うのが当たり前です。それに従えないとすればそれはもう、しょうがないです、辞めてもらわなければしゃあないわけです。しかし、辞めようとはしなくて自分の意志を表明する。
  普通の会社やったら、社長がこうするべきと言うことに反対したら、お前もう辞めや、と言われるわけですわ。
  そういう観点から考えてみると、要するに、歌う、歌わないというのはその内心の自由しも知れません。しかし、「教える」という義務は絶対にあるわけです。

  ですから逆に言うたら、その通りの教え方をしたのと、例えばね、算数でしたら、要するに、九九掛け算でしたら、覚えるまで、「あんた言いなさい」と必死になって教えてる先生がたくさんいるわけです。 しかし日の丸に対しての考え方、そしてまた、その、あの、掲揚に対しての、覚えるまで歌いなさいと、必死になって教えてる先生の姿というのは、今みたいな意見を聞けば、どうしても出てこないですよ。

  ということは要するに、子どもも教えて貰う権利があるわけですよ。やっぱりそのことを考えたらね、当然、教える義務がある、教えて貰うその権利があるわけですよ。
  そのあたり、はっきり、はき違えて貰うたら具合悪い。 そして、今言うてるような式典で立つとか立たないとか、それは本人の自由というか内心の自由かも知れません。しかし少なくとも内心の自由という部分があるかも知れません。 しかし少なくともそれは、要するに、その、服務命令、職務命令の中で、「立ちなさい」ということで、ちゃんと指導ができてるわけですわ。それに違反するようでは具合悪い。

  こういうふうな考え方から言ってですね。2月の18日のちょっとした新聞ですけど、東京都がですね、要するに、国歌斉唱時に起立しない教師、10人処分した、という記事が載ってるんですよ。 当然処分に値するという考え方からですね、今みたいに、要するに、ただ単に自分の勝手ですね、立たない、立つとかいう、そういう問題ではなくて、立たなくてはいけないという前提からですね、処分という対象になった。 ここらについて、当然東京都のことですから、ここ、今のその先生は、あくまでも、その、あの、府の、要するに、職員になるわけですから、基本的には考え方が若干違うかな、取り組みが違うのかなと思いながらも、そこいらについても当然、要するにあの、東京で出来たことが大阪で出来ないことはない、そういうことから考えてですね。
  実際、委員会として、教育委員会として、このあたり、どういうふうに考えているのか、当然ここで判断するわけじゃないわけですから、答えはちょっと難しいかなと思いながらもですね、基本的に、できたらそういうことを要望して欲しい、そういう意志を伝えて欲しいということはあると思うんですけど。そのことについてどうですか。

奥田次長:

 様々なご意見の中でお聞きしておりますのに、教員は、教育公務員として、当然、あの、その教育を果たすべきものでございます。 個人的には、当然、それぞれの人間の内心の自由を持っておりますけれども、子どもの前で教員という○○の中では、当然これは教員としての態度を示すべきものである、というふうに委員会は認識しております。 それであの、今現在、実際に座っているというあたりの先生方には、先ほど申しましたように学校の中で、また指導も継続していって頂いているところでございますので、今後とも教育公務員としての適切な対応が出来るように委員会としてもまた検討を加えてまいりたいと思います。

吉水発言

 (途中から)

 敢えてそこまで、そのあの、特定の教師ということで話をせざるを得んのは、要するに、今年の卒業式でですね、中学校の卒業式の時に、立った座ったという、この要するにあの、一覧表、取り敢えず教育委員会からいた  この一覧表、教育委員会からとりあえずいただいた、そして、要するに、今年のこれだけ見たら、「なるほどそうかなあ、立ったのかな、座ったのかな」それだけで終わるわけです。

  しかし、逆に言うたら、去年、おととしと、その前からずっと、要するに、担任含めて、変わってるわけです。そしたら、去年立ったのに、今年は何で座ってんねん、(「表」をバシバシ叩きながら)極端なことを言いましたらね、2中なんかは、ま、教員が3人座っていたと。そして、卒業生は20人ぐらい着席してた、在校生、これ2年生です、全員着席ですよ。

  考えてみたらね、誰がこれ、指導しまんねん!(バシバシ)特定の先生以外の何物でもないでっしゃろ! そやから、逆に言うたら、そういう考え方からいけばね、去年、おととし、どうやったのか、それをずっとつき合わせていったら、ある程度の整合は出てくるんじゃないですか? そやから敢えてこういう風な話をしたんです。 まあ、そこいら、ひとつ、今、教育委員会おっしゃってたような形で、今後ともとりあえず、国旗国歌、これをないがしろにしたがために、一つの例で言うたら、あるスポーツの大会で、国歌が鳴ってる、他国の国歌ですよ。相手の国歌が鳴ってる時に、日本の選手が、選手も監督も含めて、帽子をかぶった人がおったし、そして、ジャンバーを着てそれを聞いてた。相手国はみな、ジャンバーをぬいで、ユニフォーム姿できちっとした姿で、態度で聞いてる。
 こういうことなんかが、現実に国際社会の中で日本として、ホントにそれでいいのか、という問題を提起しているわけなんです。 そしたら、やっぱり、相手国の国旗、国歌に対しての敬意を表する、その気持ちを教える意味でも、こういうことはキチンとけじめをつけてほしい。

戸田:

委員長!一言だけ、短く言います。 生徒が座った、このことを、じゃあ、誰のクラスだ、いうふうなことをどんどん詮索していく。ほんとに恐ろしい話です。

(なんでや)  そして今、生徒の側もね、

中井:

(短く)

 まさにね、自衛隊が戦地に行き、日の丸と君が代というものが、戦争、銃撃戦、そういうことの連動、連想の中で、今、生徒がおる。この社会状況を考える時に、そのような一つの方向にダーッと突き詰めて走っていくということだけはなさらないように、ということだけを私は強く、強く要望しておきます。

中井:

 委員長として申し上げます。
 この国旗国歌については、それぞれの内心の違いによって、当然議論が変わってきます。しかしながら、置かれている立場、職場、そういう関係によって、どんな場合でも、1個人対1個人の問題ではありませんので、その論議に対しては、一定の結論というよりも、いくら論議をしあっても、いわゆる、思想信条の違う者同士で語り合っても、一定の結論は出ない。 ただ、教育委員会としては、やはり、やらなければならない業務、任務というのがある、ということで、それに従って、現場の方を指導していく、ということであろうと、いうふうに思いますので、この国旗国歌論については、以上でもって質問を次に変えて頂きますよう、お願いします。