東大阪市議松平要さんが語る東大阪市大合併の弊害


自治体合併問題レジュメ

(1)総 論

 自治体の合併問題を考える際には大前提として地方自治の本旨について考える必要がある。地方自治法の施行当時、全人口の6割が人口10万人未満の自治体に暮らしていた。この10万人という数字は住民の直接請求制度などから見て最大の値で、これを越すと直接参加の機会は減少する。現在は人口比率と都市人口の関係は当時と逆転している。神戸空港建設の住民投票は希な例で、多くの大都市では直接民主主義の制度が活かされていない。こうした事が住民を自治体行政から遠ざけ、投票率の低下にもつながっている。
 自治体が大きくなればなるほど、政治に対するコントロール権は弱まる。例えば旧与野市だと有権者1500人の署名で直接請求が成立するのに、さいたま市では15000人が必要になる。与野市で可能なことがさいたま市では可能でなくなる。議員選出、陳情、請願など押し並べてやりにくくなり、数の中に埋もれてしまう。つまり、民主主義の権利が制約される。
 巨大行政の誕生は、住民による民主主義の芽生えをつぶし、中央集権を押し進める危険性を強く内包している。

 戦後、我が国は国民主権を基本に、三権分立の政治形態を築いてきた。それだけではまだ民主主義の徹底には不十分であるため、主権者である国民に最も近接したところに地方自治を確立することによって民主主義の貫徹を期することになった。憲法で国会・内閣・司法の3つの章と並べて、(決して上下の関係ではなく)地方自治の1章を設けているのはまさにそのためであり、地方自治が民主主義の学校と言われる理由はここにある。
 こうした地方自治の本旨から考えると、財政効率の視点からのみ行政の広域化を進めるのは、本末転倒であり、民主主義の後退につながる非常に危険な発想である。
 今ひとつの視点として、自治体合併推進論の主張するように財政効率は本当に向上するのだろうか。具体的な検証が必要だ。

(2)東大阪市の実例

 60年代に高度経済成長に歩調を合わせて全国で自治体の合併が進み、東大阪市も67年に布施市・河内市・枚岡市の三市が合併して誕生した。財界と政府・大阪府によって「上」から推進された合併の結果、「広域行政化による行財政の効率化」は不発に終わり、弊害ばかりが尾を引くこととなった。
 また、同規模の自治体同士の合併の際には特殊な問題として合併後の市政の主導権争いが起こる点が特徴だ。浦和と大宮の間では、ことあるごとに主導権争いが繰り広げられ、新市の名前や、市役所の位置を決めるにしても果てしない議論が延々と続き、まさに「地域間戦争」の様相を見せた。こうした確執を遺したままの合併は、合併後に長く弊害を引きずることになる。東大阪市ではこうした意識の解消に30年の年月を要した。

<1>行政の肥大化による行政事務の非効率化

 行政の肥大化により、職員は「街づくり」という具体的な労働から疎外され、自分の目先のパーツの業務だけに専念するようになった。その結果部署間の「譲り合い」による責任の空洞化や、逆に同種の施策が重複する無駄が発生した。さらに中央省庁の補助金行政が縦割り意識を定着させ、典型的な「お役所仕事」を生み出すようになる。

<2>旧三市の「地元意識」

 全体的街づくりの構想よりも、どの地区に予算を持ってくるかの綱引きが常態化し、街づくりに計画性や一貫性、整合性が持てなくなる。
*1億円の事業は常に1/3に振り分けられる。(これをしないためには強力な「権力」が必要となる。=清水登場の背景)

<3>35年間続いた、分散庁舎と蛸足庁舎

 本庁舎は人口17万人当時の河内市の庁舎で、西支所、東支所と業務が分散することで非効率、非サービスを生み出す。本庁舎内敷地内でもプレハブ建ての分館が6館あり、2つの建設局庁舎は本庁舎から別方向に徒歩5分、介護保険室は、福祉部から離れた貸ビルに、教育委は自動車で20分といった蛸足庁舎による非効率は数字上現れるだけで膨大なものであり、来庁する市民にとって非常に不便なものになっている。

<4>帰属意識の希薄化

 本市の特殊な事情として、電話の市外局番が市域内で4局もあり、市民が市役所に電話をするのに市外局番をダイヤルするいう奇妙な状態が続いている。逆に21もある駅舎に「東大阪駅」がなく、心理的にも市の中心が不明確になっている。これは単なる不便さを越えて市民の一体感の希薄さを生む。市域は大きくなったのに、意識はますます旧市域からさらに旧字域へと縮小され、旧村域の住民は内に向いて小さく固まり、外部から入ってきた住民にとって、この街は人生の通過点になっている。そうしたことがさらに市民意識の薄弱化につながるという悪循環だ。
 市民意識の希薄さが、清水市政を生み出した背景になり、前市政への混乱へと糸を引いている。

<5>東大阪の教訓

 本市でもようやく数年前から7つのリージョンセンターができたが、未だ役所の出張所という感で、ここを域内分散化による住民自治の拠点とする事が今後の課題だ。
 住民自治の発展の立場から、「上からの合併」に反対することはもちろんであるが、合併が阻止できないときには次善の策を持っておく必要がある。(留意点を検証)
 各市の様々な地域事情から合併による行政の広域化が求められることは避けられない場合にも、市域内分散化など住民自治の貫徹を保証したシステムとセットで検討されなければならないと考える。

(3)今日的な新たな問題点

 35年前の東大阪の状況と現在では、社会情勢が大きく変わり、新たな問題も考えられる。そうした、今日的課題も含め、合併の際の留意点を列挙した。

<1>留意点

  (1)合併メリットの説明だけの偏った情報になっていないか、デメリットも議論に含めているか

  ○東大阪市の実例(前掲)
  ○さいたま市の実例

・三市の対応が不統一だった一般家庭ごみの収集。旧与野市では96年から、市民と協議のうえで指定ごみ袋の有料制度を導入。有料化によってごみの排出量は着実に減り、市民のリサイクル意識も前進したと評価する声が多かったという。一方、浦和と大宮はごみを無料収集していた。新市全域で有料化したら反発が強くて合併に支障が出るかもしれないと、当面は無料収集することで決着。有料化は今後の検討課題。

・同規模の自治体合併では行政事務をどのように統一するかも大きな課題となる。
 さいたま市では、これまで三市が別々に行っていた行政事務を統一するための「すり合わせ」作業の対象は、約4000件になる。福祉、環境、保険、医療などなど、数え上げればきりがない。

  特徴的なものとして電算システムの一本化の問題である。東大阪市が誕生した35年前と比べて自治体のコンピューター化は飛躍的に進んでおり、今後の自治体合併を考える際に重要なポイントとなる。この問題でも浦和と大宮が互いに譲らず、結局は二系統を併用して運用することになった。一市をモデルにする「統一型」から「三市混在型」の採用に変更されたのは、1999年1月18日の三市助役会だった。日立製作所の浦和か、富士通の大宮のどちらをモデルとするか。混在型に方針を転換した理由は「2000年春の合併目標までの統一は困難」という時間不足だった。

 住民票、税金、年金、介護保険など、コンピューターによる処理業務は幅広い。システムは、浦和が日立製、大宮と与野が富士通製だった。内部構造や事務処理方法、記録形式が異なり、統合には膨大な作業量が必要になる。大宮と与野は同じ富士通製でも機種などが違うため、互換性がなかった。 6月と9月にあった三市議会で、電算システム統合のために、総額31億円の補正予算が成立した。三市合併の準備費用の大半を占める。

・合併によって後退した行政施策もある。
 情報公開の面でも後退した。大宮市議会は99年、議長選の汚職事件を契機に政治倫理条例を制定した。新市での同様条例の制定について、議員本人のほか配偶者らの資産も公開対象であることや、大宮が制定した特殊事情などを理由に、浦和と与野が難色を示して制定は検討課題になった。

(2)住民アンケート調査や住民投票の結果尊重など、住民合意による自主的な合併が基本になっているか

 さいたま市の場合、合併協議過程の情報は市民に明らかにされず、説明も不十分。市民の意向や意見が反映される場もほとんどなかった。住民の意思を聞いて判断した西東京市とは大きな違いがある。
 東京都の田無市と保谷市が合併してスタートした西東京市は、昨年7月に「市民意向調査」を実施し、投票方式のアンケートで合併の是非を尋ねた。どちらかの市で反対票が上回れば、合併協議を白紙に戻す事実上の「住民投票」だった。

(3)これまでの街づくり計画が合併後どうなるのか

 具体例でいえば、鉄道の連続立体交差や、急行停車駅、また計画道路など、独自の街づくり計画を調整するだけでも市民合意を得るためには相当の準備期間が必要であるし、準備期間を無視した早急な合併は、後に問題を残すことになる。
 合併後20年先の基本計画を策定するために、少なくとも当事各市で2〜3年の審議会が必要で、その後1〜2年かけた住民説明を終えた後に住民投票をすべき。

(4)財源の問題

 合併推進のための主な財源措置の中で、特に合併特例債(合併後10年間は市町村建設計画に基づく特に必要な事業の経費に特例地方債を95%まで充当でき、元利償還の70%を普通交付税措置するな10年据え置きど)で、交付税が一巡した後、新たな借金が生まれないか

(5)遠い役場、大きな自治体、広すぎる街は地方分権に逆行しないか。また、地域の特性は失われないか、街づくりの住民参加や共同作業が希薄にならないか。議員数の削減や各種委員会・審議会等の意思決定機関の統廃合により自治体民主主義の低下(市民意識の低下)につながらないか。

(6)自治体の効率性の向上や経費削減が前面に出るあまり、人間の生活もコスト論で見てしまうのではないか。

(7)財政難で合併の道を選択した結果が公債費負担比率の増加にならないか

(8)公共事業と自治体IT化で、業界の権益確保により複数の機種を置くなど、経費の増加にならないか

(9)結果として推進派のもくろみとは正反対に財政危機を住民に転嫁することになるのではないか。

<2>実状の検証

 前掲の留意点を踏まえながら、自治省が発表した「市町村合併のメリット(下記)」に上げられた点に絞って検証する。

@ 住民の利便性の向上……………… 利用窓口の増加、他の市町村の施設が使い易くなる

A サービスの高度化・多様化……… 福祉、医療、介護などのサービスを安定的に多様なサービスを提供するのは大きい方が良いし専門的に行うことができる

B 重点的な投資による基盤整備…… 下水道整備や地域の中核的な施設を整備するときにやはり大きい方が良い

C 行政の効率化……………………… 市町村の職員、議会の議員などの経費を削減した方が良い

 本当にそうなのか。昔日の東大阪市の例だけでなく、最近のさいたま市の例から見ても疑問である。
 サービスの高度化については、例えば介護保険について自治体規模が小さい場合には広域連合その他広域行政の仕組みを使い、それぞれが努力しており、合併をしなければサービスが保てないという仕組みになっていない。  政令都市などの大都市は行政水準が高いと思われているが、実際に調査すると逆の結果が出る。
 岸和田市(人口18万人)と大阪市平野区(人口19万人)を比較すると全ての面で岸和田市の方がサービス水準が高い。
 学童保育予算は岸和田市が平野区の2.3倍、ホームヘルパーの数は岸和田市が2.5倍、重度障害者への給付予算は岸和田市が3.5倍と、歴然とした数字が出ている。このように規模の小さい自治体の方が大きな規模の自治体より行政水準が高いケースが実際には多いのである。かつて、金沢市と野々宮町が合併しようとして、野々宮町が詳細なデータを調査作成したところ、あらゆる点で野々宮町の方が高かった事が判り、「これは合併する事はない」として止めてしまった例もある。

 基盤整備についても合併による特段のメリットはない。推進論者は迷惑施設である焼却場などの設置をあげてこう説明する。「広域連合では押しつけ合いになってなかなか決定できない。それが同じ市町村となると、一番住民に対する影響の少ない所を選んで決めることができる」と。これなどは机上の論理の典型であって、単一の行政市域内でもこうした迷惑施設の綱引き問題は同様に行われているし、特にライバル意識の強い同規模市の合併の場合は、住民間対立を生み、広域連合以上の確執をともなったものとなる。こうした施設の建設は、まさにきめ細やかな住民自治の上にこそ保証されるものであって、合併が特効薬になる性質のものではない。

 次に住民の利便性が果たして向上するのかという点であるが、簡単に言うと合併をするという事は役場がなくなるということである。
 幾つかある役場をなくして中心部にある市役所に統合することが、果たして住民の利便性の向上になるかというと、否定せざるを得ない。バスで1時間もかかるほど市域が広くなれば、本庁に行くのに1日がかりのケースが出てくる。
 東大阪市でも数カ所の行政サービスコーナーを作っているが、職員2人の配置で1日の住民票交付が2件という非効率もある。また、市民の相談の内容によってはサービスコーナーで対応できず、結局本庁へ行ってもらうしかないケースも多く、市民にとっては二度手間になっている。

 こうした課題の解決に向け、現在個人的に(行政の対応が遅いので)市民相談窓口をオンラインで結ぶシステムを設計しているが、問題はそれだけではない。本庁舎が遠くなることは、市長助役などの行政の中枢、また議会が市民から遠くなることを意味する。陳情や議会傍聴は難しくなり、主権者としての市民の色合いが薄められる。サービスコーナーの発想そのものが市民を受益者としてのみ考えており、主権者としての市民と役所の距離については忘れ去られている。

 最後に行政の効率化の問題であるが、先のコンピューターシステムの問題や、東大阪の行政サービスコーナーの問題など逆に非効率な点が多く発生することも事実である。いわき市では、出先の職員が本庁に行くのに一泊の出張となっている。
 さらに心配なのは、合併の効果を無理矢理作るために、支所を統廃合したり支所の人員を削減して、結果的に住民サービスの低下を招くことである。東大阪市の例でも支所を廃止する代替え措置として行政サービスコーナーを設置したが、これは現在のところ、サービス低下と非効率という両面での後退を生じている。

(4)結論

 自治体の合併問題の中で意図的に置き忘れている重要な点は、冒頭にも既に触れたように住民自治、地方分権という地方自治の本旨である。
 制度上の保証も当然であるが、さらに文化としての自治体のあり方から考え直す必要がある。
 ヨーロッパでは、フランスでもイタリアでも、なぜ近代化の過程で日本のような合併がないかというと、地域アイデンティティーが強烈で、地域に誇りを持ち、郷土を愛しているため、合併という発想がそもそも出て来ないのである。合併により、住民にとって自治体が、ただ効率的に住まいするだけの存在になれば当然郷土愛は荒廃してくる。そして、住民参加が減少し、民主主義の学校が廃校となる。住民自治を民主主義の根幹にかかわる問題として捉えるとき、効率化にのみ目を奪われた合併は、この国の民主主義そのものを後退させるものであることが明白になる。

 そもそも、地方自治法は、「廃置分合」と規定しており、地方自治体を廃止する事、設置する事、分割する事、合併する事を想定してる。なぜ、合併だけが法律になって、促進されなければならないのかについて根本的に考える必要がある。現に東大阪の市民の中では、3市分割願望論も強く出だしている。そして、市町村合併と言うのは住民なり市町村の発議によってすべきものが今は国の施策となってしまっていることに重大な問題ある。

 50〜60年代の合併は地方自治法が出来たばかりでやむを得ない部分もあるが、地方分権と片方で言いながら、地方自治体の在り方を国の施策でやる時代ではない。仮に市町村合併が正しかろうとも国がとやかく言う事ではないのである。