”2001年6月 門真市長選挙”

市長選評論;市制38年間の市長選挙経過と議会構成〜歴代市長は3人だけ
日時: 2001/06/14 17:59:38 名前: ヒゲ-戸田

 大変遅くなってしまいましたが、門真市長選挙についての考察や評論をバンバンやって
いきますのでご注目下さい。
まずはその第1弾。門真市市長選挙の歴代の経過と議会構成の流れを考えましょう。

■門真市が門真町から市制移行したのが昭和38年(=1963年)8月1日■

@最初の市長の任期は63年8月から65年7月までで、それ以降は4年ごとに6月に市長選挙
 が行なわれている。

@合併前年の62年度門真町議会議員名簿では、会派制が取られていなかったようで、
 30議員中、無所属21、社会党9(共産党ゼロ・公明党ゼロ〜公明党結成以前?)
  だが、63年の「門真市議会議員名簿」では12/1現在として、公明党3、社会党4、
 共産党1、ほか2つの保守会派と無所属に区分されているから、おそらく63年に市議
 選挙がなされて、それ以降4年ごとの春に市議選が行なわれていったのだろう。

@こうして第2回市長選挙は65年、第2回市議選挙は67年、以降2年おきに市長選挙と
 市議選が行なわれるパターンで今まできている。

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◆門真市長経験者は市制移行38年になる門真市でまだわずか3人だけ。

◎最初は門真町長から市長になった保守の中塚種夫氏(月出町)で、「中塚荘」の名前
  が今に残っている。・・・・・3期連続10年。(就任年がそれぞれ63年・65年・69年)

◎次が松下労組出身・社会党の中田三次郎氏。・・・・3期連続12年。
  (就任年がそれぞれ73年・77年・81年)

◎3人目が今の東潤氏で、保守系無所属。・・・・・4期連続16年で20年目を目指す。
  (就任年がそれぞれ85年・89年・93年・97年・・・・そして2001年?)

@東市長は門真市歴代最長の任期記録を保持してさらに更新しようとしていることが
  分かる。 それぞれの時期の特色を挙げると・・・・・

▲中塚市長時代の1960年代は、日本社会高度成長真っ盛りの中で、「門真市人口4倍
 以上の急増!」(1960年3万4000人、1970年14万1000人!)というトンデモナイ時代
 でした。67年市議選で、公明党が3から6への倍増、共産党も1から2への倍増、ほか
 社会党5・民社党2で、当時の国政野党が30議席中15もありました。門真市議会での
 実態は分かりませんが、公明党もまだ野党で「安保反対」なんて言っていたはず。

▲71年市議選では社共が増加して、公明党6・社会党7・共3・民社1の合計17。
 また、門真の自民党+保守系無所属は会派名や人がいろいろ移り変わるが、
 この71年から「緑風クラブ」ができ、残りが別会派および無所属となる。

▲社会党・中田市長時代は共産党排除の社公民路線で、自民・保守勢力とは融和的
  だったのではないかと思われる。大阪・門真の社会党自体が社会党の中での「右派」
  でもあるし、いわゆる「革新自治体」には数えられていなかったのではないだろうか?
  (当時の市議会の「与党・野党対立」の様子を知っている人、教えて下さい)門真市
  共産党は一貫して市議会「野党」だったと聞いていますが・・71年にようやく発足した
  市職労は、社会党系と共産党系の共同で作られていたようだ。(これも詳しい人、教
  えて下さい。)

▼中塚―中田時代を通じて人口急増への対応としての、道路・学校・保育園などの増
  設、市職員増員などに追われ、市財政も苦しくなっていく。中学校までの学校給食、
  学童保育設置などもされていく。

▼75年市議選でついに公明党が8議席獲得で第1会派に!以降、83年市議選から定数
  が30から28に削減されても(91年・95年市議選以外は)ずっと8議席・第1会派を維持。
  共産党は79年市議選で5議席に躍進し99年市議選で4に減るまでずっと維持。

▼85年の東市長当選で、ようやく12年間の「社会党市長」時代から保守市政復活。
  社公民勢力は東市長の与党になっていくのだが、85年当初からそうだったのか、知っ
  ている人教えて下さい。まあ85年頃と言えば、かなりの自治体で「共産党を除く」社公
  民の与党化が進んでいたように思いますが・・・
   なお、東市政2期め途中の91年市議選で、「東市長出身与党」の緑風クラブが初め
  て8人で第1会派となりますが、やがて会派間移動があり翌年からは公明党7と同数
  1位だったりもう少し減ったりして今に至るまで第1会派には復活できず。

▼他市議会では、「自民・保守の市長与党会派が単独過半数」という所もままありますが、
  門真市の場合は公明党という異質の勢力がこの26年間のほとんどを「8議席第1会派」
  を占めていること、自民・保守会派が2つに割れていることが特色で、東市長は「公明党
  にだいぶ気を使った保守政治」を行なってきた、と言えるでしょう。

●なお、公明党は第1会派とは言え、一度たりとも自分ら自身の市長候補を立てようとした
  ことはありません。今後もしないでしょう。それをやったら他勢力と広範な市民から猛反発
  を喰らうだろうという「自覚」と、「組織票をちらつかせてのぶら下がり政治」の利点を良く
  知っているからでしょう。(そういえば「共産党市長」はいても、「公明党市長」は聞かない
  し、「公明党員の市長候補者」もほとんどいそうにないですね。)公明党のそういう立ち回
  り方が戸田は嫌いですが、同じように考えている人はきっと多いでしょう。

 

過去の市長選挙結果を見ると結構おもしろい・・
日時: 2001/06/15 5:59:24 名前: ヒゲ-戸田

1965年;第1回市長選挙は立候補者が現職の中塚氏のみのため同氏が無投票当選。
  (63年に同氏が市長になったのは、門真町長からの継続だったということになる)
                                            ・・・現職2選

 1969年;有権者数79567人、投票者数28195人、投票率35.44%
      当選;中塚種夫(無所属) 19902・・・現職3選
      落選;小林直樹(共産党)7381

 1973年;有権者数88097人、投票者数44163人、投票率50.13%・・中田市長誕生
      当選;中田三次郎(無所属) 29045(元社会党市議)
      落選;上田信也(無所属)14686 (?)

★社会党市長の誕生
 1977年:立候補者が現職の中田氏のみのため、同氏が無投票当選。
      市長;中田三次郎(無所属)・・・現職2選

 1981年;有権者数87684人、投票者数47117人、投票率53.74%
      当選;中田三次郎(無所属) 33664・・・現職3選
      落選;岡崎宣真 (無所属) 11539(元自民党市議)

 1985年;有権者数93236人、投票者数39040人、投票率41.87%・・東市長誕生
      当選;東 潤 (無所属) 24406(元緑風クラブ市議)
      落選;岡崎宣真(無所属)7198(元自民党市議)
      落選;吉岡勝之(共産党)6995

★門真市初の3新人による争い。
 1989年;有権者数99814人、投票者数37746人、投票率37.82%
     当選;東 潤 (無所属)26707・・・現職2選
     落選;吉岡勝之(共産党) 10079
     落選;中本たもつ(政治結社)466(大日本西風会)

★共産党候補初めて1万票台に乗る。投票率30%に(69年以降初めて)
 1993年;有権者数106212人、投票者数37031人、投票率34.87%
      当選;東 潤 (無所属) 28134・・・現職3選
      落選;吉岡勝之(共産党) 8503

 1997年;有権者数108110人、投票者数36041人、投票率33.34%
      当選;東 潤 (無所属) 25098・・・現職4選
      落選;河野登美子(無所属)10595(元共産党市議)

★初めての女性候補。共産党陣営が初めて「無所属」(=「つくる会」)の形を取って
  過去最高得票の10595票。 東市長初めて得票を減らす。投票率過去最低。

 2001年;候補者;東 潤 (無所属)・・・・5選をめざす
      候補者 弘瀬和臣(無所属)(「つくる会」候補)さてどうなる???

 2005年;★歴代2度目の「新人候補のみによる市長選挙」になるでしょう。

 

自民党府議の園部一成氏の本によると・・・
日時: 2001/06/15 6:10:35 名前: ヒゲ-戸田

 87年に門真市議に当選し(初挑戦で2位)、「自民党市政クラブ」という会派に所属、91年に無所属で大阪府議会選挙出馬当選、自民党会派の「平成会」所属、95年に自民党公認で府議再選、99年に3選された、園部一成氏という府議会議員が門真におります。
市内いたるところにある「そのべ一成」の看板でおなじみの人です。

 たしか住居は常称寺とかで、現在柳田町にある高園産業(薬剤分包機の製造販売)を設立し、高園グループとして全国各地に営業所・支店・工場を展開した実業家出身の府議ですが、その人が98年に出版した「堅忍と実行―実業と政治―60年の我が出会い」という本をたまたま古本屋で入手しました。(「謹呈園部一成」というしおり付)なかなか参考になることが書かれていますが、その中から門真市長選挙に関係する部分を要約紹介すると・・・・

@81年、自分が選対事務長をした岡崎市議(めぐみ幼稚園・保育園経営)が突然市長選出馬を決意し、無謀な挑戦とは思ったが選対事務長を引き受けた。「当時の(中田)市長が財政悪化の責任を問われて厳しい市民からの批判を浴びているのをチャンスと見て、市政刷新をしようというのである。」

@85年の市長選は、現職(中田)市長が勇退し、市制施行以来初めて、新人候補による保革三つ巴の闘いになった。しかし、現職市長の選出母体である「市民連合」を構成していた社会党・公明党・民社党3党と松下労組など労働3団体が自主投票を決めたこともあって、選挙戦は盛り上がりを欠いた。市議だった東候補が「自民党・社会党推薦を受けて」他の2人に大差をつけて圧勝。

■■東市長は「自民党と社会党の推薦候補」だったんですか?!知りませんでした!
 でも、「社公民3党が自主投票」というのと「自社が推薦」というのは矛盾しないでしょうか?
 公明党や民社党はなぜ推薦しなかったのでしょう?

◆いずれにしても東市長はどうも門真の社会党(その勢力は全て現民主党に。社民党は
 門真ではゼロ)と対立的だったのではなさそうです。そういうことがあるから、東市長1期
 めの87年に園部氏が市議当選した後に「保守陣営から」様子見に来た佐藤親太(ちか
 た)という人物が、「園部先生に会いに行ったのは私たちがめざしていた保守復権の邪
 魔になる人物ならば葬り去ろうという魂胆だったのです。」と語るわけです。
 「佐藤氏は社公民主体の革新市政だった当時、保守の復権に奔走していた人である」
 と園部氏も本の中で述べています。

@ここいらへん、85年初当選の東市長体制が、佐藤氏ら「保守陣営」から見て「社公民主
 体の革新市政の一種」と判断していたのか、「保守勢力市長にはなったものの、社公民
 勢力の影響力がまだ強いのでもっと保守色を強めるべき」、と判断していたのか、ちょっ
 と不明です。ただ、門真では旧社会党・民主党勢力が「革新色」をどんどん無くして、議
 会的には「市民リベラル」となって、「自民系市長」と言っても違和感のないほどになった
 保守派の東市長の一連の政策に全く異を唱えないで、どこまでも与党会派として追随
 して「2度と革新色を出すことは考えられない」状態ですから、そういう疑問はもう意味が
 ないかもしれません。
  (門真の共産党・革新勢力の人々が「社民党=旧社会党なんて信用できない」と思う
  気持ちは理解できますが、今の社民党と旧社会党は少なくとも門真では無関係)

@なお佐藤親太氏は、後に園部氏が府議選出馬する時に選対本部長を務め、以来園部
 氏の懐刀と言われ、99年門真市議選に初出馬。現職与党議員らに少なからぬ脅威を
 与え「当選間違いなし。3000票取るのでは」という下馬評もありましたが、フタを開けて
 みたら1044票で、最下位当選者(1313票=戸田)の5人も下であえなく落選でした。

 

昨年は市長選出馬の噂も・・次回は?
日時: 2001/06/15 9:43:38 名前: ヒゲ-戸田

 そのべ一成氏が門真市長への意欲を持っている、という話はよく耳にする。公明党との関係も良好とか。昨年前半は「そのべ一成が公明党の協力を得て市長選に出る」という噂もいくつか聞こえてきたが、結局は東市長続投出馬、そのべ氏も他の対抗馬も出馬せず、という話が昨年後半には聞こえてくるようになった。今回東市長が当選したら、さすがに次は引退だから、次回自公民保守勢力を固めて出馬するつもりなのだろうか?

 しかし園部氏に一本化せずに自民・保守の対立候補が出る可能性も大いにあるだろう。園部氏は父親が広島出身の警察官として門真で生まれた、という「根っからの地元人間
ではない」、というのが旧い体質の門真ではある種ハンデになっている面がありそうだ。

■しかし、別途詳しく触れるが、東市長が急に選挙公約で「合併推進」を色濃く打ち出した
  ことで、5期め東市政で市民的論議不在のまま門真―守口合併が行なわれて、「門真
 市がなくなってしまう」可能性も浮上してきた。そうなってしまったら、次の「門真市長選
 挙」はないことになってしまう!(その場合、府議の園部氏に有利だが・・)


 

東市政の性格の考察〜旧体質の「中道保守」と公明党への気兼ね政治
日時: 2001/06/16 12:26:15 名前: ヒゲ-戸田

 私は、何事にも「是々非々で考える」・「一面的でなく全体的に考える」ことが大切だと
思う。「東市政が市民に冷たい政治だ」と批判するにしても市政全部が悪いということ
は普通あり得ないわけで、どこが悪い部分でどこがマシな部分・良い部分なのか、その
根拠背景は何なのか、他市や全国の流れの中ではどうなのか、などをトータルに理解
しておくことが必要だろう。

 過去の経過から見ると、東市政の性格は「反共産党意識の強固な自民・保守と社公民勢力とが融和した『中道保守』政治」と言うことができるだろうと思う。そして彼らは共産党や共産党系列団体だけでなく、もっと幅広い市民運動・住民運動までも、とにかく自分らに批判や注文を付けるものは「共産党と同列」か「共産党を利するもの」として捉えるような頑迷な意識も色濃く持っている。政治信条とは関わりなく必要なはずの保育園や学童保育の切実な要望までも、平気ではねつけ続けるのはそういう感性によるものだろう。

 その一方で職員の生クビを飛ばすとか、いきなり学校の統廃合や保育園の民営化を決 めるとかのあまり強硬な手段は取らず、良かれ悪しかれジワジワだらだらと進める、というのは旧中田市長与党である社公民勢力との融和があることと、東市長自身が「地元保守」の信条の人で、市議5期の中で身につけた「庁内合意手法」型の人であるからだろう。
(中学校までの自校直営給食方式を中田市長時代からずっと残してきたのも、そういう事
 情によるところが大きいはず。*近年民営化移行を強めてきて問題であるが)

◎だから東市長と4会派与党の政治が、市民要望切り捨ての実態があることは事実だとしても、いわばどこにでもあるような「右へ倣え的な工夫無き田舎政治」としてそうだということで、右翼的政治であったり極端なリストラ行政をやっているわけではない。

■ただ大きな問題としてあるのは、75年市議選以来ほとんど常に公明党が第1党で8人も
 いる(91〜99年のみ7人)という土地柄によって、公明党に影で引き回されている不透明
 部分が多い市政になっていることです。門真の公明党が「福祉・人権の党」という謳い文
 句の通りの党なら結構でしょうが、実際にはそうじゃない。政党としても国政野党から政
 権与党にすり寄る過程で、戦争協力諸法や国民監視の盗聴法にも巨大開発路線にも
 賛成するし、地方議会ではとっくの昔から与党どっぷり。
  とりわけ門真の公明党が「票の力・鉄の組織の威力」を背景に、「公開の場での議論
 をしない・できない閉鎖体質」(=市民に見えない所での密室政治)、デマ攻撃体質、
 非常識体質を年々強めて、「まともな論議を押さえつけて」議会や役所を牛耳って来て
 いること、東市政がそれに大きく影響されてきていることは大きな問題です。

■「財政難」を言いながら、高額報酬の議員への1日2500円の議会出席停止手当をあく
 まで止めようとしないのも、法的必要性も明白で補助金もつく学童保育を作らせずに、
 あえて補助金のつかない「ふれあい事業」だけを強行して、しかも利用料無料で市か
 らのおかしな支出増大を続けているのも、門真公明党の思惑と変な人気取り政策が
 一番大きな原因です。(門真公明党よ文句あるなら戸田に言ってきなさい)

■ほかにもいろんなおかしなことがありますが、東市長は保守なら保守なりのピシッと
 した姿勢を公明党に取ることができないし、開かれた論議をすることができない。
 これが16年続いた東市政の大きな問題です。

 

東市政の「功績」とその考察
日時: 2001/06/16 14:36:19 名前: ヒゲ-戸田

 是々非々的観点で見て、戸田がよく言っている「門真市の良いところ」とも絡めて上げられるのは以下の諸点。

@中学校も含めた自校直営方式で、内容的にも安心でレベルの高い学校給食維持。・・・前の市長時代からのものを継続してくれたのはいいんですが、東市長自身はそれを門真市の誇りと思っていないようなのが問題。全国にその良さをアピールして視察に来てもらうようにしてもおかしくない内容なのに・・★★これと逆行する「民営化推進方針」を「行革」に絡めて打ち出して、5期めから強行しようとしています。

A先進的なゴミ処理体制。家庭ゴミの市直営処理体制維持。・・・・こちらは全国から視察が絶えないほどで大変結構。この部門に惜しみなく予算と人員を投入し、職員も期待に応えてがんばって様々な工夫をこらし、とりわけ環境センター周辺住民の参加意識も高まっているのだと思いますが、そういう斬新さがなぜ他の分野で発揮されないのか、「全国トップレベルのゴミ処理施設」と「お粗末な保育園や教育・体育・公園施設状況」の大きなギャップはなぜなのか、いつ埋まるのか、説明のないのが不思議です。(ゴミ収集部門の民営化には戸田も反対ですが)学校給食民営化は出されても、ゴミ処理民営化の話は全然出されない理由についての説明がないのも不思議。巨額の工事費をもう少し安くする必要もあります。

B全国トップレベルの守口門真消防レスキュー(と消防体制)・・歴代の守口市・門真市の市長が理解があって、消防当局ががんばっているからだと思います。特に東市長だったからとは言えないでしょう。消防の情報公開とより一層の改善に期待。

C入札価格の事前公表制。・・「横並び・右ならえ体質」の強い門真市では珍しく、大阪府下10番目くらいに導入されたのは結構「先進的」だったのですが、(前助役の自殺事件後に)上限価格・最低価格を事前公表しての競争入札なら、普通は最低価格周辺での価格競争になりそうなものなのに、実際にはほとんど全てが上限価格の95%前後での落札、という高値張り付き状態のまま。談合排除・入札制度改善にむけたその後の取り組みや工夫がさっぱり感じられないのが不思議。

D前市長時代の赤字財政の一定の建て直し。「他市に比べると酷くはない」状態。・・・東市長の新聞談話「就任時に212億円あった市土地開発公社の累積赤字が99年度には141億円に減った。」・・・市職労作成の「しのびよる財政危機」(2000年11月)からの抜粋引用・・・

@「実質収支などの財政指標を見る限り、危機的状態の大阪府下衛生都市の中では比較
 的良い方だと言えます」「しかしこのまま推移すると財政危機に直面する危険性が大きい」

@「門真市普通会計の実質収入はここのところ黒字基調であり・・・、しかし積み立て金取
 り崩しを除いた実質単年度収支を見ると、99年度はわずか3800万円の黒字にすぎませ
 ん。財政収支の赤字を、過去に積み立てた基金の取り崩しによってかろうじて支えてい
 る状態なのです」

@「門真市財政の特徴は積立金の額が大きいことにあり、・・・現在額は府下6位、
  ・・・バブル期の遺産で食いつないでいるというのが門真市財政の姿です。

@「88年度から99年度かけて・・歳出は38%も増大。・・中でも民生費が構成比で24.1%
 から33.3%へ大きく伸び、生活保護費や老人福祉費が増え・・土木費は17.2%から15.2%
 へやや構成比を下げています。府下の他市に比べてそれほど積極的な公共事業が行わ
 れてこなかったことが示されています。

@「公共施設の状況を見ると、道路や自治会館などでは府下水準を上回っているものの、
 公園、老人福祉施設、児童福祉施設、体育館などは立ち遅れ」