一人の挑戦知事選

04/01/17 匿名山チャン (ちょいマジ掲示板書き込みより)

大阪府知事選記録(1日目)



 2004年1月15日晴。ぐっすり一気に眠って6時過ぎまで眠ってしまった。
8時40分には選管からも来るんですかと電話。もう五分で行きますと言って法円坂の高速を降りて左に曲がる。

 色のジャンバーと赤い帽子はイメージカラーなので脱いで下さいと云われた。シャツ一枚になって時を待つ。

 今や情報公開が政治である。どんな情報を出せるかである。府民にわかる情報を出し府民と一緒に予算政策をつくり議会に出す。議会は修正も当然あるとの前提で議論をし決定をする。知事は職員と共に透明性のある行政運営をする。そうする事で課題や問題点が出て来て決定責任を追っている議会に府民の関心が高まる。そういう当たり前の府政にすると云うのが基本的な訴えである。

 昨年母が亡くなり金のあるはずのない母から供託金の300万円が出せるお金が出て来た。
生活の糧にしてもいいのであるが今回で13回目の選挙になる。母には苦労の掛け通しだった。親には心配をかけるものとの例えもあるが死んでも心配をかけると云う事になったが私が目指して来た政治を普通のものにと云う思いを一人ひとりに訴える事は母えの供養にも成ると思って今日ここに立てた。人間の温もりが感じられる府政を一人ひとりの府民に立場をおいて進めていきたい。
母の事になって泣いてしまった。

 車を自分が運転して、途中太田候補の事務所が大林組のビルの西側にあった。エールを送っておおさか駅へ。
演説を終えて通路で握手を求めて訴えた。以外と応じて頂いた。ばったり芦屋市議の松木さんとあった。

 得意の路地裏運行である。京橋で演説をしていると知っているかと云って来た男性がいた。
云われれば見覚えがある「カツミヤ」40数年前が蘇った。
 バスが後ろから来て次の地へ向かう。三浦守口市議が近畿市民派議員学習交流会にいくと云うのでエル大阪に立ち寄った。
 報告は12時までと云う事で若干遅れたが6分程御挨拶をして会場を出た。
 鶴橋に地下鉄で行く。
駅下の商店街を歩く。東京からから来た週刊プレーボーイの記者がゲルラ選(戦)ですねと云う。イヤーこんな選挙があるんだと東京弁で。予定を追加して釜ケが崎にも付いて来 た。
  三角公園で演説をする。記者を新今宮で降ろしてキジムナに寄りりんごジュースをのんで難波駅前2ケ所で演説。港区の関生連帯に挨拶。港合同にも挨拶に行きもう一度難波でやってと電話が入り難波に引き返す。声をからして五時半から今日最後の大きな街頭演説を ここで行った。
  軽井沢の岩田薫さんから激励の電話。勇気に感動したと。夜中には20時過ぎ松下洋一前市川町長からも行きますからと激励の電話が入る。