【文教委(2);「4中卒業式で不愉快な思い」、と寺前議員が「君が代」強制迫る】

 さすがは「日の丸・君が代押しつけの保守派の面目躍如」と言えるかもしれないが、緑風クラブ・寺前議員が予算案質疑の中で、教育委員会からの中学校卒業式での「国旗・国歌指導」の結果報告表らしきものを手にしながら、「指導」に従わない教員がいる・教委の「指導」がなっとらん、という立場で「君が代」斉唱の完全実施(実質的には強制)を迫った。

 寺前議員は、「緑風クラブの議員が来賓として4中の卒業式に出席したところ不愉快な思いをした」と切り出して、「君が代の曲が流れると着席する生徒が出た」、「事前に指導していないとこんなことはできない」、「『曲が始まったら座れ』、という指導がなされていたのではないか」畳みかけ、お定まりの「指導要領で定められている」論だけでなく、「宝塚小学校の校長のアピール」を引用し足り、「外国人と結婚した日本人の例」を挙げたりもして、卒業式・入学式で国旗・国歌をちゃんとしないことが子供の教育を受ける権利を奪うものだとか、国際社会に出て不利益を受けさせるものだとか、子供の内心の自由を侵しているとか、いろいろ熱弁をふるうのだった。

 教委は、与党議員の追求全体を通して、「強く指導している。さらに指導していく」と恐縮しながら繰り返し、17の小学校については、「指導」通りに全ての小学校で式次第に「国歌斉唱」が明記され、全員起立して歌われたこと、ただし「斉唱」までは不十分なところがあったこと、「望ましくない所」は今後さらに「指導」を強めていくことを明らかにした。

●寺前議員らは、そもそも君が代が民主主義国の歌としてふさわしくない歌詞であることや、卒業・入学式で画一的に強制することに無理があること、従って斉唱を強要されることに同意しない人々が大人であれ子供であれ必ず存在することを、どうしても認識したくないらしい。

 中学校3年生にもなれば、日の丸・君が代の賛成論・反対論の双方に触れた上で自分の判断を持って、それを意志表示してもおかしくないし、その自由も保障されているはずだ。なのにそれを実行すると「反対派の教員が指導した」との前提に立って教員攻撃(=「指導」強化要求)をすることになる。

  そういう画一主義と、自主的な判断力を認めない子供観は、真の教育と両立するものではない。それは「体制派・多数派たる自分たち」と違う考えを持つ人々への攻撃的フラストレーション心情こそ、「非国民攻撃」の暴力の温床に他ならない。