≪自衛隊のイラク派兵費用差止裁判の不当判決に対する抗議声明≫

自衛隊のイラク派兵費用差止裁判の不当判決に対する抗議声明   

                                2005年9月9日

 9月8日午後1時45分より、大阪地方裁判所において、国が行っているイラク派兵 にともなう国費支出の差し止めと原告らへの慰謝料を求めた裁判で、小西義博裁判官ら 3名は原告らの訴えを却下する判決を言い渡した。慰謝料請求についても棄却され、国 側の言い分を全面的に支持する不当極まりない判断を下した。
 全国各地で行われているイラク派兵反対の訴訟で東京地裁判決に次いで2番目の判決。 英国による同時多発爆破事件以降、今回初めての判決で、爆破攻撃への危険性が日本で も高まる最中での注目される訴訟判決であった。しかし今回の裁判所の判断は、憲法を まったく無視した国側を全面的に支持する不当なものであった。
 法廷では、裁判官が判決の主文を読み上げるだけですぐに退廷。判決理由すら述べら れなかった。
 判決の主旨は、イラク派兵に関する国費支出が原告らの具体的権利や法律上の利益に 影響を及ぼすものではないので、原告らと被告(国)との間に何ら紛争が生じているも のではない。よって「法律上の争訟」には当たらないというもの。
 また行政庁の公権力行使に関する不服訴訟としての抗告訴訟の見地から見ても、差し 止めの対象となる行政庁が行う「一定の処分または裁決」とは、行政庁の行為全てを意 味するものではなく、その行為によって直接国民の権利義務を形成し、範囲を確定する 事が法律上認められていると解釈する。よって原告らの権利や法律上の利益に何ら影響 がないので、範囲を確定するものではなく、「一定の処分または裁決」には該当しない。
 また平和的生存権や幸福追求権による差し止めの根拠となり得るかは、憲法前文は基 本的精神や理念を表明したもので、国民の具体的権利を定めたものでない。また国民の 私法上の権利を直接保障したものではない。平和的生存権は、抽象的で具体的権利の保 障をしているものではない。よって抽象的な平和的生存権や幸福追求権が訴えの根拠に はなり得ない。以上、イラク派兵の国費支出が原告らの権利ないし法的利益の侵害に当 たらないので、訴えそのものが不適法であり却下する、というものであった。
 要するに、今回の判決は国にある程度の采配があり、国民に対して直接迷惑をかけて いないのだから、国民に訴える権利はない。答えははじめから決まっているのだ、と言 わんばかりの内容であった。原告らがいくら証拠を提出しようが、いくら現地で取材し た証人を立てようが、提訴した時点から結論は決まっていた感が否めない。法廷で国側 は反論すると表明していたにも拘わらず、一切の反論もないまま審理が終了した。反論 を論じない方に有利な判断を下す裁判そのものへの不信感は否めない。
 また裁判所は、憲法そのものは精神や理念を言匝ったもので権利を保障するものではな いとの判断だが、我々は憲法が「国の最高法規」であり、「法律の法律」と教わってきた。 日本は法治国家と言われているが、これは単なるまやかしに過ぎないということが証明 された今回の判決であった。憲法を無視していいのなら、憲法の下の法規そのものも意 味を為さないのではないだろうか。いっさいの法律を守らなくてもよいと言うことに直 結するのでないだろうか。モンテスキューが称えた三権分立も完全にまやかしであり、 裁判官も行政の圧力を受けている事は確かである。
 あまりに露骨な今回の判決は、司法の死を意味するものであり、国民の信頼を失墜さ せるものである。裁判所の判事をはじめ職員が身にまとっている黒衣は、何を意味する のだろうか。本来、黒は誰にも染まらないと言う意味が込められている筈である。
 我々は、本判決が憲法76条(裁判官の独立)99条(憲法遵守義務)を一切無視し 門前払いの判断に満腔の怒りを持って厳しく抗議するものである。                                          以 上

原告団
川村賢市・戸田久和・長崎由美子・矢田貝元・平岡弘子・植田至紀・大野ひろこ・辻岡 尚・武洋一・今川治・中村猛・川口浩一・三浦健男・山元一英・富永和夫・樋口耕一郎 小路健太郎・高英弘・川崎修徳・錦戸憲二・武谷新吾・高英男・片山好史・中原克弥・ 国賀祥司・山田洋一・古賀滋・柳充・城野正浩・森田充二・阪口克己・七牟礼時夫・小 西弘泰・渡海優・梅川正信・成田勇三