戸田/獄中からのアピール ・ 勾留レター

「金曜日」編集部の皆様へ   2/16記

 お久しぶりです。大阪府門真市で市議をやっている読者の戸田ひさよしです。
 先日、私の事務所経由で編集部気付で石坂啓さんにお手紙させていただきましたが、今回は大阪拘置所の中から「金曜日」への直接発信で「論争」欄への投稿をさせていただきます。
(この手紙の最上部の赤文字は「接見禁止」という「弁護士以外とは面会も手紙のやり取りすらさせない」という不当措置を、この手紙に関して解除させる為の請求手紙の名残りですのでご笑覧下さい)
(裁判所から発信禁止の解除を受けた後、一切手を加えずにそちらに発信するものです)

 私は昨年12月8日に逮捕され警察の留置場に1ヶ月超(1/11まで)拘置所で2ヶ月めの接見禁止勾留をかけられ、来る3月7日にようやく第1回公判を迎え、その後保釈申請が通るかどうかという状況ですが、これは「金曜日」でも昨年取り上げていただいた「連帯ユニオン・関西生コン支部労組」への第3次弾圧として、生コン支部の武委員長を長期幽閉し、組織と運動を破壊することを本質とするもので、そのために「労組が自分の組織議員に違法な政治資金をした」との「政治資金規正法違反」をデッチ上げて、同ユニオン近畿地本委員長兼市議である私と武委員長を逮捕したものです。
 私達は「違法な献金の受授」はしていないので、この点裁判で争ってゆきます。

 関西生コン支部弾圧の問題は「金曜日」の書評でも紹介された「生コン労組弾圧の真相」の著者、安田浩一氏が今年の雑誌「世界」2月号にも<ルポ>生コン労組はなぜ弾圧されたか、において最新情報を基に報告しています。
 また「戸田ひさよし」で一発検索できる私のHPでは「接見禁止」措置に置かれながらも果敢に獄中報告を連続掲載するなどの大特集を行っておりますのでご覧になっていただければ幸いです。
 今、「ITの星」と騒がれたホリエモンも拘置所に入いる状況になっていますが、それでも獄中からのライブ報告が次々掲載されるHPは、日本では私のHPしかありません。まさにHP世界での画期的な試みです。 一読者として、また社会運動家として、この連帯労組弾圧事件について再度「金曜日」に取材と報道をお願いいたします。
 私の件での第1回3/7公判は午後1時半〜4時で、大阪地裁201大法廷に非常に多彩な各方面から傍聴者が集まり、廊下にもあふれかえることになるでしょう。
 また、そのあたりを狙って武委員長をなおも監禁するために、第4次弾圧がしかけられて来る可能性もあります。
 しかしどのような弾圧がかけられようと、我々は決してひるます屈せず闘い続けます。ぜひご注目下さい。

 さて、「論争」欄への投稿はこの弾圧さ中の獄中から、「冤罪の温床」=代用監獄=警察留置場の「合法化」・恒久化の問題と個人の身柄監禁の重大性を全く考えずに警・検察の言うがまま、求めるままに長期・接見禁止勾留を乱発する「人質司法」の問題を指摘したものです。
限られた字数の中にあれこれ盛り込もうとしてあがいた面もあろうとは思いますが、獄中からの直接投稿(しかも接見禁止中で!!)という「金曜日」発刊以来の出来事(たしかそうだったと思います)に免じて掲載していただきますようお願いいたします。
 これらの問題については、辻元さん、福島さんなどで国会議員にも訴え、公聴会などあれば、獄中体験者として証言者に名乗りを上げていこうと思っています。
 次ページより、投稿原案となります。それでは「金曜日」のご発展を祈念しつつ。2/16

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==「論争」への投稿==

仮題  獄中で捉える代用監獄の大悪点  

戸田 久和(とだ ひさよし50歳 大阪府門真市議・連帯ユニオン近畿地本委員長)

 私は連帯労組関西生コン支部弾圧の第3波弾圧で昨年12月に不当逮捕され、大阪市西警察署留置場で1ヶ月、大阪拘置所の独居房で更に2ヶ月を経るが、接見禁止を一部解除させて本紙への投稿を実現し訴える。
 警察の留置場は逮捕者を上限72時間拘束する施設で、その後は身柄を拘置所に移して検事が取り調べに出向き起訴に向かい、起訴された被告人は拘置所勾留の継続か保釈になるのがホリエモン事例の如く本筋だ。
  しかし、楽して逮捕者を圧迫したい日本の国家権力は拘置所を拡充せず、例外的代用であるはずの留置場勾留の常態化ばかり図り、今国会でこの代用監獄を正規の措置に格上げし恒久化・主流化せんとしている。
 これが如何に醜い事か、留置場と拘置所(以下単に留・拘とも略す)の人権格差の具体を以下に提示する。

1.留が捜査当局の排他的支配下にあるため冤罪の温床になるのは有名だが、私の例では裁判所への文書すら検事の勝手な命令で発信妨害され、弁護士から裁判官への追及でやっと発信可能になった。許し難い話だ。

2.留では法的防御権行使に不可欠な、読む・書く・内心の秘密保持の保障が拘に較べ著しく劣る。具体として
@全ての書類が毎夜房外に回収されるため、書いた内容(内心)を捜査当局が覗ける
A筆記具の使用可能時間が拘より1日4時間も短い
B書き物机もカーボン紙、罫紙、色ペン、定規、下敷等が不許可、等。

3.留の食事は食材の種類も量も少なく拘とは雲泥の差で、これを長期摂取させるのは食育法にも反する健康破壊だ。実際、西署では通風防止服用者2名が1ヶ月前後の摂食で通風発作を再発させている。

4.拘ではコーヒー、菓子、おかず等約100品の食品購入ができるが、留では牛乳とコーヒー牛乳の2品だけ!

5.衣類以外の日用品で拘では約100品購入できるのに留では10品弱。

 このように留置場勾留者は大きな不利益を被っており、「法の下の平等」が完全に侵されている。食事や購入品の問題は拘置所の大人数収容のスケール効果や懲役囚人使役効果の前には留置場は絶対かなわない。  人間を何ヶ月もこんな劣悪な留置場で勾留するのが常態化したのは裁判官の見識の劣化に因る所も大きい。  20年程前は、少なくとも不当逮捕だと叫ぶ者には3泊4日で拘置所に行き、よほどの事がなければ接見禁止や保釈拒否もなかった。  しかし近年は裁判官達の中に代用監獄は良くないという感覚が無くなり、長期勾留も重大事と思わない由。

 私の件では、令状部の長瀬敬昭という裁判官はなんと「捜査の進捗や証拠書類の多さなどから考えて留置所指定の方が正しい」と臆面もなく主張し拘置所移送要求を拒否している。もはや捜査への中立とか人権侵害のチェックとかの意識は毛頭なく、捜査権力への助っ人意識全開で、何ら恥じない有様だ。呆れた話だ。 (拘置所も問題多いが本論では略)

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*上記原稿の下から3行目の「令状部長瀬敬昭という裁判官」の部分は「地裁第6刑事部の水島・中川・堀田の3人の裁判官」の間違いでした。ただ、長瀬裁判官(勾留理由開示公判での裁判官)も戸田らへの接見禁止勾留と留置所への指定をする決定を出しているので悪質であることには変わりがない。


週刊「金曜日」気付 石坂 啓様
2006年1月31日 記

大阪拘置所内1411号 戸田ひさよし

 明けましておめでとうございます。突然、拘置所内からの手紙で失礼いたします。
 私は「金曜日」(以下「金」と略させて下さい)創刊準備時代からの読者で、大阪の門真市で「鮮烈市民派」(無所属)市議をやっているものです。
 また辻元さんや福島さんとは20年ほど前に出会って以来の知己で交流させていただいています。
 石坂さんに手紙を書こうと思ったきっかけは、拘置所に1/11から移る前、大阪西警察署の留置場で年越しをしていた時に(逮捕は12/8)、差し入れで「金」新年増刊号を読んでいまして、石坂さん達の「鋼の錬金術師」についての対談記事に触れておもしろいと思ったことです。
 私が12/8に逮捕されたのは昨年5月か6月の「金」で成澤記者の記事で報道され、秋に「金」の書評で紹介された「生コン労組弾圧の真相」に詳述されている「連帯ユニオン・関西生コン支部」への権力弾圧・長期勾留事件の第3次弾圧として、同ユニオンの所属議員であり、同近畿地本委員長である私に対して「政治資金規正法違反」をタテに取った逮捕弾圧があったためです。
  これについての詳しい説明や、獄中報告は「戸田ひさよし」で一発検察できる私のHPで特集しています(日本初の獄中ライブ報告が公表される唯一のHP!)ので、この手紙では省かせていただき「本論」に移ります。

 対談を読んで思った第1点は、私も「ハガレン」を全く知らないできていて「ハガレン」をすごく読みたくなったことです。 (それで拘置所に来てから少年マガジンを購入したのですが、もう連載終了しているらしく載ってなかったので、出所してから単行本で読むことにしました。) この1月で50歳になったオジサンとしてはいくら「気分年齢」が若くても少年マンガはあまり手に取りにくいですが、それでも喫茶店などでは手に取って「大人が読んでもおもしろい」ものはいくつか知っていたつもりでしたが、やはり「腰が引けていた」せいか、踏み込みが甘かったわけで、「ハガレン」は全く見逃していました。
  石坂さんちのリクオ君の鑑識眼には私も脱帽です。

 で、手紙を書きたいと思った第2点が、「へーッ!あの『赤ちゃんが来た!』のリクオ君がもう15歳で中3の男の子になっていたのか!」という「ものすごい驚き」です。 まあ考えてみればそれくらいの年齢になっていて当然なのですが、この対談記事で初めてリクオ君=中3生という現実に出会って驚いたわけです。「よその家の子の成長は早い」って言うけどホントですね。

  実は私には1人娘がいまして、今高1なのですが、その娘が5歳くらいだった1994年頃(だったと思います)「金」が創刊されて間もない時期に、私達大阪の読者グループが本多さんや石坂さんを招いて大阪(十三)で講演集会をやった後の懇親会の場で、石坂さんとお話させていただき、娘の写真の裏に「○○ちゃんへ 石坂啓」と少女とネコのイラスト付きでサインをいただきました。(当時は既に離婚・別居していて、週の半分だけ自宅に娘を引き取り保育園へ送り迎えしていた時期でした。
  その後小学校進学を期に、母親が完全に引き取り、離れた街へ転居) そのサインは私の宝物としてずっと身近においてきました。娘には「ホラホラこの石坂啓さんて人はすごくいいマンガを描いている有名な女性の漫画家で、○○ちゃんのためにサインとイラストを書いてくれたんだよ」って自慢しいしい教えてきました。
  その娘が今は高1になって、ありがたいことに、いまだに月1回位は会って一緒に映画を見に行ったり、学校のことを話したりしてくれています。(もちろん現在の逮捕勾留状況も知っています) 石坂さんの息子さんもお母さんにいろんなことを教えてくれるくらいしっかりしたお子さんで頼もしいですね。

  さて、手紙を書こうと思った3番目の理由は、対談記事とは離れるのですが、逮捕以来2ヶ月近く(1/30段階で)私が受け続けている「弁護士以外には手紙を送れない」という( もちろん受信も面会も)不当な、そして今の日本の権力ベッタリの「人質司法」の下では悪しき「常識」と化してしまっている『接見禁止』措置の風穴を開けていく一助として、 「起訴事案とは無関係な信書まで禁止するのはやめろ!」「人間として当然な社会的交流への禁止を止めろ!」という訴えの具体として、この手紙を裁判官につきつけて、発信許可(司法用語では「接見禁止の一部解除の決定」)を出させようという狙いです。

 結論を先回りして言いますと、その「接禁解除闘争」は当初とんでもない妨害を受けた後、それを粉砕して勝利し、裁判所の許可を次々と引き出すことができ、勝利しています。 (「接見禁止」措置自体を止めさせることはできていませんが) その経過の中で、石坂さんへの手紙は私が当初予定していた「接禁解除第1号」ではなく、第十何号かとなりました。
  当初、元旦早々に私が思いついたのは「金」、石坂さんへの手紙ならどこをどうひっくり返しても「罪証隠滅の恐れがあるから接見禁止」という「理由」に引っかかるはずがないから、それを私への接禁勾留を決め続けている裁判所に郵便発送して「一部解除の請求」をしてやろう、ということでした。(もちろん弁護士の助言も得て)
  そしたらナント!検事のアホタレが、勾留処遇を決めるのは自分の職権外なのに「接禁の者は裁判所に文書を出すのもアカン!」すなわち「接見禁止」の建前的理由を忘れてしまって「裁判所に文書を出したら罪証隠滅の恐れが生ずる」(???)というこの上なくアホウな(そして弾圧対象者には社会的交流の剥奪をしたるんじゃあ!というホンネ丸出しの)妨害に出てきたために、裁判所への発信そのものができなくされるという事態が生じてしまいました。
  これに対して、弁護士が裁判官をつついて、権力べったりの裁判官もさすがにこの検事の暴論はたしなめざるを得ず、晴れて裁判所への文書差し出しを、この時点では私の事務所スタッフへの諸連絡を先行させて実施し、次々接禁解除決定を取って行きました。
*私は拘置所は28年ぶり2回目、以前より大拘の検閲マークが小さくなった気がします。
  それで1/11にやっと拘置所へ移った後は(本来は逮捕後丸2泊3日したら拘置所へ移すべきなのに〜留置場=代用監獄の悪所)、じゃあ石坂さんへの手紙を清書していこう!と思ったら、今度はまあ、拘置所という非人間的なお役所システムの中で、今までの筆記具も封筒も全て取り上げられてしまって、新たにそれらを入手するのに1週間もの空白を強いられるという仕打ちを受けてしまって、またまた清書・発信が遅れてしまったわけです。

  ちょっと長々となってしまいましたが、要は私が石坂さんに手紙を書いて出そうとした1月4日から、現に石坂さんあてに大拘から手紙を(まずは戸田事務所あてに)発信できた1月31日までの時間が、この日本の司法勾留システムの非民主性、非人間性の程度を示しているということを知っていただきたいと思うのであります。
  50年も前から言われてきた「その国の民主主義の程度はその国の監獄の実態を見ればよくわかる」というのは今もって真理です。

*なおこの手紙は戸田事務所の方にも、こういう手紙を出したことを知らせるために「金」直行ではなく、戸田事務所経由で送らせてもらっております。
「金」の投稿や「論争」コーナーにも、不当勾留弾圧の実況報告をしていく予定です。(1日2通の発信しかできませんが)

それでは石坂さん、読了ありがとうございました。石坂さんの「初夢」が今年は当たらないことを願いつつ、またお会いする日を楽しみにしております。 了


勾留レター22:いざ、3/7公判へ!釈放勝ち取り3月議会・3月春闘へ突進するぞ! 2/20記

1.大阪拘置所内1411号の戸田です。
ようやく3/7の第1回公判となりました。 地裁201号大法廷を揺るがす大結集で、ともにこの不当弾圧への怒りを叩き付けましょう! 戸田もそのために腕まくりして迫力ある意見陳述作りに励んでいます。
皆さんご存知のように、第1回公判が3月にまで延ばされ、その分我々の監禁が長引いたこと自体、権力側の卑怯な長期監禁策動の結果に他なりません。
詳しくは公判で述べますが、「被告」側に渡された検察側「証拠」を見れば05年1月13日第1波弾圧直後の2月冒頭から、権力側は戸田と武委員長をターゲットとして450万円の「違法献金の授受」というでっち上げストーリーによる弾圧の準備を始め5月か6月頃にはこの弾圧の準備をあらかた固めて、大谷、旭光事件公判での武委員長保釈にぶつけるタイミングを測っていたことが透けて見えます。
 そうして11/9の大々的なガサ入れ後1ヶ月も弾圧固め作業をしての12/8戸田逮捕、12/13武委員長再々逮捕及び12/28起訴をしておいて1月下旬になってから「追起訴もありますわ」なんて公判開始引き延ばし=勾留引き延ばしのための卑劣な二段階作戦以外の何だというのか!
この引き延ばしのために我々2名の春闘現場への、そして戸田の場合は2/27議運での議案書・予算書配布、説明から始まる3月議会への現場復帰が阻害されていることを我々は強く糾弾する!

2.2/20(月)に書いて21(火)に裁判所に解除請求をするこのレターが戸田事務所に届くのは3/1(水)頃で、それからのHPアップ・・・という状態であり、また戸田はこれから被告人意見陳述を作成しつつ、3月頭からは差入れの議案書、予算書、それらの説明書という膨大な議会文書を読みこなして本会議一般質問の通告書を作って3/6(月)あたりに発送しないといけない(市議会への文書発信は既に許可させている)というスケジュールを抱えているので、3/7公判前の「勾留レター」発信はこれが最後になるでしょう。 ということは、3/7公判終了後に保釈されるならば、これが戸田の「勾留レター」最終便になるわけです。
戸田としてはぜひ保釈を勝ち取って3月議会に乗り込み3/16(木)に本会議質問をやり、3/12(日)には春闘の大闘争、「大車両パレード」に馳せ参じたいと熱望しています!

3.我々の長期不当監禁を打破するためには、3/7公判・保釈闘争へ向けた運動の盛り上がり、世論の拡がりが何よりも重大です。3/8には国会内での釈放要求集会もされると聞きましたが、保釈要求署名の拡大をぜひお願いします。
流れとしては、3/7公判終了後、弁護人から直ちに保釈請求を出し、それを公判担当の第8刑事部の3人の裁判官が検討します。検事はもちろん保釈に大反対。これで地裁の3人の裁判官が保釈決定を出したら、悪らつな検察側は今度は高裁に対して保釈するなと訴え、今度は我々の事件のことを何も知らない高裁の裁判官が検事と弁護士の両方に主張を聞いて保釈するかしないかを最終決定するという段取りになります。
従って保釈される場合でも保釈が実現するのには3/8の夜遅くか3/9。 もちろん姑息悪らつな権力側はこの時期に合わせて武委員長4度め逮捕の第4波弾圧を策動しており、それをも封じ込める運動の力が必要になります。
それにしても我々が釈放されて、3/12春闘車両パレードの壇上でアピールしたら、ムッチャ盛り上がるやろうねぇ。 武委員長復帰の生コン春闘なんて権力にとっては絶対実現させたくないやろうねぇ。
しかし!今現在ですら、我々2人の勾留には何の正当性もないのだ!裁判所は司法権力による不当監禁を、せめて3/7公判をもって終了させよ!

4.こういうスケジュールなので、獄中処遇問題を国会議員に訴える手紙や、杉並の長谷川さんら「都革新」の人達へのあいさつ、韓国訪問の体験談等々、書きたい事は色々残っていますが、取りあえず3/7終了までは取り止めることにしますので悪しからず。
ところで、3月にある砂川君の所の大津市・旧志賀町地域での定数3の市議選はどうなってるんやろ?砂川君出馬して当選してくれよ!

5.連日、連帯宣伝カーによる弾圧糾弾宣伝聞こえてます。やってるね!
そしてこのレター書き始めたあたりに連帯婦人部からの激励の手紙のFAXもきました。これは裁判所の「一部解除決定」通告としてきたもので、今日は文面をざっと見て指紋を押すだけで回収され、手紙のコピーが手元に入るのは2日後くらいですが、これもうれしい話です。

6.拘置所の日常を少し紹介すると、親指のひび割れやアカギレははすっかり治り、体調は良好で食事もうまい。ウエストは確実に4pは減ったし、体重は8sくらいは落ちてスリム化も順調!寒さはまだ続いてるけど、日中はいつもの夏物ジャケットと夏物スラックスと色ワイシャツと黒ベストで過ごしています。ヒゲの手入れもちゃんとして、色ワイシャツを週に5着着替えてオシャレも楽しんでいます。食間はスティック袋に入ったインスタントコーヒーをキリマンやらコロンビアにマンデリンやら各種飲み分けて楽しんでます。 これでパソコンがあって掲示板に書き込みできたらもっといいんだけど!

7.門真市政についてちょっとだけ。
・2/15広報はさみ込みの「行革推進計画」の宣伝大ビラ。「職員さらに25%削減をデカデカと掲げて、それを「やさしい・希望あふれるまち」に結びつけているけど、こういう煽り方はよくないと思う。
責任と権限のある公務員をやたらと減らしたらどういう不具合が住民に及ぶか、その例を建築確認検査業務の民間委託推進の弊害を目の当たりにしているところではないか。
公務員労働者へのバッシングは労働者全体への分裂攻撃であり、これと対決、そして公務員労働運動の新たな立ち上がりが民衆収奪・戦争推進政治をはね返すカギだと思う。
・砂後小児童クラブの民間委託のための入札案内を見て、これは醜いと思った。
極く簡単にだけ書くけど
@保育事業の中味について各事業者から詳しいプラン提示をさせて審査するのではなくて、市教委が簡単に業務内容を示して、それをこなせれば良いとして、あとは入札の価格が一番安ければ落札できるという安値競争だけのようだ。
Aしかも!小さな児童達を100名も預るというのに、施設の運営時間と「指導員の勤務時間」がピッタシ同じ!つまり子ども達を受け入れて帰らせる平日なら午後1時から6時までピッタシしか勤務時間とは見なしませんよ。ということであり、実際には子ども達が来る前の諸々の準備や帰ってからの諸々の片付け、記録、整理などの絶対に必要な労働時間に対して、行政は労賃を計上しないよということだ。これは行政による無給労働の強制であり、明白に不当労働行為である!
 今の学童保育や児童クラブを見れば、現実の指導員の必要労働がどういうものであるかは市教委、市は百も承知でいながらこんな酷い事をヌケヌケと事業者を通じて労働者に強制しようとしていることに戸田は呆れ、そして怒りを感じる。
この点は釈放されてから、さっそく市と市教委に問い正して追及していこうと思う。
ちなみに、市の「指定管理者制度の募集要項」を見ると、応募業者・団体に「管理運営の方針」とか「職員の労働条件」「労働関係法令遵守の担保方策」「地域の労働事情に対する貢献」「業務収支計画書」など様々な項目を書かせて審査して決定することになっている。
戸田は指定管理者制度自体には賛成ではないけれども、こういった諸点を審査対象にするのは必要だし良い事だと思う。 これに較べて子ども対の毎日の安全安心と教育支援も担う児童クラブの運営者への入札決定の仕方は余りにズサンとしか思えない。

8.他にも伝えたい事はいっぱいありますが、3/7公判前最後の勾留レターはまずこれまで。
さて3/7公判後は何の声やHPを通じて「シャバの一員」としてみなさんに情報伝達できるのか、それとも「拘置所から勾留レター23号を出して情報伝達しないといけないのか、結果は3/8か3/9に判明します。
それでは3/7午後1時半、大阪地裁201号大法廷で会いましょう。 みなさんお元気で!


勾留レター21:高枝前助役を「理事」で呼び戻した園部市長 2/12記

公判準備やイラク訴訟意見書作りにがんばってきましたが(「2/16出廷させず」はけしからん!)久々に門真市政の評論です。
去年12月の事でちょっと古いけれども、園部市長の新体制を考えるのに大事なことなので触れておきます。
去年獄中で市の資料をみて驚いたのが、東市長に義理立てて東市長に辞表を出して辞職してしまった高枝前助役が、12月1日付で常勤嘱託で「理事」として採用されていたこと。
「理事」というのは助役の下で、一般職員では部長より上の最高クラス。 園部市長がまず理事に引き上げた五十野氏が12月議会で助役に上がった下に、この前まで助役だった高枝氏が来たわけだが、これで東市長側近の5人の特別職(高枝助役・土井助役・下浦教育長・田村収入役・今堀水道事業管理者)のうち、下浦氏と高枝氏の2人が復活したと言うか、園部市長に鞍替えしたと言うか、帰順したことになる。
これは選挙時に東陣営を激しく攻撃した園部氏が東陣営、人脈に妥協していったのか、それともそこにクサビを打ち込んで一部を取り込んで分断させたということなのか。 戸田にはまだ分からないが園部市長の「手腕」の実態が段々と見えてくるだろう。注目しておきたい。
ただ、もし更に1人、2人と復活させるとするならば、それはそれで手腕とも言えるかもしれないが、「旧態以前」となってしまう要素が強いだろう。 大阪府の職員から助役1名と行革推進部の幹部1名を迎え入れた初めての試みと、前助役の理事採用。その効果の程を戸田としては見て行きたい。
また議会の同意の要らない「理事」としての採用という側近獲得の手法は市民派首長当選時に応用できるもとして注目しておきたい。
高枝氏は99年の北野助役辞職の後任の人で、「飲んでいる所にもし業者さんが来たら、他から誤解受けんように、仕事と関係なくてもスッと席立って出るようにしてます」とトツトツと語ったことが戸田の記憶に残っている。


大拘当局の「2/16イラク派兵差止訴訟」への原告出廷禁止を許すな!

裁判官および全国の皆さんに強く訴えます!
私は権力弾圧によって大拘(大阪拘置所)に不当勾留されている門真市議・連帯ユニ オン近畿地本委員長の戸田久和(ひさよし)ですが、この度、「イラク派兵差止関西 ゼニカネ訴訟」(本人訴訟)の原告であり、大阪高裁大法廷での2/16第1回弁論で意 見陳述を予定しているにも拘わらず、大拘所長名で出廷を禁止されるという人権蹂躙 を受けております。
裁判所はこの不当措置を直ちにやめさせ、私を2/16弁論に出廷させて下さい。
全国の 皆さんは大拘所長への抗議の声を上げてください。

1/17に2/16弁論の出廷呼び出し状を受け取ってすぐに、私は看守に出廷希望を伝え、 大拘所長に対しては「本人訴訟であり意見陳述を予定している」ことも書いて「出廷 許可願」を翌週に出しました。
しかし大拘所長は2月1日に職員の口頭で「告知」して来たのみで、不許可の理由も 示さず、不服申し立てもできないと言われました。
看守職員の口からは悪気ではないけれども「民事の出廷はダメやな」とか「控訴審や しな」「代理も立てられるし」等の言葉が聞かれ、それが理由であるかどうかは別に して、本人訴訟や出廷の権利、未決勾留者の権利等に無理解な大拘の体質がにじみ出 ているものでした。
唯一可能なのは「面談願」を出すことだけだと言われたので、8センチ四方ほどしか ない小さな紙面に「不許可は裁判を受ける権利や公益判断を誤ったものであり、あえ て出廷の労を取ることを拒否することが正等であるかを判断の土台に据えるべき」と 指摘し、所長への面談を求めました。
しかし、大拘当局はそれらを何ら真面目に検討することなく、裁判所の問合せに対し 「戸田は出廷できない」とのみ回答していたのでした。
これは全く許し難いことです。「収容者を裁判所へ連れて行く」というのは大拘が1 日に何回も行っている通常業務のひとつであり、親の葬儀出庭や病気治療などのほか の勾留停止に較べて格段に容易な短距離、短時間の移送にすぎず、これを嫌がって出 廷権を阻害するなどはとんでもないことです。
それとも大拘にはそれ以外に戸田を出 廷させられない理由があるとでも言うのでしょうか?
大拘所長の出廷不許可決定にはどんな正当性も公益性もあり得ません。
私は大拘とい う巨大施設の中で3畳半の独房に付いた巾40cmの窓を通して廊下のごく一部を見て 看守と話ができるだけで、出廷権について大拘の中ではこれ以上声を上げることも文 書を出すことも許されない実情です。
裁判所は速やかに措置を講じて私が2/16弁論の開廷から閉廷までの間ちゃんと出廷しておれるようにして下さい。 イラク派兵問題での一審判決は、国がやる事に対して民衆が裁判を起こすことすら否 定するに等しい極悪判決でした。
これに異議を唱える場は高裁出廷しかなく、悪くす ればそれすら2/16弁論で結審されかねない状況で、最初で最後の法廷になりかねない のです。この意味でも私の出廷は絶対に保障されるべきです。
なお出廷時は自分の靴 をはいて、品位の保持ができることも併せて要求します。


勾留レター19;大阪拘置所の日常生活あれこれ 1/29記

 「拘置所」っていうのは具体的にはどんな所なのか、世間のほとんどの人は知らないだろと思う。 一生知らないで過ごせればそれはそれで良い、というか知らずにすむにこしたことはないかもしれないが、戦争国家化と民衆収奪の激化の中で、「普通の市民」にもブチ込まれる可能性がないとは言えないし、現に戸田みたいな左翼活動家のみならず、自家用ジェット機(1機30億円とか!)を乗り回す「時代の寵児」でも入っちゃうくらいだから、この際知っておいて損はないと思う。
以下にとりあえず大拘(大阪拘置所の略)の日常生活のあれこれをザッと紹介してみたい。

1.「大拘は暖房がないから寒いよ」と留置場内でいろんな人が言ってたが、寒い原因はそれだけじゃなく、大拘がやたらと「風通しを良くしている」せいだった。システムとして「風通しが良い」のなら結構なことだが、大拘の場合は、この寒い中でも朝から夕方まで、廊下の窓の半数もしくは大半を開けて外気(寒気)をドンドン流れ込ませるという、「純物理的な風通しの良さ」なのだ。(休日の場合は開ける割合が少ないようだが)で房内はというと、廊下に面した幅45cmほどの、物の出し入れや房内チェック用の窓を一番下まで下げても(ちょうど一昔前の電車やバスの車内窓みたいに下半分が上げ下げできる)書類の出し入れ用なのか高さ1cm幅10cmほどのスキマができるようになっているし、食事の出し入れといろんな用事で結構窓を開けないといけないことが多いので、廊下に入ってくる冷たい風が絶え間なく房内に入ってくる。
 戸田のいる独房の場合は、日中座っている場所がなぜかその窓から直線位置に指定されているために、廊下向かい側の窓が開けられている場合(週の半分ほどはそうなっている)は外からの風が一直線に吹き込むことになる。
 まったくありがたい話である。ホンマに!
 房内には換気扇がないから、トイレをした臭いを出そうとすれば(トイレ自体はシックな木製カバーでおおったきれいな水洗トイレだが)戸外側の窓と廊下側の窓を開けて風邪を通すことになる。
 なるほど臭いは大変効果的に流れ出て行ってくれるが、寒いことは否めない。

2.普通の大阪人に比べると大部寒さに強い戸田でも、入ってしばらくはこの冷たい風と足元がえらく冷たいので困ったものだ。時には手袋が欲しくなるほど寒い時もある。オンボロの畳の下から冷気があがってくる感じだ。

3.防寒衣料を差し入れで強化し、体も寒さになれて強化されてきたものの、今度は連日ぞうきん洗いなどを冷水でマジメにやりすぎたせいだろう、今の日本では見なくなった「アカギレ」が手にできてしまった。それだけでなく、入所10日目頃に突然両手親指の先がピシッ!という感じで左親指はタテに、右親指はヨコに数ミリほどヒビ割れてしまった。
 これがまた痛いし、血が出るし、全然治らないし、物を持ったりワイシャツのボタンのはめはずしにもたいそう苦労させられた。1週間程たった最近になって、ヒビの底の赤い肉が新たに固まり始めたので楽になってきたところだ。

4.部屋は8人収容用と独房の2種類あるようで、戸田のいる独房は広さが畳3畳半くらい。その中に、布団・毛布を一角に積み重ね、便器と洗面台(兼物品受け渡し台)があって、小机、座布団がある。たしかに狭いがこれはこれでしかたないだろう。
 戸外側の窓の外には、職員、作業員用の通路があって、それから半透明の目隠し付きフェンスが立っている。下に少しすき間があるので少しだけ外の景色が見えるし、またハトやスズメがやってくるのも見える。
 ここら辺、外の自然を少しだけでも目にすることができるのが、旧い拘置所の良いところで、ホリエモンや重信房子さんのいる東京拘置所は冷暖房付きの新施設になったのはいいが、鳥が来たり、外の景色が少し見えたりは全くなくされて極めて味気無く、圧迫感の強いものにされているとのこと。

5.房の天井は高く、就寝時は(夜9時〜朝7時半の1日10時間半も!)は小さい蛍光灯に照らされながら寝ることになる。

6.食事についてだけは、大拘は素晴らしいと言える。おそらく拘置所は全国どこでもレベルが高いのだろうと思うが、分かり易く言うと「とても優良な学校給食の大人版」という感じ。 留置場と較べると正に「天と地ほどの差」がある。「月とスッポン」と言っても良い。
何よりも野菜をたっぷりと使い、食材の種類が多い。三食とも麦入りご飯というのも栄養面から優れている(休日の昼はパン食のこともあるが) 秋田での子供時代はずっとムギメシだった戸田としては全然苦にならない。
味もなかなかいいし、意外と「しっかりピリッと辛い」味の料理もある。時々分厚いカツやハムステーキ、魚フライが出るのもムシャムシャ系の好きな戸田にとっては大変うれしい。

7.副食品を全然買えない留置場と違って、種々の飲料、アメ、乾物、おかし、つくだ煮、ふりかけ類や調味料を買えるのも助かる。(ただし、戸田は診察の結果「高血圧」と診断されて、購入可能な98種の食品のうち40種類、菓子類では甘味菓子以外の全てを購入禁止にされてしまった。トホホ・・・。)

8.風呂は月・木の週2回。各15分の時間制限付きだが、これでもなんとか 「あ〜あいい湯だね」気分になれる。(たしかにあわただしいが) この風呂は戸田の居る棟では1人用が2コ。旧式だよと言われているが、これがなかなか良くできている。
湯ぶねには水道のみ。どうやって熱くするかというと、湯ぶねの中に熱い水蒸気を放出する筒があって、木製の円板ハンドルを回すとそれを放出してすぐにお湯の温度を上げることができる。良く出来た仕組みだ。

9.戸外運動は今は火・水・金の週3回、各35分4m×5mくらいの壁の中でできる。文書作りなどで忙しい時は自由にパスできる。(もっと広いスペースで集団で楽しんでいる声も聞こえるが、戸田のような接見禁止の者は単独運動らしい) 戸田がこの間がんばっている戸外運動のテーマは、左手でも右手と同じようにボールを投げられるようになること。25分間ほど与えられる軟式テニス球でチャレンジを続けている。これが非常に難しくかつ面白い。戸田はいわゆる「右投げ左打ち」でラケット類は全て左だが、ボールを投げるとなると、腕、肘、手の指、体の回し方、全てが右とは大違いでうまくビシッと投げられない。
しかし何十回も何百回もやっているうちにすこしずつ上手くなってくる。体はすぐに温まってくる。 ボールを回収されてしまった後は、ランニングとか前歩き、後ろ歩き、膝上げ歩きなどをする。この時は韓国語で数を数え、手のグリップ運動も兼ねてやる。
こうして35分がすぐに過ぎ、こちらはものすごくさわやかにさっぱりした気分になる。

10.室内運動としてはストレッチ、柔軟、スクワット、腹筋、腕立てなど。留置場の初期に、張り切って頑張りすぎてヒザを痛くした教訓から「あまりムリをせず少しずつ」をモットーにしてやっている。
それでも逮捕時と較べれば筋力や柔軟度は確実に向上し腹回りは少なくなった。(残念ながら「グンとスマートになった」とは言えないが)体重は5キロほど減って体調は良好。

11.新聞は産経と読売の2者択一しかできないが、毎日買って読んでいる。週刊誌も駅の売店で売っている程度のものは買えるから適当に買って世間の動きを読んでいる。 その他に「接見禁止の一部解除」闘争の成果として、いくつかの種類の資料も読んでいるのは既に報告している通り。

12.初の訪韓を契機に20年ぶりに韓国語への学習意欲が燃え上がり、「韓国の闘争仲間とコミュニケーションできるレベルの習得」を目指して、少しずつながら、全く画期的な学習法も編み出して学習中。この方面については別途詳しく報告していきたい。

13.新聞によると東拘の収容者が約3000人ということだから、大拘の場合2000人くらいは収容させているんじゃないかと思う。とにかく巨大な施設だ。留置場の房は前面の全てが素通しだから房外の様子がかなりわかるが、拘置所の房の狭い窓からは廊下のごく一部しか見えず、そういう意味では房外の様子はさっぱりわからない。

14.拘置所のいろんなシステムについて、集団房なら他の「先輩」達からアレコレ教えてもらえるけど、独房の場合はそれが全くないし、上記のように回りの様子が全く分からないので初めの10日程は大変まごついてしまう。これは拘置所側のシステムとして初めての、特に独房の者に「ちゃんと教える」ようになっていないため。以前のレターに書いた様に入所時に筆記具を全く与えないとか、ほぼ全ての物品を「領置」として取り上げておきながらその物品リストも渡さないなどの方式に問題がある。

15.最後に。 戸田が学生時代の闘争で拘置所に10日間入れられたのが、たしか1978年頃で今から28年くらい昔のこと。
かなり「珍しい体験」だからいろいろ覚えていてもよさそうなのに、今回入ってみて感じたことは、房内照明が終日ついていること以外は、施設のこともいろんなシステムのこともぜ〜んぶ忘れてしまっていることだった。(大拘の施設はその当時と何も変わっていないとのこと)あの時も独房で単身運動だったのに(接禁はついていなかったはず)な〜んにも覚えていない。風呂のことに至っては、映画の刑務所の風呂場シーンか何かとすり替わっていたらしく、集団で号令に合わせて入るもんだと思い違いしていた。 こんなにもキレイに記憶がないなんて不思議な気がする。

以上で大拘の日常生活のとりあえずの紹介を終わります。


勾留レター18:接禁解除闘争の前進と裁判官の姑息な抵抗06.1.18記

「獄中者には何も発信させるな、社会運動情報を何も入れるな」という近年の政治弾 圧ではすっかり「定番」になってしまっている「接見禁止」(本文では「接禁」とも 略す)措置に対して、戸田と永嶋弁護士の強力タッグが果敢に闘いを挑んで、着実に 風穴を開けてきている。
まずは、「罪証隠滅の恐れがある『接禁だ』という建前すら忘れて、(この「建前」 自体まるで妄想なのだが)「接禁ってのは完黙なんぞしやがる生意気な獄中者孤立化 の嫌がらせ圧迫手段なんじゃあ!」とのホンネむき出しに「接見禁止の者は裁判所に 文書出すのもアカンのや!接見禁止ってのはそういうモンや!」と超アホウな趣旨の 言葉を口走ってしまった山内検事(戸田への起訴状を書き接禁勾留を主張し続けてい る担当検事)の実態を、12/20勾留開示公判でおなじみの長瀬裁判官につきつけ「こん なアホウな話を許しとってエエんかい?」という趣旨で(実際の言葉としてはもっと 上品に)永嶋弁護士が迫っていった。
(ついでに言うと、こんなアホウなことを主張した検事は山内のみではなく、第12 刑事部1係の立会検察官の後藤検事もそうだったと永嶋弁護士の報告文にあるから検 事の大半が法的常識を持っていないのだろう) これが正月休み明けの1/4〜6の第1ラウンドだった。 こんな検事の非常識をつきつけられては、いくら「正義の味方警察・検察万歳!」的 な「私、警察・検察の味方です!」的な長瀬裁判官と言えども「あのね、裁判所へ出 す文書は罪証隠滅と関係ないから差出禁止はできへんのよ」と山内検事をたしなめざ るを得なくなった。
(もしかしたら、この時長瀬裁判官の頭の中に、接禁の理由の中にも保釈拒否の時み たいに『その他諸般の事情に照らして』の一文も挙げられたらよかったなぁとの思い が浮かんだのかもしれないが・・・) これで山内検事もそれ以上妨害することができなくなり、戸田は晴れて留置場から裁 判所に対して
1. 戸田事務所を通じて娘への手紙
2. 勾留レター〈西署への連帯の元旦闘争〉
3. 勾留レター〈留置場内の衣料生活など〉 の3通の文書の発信許可を1/7発送で請求してやった。
また、1月10日には大阪地検、検事正への抗議文の発信許可も請求してやった。
で、第2ラウンドはこれら合計4文書の発信許可の場面で当然これらの文書が本件起 訴事案の「罪証隠滅の恐れ」に当たるはずもないから、いくら長瀬裁判官であっても 「検察官の意見を聞いた上で」あっても「接見禁止の一部解除の決定」つまり「戸田 がそれら文書を発信することのの許可」を出さざるを得ない。 それで1/11付とか1/12付で次々と解除決定を出して大拘(大阪拘置所)の戸田の所 まで送ってきたのである。
大拘当局は、こんな解除決定は今まで見たこともなかったみたいでビックリ。
戸田は鼻高々でそれを受け取って「裁判所のお墨付きを得た」発信を、戸田事務所や 大阪地検あてに続けたのである。 宛名の下に「接見禁止の一部解除」の大阪地裁1/11決定受済文書在中」と赤ボールペ ンでクッキリと書かれた文字が水戸黄門の「葵の紋所の印籠」みたいなもんである。
ただここで戸田が推測するに、山内検事が連帯の元旦闘争の状況を賞賛しつつ書いて いるレターについて駄々をコネたみたいで、そのレターだけ解除決定がなかなか降り なかった。
「不許可にするなら連帯だ」と思っていると、1/13付決定として1/17になってやっ と到着したのだが、その文面を見ると「1/12に被告から申立があった」と書いてある。
1/7(土)に発送した3文書のうち、このレターだけが1/10(火)発送の検察庁あて 文書と同じ1/12に裁判官の目に触れたと言うのだ。 こんなのウソとしか思えない。
山内検事がダダをコネるのを「連帯のことが書いてあるからって、罪証隠滅の恐れと 無関係なこともあるんだよ」となだめるのに日数を要したのをごまかすためのズレだ としか思えない。
ま、これは「ちょっと笑える姑息な話」である。 さて、「姑息」と言えば他にもある。 それは永嶋弁護士が繰り出した攻撃への対応だ。

永嶋弁護士は、
1.戸田が原告となっている住基ネット訴訟に関わる各種情報
2.    〃      イラク派兵差止めゼニカネ訴訟に関わる各種情報
3.各地の自治体の状況に関する文書や議員発行物
の3分野の文書資料について獄中の戸田への差し入れ許可を「接見禁止の一部解除」 として請求したのだった。
で、これらへの長瀬裁判官がだした決定が実にセコくて不合理なものだったのだ。 どんな「一部解除決定」を出してしたかと言うと、
A:1. 2.の裁判原告への文書・資料については「裁判所と原告の間の文書のみ許可 する」
B:3.の自治体関係の文書・資料については「自治体発行の文書のみ許可する」 というものだった。
A:の「裁判所と原告の間の文書」など、そもそも「罪証隠滅の恐れ」など論外で差 し入れや発信禁止など絶対にあり得ないもの=「わざわざ決定するまでもないもの」であって、 これは原告としての意思形成の土台を為す情報授受、例えば原告団のニュースや意 見交換、当該問題への報道、分析、評論の授受は不許可(=禁止)にするという暴 論であり、原告として裁判を進めていくことを実質的に不可能にするもの、即ち、 国民の「裁判を受ける権利」を否定する暴論である。
絶対に許されるものではない。
B:は、お役所発行のものはいいが、市民や各地の議員が作成発行したビラやパンフ は不許可だという珍論的暴論である。
戸田の所には、各地の議員やオンブズからビラやパンフレットなどが送られてきて おり、それらに目を通して各自治体やそれらを取りまく状況を知ることは議員とし ての見識を形成したり、門真市議会での質問に活用したりして、門真市政に役立た せるのに不可欠のことであるのに、我が長瀬敬昭裁判官はそれら資料を獄中の戸田 に差入れると、本件の「罪証隠滅の恐れ」が発生すると言うのだ! 「差入れ許可の対象からはずす」ということは、そういう理屈に立つ以外ありえな い。
これは実にトンデモない話ではないか? 議員が議員としての見識を深めることを禁止対象とすることが許されるはずがない。
戸田と永嶋弁護士のコンビは、本件起訴との闘いをもちろん最重点としつつも、上 に述べたような不当な「人質司法」の獄中処遇、接禁攻撃ともできうる限り闘って ゆく。
それを通じて検事や裁判官のデタラメぶり、あわてぶりがどんどん露見してくるか ら今後もお楽しみにネ!


勾留レター17:移送7日目でようやく装備6割回復で・・・!06/1/17記

 いやー、1/11移送からしばらくは本当にわけがわからず、何も手元になくて本当 に困ってしまった。
おまけに当局がミスして戸田の房に各種申込システムの説明表を入れ忘れていた ので、なおのこと訳がわからなかった。
13日(金)になって、そのミスが判明してようやくちゃんとした説明がなされて 自分の「装備」を取り戻す途が開けてきた次第。
で、きのう16日(月)になってやっとノート、便せん、封筒と自前のペン、そ れに留置場で使っていたノートや便せんを入手し初めての郵便発送した。
移送1週間目でようやく「装備」の6割が回復し明日18日(水)になってよう やく読書用メガネや各種の本、資料、そして新たな衣類を得て、全ての「装備」 がやっと回復することになる! さあやっとこれでバリバリと「戦闘再開」だ!

ところで拘置所が留置場よりもマシな所は食事の質が格段に良いことと、副食品 (おやつ類、嗜好品)がいろいろ買えて間食できるところだ。 12/8不当逮捕以来、ほぼ40日目にして、戸田は初めて仁丹や飴、チョコレート などを食べ、インスタントではあるが「1日2回食後にコーヒー」が飲めるよう になった。
「コーヒー牛乳」じゃなしに、ちゃんとしたコーヒーはホントに飲みたかったの で、この点は大いに満足している。 それでは!
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ところで 「編集者というのは作家の手書きの原稿を世界で最初に読める読者である」とい う言葉があるが、裁判官が不用不当な接見禁止をいつまでも解除しようとはせず に、そのかわり毎日テキパキと接見禁止解除の手続きを繰り返す手間をかけてい るのは、ひょっとして戸田の原稿を読むのが楽しいからなのかもしれない・・・?!
「こいつこんなこと考えてるのか」とか「へったな字やなぁ!」とか思いながら フムフムと読むのを楽しみにしているのかもね。
そこらへんどうなんやろうかね。 それでは今夜はこれまで。
1/19(木)夜8時すぎ
1/20(金)朝一で発信します(裁判所へ)                   了


勾留レター16補足:「クツを履かせろ闘争」の勝利

12/20理由開示公判の時に戸田が靴を履いていた事にお気付きだったろうか?
実はこれはささやかながら戸田の「靴を履かせろ闘争」の勝利の結果なのだ。 と言うのは、権力側は「勾留者には逃亡防止のために靴を履かせずスリッパ型サンダルで移動・出廷させることが当然」という勾留者の品位保持を踏みにじった不当な考えに染まっているので、戸田が弁護士を通して何度もしつこく要求しなければ、サンダルで出廷させられてしまうところだった。
何をもって「品位保持」とするかは個々人によって違うので「自分はサンダルで構わない」と思う人はそれで良いのだが、戸田にとっては「事件捜査の必要上の拘束以外の面では一般市民と同等の自由を保障されるべき」人間が勾留の不当性を訴えに裁判官の前に背広・ズボン姿で出るのに靴履きを禁止されてサンダル履きを強制されるなんて、まさに人間としての侮辱だし、品位を汚されることに他ならず、我慢のならないことだ。
おまけに、不当な勾留決定においてさえ、戸田の場合は「逃亡の恐れ」は設定されていないのだ。
それを警察が勝手一律に「これが規則だ」とか「逃亡防止のためにサンダルでないとダメ」とかぬかすとは何事か・・・」と戸田は留置係幹部だけでなく西署の署長にも、連行担当の刑事にも何度も詰め寄った。
言われた幹部も署長も刑事も今までこんなこと言われたこともない、考えた事もないという態度で「規則通りにやる」(と言いつつ規則を示そうとしない)と繰り返すだけだったり、「それはうちの管轄ではない」と責任逃れするばかりだったが弁護士からも強く申し入れてもらうことでようやく「靴履き出廷OK」となったのだ。
ただしそれを署長が戸田に通告する時に「裁判官に対して失礼があってはいかんので靴履きを認めることにした」ともったいつけていささか苦苦しく言った時には、内心ズッコケタ。(ちょっと表現が古いかな?) 「おいおい、『失礼』なのはオレに対してであって、『裁判官様に対して失礼』というのは話が違うだろう!」と思ったのである。
とにもかくにも、戸田が12/20公判に自分の靴を履いて出廷するには、そういう「闘争とその勝利」があったのだという事を補足してレターを終わります。
それではまた! 2006年1月3日記
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本レターも1/4に裁判所に郵便提出しようとして検事から妨害を受け1/7になって提出し、
その後11日に裁判所の許可を受け17日に宅下げ(郵便発送)されたものである


勾留レター16:西署235号の衣料生活

みなさん新年おめでとう! 12/28起訴直後の保釈請求を却下され「第1回公判の時まで接見禁止付き勾留」と決定されてしまった戸田です。
第1回公判は2月上旬頃かと思いますが、まだ日程不明で公判後に保釈されるかどうかも、今の段階では不明です。
ま、何が起ころうと戸田が明るく闘っていくことに変わりありませんので本年もよろしく!

さて「獄中通信」と言えば獄中生活のアレコレをご披露するのが「お約束」みたいなもんですが、今まで反弾圧のアピールや門真市政への評論の方をまずは優先させてきたため、そちらの方面が不足していたと思うので、これからは「普通の一般市民には知られていない」獄中生活のこともポツポツ報告していきます。
なお、留置場所は本来は拘置所であるはずなのに、警察留置場での勾留が続いてきましたが、この点は近日中に変わると思いますので留置場のことはなるべく今のうちに書いておこうとも思います。 ・・・と言うことで、まずは戸田の「衣料生活」をば。
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<大阪西署235号の衣料生活>
朝7時前5分に「起床!」という号令と同時に照明が点けられる。(房内トイレの照明は終日)
この時、狭いセンベイ布団と2枚の毛布とかけ布団の中の戸田の服装は上は半袖下着シャツと色ワイシャツとカーディガン。
下はパンツとステテコに裸足。 ジャージのズボンは枕の上に乗せて高さ調整、ジャージの上着は肩掛けに使用。
つまり色ワイシャツがパジャマ代わり。 起床して房内清掃する時はカーディガンを脱いでジャージ上下を着用。靴下も。
清掃が終わると順番に洗面だが、顔をジャブジャブ洗うと肘が濡れるので、順番待ちの間に軽く運動して体を温めてジャージやワイシャツを脱いで上半身は半袖シャツだけにして、洗面が終わるとまたワイシャツ、ジャージを着る。 そして7時半に朝食。
8時半になると順番に戸外運動、一服の段取りとなり、9時半ころ全員が終了する。
戸田は一人の20分の枠を目一杯使ってそれなりの運動をして少し汗をかく。 (希望すればこの時タバコを2本まで吸えるのだが、戸田は獄中では吸わないことに決めている) 運動時間を終えて室内に戻ると「着替えします」と言って差し入れの衣料を出してもらい、下着のシャツ、パンツ、ステテコと色ワイシャツを新しいものに着替える。
靴下は2日に1回の着替えにしている。 ジャージ上下は袋に戻し、今度はスラックスとジャケットを着て、それで房内に戻る。 ただし、ズボンのベルトは一律に使用禁止なのでスラックスはベルト無しで着用。
こうして毎日着替えをしているのも、日中をスラックス、ワイシャツ、ジャケット姿で過ごしているのも、西署では戸田だけであり、他の署の留置場や拘置所でもめったにいないだろうと思う。 ほとんどの収容者は終日ジャージ、トレーナー的スタイルであり、着替えするのは週2回の風呂の時だけのようである。
その意味では戸田は着贅沢を通している。 普段着るものは襟のシャキッとしたワイシャツで、それも濃い色のもので、ズボンはスラックスでなきゃ嫌だという強烈な好みが戸田にはある。
また、戸田は暑がりなので、大阪では真冬でも夏物のスラックスにジャケット、半袖下着シャツ、夏物靴下で通している。 ここ西署の留置場4房では気温が(寒暖計によれば)20℃前後だから、この格好でもほとんど大丈夫。寒いと思う時でもベストを着て靴下を冬物にし、カーディガンを足にかける程度で、戸田としては暑くもなく寒くもなく全く問題なし。
(拘置所はここよりだいぶ寒いということだが、下着シャツを長袖にする程度で大丈夫だろう) でまあ、こういうお好みスタイルで11時半の昼食と4時半の(!)夕食を食べたあと、6時を過ぎたらまた着替えを申し出て、ジャケットとスラックスをジャージ上下に着替え、夜7時前に寝具を運び入れた時に「検室」と言って房内と寝具、そして身体の検査があるが、その時には房内の衣類は全て着用していなければならないので、ベストを着、ジャージの上にカーディガンも着てフル装備となる。(検査後には自分の衣類を新たに出してもらうことができない) この検査の順番を待って着込んでいる時に汗をかかないようにごく軽く運動をして、検査が終了するとカーディガン、ベスト、ジャージ上を脱いで汗が出る寸前程度まで少し運動。
その後ジャージを着て9時まで読書。 この時間帯はもう文具が取り上げられ、書き物が許されないので読むだけ。アンダーラインも引けない。
そうこうして9時前5分で「消灯準備!」の号令がかかると寝具を整えジャージのズボンは脱いで3つにたたんで枕の上に、ジャージの上は脱いで布団の肩掛けにし、ワイシャツの上にはカーディガンを着て布団に入る。靴下とベストは脱いで布団の下へ。
そして消灯。ヌクヌク状態で「1日が過ぎたか・・」と思いつつ、今後書く文章のことや接見時に弁護士さんに伝えるべき事、聞いておくべき事などを考えていくと頭が冴えてなかなか眠れない・・・と思いつつ、いつの間にかグッスリ眠りに就いていくのです。
・・それにしても夜9時から翌朝7時まで10時間の就寝強制という勾留生活は、獄中でもやりたいことの多い戸田としてはある種苦痛だが、こういう毎日はシャバの生活ではあり得ない贅沢でもある。ウーム・・・。


勾留レター15:痛快!留置場に響いた連帯の元旦闘争

「いよいよ新年となったか・・・」と思いつつ、朝6:55の看守の「起床!」という号令、点呼と共に起き上がった元旦の朝だった。
「今頃は各地で連帯恒例の『元旦闘争』をやっているころだな・・」と思いながら、洗顔、朝食を経て、戸外運動への順番を待っていた朝の8時半頃、突如として「大阪府警は不当弾圧をやめろーッ!」「戸田委員長を釈放せよーッ!」との大シュピレヒコールが留置場を揺るがした。
連帯の宣伝カーのスピーカーでの叫びと、それに唱和する数十人分と覚しき仲間の声。
ちょうど早い順番の人達が戸外運動場に出て、他の人達が順番待ちしている時間帯で、戸外運動場への出入の扉が開けっ放しにされるために、戸外の仲間達の声が実に良く房内に聞こえてくる。(運動場も房も西署の2階にある) 連帯部隊のいる場所自体もどうやら運動場に近い所らしい。
看守達も収容者達も元日朝の全く予想だにしていなかった大シュピレヒコールにビックリ仰天して凍りついてしまったかの様だった。みんなシーンと押し黙って聞いている。 とは言え、そこで叫ばれている「戸田委員長」という名が○房内にいるヒゲとメガネの「235号」を指していることは、誰もがすぐに判ったようである。
戸田が思うに、おそらく連帯側は大阪市周辺現場での朝7時からの「元旦闘争」を終えた部隊を持って支部会館への収約集結する途上での府警本部留置場の武委員長と西署留置場の戸田に、それぞれ激励闘争を組んだのだろう。 (いやそれにしても8時半とは早い時間だから戸外運動時間帯を狙いすまして別途部隊編成したのだろうか?)
ともかく気持ち良いほど声が良く聞こえ、仲間達の熱気が西署全体を揺るがすくらいにビンビン伝わってくる。
「大阪府警の不当弾圧糾弾―ッ!」
「大阪府警は武委員長と戸田委員長をすぐに釈放せよーッ!」
「戸田委員長がんばれーッ!」
「我々は闘うぞーッ!」
数人の仲間が交替交替でマイクを握って音頭を取ったりアジテーションをしたりしている。 もしかしたら連帯以外の戸田支援の友人も参加していたのかもしれない。 女の人の声も聞こえてきた。
2〜3番手の人は声の特徴から先頃保釈されたばかりの武谷君であることがすぐに分かった。その声から、小柄な武谷君が熱気を込めてマイクを手に持って叫んでくれている様子がまざまざと浮かんでくる。 他の人の分は、声が判別できなくてゴメンやけど、これからは差しさわりのない人は「山田行きま〜す!」とか名乗りを上げてからシュピレヒコールというのもいいかも。
ま、権力側によるリストアップや事後弾圧への考慮も必要だから人と時と場合を考えなくてはいけないけれど・・・。
みんなの声を聞いて、すぐにでも運動場に出て「みんなありがとうーッ!共に闘うぞーッ!」と自民党のラウトスピーカーをも圧する自慢の大声で応えたい気持ちだったが、いかんせん看守が順番を早めて戸田を運動場に出してくれるはずもないので、房内で2〜3度ではあるが「よしッ!」とか「大阪府警の不当弾圧糾弾!」と短く唱和して、仲間達の行動に応えたのであった。
激励闘争は約20分間続けられた。 戸田が運動場に出られたのは、みんなが立ち去って少し経った9時ごろだった。
2006年1月1日の空気もすがすがしい朝!
あたりは静かになったが、大音響を響かせた仲間達の熱気が、壁や目隠しフェンスのすぐ横に、今上に見えている青空のすぐ横に、まだ残っているような気がする朝だった。
いやー、痛快、痛快!
戸田もこの1月24日で50歳。 この熱気あふれる連帯の仲間のために、連帯ユニオンの組織と運動を日本中に拡大して、政治勢力としても強大なものにしていくために闘ってゆくことを、自分の残りの人生の主軸に置くことを改めて強く思った元旦の朝だった。
仲間達よ、同士達よ。
この2006年をして、弾圧しても弾圧しても連帯労組は潰すことができず、かえってその組織と運動を強化しただけであったことを権力側に思い知らせる年としてやろう!
共に闘わん!

2006年1月1日 連帯ユニオン近畿地本委員長 戸田ひさよし (大阪西警察署 留置場にて記す )
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なお、このメッセージは1月4日に裁判所に対して宅下げ許可の決定を求めて郵送せんとするも、山内峰臣検事の不当な妨害のために、1月7日になってから裁判所への発送がなされ、その後地裁第12刑事部1係の許可を1月13日に得てから、ようやく公表可能になったものである。 かかる時間浪費の原因は全て長瀬敬昭裁判官による不当な「接見禁止決定」にある。


起訴と保釈却下糾弾!年頭の挨拶

12月28日、戸田と武委員長に対して、不当な政治弾圧として起訴がなされ、 その後、弁護士からの保釈請求が裁判官によって却下されて、我々の監禁が「接 見禁止」をつけられたまま、年を越して継続されることになった。
予測していたことではあるが、これらの不当決定を私は強く糾弾する。 既に述べてきたように、どのようなことが怒ろうとも、外の仲間と同じく、私の 闘志は揺らぐものではない。
泰然自若、都市の移り変わりの中に身を置きつつ、新年からの闘いを心楽しく思 うのみである。
◎門真市民職員のみなさんへ 正月のハーフマラソンや成人式・出初め式等には参加できない事情になったこと をご了解ください。
ただ、職員の方々には、議員配布の資料を戸田事務所に渡すことをこれからもよ ろしく。 獄中から、戸田からの質問文書が届いたときはちゃんと文章を寄越してね。
◎連帯ユニオンのみなさんへ 韓国語の本の差し入れありがとう。
私の韓国訪問記を新年から書いていくつもり なのでお楽しみに。 韓国で多々各人々と出会ってきたことは、私の闘争エンジンに強烈に点火してく れました。
片山君たち保釈5同志へ 保釈実現、本当に良かったです。みんなへの手紙を訪問前日の11/9に書こう と思っていたところ、不当ガサの騒動や何やかやでばたばたしているうちに、こ ちらが逮捕されてしまい、入れ替わりになってしまいましたが、12/20の開 示公判でみんなの元気いっぱいの顔を見、声を聞けて本当にうれしく思いました 。それぞれの家庭と労働現場で団らんを取り戻し、鋭気を養って、よりいっそう 力強い牽引力を発揮してくれるものと思います。元旦行動については●●●●
◎戸田ホームページ掲示板ご利用のみなさんへ 掲示板管理者の「強制休場」によって、「超自由状態」になりましたね。
戸田がヶ偉人版の内容を読むことが事実上出来ない状態が続いていますが、それ はそれとして、みなさん各位の良識と遊び心のバランスの中で、自由闊達に掲示 板の「公衆的自主管理」状態が続いていくことを願っています。
こういう掲示板も「日本でかつてない画期的な掲示板」なわけで今後の展開を楽 しみにしています。
◎戸田の友人のみなさんへ 朋あり、遠方より来たる。また楽しからず哉。「友だち」っていいもんです。
それではみなさん、良いお年を


(年末・年始の勾留レターは、戸田自身が書いた書面について、戸田自身から裁 判所に接見等禁止の一部解除請求している関係で、HPアップが大変遅れていま すが、とりあえず、拘置所での現在の様子をお伝えします。)

1月11日、水曜日に大阪拘置所にようやく移送された。これは戸田側の要求闘 争のある種勝利でもある。
また、いろいろな資料・文書の差し入れや発信の解除を求める裁判所への請求闘 争の一部勝利したことが判明した。
これは、昨今の「なんでもかんでも接見禁止=情報遮断」という「人質司法」攻 撃に風穴をあけるものである。
拘置所に移って戸田はようやく、個室と文書机を手にすることができた。
と、ところが!拘置所は拘置所でまたとんでもない人権侵害と情報送受信の遮断 を平気でやる非人間的な巨大お役所システムであった。
というのは、拘置所に移った途端に、ペンもノートも便箋・封筒も、身の回りの 衣類と洗面具以外は全て取り上げられてしまって、これを取り戻すのに、「願せ ん」(種々の要求を出す用紙全般のこと。拘置所の用語)を出して、2,3日し ないといけないし、「願せん」を出す日自体が週に1回とか2回しかない。
水曜日に移送された戸田の場合、なんと自分の使っていたノート(しかも弁護士 との打合に早急に必要な!)や便箋すら、月曜日にならないと手にできない。
被告人の絶対的な権利であるはずの、裁判所や弁護士への文書発信も切手を買う 願せんを出せるのが月曜日で、実際に入手できるのが水曜日。 つまり、まるまる1週間全く無権利で文書発信すら、緊急な文書発信すらできな い状態に置かれたのだ。
その他にも、金曜日に差し入れしてもらっても、水曜日にならないと入手できな いとか、読書用の眼鏡も取り上げられたままで、これも水曜日にならないと入手 できないとか、とにかく、何から何まで、権利侵害はなはだしく、頭に来ること ばかりである。
拘置所当局は、このような問題も何ら重大なものとは考えずに、1週間待ってお けばいいじゃないか、何千人もの人間がいるから仕方がないとか言って、自分た ちのシステムを全く改善しようと言う意識を持たない。
この拘置所移送当初の無権利で超不便な状態は、実を言うと戸田もここまでひど いとは知らなかったし、「救援ノート」などの反弾圧運動の中でもほとんど取り 上げられていない。
まあ、気が付いた人間が声を挙げるしかない。 獄中処遇の問題点を指摘したり、その改善のために闘うのは左翼の活動家にとっ て、逮捕勾留されたら、必ず行うべき任務である。 戸田はそう思うので、弁護士と共に、とりあえずできることを一生懸命やってい きます。
こういう状況に置かれたので戸田からの表への情報発信は非常に一時期滞ってし まいますが、その点、ご了承ください。
拘置所に入所するときに、全くの偶然でしたが、武委員長顔を合わせることがで きました。お互い無言でしたが、大変元気そうでした。
裁判所に解除請求している勾留レター14号では、西警察留置場内で1月1日の 連帯ユニオンによる大変力強い激励闘争のことに触れています。 このときは、シュプレヒコールがバンバンに聞こえて非常に、痛快でした。 このレターがどうなるかは、またお楽しみにしてください。
「拘置所は寒い」と聞いていましたが、なるほど、そのとおりで、寒さに強い方 の戸田でも、とにかく、足下が異様に冷たくて、靴下をいくらはいてもおっつか ないというのには、閉口しています。 それでも、もちろん元気で闘っております。
みなさんの激励・支援に感謝します。 引き続きこの闘いにご注目ください。


門真市HPで「Q&Aコーナー」できてる?

11月中には門真市HPにおいて(守口市HPのような)Q&Aコーナーを作る 、というのが戸田と企画部(情報政策課)との約束だったはずですが(これくら いのことできないでどうする)、ちゃんとできてますでしょうか。
(戸田は逮捕前に確認し忘れましたんで)できていればいいんですが、もしそう なっていないとすれば、直接的には企画部の部長・課長のやる気のなさであり、 根本的には園部市長が部下にビシッとハッパをかけていないせいだということで す(その場合は、市長自身のやる気のなさのせい)。
できていないならいないで、できていればいたで、市民のみなさんが、市当局に どんどんメールを出して注文を付けたり、意見感想を述べたり、叱ったり、励ま したりしてください。
市民のそうした行動こそが、役所を変えていく原動力です。
(それではみなさん良いお年を)


ついに浮上、新「行革大綱・計画」のチェックを!

12月議会のさなかに、かねてより、大きな課題となっていたことが急浮上して きた。
すなわち、12/15に、「行財政改革推進特別委員会」(以下、「行革特委」 と略す)の委員長、秋田議員が、「12/22に行革特委を開く」と通知を出し 、12/22(12月議会終了翌日)付けで、合併破綻後初めての新しい行革大 綱案と行革推進計画案が議員に渡され、公表されたのだ。
この新行革計画は、門真市を「財政再建団体」に転落することから救うことを最 大の目的として、2005年度から2014年度までの10箇年の行財政改革の 計画であり、市民生活に絶大な影響を及ぼすものだ。
名称は、今は、「(案)」となっているが、来年早々に与党多数決でおそらくは ほとんどが修正もせずに、正式な「大綱」「計画」とされていくものと思われる。
しかし、だからといって、市民は「これで確定した」とあきらめたりするべきで はない。
計画でたとえば、「08年度から家庭普通ゴミの収集有料化の実施」と書かれて いることでも、実際には、それに向けての、議会での論議があり、07年には市 議選もあり(!)、議会で議決しなければ、有料化にはならないのだから、市民 は、この新計画案をよ〜く点検して、悪いところは反対し、不足しているところは、これこれをしっかりやれと、要求し、考えられていないところは、それをちゃんと 考えるよう提言していかなければならない。
広範な市民がじっくり検討するためには、これらの議員配布されたものの全文が 市HPにアップされていなければならないが、その点はちゃんとアップされてい るだろうか。 少なくとも12/22直後にはアップされているべきだ。もしも、まだアップさ れていなければ、どんどん市に電話して、アップさせていって欲しい。
さて、この新計画案の内容分析については年明けから戸田の考えをおいおい出し ていくつもりだが、今ざっくりとした評論をしておくと、
1 旧東市政時代にもやむなく始めて検討してきたものを土台として、園部新市 長のカラーをちょいちょいと振りかけた程度、という感じがする。来年度予算か ら園部色の肉付けを増やすつもりだろう。
2 議員・市民各位のそれぞれの立場、考えによって、総合的にも各部的にも賛 成・反対、不足、行き過ぎ、それぞれ意見が出てくるが、とりあえず、門真市の 再建、再生のための「公的な議論のたたき台ができた」とは言える。
3その思考や手法には賛同できないところが多いが、とにもかくにも、同計画は 「これを実施すれば、2011年度から単年度収支が黒字になり、2014年度 には実質収支も黒字になる」と収支見通しを述べている。 ここで、忘れてならないのは、こうした見通しは東体制の下でも当然立てられた にも拘わらず、「合併しないと市の破産だ!」というデマ宣伝を進めるために、 東市長、即金、与党議員たちが結託してこういう行革経過宇津栗、収支見通しづ くりをサボタージュしてきた、市民をだましてきた、「合併推進」のためだけに 、役所のマンパワーと膨大な経費を浪費させてきた、という事実である。 今の市の上級幹部職員の全てと与党議員の全てが、こういう反市民的犯罪に手を 染めてきたことを市民・職員は決して忘れるべきではない。
4 以前の大綱・計画でもそうだったが、この新大綱・計画でも「市民自治の深 化」という観点が全くない。市民は単に「ニーズ」を発する「消費者」に過ぎず 、そういうレベルでの「お客様」といして情報公開を受けたり、「参加」や「協 働」をお願いする対象としか捉えられていない。 また、自治体とその職員の関係やその在り方はいかにあるべきか、それを住民自 治の地平から考える、という観点もない。 だから、たとえば、職員の市内居住率(向上)についての考察もその方策も全く 存在してない。
5 その他とりあえず、目に付いたところの一部だけ下に列挙しておく。
お役所 的「ソフトな表現」はズバリ「値上げ」とか「一部廃止」とか戸田が翻訳してお いた。
市民のみなさんがしっかり関心を持たれることを強く期待しておく。

<行革計画(案)の一部>
◎ 公共施設の利用料値上げ
◎ 市民健康診断料値上げ
◎ 保育料値上げ(’08年度より)
◎ 保育園の民営化推進(’08年から3園ほど)
◎ *幼稚園については「民営化」言わず
◎ ゴミ収集有料化(家庭普通ゴミ’08年度から)
◎ 広報の月1回化(’07年度より)
◎ 修学援助金廃止(’07年度より)
◎ 市立幼稚園の一部廃止・(「適正配置」)
◎ 「外部監査制度導入」はずっと「単なる研究」   (市長の9月議会答弁に反してるぞ!)
◎ 市長退職金廃止(’06年度)
◎ 各種委員会の整理と報酬削減(’06年から)
◎ 職員給与、各種手当て、厚生事業補助削減
◎ 工事コストの10%減
◎ 税・料金のコンビニ取り扱い、郵便振込


決算認定と決算委記録のこと

12月議会では初日12/12本会議で10月から11月の決算特別委で審査さ れた「2004年度決算報告」の認定の賛否も採決された。
東市政最後のフル年度の決算となるわけで共産党がこの件ではしっかり反対理由 を明らかにして反対したが、例年と同じ問題点があるので、戸田としても、認定 に反対する。 (いずれも「一般会計」について。「水道事業会計」については共産党も認定賛 成)

さて、この決算特別委というのは、会派議員だけをメンバーとしているところは 問題だが、他市に比べればだいぶ生ぬるいとはいうものの、共産党だけでなく「 与党」議員もいろいろと問題点を指摘している。
その3日間にわたる、かなり膨大な審査内容をまとめたものが、12月議会の1 週間前に議員配布される「決算特別委審査概要記録」というもので、70頁にわ たって、びっしり書かれている。 市の財政状況の概要から細かいところまで全て数字を上げて書かれているから、 市民にとっても、財政状況全般から問題点、税金無駄遣い点を手っ取り早く知る のに、格好の資料なので、市政に関心のある人や市議選出馬を考えている人は是 非読んでみて欲しい。
市役所2階の情報開示コーナーに多分おいてあると思うし、議員に頼めば、すぐ 貸してくれるだろう。
最悪でも情報公開で開示請求すればいい。
ただ、「概要記録」という性格もあって、特別委での真偽の時には大問題になっ たり、大判の議員が「それは酷すぎる」と怒ったりしたようなことでも、他の件 と同じような淡々としたトーンで手短に、お上品にまとめられている場合がほと んどなので、その点は注意しておいて欲しい。
たとえば、これは公明党の風議員が追及したことだと思うが、1年間任用の「嘱 託職員」という身分で27年間も任用されてきた人がいること(戸田はその人の 人権問題としてひどい話だと感じるが)や(7ページ)、古紙リサイクル事業で 委託料に665万円も出してその売却代金はたった15万円だけだったこと(3 1ページ)(これを追及したのは誰だっけ)、なども実にあっさりまとめられて いる。
だから、審議当日の追及ややりとりを、当局者のしどろもどろぶりやごまかしぶ りを含めてちゃんと知るのには、やはり議事録に目を通すことが必要になる。 詳しく知ろうという意欲のある人には是非こちらを読んでもらいたい。
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ところで、こういう情報価値のある決算委記録なのに、今は「概要記録」も「議 事録」(審議記録)もどちらも、市議会HPにアップされていないから、市民が 手軽に見る途は全く閉ざされているに等しい。
これを改善するのに、もっともコストが安くて良い方法は、議会事務局から直接 に市議会HPの更新作業ができるようなシステムにした上で(今はまだそうなっ ていないと思うが、間違っているかな)門真市民を単純労働としての市議会HP 更新作業アルバイトして雇ってアップすることである。
これの公開価値、効用を考えれば、そのバイト料や、システム変更の手間は問題 とすべきことではない。
そしてもう一つ大事なことは、議会への議員、傍聴者による録音機持ち込みを許 可したり、議会事務局作成の記録テープの公開やダビングを許可することである。
ビデオ録画して、それを公開・ダビング許可するのがもっとも良い。
これは戸田が、何年も前から、問題にしていることだが、今の門真市議会や、与 党議員のごり押しによって、「録音機の持ち込み禁止」、「議事テープの公開・ ダビング」が禁止されているだけでなく決算委の場合は、約2ヶ月後に紙の記録 ができあがって、議会で認定されるまでは、議員に対してすら、記録テープを聞 かせない、「決算認定の判断のために、正確を期すためにテープを聞きたい」と 言っても、「聞かせない」と言われてしまうのである。
これってどう考えてもおかしいでしょ! 「議会でどんな追及がされ、どういう答弁がされているか」をできるだけ早く、 市民に公開してもらい、考えてもらうのが当然じゃないですか。
こういうことを主張するのは本当に戸田だけというのが実に情けない話なのです が、市民からも、「私もそれを知りたい」「私にもわかるように公開して」とい う声があがっていけば、こういうことは必ず公開されていきます。
そういう「変革」が進むと市にしていきたいものです。
それでは。


公平委員・人権擁護委員の選任について

12月議会の人事案件では、公平委員会委員2名と人権擁護委員会委員1名の提 案もされているので、これについてもコメントと賛否表明をしておきます。
「公平委員会」といっても一般の市民には全くなじみがなく、何をするところか わからないのが、普通と思いますが、これは市職員への分限懲戒処分について不服があったときに申立をして、審査してもらう機関ですが(これで正しいと思う んだけど今確認できない状況で)、少なくともここ20年近く、一度も開かれた ことがないとのこと。
だから、公平委員就任16年目間近の植村氏も、就任12年目間近近くの浅田氏 も、公平委員としての職務は一度もしたことがなく実績を評価する術がない。 その上で、戸田の考えを項目的に述べていく。
1 今回の両委員会人事案は共に、それぞれの委員の単純な任期延長であり、ど ちらも市行政にはほとんど若しくは少ししか影響のない分野の人事だが、特に公 平委員二人の任期延長は園部市長の「当面は(?)旧東体制人脈と争わず波風立 てずに行こう」という非刷新的思考・戦術(?)を反映したものであり、戸田と しては賛成できない。
2 旧東体制の問題のひとつが、各種審議会や行政委員会のポストの多くが市長 のお気に入りや町のボス的な人によって占められ、しかもポストの重複も多く、 女性の比率が惨めなほどに低いことであった。 東体制末期の2005年4月現在での女性の割合は24ある審議会の合計で13 ・7%、6つある行政委員会ではわずか2・7%でしかない!(目標値として3 0%を掲げ続けていながら!) だから、公平委員については、植村氏は16年間、浅田氏は12年間で、退任願 って、二人とも女性を新規に選任するという問題意識を園部市長は(氏の幹部職 員も!)持つべきなのだ。
3 加えて、植村氏は「保護司(’85年から)」「生活環境審議会委員(’8 6年から)」「個人情報保護審議会会長(2000年から)」と門真市で公平委 員の他に4つもの役職を持っている。こんなに多く兼職してもらわなくてもいい だろう。従って、植村氏と浅田氏の選任を戸田は反対。
4 植村氏は大学教授(農学部→リハビリテーション学部)であり、海外での研 究員生活を持つアカデミックな方ではあるが、戸田としてもっとも強く印象に残 っているのは、合併協の「有識者委員」として、合併協でおおかたの市民の気持 ちと離れた合併推進発言をくり返してきた姿であり、合併協におけるその言動か らは住民自治や民主主義を大切にする感覚も、さしたる「見識」も感じられなかった。 「お上」にあおられて、合併推進=門真市を亡くする途に走ったような人は、も う門真市の役職に就けるべきでないと、戸田は強く思っている。
なお、議会に提出された植村氏の経歴の中に、この「合併協委員」をしたことが 抜け落ちているのは、許し難い情報隠しであり、厳しく糾弾する。
5 人権擁護委員の堀川由紀子氏(門真市在住65歳)は、同委員に就任してま だ、一期3年目間近にすぎず、特に問題あると思えないので、選任に戸田は賛成 。 (同氏は保育所の園長や市教委職員、くすのき・さつき園園長などを経て01年 に定年退職した方)


勾留レター8号 12月議会のポイント 12/26付

12/26記
12月議会には人事案件として助役二人、公平委員二人、人権擁護委員一人の提 案が市長から出されているので、これについて、戸田のコメントと賛否を明らか にします。
なお、門真の共産党は戸田からの再三の忠告にも拘わらず、人事提案に反対する ときは反対の理由を言わずに反対するという馬鹿なことを今回の助役人事でもや っていますが(戸田が今確認できているのは12/12本会議の五十野氏助役選 任への反対まで)、なんでこんなおかしな対応をするかと言うと、共産党の場合 、ときたま、一般市民には公開できないようなとんでもないセクト的な理由で反 対することがあるからです。
それを隠すために一律に「人事提案では反対理由を言わない」というまことにば かげた市民をバカにしたそれこそ「説明責任」無視の対応を続けています。
もちろん彼ら自身がそれを正直に認めるわけではありませんが、戸田の6年半の 体験からそう判断するほかに理由があり得ないので戸田は確信を持って、そう断 言します。共産党の5議員よ、これに異論があるのなら、堂々と反論してみなさ い。
また、「野党」だから市長の人事提案に全て反対か、というと別にそういうわけ でもなく、共産党の場合、何を基準に賛成、反対をしているのかさっぱりわかり ません。
一般市民に対してはもちろんのこと、共産党員や支援者にもほとんど説 明していませんよね(党員・支援者もそういうことに関心を持たない人がほとん どのようですが)。

話を本筋へ戻して、まず今回の助役提案についての戸田の考えを項目的に述べて いきます。

1 まず、少なくとも今議会では、園部市長新与党体制が圧倒的多数でできあが っていて、戸田が賛否をどうしようが、それ自体は大勢に影響なしの状況にある 。
こういう場合の戸田の議会行動の意味は、議会での発言によって、問題点指摘 や改善提言をし、それを人々に考えてもらうようにすること、記録に残すことに ある。 (そういう意味でも、共産党の「理由を言わずに反対」は議員として最低の行動 だ。どこが「確かな野党」なのか?)

2 戸田の基本的判断としては
1. 助役不在はそろそろ解消すべき。
2. 人口13万人強の門真市で、助役は必ずしも二人でなくとも良いのではない か。助役一人と理事一人とか、理事二人という体制でやった方が、人件費的にも 「スリムな行政」の体現としても良いのではないか。ただ、「新人」市長にとっ て、最初は助役二人でないと心細いというのなら、理解しないでもないが。

3 で、まず門真市在住、60歳の五十野氏について。
1. 05年4月に選管・公平委員会等の事務局長になり、園部市長誕生後、見込 まれて9月から、「理事」に抜擢され、次は助役と目されてきた。
2. 05年4月以前の12年間は「南部地域整備」事業にたずさわり、初めの5 年間は次長で後の7年間は部長として責任ある地位にあった。で、議会で共産党 が一貫して追及してきた質疑を聞いていると、この事業の進め方や「地域整備大 綱」はあまりよいものとは思えない。 時期遅れのバブル期的発送で、多額のコンサル料を浪費してだらだらやってきた ように思われる。そこの事業トップを7年間やってきた五十野氏。
3. 宮仕えでやってきたことではあろうし、五十野氏個人の思いや資質はそれと は別かもしれないが、少なくとも、「市政刷新」のイメージからは遠い感じがす る。園部市長は五十野氏を理事に置きつつ、別の人材を庁内から助役として捜す べきだったと思う。
4. 従って、戸田としては五十野氏の助役選任には賛成しかねるという意味で反対。

4 富田林市在住49歳の久木元氏について
1. 大阪府職員、課長補佐になってもうすぐ6年。
2. 門真市としては異例の府職員からの抜擢。
3. 戸田は基本的には府(か国)からのもらい下げ的助役は望ましいと思わない が、歴代継続でなく、外から新風を入れる、という意味ではたまにはあっても良 いと思う。
4. 「49歳という若さ」もプラス材料。
5.あとは個人の実績や資質としてどうかということだが、それについては簡単な 経歴以外に判断材料がない。
6.まあまだ課長補佐だし特に巨額の税金浪費事業や反府民的施策の責任者だった とも思えないから、明白な悪材料がでない限りは、今後に期待しつつ、助役とし ての働きぶりを厳しく見させてもらう、という条件付で、選任に賛成。

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以上が戸田の考えで市民のみなさんはどう考えますか。
あ、それと、五十野氏も久木元氏もすでに、議会で承認を受けたわけだから、助役就任おめでとうございます。釈放されたらこちらから挨拶に出向きますから、 そのときはよろしく。


05/12/24

門真市民、職員のみなさん こんにちは
弾圧問題に関する発言を先に行ってきましたが、今回はやっと戸田の本業である門真市政についての意見発信を行います。
弁護士以外「接見禁止」の状態の下、ただ手元にある資料は議案書類と共産党の「門真民報」だけで、12/20陳述書で述べたように、留置場では読み書きできる時間が限られているために、内容的、回数的に不十分なものとならざるを得ないことはご了承下さい。

さて、今回の12月議会では、開会4日前の不当逮捕による戸田の不在と、共産党も含めた全議員による戸田への辞職勧告決議の採択という警察・マスコミに煽られた軽挙妄動の大騒ぎがありましたが、園部市長が出してきた議案の面から見ると、市民が注目すべきポイントとして3つあると思います。

まず1点目は、園部市長当選以降、約半年間不在だった2人の助役人事を出してきたことです。
その一人は9月から通常の職員のトップである「理事」に抜擢した五十野氏(門真市上野口町・60歳)であり、もう一人が大阪府の課長補佐をしていた久木元氏(富田林市・49歳)です。
こういう人事案を出してきて、議員の間にざわめきが起きていないということは、(現にどちらも共産党の「理由を言わない反対」だけで承認可決された)前東市長派の大本派(志政会)・緑風クラブ・改革クラブと園部市長との「手打ち」ができたということであり、別の言い方をすれば、共産党と戸田を除く、「側近無所属」の佐藤議員+「隠然第1与党」の公明党(8)に緑風クラブ(7)+志政会(3)+改革クラブ(3)の「新規与党体制」が一応は出来上がったということです。
9月議会では浮び上がってきていたことですが、園部市長に焦点を当てて言えば、「東体制をぶっ壊す」かのようなイメージを出して当選した園部市長は、結局は、少なくとも当面の所は、旧東体制と強い対決はせずに、根回し、取引き、取込みという、水面下の動きを主とした妥協的な結合を行ったということができます。
ただ現在的にはこの結合はお互いに「腹に一物」持った上でのことであり、会派序列的には「最も早く園部に乗り換えた、最も多人数の公明党」と他会派とのあつれきが当分続くだろうし、月日の経過と共に強まるはずの市長権力の優位性とそれに伴う市長への「忠誠競争」の動きや議員定数削減の取り扱い(公明党以外の全会派は首筋が寒い)などで、ひと揺れふた揺れは起こりえるでしょう。
ま、戸田としては東体制下の旧「4会派」みたいに「市長に何でも賛成」「市長と主要会派・ボス議員の根回しで全て決まってしまう」のではなくて、せめて「場合によっては『与党会派』でも意見の違いが表面化する」「市長が全議員にちゃんと考えを述べる」様に持っていきたいものだと思っています。

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注目ポイントの2点目は市の各種施設に対する「指定管理者制度」導入であり、そのための基本条例と個別条例8本の提出です。
これは国の政策によって来年9月までに市の施設を市直営か「指定管理者制」のどちらかにする以外は許されないと法で決められてしまったために起こったことで、よそではたいがい9月議会に制定されているものです。
本質は「改革」に名を借りた「自治体財産の営利企業への格安売り渡し」であり、経済界では露骨に「年間10兆円のビジネスチャンスを逃がすな!」と煽られている代物で、例によって小泉エセ「構造改革」の一環です。
そしてそこで働く労働者は低賃金、低権利に追いやられるだけでなく、「3年ごとの入札更新」のために「3年で職場を追われる可能性大」の不安定身分を余儀なくされてしまいます。
こういう本質を持つ制度ですが、法(自治法改正)で強制されてしまったため、自治体の選択としては、現実には「指定管理者制度」という名の下で、公益性の確保や市民や議会による調査、統制、労働者の権利確保などの中味をどれだけ条例に盛り込むか、ということの工夫をする他ありません。
で、園部市長から出された同制度の条例案を見ると、残念ながらと言うか予測通り、そういった面への何の工夫も無い、政府側作成の「条例の見本」そのままのもののようでした。
共産党はこれに対して「住民福祉を増進する目的をもって」との目的規定を明示することや、候補者選定委員会の議論内容の公開、市長や議員等の経営する企業の排除規定を設けることなどを求めましたが、戸田もそれらに賛同します。
あわせて戸田は選定基準の中に「そこで働く正職員及び全労働者の80%以上が門真市民であること」と「門真市内の官民の平均的労賃相場を下回らないこと」も入れるべきだと思います。
議会の結果は、共産党が不正腐敗防止のために「兼業禁止規定」(市長、議員らの経営する企業の排除)を加えた修正案を出したのに対して、他の議員全てがなぜかこれに反対して、何の工夫もない原案を押し通してしまいました。
「共産党が出したものは何でも反対」という意識と「やがてはコネ利権にくい込める途を閉ざしてしまいたくない」という思惑とがミックスしているのだろうと思われますが、残念なことです。

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それと注目ポイントの第3点目は、今年度からスタートしたばかりの砂子小の「児童クラブ」を来年度からいきなり民間委託するという議案を突然に出してきたことです。(共産党の反対のみで可決)
これは今後「学童保育(留守家庭児童会)」と「ふれあい」を「児童クラブ」に統合していくにあたって、全て(児童保育部分を)民間委託していくということに直結するものですが、そういう早急な話は今まで全くされていなかったことで、議員にとっても「寝耳に水」の話です。
これは明らかに園部市長の発案、指示によるものと思うほかありません。
持論の「民間委託推進」を取りあえず手っ取り早く実行する(できる)ケースとして児童クラブが選ばれてしまったようですが、戸田はこれには大反対です。
まず、市長と役人達の基本姿勢として、9月・10月議会でも(それ以降も)来年度からの民託方針など尾首にも検討中の素振りすらみせずにいて、12月にいきなり出してきた密室政治性。
これは与党会派ボス議員のみに情報を出して了解を取り付けているからこそ出来るやり方で、園部市長の公式表明に反した、まさに東市政型の密室談合政治の踏襲でしかありません。
そして第2に、放課後の児童保育に豊富なハウツーを持ち、砂子小の対象児童とその家庭のことを熟知している市直営方式を投げ捨てて、前例のない「民間委託方式」に切り替えてしまうという大変化であるにも拘らず、委託業者の選定基準は議会で詳しいことは何も明らかにせず(おそらく共産党からの追及にも明らかにしなかったはずです)、議会の手の届かない所で、この1月、2月、3月の間に、選定基準、選定方式を公表し、業者募集を行ない、実質的密室で業者を決定し、保護者には一方的に通告するだけで、来年4月からの運営を始める・・・という 超特急密室決定方式で実施してしまうという問題です。
そこには「民主」も「公開」も子ども達の心理や保護者の気持ちへの配慮も何もありません。
なじみの深い指導員の先生がどうなるのかも不明です。
また、いったいどういう業者が名乗りを上げそうなのか、そこにはどういう資質の指導員がいるのか、学童保育がやってきた様々な楽しい行事の実施はどうなるのか等々、不明で心配なことばかりです。
戸田は市が放課後児童保育の責任もノウハウも手放してしまうことには大反対です。
この件は釈放されて現場復帰したらすぐに追及していくつもりです。


05/12/21

12月20日開示公判を終えて伝えたいこと 開示公判への結集注目大変ありがとうございました。
3つの大きい喜びがありました。
一番目は、仲間や友人のみなさんに会えたことです。
二番目はみなさんから戸田 さんとか戸田君とか戸田委員長とか、熱烈に名前を呼んでもらったことです。と いうのは、獄中では、私が名前を言わないこともあって、235号とのみ呼ばれ ていますし、公安刑事は、センセイ、センセイとのみ呼びますので、自分の名前 を友人から呼んでもらったことが新鮮でした。
3番目は自分が思うところを堂々 と言えたこと、そして、大きな声も出せたこと、少し残念だったことは、意見陳 述の時に、時間の制限も気になったので、ほとんど原稿を読むだけに止めました が、アドリブでもっと裁判官への糾弾をしておけばよかったかなと言う気もして います。
長瀬という裁判官は警察への超スリヨリで勾留しておけば何か新しい情 報が出るに違いないとか、そういう発想ばかりを持っている男でした。強く感じ たのはまさに関生罪とでも言うべき発想です。
関生の委員長だから長期に監禁す る必要があるとか、関生関係議員だから外とは違って逮捕勾留しなくちゃいけな いとか、関生の事務員だから勾留する。関生を離れた事務員は逮捕など考えない という、露骨な差別的取り扱いを示していました。
今反弾圧の闘いにおいて、この勾留理由開示公判で明らかになった我々の正当性 と警察側の非常に悪辣なやり方を大いに暴露宣伝する必要があります。
参加されたみなさんはどうか積極的に私のホームページへの投稿もお願いします 。
それではよいお年を


05/12/16

門真市議会で12月12日(月)本会議で共産党5議員も含めた出席議員全員2 6名(議長と逮捕欠席の戸田以外)賛成で「戸田への辞職勧告決議」が「全会一 致で議決された」ことを知り、なんとおろかなことを浮き足だってしたのだろう か、と(半ば予測していたこととは言え)呆れました。
その決議文は、マスコミを引き連れてドヤドヤと乗り込んできて、職務執行中の 議員を逮捕連行していったことへの疑問も全くなく、ひたすら「警察のやること は正しく、逮捕される者は悪人」という単純素朴と言うよりは「判断停止」的に 権力・マスコミの動きと宣伝に追随するだけの姿勢があるだけです。
こういう方々は、戸田HPを読んで、物事の様々な側面を学習されることをおす すめします。
喜び勇んで賛成した議員、「賛成しないとバッシングを受けそうだ から」と賛成した議員、26人の中身もいろいろだろうとは思うが、やはりこう いう場合注目されるのは、「革新」「左翼」「人権」を標榜する共産党だろう。
今回賛成した共産党の議員さんたちには、「国民救援会」や「自由法曹団」の本 やパンフレットをよく読み直して、権力弾圧への対応の基本を学びなおしてもら いたいものです。
しかし、戸田は、彼ら個々人を恨みに思ったり怒ったりするつもりはまったくあ りません。
今回の「逮捕ショー」は、彼らにとっては突然の「大激流」であって、その勢い に流されるまま集団興奮状態になってしまったというのが実相だろうと思います 。
そういうわけで「戸田の辞職勧告決議」に賛成している(議決に加わらなかった 議長も当然賛成の気持ちのはずだから)、戸田以外の全門真市議27名に対して 、 戸田はある程度気の毒に思いつつ、今後も「普通に議員同士としてのつきあい」 を続けていくつもりです。
もちろん、こんな辞職勧告を受け入れるなど論外であり、戸田は門真市議として 堂々と職務を続けていきます。
市民のみなさんも、戸田HPをじっくり読んで考えてみてください。


Re:戸田/獄中からのアピールNO.4   05/12/15up

門真市民のみなさんへ(2)

12月8日夕刻の市役所内での大々的な逮捕劇と大報道を見ると、普通の人は 「よほどの重大犯罪を実際に犯したから、こういう逮捕をされたのだ」と、強烈 に刷り込まれてしまうでしょうが、ここにトリックがあります。
国家権力のねらいは、どうやったら連帯・生コン支部の武委員長をこれからも、 監禁(勾留)を続けるか、それによって生コン支部の組織と運動を押さえ込める かでした。
いくら権力に従順な日本の裁判所でもこれ以上保釈拒否を続けるのは、今までの 事件の裁判では無理になってきました。
そこで考え出されたのが、新たな罪をこじつけて、武委員長を再々逮捕・起訴し、 勾留を継続させるという手法なのです。
警察権力は、連帯・関生・武委員長の勾留継続という不純な政治目的のために、 違法献金犯罪を口実に、マスコミを総動員して、市役所・市議会に土足で乗り込 んで、定例議会直前に市議会議員を逮捕勾留して議員活動を長期にわたってぶち こわす、という超異例な暴挙をなしたのです。
そこには、地方自治や議会制民主主義への、そして門真市民への尊重や配慮はみ じんもありません。門真の市民や市議会、市役所に混乱を与えたのは、警察権力 のやりかたなのです。
ちなみに、勾留の要件は、住所不定、罪証隠滅のおそれ、逃亡のおそれです。 戸田にそのようなものが当てはまるわけがありません。
警察が、11月9日ガサでどっさり資料を押収し、1ヶ月経って「容疑が固まった」 と発表する一方で、戸田本人には一度も事情聴取の呼出をせず、いきなり役所に乗り 込んで逮捕勾留とはどういうことでしょうか。
本当に「容疑が固まった」のならすぐ 起訴をすればいいだけの話です。 「自供を得るため」、「勾留して弱らせるため」「社会的信用を失墜させるため」 などの逮捕は違法不当であることを、市民のみなさんにあらためて指摘しておく 次第です。

戸田は、現在留置場の中に置かれ、物的・時間的な条件にものすごく不自由では ありますが、現職の市議会議員として門真市のため、市民のために、全力を尽く して、できうる限りのことをしてゆきます。

門真市民のみなさん、友人・知人のみなさんのご多幸を祈念いたします。
12月18日に予定していた門真市民派塾が開催できなくなって残念です。
12月議会に出席できず、議会での質疑質問ができなくなってしまって残念です。
しかしこの悔しさを跳ね返し、権力の不当弾圧と不屈に闘ってゆきます。
クリスマスももうすぐ。みなさんお元気で。

いろんな方からの差し入れありがとう。衣類は足りているので、現金か本があり がたいです。メッセージは入らないので、戸田事務所に届けてください。


戸田/獄中からのアピールNO.3    05/12/15up

門真市民のみなさんへ(1)

門真市民のみなさん、市職員のみなさん、そして戸田の友人のみなさんへ

急な逮捕と勾留によって、12月議会本会議に出席し、決算報告や助役などの人 事提案の議決を行う権利を奪われたことに怒りと悔しさを強く覚えています。
12月議会への参加妨害だけでなく、さらに長期に門真市民に対して戸田の議員 活動を妨害するというのが公安権力の考えです。

今回の逮捕の本質は、連帯ユニオン・生コン支部への国家権力による弾圧攻撃の 継続・拡大です。
そういう弾圧がなぜかぶさってくるかと言えば、連帯ユニオン・生コン支部が 低所得の労働者と中小企業を糾合し、大企業と対等以上に渡り合おうという強力な 闘いを進めているからです。
労働者民衆への生活破壊と強権支配によって、大資本絶対支配の新たな戦時体制を 固めようとする自公政権と真っ向から闘う鋭い「キリ」になっているからです。
この労働運動の攻防と門真市も無関係ではなかったということが今回の事態で浮 かび上がったとも言えるでしょう。

市民のみなさんには、権力・マスコミ一体となって騒ぎ立てている「計450万円 の違法献金」という宣伝文句に浮き足立つことに慎重になっていただきたいと思い ます。
つい最近寝屋川市の「解放同盟全国連寝屋川支部事件」という事件で検察も控訴 できないほどの完全無罪判決がありましたが、これは当初「会社に因縁を付けて 金を脅し取った恐喝事件」として大々的に報道され、4名が半年以上も勾留され た事件でした。
実は、会社も、納得して、支払うべきお金を支払ったのを、公安警察が恐喝事件に でっち上げ、大々的な誹謗キャンペーンと共に弾圧したものでした。
こんなとんでもない弾圧の先頭に立ってきた公安警察が、今回の、ガサ・逮捕・取調 を行っているのです。
他にも、公安警察によって弾圧された左派労組・大衆団体・活動家はたくさんいます。
寝屋川支部弾圧の完全破綻を反省することも、当事者に謝罪することもなく、今度 は、戸田と生コン支部への「政治資金規正法違反」弾圧に全力を挙げているのです。
市民のみなさんには、こういう実態もぜひ、押さえておいてもらいたいと思いま す。


2005/12/13

獄中から、みなさんへの報告です。今後不定期ながら、獄中からの報告を戸田HPの弾圧特集コ ーナーに載せていきます。ぜひご注目ください。
取調に対して完全黙秘していること、権力との闘 いを考慮した範囲の中に止まらずるを得ないことから、取調で言われている詳しい内容や戸田の 考え方、感じ方は報告できません。

 当方、体調・気力とも充実して元気です。
市役所内での逮捕後は、まず門真署へ連行され、そこで「取調べ」「写真撮影」「指紋採取」を受け、 それから、西警察署の留置場へ連行されました。西署着が夜9時過ぎ。
マスコミ2〜3社が待って いて、車で入るときにライトを付けシャッターを切りました。
翌12月9日午前戸田選任の弁護士の接見、午後から地検へ連れて行かれ、女性検事の「取調 べ」、完黙なのでにらめっこ状態多し。
夕方、地裁へ連れて行かれ、ここでもずいぶん待たされてから「勾留裁判」。
男性裁判官(逮捕状を出したのと同じ裁判官)で、こちらの主張を形だけ聞いて、すぐに「勾留を 決定します」と「決定」予測通り「接見禁止」もつけ、勾留の方は(とりあえず)「10日間」が付けられ、 夜8時過ぎに西署の留置場に戻された。
取調官は大阪府警公安3課の警部補。11月9日ガサ入れの主任をしていた人物。
9日以降の取調は、10日、11日、当方はずっと完全黙秘。
  12月8日夕方の逮捕劇は、議員控え室で、議員が議案の説明を受けているところを、大勢のマス コミが取り囲み、いきなり戸田に何の連絡もなく、説明中の職員を引き上げさせ、警察が乗り込ん で、大勢のカメラの前で、大々的に逮捕を執行するという、日本で前代未聞の「政治ショー」だった。

武委員長の再逮捕を満身の怒りで糾弾する。 私も西署留置場で決然と戦い抜いています。反弾圧全国闘争を爆発させよう。


戸田は現在、接見禁止状態ですが、弁護士さんを通して伝言がありましたのでお伝えします。 05/12/09up

政治的不当弾圧であり、あえて議案説明中の議会控え室に踏み込んでマスコミをあおりながら逮捕するという政治的ショーを演出したものである。
この弾圧に対しては政治的不当弾圧として断固として闘う。元気に闘っていきます。