件  名
要       旨

1;日の丸・君が代について「立つ立たない、唱う唱わないの自由」を、教委の議会答弁に反して生徒児童や保護者に説明していない校長がいることについて

 

 

 

 

 


2;侵略戦争と植民地支配への国民洗脳の土台となった教育勅語への教委の見解を問う

 

 

 

 

 

 

 


3;教育基本法についての教委の認識を問う

 

 

 

 


4;7月3日から実施される情報 公開について、教委の姿勢と準備状況を問う

 

 3月議会での教委答弁に反して、卒業式・入学式の際、およびその準備過程に於いて、一部の学校長は教師や保護者からの問いかけに対して「そういう自由については自分の口からは言えない」とか「言うつもりはない」とかの対応を取っている、という確かな話を戸田は聞いている。教員についてもこの自由は保障されるべきと戸田は思うが、この点は留保して以下の質問をする。

@教委は本当に議会答弁のような校長指導を行ったのか?

A本当に議会答弁のような校長指導を行ったとしたら、まるでこういう「自由」について説明することが教委の指導に反すると思い込んでいるような対応の校長がいるのはなぜか?指導の不徹底や校長の誤解ということか?

B5中の校長に至っては、「教委からそのような指導は受けていないし、自分としてもそのような自由を生徒や保護者に説明するつもりは全くない」、と戸田に対しても明言しているが(入学式終了後に戸田の質問に答えて)、これはどういうことか? 


「人殺しをするな」「ドロボーをするな」、は道徳の最低限の基本である。一人でやって悪いことは1000人でやったらもっと悪いし、1億人で役割分担してやったらとてつもなく悪いことは言うまでもない。

 ところが日本人をして、天皇に絶対忠誠を誓う大日本帝国・皇国臣民として国を挙げての人殺し・ドロボー、即ち侵略戦争・植民地支配に向かわせたのが戦前の国民洗脳教育であり、その土台が教育勅語に他ならない。皇国臣民としての国民意識形成のためにこそ制定された教育勅語の本質と日本人総体に与えた結果は、この事実を外して論じてはならない。その反省に立って新生日本国の教育の出発にあたって、教育勅語は厳しく排撃されているはずである。

 教育勅語にも良い所があったとか、道徳教育において役立つ所がある、などというのは、オウム真理教の教義にも良い部分があるとか、宗教心を育むのに役立つ、などというのと同列の言である。教委の見解を問う。

 

 昨今の世情の中で、日本国民が誇るべき教育基本法について、ムード的な攻撃論調が一部に起こっているが、実態はタメにする言いがかりにすぎず、およそまっとうな歴史認識や現実社会の真摯な分析によるものとは到底言えない代物である。

「基本法」というのは「これ以下のこと、これに反することがあってはならない」という大変重い位置づけの法律である。教育基本法を遵守擁護する義務を負う教育委員会として、昨今の教育基本法非難の論調の代表的なものに対する教委の見解を問う。

 

 すでに市民や教組から公開要望の意志表示がされている「学校適正配置審議会」の議事録などは初日から「情報提供」すべきものと思うが、準備はどうなっているか?「情報公開」でいくのか?

 教委から学校長に対する指導・指示の文書については公開にあたりどういう準備をしているのか?