2:田中知事の性格と判断。徹底的な「個人自立型選挙」への「賭け」を思う 戸田 - 06/8/6(日) 19:49 -

 行なわれているのは広大な長野県全域のトップを決める県知事選挙。
 しかしその選挙のやり方を見ると(戸田が見たのは3日間で一部を見ただけだが)、そこら の「市民派」の市長選どころか市議会選挙よりもずっと質素で徹底的な「手作り選挙」、「個 人自立型選挙」だった。
 本人カー(遊説車)からしゃべるのは田中康夫本人だけ!ウグイスや代弁者は一切乗せず、 何千キロという行路全て田中候補本人がマイクを持ってしゃべり続ける。
 もう1台の政策宣伝カーには支援議員などが乗ってしゃべるが、何台も連ねたり大勢での 街頭演説などはしていないようだ。
 長野市と松本市の選挙事務所も大がかりな飾り付けや大勢のスタッフがいるわけではない し、電話を沢山引いているわけでもない。あちこちからの激励ポスターが貼られているわけ でもない。
 政策ビラ1号・2号はお金をかけたカラー印刷ものを大量に作って新聞折り込み+街頭や 戸別での配布はしているが、ビラまき部隊が大量に組織されているわけでもなさそうだ。
 こういう質素なやり方は、田中知事本人の強い意向・指示によるもので、その厳格さに側近や支援者側がとまどっていながら従っている感すらある。
 有名人を呼んでの話題づくりも峻拒しているし、「知事公務をしながらの選挙」を徹底し、 選挙戦前半過ぎまでは災害対策に時間を割いて街頭演説すら極くわずかしかしなかったくら いである。
 こういう様子から戸田が思ったことは、田中知事は「著名人の田中康夫としてではなく、 5年8ヶ月知事をやって来た知事としての田中の実績を名も無き個々の県民が評価し、これか らも共に歩もうとしてくれることに賭ける」と考えたのだろうということだ。
 組織・団体はもとより、各種の「運動家市民」ですらなく、名も無き県民個々人の判断力 の集合に徹底して賭け、もしもそれで落選するならばもはやそれまでと諦める、そういうこ とではないか。
 そして個々の県民の側に、今回の知事選はそういう個々の県民の見識が峻厳に問われてい る選挙ですよ、分かっていますよね、と問いかけているのだろうと思う。
 その根底にあるのは、5年8ヶ月の知事体験の中で81市町村をくまなく回り、車座集会 などで名も無き県民個々人が確かな判断力を持っており、自分と共同の意識を持っているこ とを確信している自信だろうと思う。
 以前も感じたことだが、長野で田中知事の個人演説会を3回見て再度感じたことは、田中 康夫という人は、「側近グループ」をほとんど作らず、また「側近や活動家を気取る人」を好 まず(だからそうしたがる人達は田中知事に冷遇されたと感じて恨みを持って離れていく)、 「活動家」層を介さずに名も無き庶民達と直結する慈母・慈父のような存在としてある、と いうことだ。  
 そういう直結感というのは既存政治家やマスコミには全然分からないし、活動家にも分か らない。
 だから、表面的な所を見て、田中支持は減っている、反田中が増えている、田中は厭きら れている、田中支持はカルト的などと論評するのだろうと思う。
 庶民と直結している(と感じている)本人にしか感得できないことというのは確かにある。
 そこに田中知事は確信を持っているし賭けているのだろうと思う。
 ちなみに、長野市で乗ったタクシー運転手の1人は、田中知事や選挙のことを話する中で、 「一番大事なのは県民が自分の頭で考えて政治を選ぶと言うこと。それを示したのが田中知 事だった。自民党や政府頼みの村井じゃだめなのはもちろん、田中知事頼みでもだめ。その 上で投票は当然田中知事にする」と言い切った。
 この運ちゃんは、かつては建設業の営業職だった人で、談合して議員に賄賂を渡し、議員 に頼み込んで公共工事を持ってきてもらうのが自分の仕事だった、田中知事当選以来そうし た公共工事の手法ができにくくなっていったが、それは当然の時代の流れと思ったからタク シー運転手に転職したとのこと。
 たまたま出会ったタクシー運転手にこういう人がいる、ということが「長野県民のレベル の高さ」を示していると思う。
 某労組員役員で、「公共工事が減ったから田中を変えなければ」と断言する人もいたけれど も、田中県政の中に労働相場の向上政策がまだ無いことは欠点であるとはしても、それを自 公推薦の村井知事誕生運動に結びつけるのは筋違いだと思う。