泰阜(やすおかむら)村長のblog 長野県知事選挙に思う 戸田 - 06/8/26(土) 3:27 - ◆泰阜(やすおかむら)村長のblog 「私はこう考えます。」  松島 貞治(まつしま ていじ)

 http://blog.st203.net/soncho/ 2006.08.08 長野県知事選挙に思う

 田中康夫氏が落選した。知事に対し好意的な地域といわれた下伊那でも14町村のうち、得 票で田中氏が上回った自治体は、4つに過ぎなかった。

 この選挙結果をみて、これは田中康夫氏の完敗である。

 今回、私は、田中康夫氏を支持すると表明をしてきた。ただ、具体的な選挙応援は、ほと んどしなかった。それは、自分の選挙と同日選挙であったこともあるが、それより、何もせ ず「県民」の判断をみたかったからである。

 泰阜村へ住民票を移したときも、それを受け入れたのは泰阜村長であるが、その行動が、 知事としてふさわしいのか、どうか、それは偏に県民の判断に待つ以外にない、と言ってき た。

 つまり、それらも含め、田中康夫氏をどう判断するのか。現職の政治家は、毎日が選挙運 動である。地方の首長は、4年間選挙運動をやっているようなものであり、それが強みであ ると同時に毎日見られているということは、悪いこともすべてさらけ出しているということ でもある。

 したがって、今回災害で選挙運動ができなかった影響はない、と考えるべきであろう。

 事実、災害を受けた諏訪、岡谷では、知事をトップとした災害支援の対応が悪ければ、田 中氏の票が上回るようなことはなかったと思う。

 さて、敗因だが、リーダー(知事)として、組織の長として相応しい人物かどうか、とい うところが争点になったからだと思う。

 私は、田中康夫氏が示す方向性、理念、彼の持つ勘性、情報力は人並み以上だと思うし、 すごい。さらに、政治家として、必要な庶民感覚を持ち合わせている。

 それから、人がいうほど悪人でもなく、純粋さも持っていると思う。

 いろいろ言われても、こんな時代彼のような感覚で引っ張っていっていいと考えていた。 それが支持の気持ちである。

 ところが、県民はそれを選ばなかった。泰阜村でさえ、4割は、村井氏に投票している。

 ただし、田中氏のような個性派は、感覚的にダメ、という人もいるし、もともと反田中と いう人もいる。その皆さんは、ほとんど投票所へ足を運んだ。田中でいいじゃん、という人 が、どうしても田中でなければ、ということで投票所へ行ったのか、というと行っていない、 ということもあると思うが。

 それらを総合しても、組織の長、としてどうか。

 県職員からあんなに反感を受けるようでは問題。市町村の問題まで口をはさむ、市町村の 権限を無視している。こういった声は、ボディブローのように効いたことと思う。

 また、社会的な閉塞感もあり、どこかへ不満をぶつけたい、建設業の仕事が減ったのも田 中が悪い、田中が代われば、明るい時代がくるという雰囲気もあったのだろうか。

 私もこの13日から4期目が始まる。もう12年間も、村長をやってきた、つまり田中氏 より6年も前から、そして4年も長く、合計10年長く村長をやることになる。

 就任当初、あちこちと対立した。議会との対立もけっこう長引いた。それでも、ここまで きたのは、一つには「運」である。次は、自分の思い通り(自分のためでなく村民のために) に施策を実行し、それで評価してくれなければ辞めればいいという、諦観をもったことであ る。

 でも、この二つは、田中氏も持ち合わせていたと思う。

 もう一つ、私にあったのは、馬鹿になれる、という資質である(と自分で思っている)。

 ようするに、抜けているのである。

 田中氏は、庶民感覚を持っていた。私は、庶民受けをしたと思う。

 課題山積の県政、郵政民営化に反対した村井仁新知事には、大いに期待している。

 田中氏落選で「泰阜村」は、大変ですね、という声も聞こえてくる。大変かもしれない。 しかし、泰阜村を県がみてくれるのではない。私は、泰阜村長として淡々と村民のために行 政を推進するだけである。

 それと、これで、静かな時期が訪れると思う。まさに、原点に返り、在宅福祉に取組み、 今度は村民が脚光を浴びるような村政運営のスタートを切れると思う。田中康夫的な発想も、 十分取り入れながら。

 田中康夫氏もこの結果を冷静に受け止めていると思う。私利私欲なく長野県に尽くしたつ もりが、県民からノーと言われれば、静かに去るぐらいの覚悟はいつも持ち合わせていたは ず。

 田中氏の知事として仕事の評価は、また10年後くらいに話題に上る時代が来るような気 がする。