沖縄の伝統的英雄、瀬長亀次郎!那覇市長に当選し
 占領米軍と果敢に闘った歴史がよみがえる!

「 カ メ ジ ロ ー 沖 縄 の 青 春 」 は こんな映画です!
< 音 楽 は あ の 、 喜 納 昌 吉 で す ! >

△1995年米海兵隊の少女暴行事件―沖縄県民ぐるみの基地反対運動。
 文化運動としてどう貢献できるのか、という沖縄での議論からこの映画は企画され98年10月完成。
△沖縄では全市町村で地域上映が達成され、本土各地でも上映運動が進められてきた。
 寝屋川・大東・枚方・尼崎・大阪・堺・吹田・泉佐野・淡路島などなど・・・・
★「父ちゃんが若い頃、瀬長亀次郎というすごい人が米軍と闘ったんだよ・・」'50年代米軍占領下での
 亀次郎と沖縄民衆の闘いが貴重な実写記録も含めて再現される。
 厳しくも知恵と笑いを忘れないその闘いは米軍・追随勢力の醜悪な攻撃をはね飛ばす!
★あせった米軍は軍政官布告で亀次郎を市長の座から追放、被選挙権までも剥奪。
 米軍は「アカの市長」と呼び、民衆は「カメさん」と呼んだ11ヶ月の闘いは一箇の伝説となって今も沖縄
 民衆の心に熱く残っている。
◇「優秀映画鑑賞会」推薦映画。豊中市・姫路市・枚方市などが上映会後援。
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島田耕監督から、守口門真地域のみなさんへの呼びかけとお願い

 私は、映画「カメジロー」を制作した監督の島田耕です。
沖縄県民からの「本土のみなさんに是非観てもらいたい」、という幾百幾千の声に背中を押され、「基地のない平和の島」を願う沖縄の民衆の闘いの歴史と現状への理解を本土の人に深めていただきたいという気持ちから、上映運動を続けて来ました。

 昨年の寝屋川市上映会での出会いを契機に、そういう私の気持ちに応えて、門真市の戸田さん、守口市の三浦さんたちが協力を名乗り出て下さり、守口門真地域での上映会を構想することができるようになったのは、大変うれしい思いです。
 しかし動きはまだ始まったばかりです。どうかさらに1人でも多くの方々が、個人でも団体でも、今回の門真守口地域上映運動にご参集下さり、幅広い市民の力を結集して映画「カメジロー」の上映会を支えていただきますよう、心から呼びかけさせていただく次第です。ぜひご協力下さい。

 かつて私の映画仲間に沖縄出身のカメラマンがいて、彼と共に、若き日に映画製作の夢を語り合い、彼がパスポートをもらえず故郷の親兄弟に会えないことも聞いていました。
 彼は、沖縄の本土復帰後、沖縄で記録映画の制作に映画生命をかけてがんばりましたが、その仕事に協力するため、私は1977年に初めてかの地に立ち、復帰後も大きな顔で居座る米軍の姿を、この目で確かめることになりました。以来、沖縄は私の映画人生の巨大なテーマとなっています。

 彼等が送ってくる「戦場ぬ童」(ドキュメント)「人間の住んでいる島」(阿波根昌鴻さんのたたかい)などの関西での上映オルグなどもやってきました。
沖縄との関わりの浅からぬ私の映画人生における運命的な到着点として、情熱を傾けてきたのが、映画「カメジロー」の制作であり、その上映運動に他なりません。
 奄美や沖縄の人々は、一度も自分の声を聞いてもらうチャンスもなく、1952年の講和条件と安保条約により、祖国の民主憲法の枠外に置かれました。同時に民主主義を誇るアメリカ合州国憲法も彼等にはもちろん、無縁のものでした。
「琉球の帝王」と呼ばれる殺人学(戦争)のベテランの高級将官が民政官や高等弁務官として、一片の布告で、沖縄県民の人権も財産権も、人間の誇りも踏みにじりました。
 私たちは、この時代の沖縄民衆のたたかいが、その後の沖縄と日本の民主主義のためのたたかいに少なからぬ役割を果たしたことを、今理解しています。

 門真・守口市民のみなさんのお力で、さらに一歩、上映の輪が広げられるよう、よろしくお願いします。
私もそちらに足を運び、試写会や懇談会も含めてみなさんとお目にかかることを楽しみにしております。                一緒になって「カメジロー」上映会を成功させましょう。   2000年9月1日 映画監督 島田耕
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  沖縄に関心を持つ全てのみなさん、沖縄居酒屋ファン、出身者のみなさん、
市民団体・労働組合・議員・民主団体のみなさん、有志のみなさん、
ぜひこの画期的な「カメジロー」守口門真地域上映会にご協力下さい。
 連絡お待ちしています。 
戸田ひさよし・三浦健男までどうかよろしく!